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アイリアノス『ギリシア奇談集』:「アイネイアスの敬虔の念とギリシア人の憐憫の情」(「神々」と「生みの親」)!「クセノポンの美しいもの好き」(勇者の死装束)!

2021-06-14 19:58:40 | 日記
※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫

第3巻(22)「アイネイアスの敬虔の念とギリシア人の憐憫の情」:「神々」と「生みの親」を敬う敬虔な人間に対しては、敵でさえ心を和らげる!
イリオン[トロイア]が陥落した時、アカイア軍[ギリシア軍]は捕虜たちの悲運に哀れを催し、ギリシア的温情から次のような布告を出した。「自由身分の者は各人一つずつ望むものを担いで持って出てもよい。」するとアイネイアスは「先祖代々の神々」を運んで行こうとした。ギリシア人がこの男の「敬虔さ」を喜び、さらにもう一つのものを持っていくことを許すと、アイネイアスは「極めて高齢の父」を背中に負って運んで行こうとした。これにはギリシア人も度肝を抜かれ、彼に全財産の携帯を許すことにした。「神々」と「生みの親」を敬う敬虔な人間に対しては、生来の敵でさえ心を和らげることが示されたのだった。
《参考》トロイア戦争は紀元前1200年中期に起きたとされる。イリオン[トロイア]は、ギリシアのミケーネ文明とほぼ同じ時期に栄えた。トロイアの王子に誘拐されたスパルタの王妃ヘレネを奪還するため、アガメムノンの率いるギリシア軍(アカイア人)が包囲10年目に、大きな木馬に兵を潜ませトロイアに潜入し陥落させた。
《感想》「神々」と「生みの親」を敬うことは、アカイア人[ギリシア人]にとって価値あることだった。Cf. 「今の世界and日本でも同じだ」と言える。

第3巻(24)「クセノポンの美しいもの好き」:勇者にとっては実際にその身を飾っているものが死装束である!
武人であったクセノポンは美しい武具を身につけることに意を用いた。敵に勝つときは最も美しい軍装がふさわしい。また戦場で果てる場合も美しい物の具一式をまとって美しい姿で横たわるのがふさわしい。「勇者にとっては実際にその身を飾っているものが死装束である」と考えていた。
《参考1》クセノポン(前427?-前355?)はアテナイ出身の軍人、哲学者。ソクラテス(前470頃-前399)の弟子だった。
《参考2》クセノポンは若い頃(前401-前399)、ペルシア王の弟キュロスが兄王を打倒すべく雇ったギリシア傭兵に参加した。だが雇用主キュロスと指揮官が戦死。ペルシア帝国の真ん中に放り出された傭兵部隊は、クセノポンの指揮により敵中を脱することができた。ギリシアへの帰還後、クセノポンはスパルタに雇われ、以後、スパルタの傭兵or傭兵隊長として戦った。
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