※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫
第3巻(2)「アナクサゴラスの毅然たる態度」:「私は死すべき者を生んだことを知っていた」!《理性》の徒!
哲学者アナクサゴラス(前500頃〜前428頃)が弟子たちを前に議論している時、彼の二人きりの子供の死が伝えられた。しかし彼は騒がず「私は死すべき者を生んだことを知っていた」と言った。
《感想1》アナクサゴラスはイオニアの知的伝統を受け継いだ哲学者だ。彼は原初の混在から秩序ある世界を創り出す「ヌゥス」(知性・精神・理性)について語った。
《感想1-2》アナクサゴラスは学究の徒、すなわち《理性》の徒だった。《理性》の観点からすれば人は、まさしく「死すべき者」だ。だが彼に《感情》(Ex. 子供への愛、またその死への悲しみ)はなかったのだろうか?
第3巻(5)「アンティゴノスの不動心」:「あっぱれな兵士であった」!武人の感情形式!
アンティゴノス2世(前319‐前239、アンティゴノス朝マケドニア王)は、息子が前線から遺体となって運ばれてきたとき、顔色を変えることも涙を流すこともなかった。彼は息子の死を褒め称え、埋葬を命じた。
《感想2》当時の武人の感情形式は、《「あっぱれに」(名誉ある仕方で)死んだかどうかに感動する》というものだった。これは、アイリアノス(200A.D.頃)の感情形式と異なる。(Cf. 現在の日本とも異なる。)
第3巻(2)「アナクサゴラスの毅然たる態度」:「私は死すべき者を生んだことを知っていた」!《理性》の徒!
哲学者アナクサゴラス(前500頃〜前428頃)が弟子たちを前に議論している時、彼の二人きりの子供の死が伝えられた。しかし彼は騒がず「私は死すべき者を生んだことを知っていた」と言った。
《感想1》アナクサゴラスはイオニアの知的伝統を受け継いだ哲学者だ。彼は原初の混在から秩序ある世界を創り出す「ヌゥス」(知性・精神・理性)について語った。
《感想1-2》アナクサゴラスは学究の徒、すなわち《理性》の徒だった。《理性》の観点からすれば人は、まさしく「死すべき者」だ。だが彼に《感情》(Ex. 子供への愛、またその死への悲しみ)はなかったのだろうか?
第3巻(5)「アンティゴノスの不動心」:「あっぱれな兵士であった」!武人の感情形式!
アンティゴノス2世(前319‐前239、アンティゴノス朝マケドニア王)は、息子が前線から遺体となって運ばれてきたとき、顔色を変えることも涙を流すこともなかった。彼は息子の死を褒め称え、埋葬を命じた。
《感想2》当時の武人の感情形式は、《「あっぱれに」(名誉ある仕方で)死んだかどうかに感動する》というものだった。これは、アイリアノス(200A.D.頃)の感情形式と異なる。(Cf. 現在の日本とも異なる。)