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水野和夫(1953-)法政大教授が語る①「『資本主義』崩壊論」&②「アベノミクスは『生活破壊』政策!」(『サンデー毎日』2018/03/11号)

2018-02-28 19:30:04 | 日記
(1)水野氏の2つの論点:①「資本主義」崩壊論&②アベノミクスは「生活破壊」政策!
①資本主義は崩壊に向かっている。
②アベノミクスは「国民窮乏化」政策、つまり「生活破壊政策」だ。

《感想》
資本主義の崩壊とは、どういうことか?
(ア)資本主義は、「企業・個人の利潤追求」が経済活動の原動力となる社会だ。
「企業・私人の利潤追求」が、経済システムとして、おそらく最良だ。
この意味での「資本主義」は、崩壊しない。
(イ)水野氏が、問題にするのは、「経済成長」、「経済規模の拡大」を目的とする「資本主義」だ。
(イ)-2 そして人口減少する日本では、「経済成長」、「経済規模の拡大」の追求は、企業による「国民窮乏化」を進めるだけだと、指摘する。
(イ)-3 その上で「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義は崩壊すべきだし、さらに、水野氏は、現に崩壊しつつあると、論じる。

(2)利子率の低下から、資本主義の崩壊を予見:水野氏
かつて1976年、仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドは乳児死亡率の異常な高さから、ソ連の崩壊を予言。(1991年ソ連崩壊。)
日本の経済学者水野和夫は、利子率の低下から、資本主義の崩壊を予見する。

《感想》
「資本主義の崩壊」の問題は、水野氏の議論の論点①で、後述する。

(3)水野氏の論点②:アベノミクスが、「国民窮乏化」政策であるのは、なぜか?

(3)-2 経産省2014年「伊藤レポート」:ROE(自己資本利益率)20%を目指せ
経産省が2014年、「伊藤レポート」を出した。
アベノミクスは、「伊藤レポート」を前提に、経済政策を立案する。
これは、ROE(自己資本利益率)最低8%以上、具体的にはROE20%を目指せとのべる。
ROEは、株主拠出の自己資本で、企業が株主のためにどれだけ利益を上げたかを示す。

《感想》
経産省が、ROE(自己資本利益率)20%を目標とするのは、海外から日本企業への投資を呼び込むためだ。
海外から資金をえることが重要としても、ROE20%を企業に課することは、「国民窮乏化」をもたらし、国民を分断する。
他の方法を考えるべきだ。

(3)-3  ROE20%:賃金カット、非正規雇用比率の増大、つまり「国民窮乏化」をもたらす
企業は、経産省のお眼鏡にかない、かつ株主総会を乗り切るため、ROE(自己資本利益率)20%を目指す。
このため、賃金カット、非正規雇用比率の増大がなされる。
これを、国民ベースで考えれば、実質賃金、生活水準が、どんどん下がる。
これは「国民窮乏化」政策だ。

(3)-4 『短観』と『生活意識調査』
日銀が3か月ごとに出す景況感を示す二つの統計データが、対照的だ。
『企業短期経済観測調査(短観)』では、「良い」と答える企業が多数派だ。
『生活意識調査』では、「良くない」と回答する個人が多数派だ。
二つのデータが、逆方向を向くことは、これまで滅多になかった。

《感想1》
「伊藤レポート」を前提するアベノミクスは、「国民窮乏化」政策だ。
アベノミクスは、企業をサポートする。
しかし、企業の景気が良くても、国民の生活向上につながらない。

《感想2》
確かに、アベノミクスが、「人手不足」を引き起こすほど、「景気」を良くしたのは事実だ。
ただしこの人手不足は、基本的に非正規雇用者の「人手不足」だ。
国民の生活水準を、向上させてはいない。

《感想3》
若者(18歳以上~20歳代)の安倍内閣支持率が、高い。
これは、就職氷河期と違い、現在、売手市場(就職する学生側に有利)だということだ。
しかし正社員の過重な労働負担、明白なサービス残業。
しかも給料はあまり上がらず、いつリストラがあるか分からず、転勤も単身赴任が前提で、当たり前の果亭生活を保障しない。

(3)-5 生活水準は1997年比で15%下落した
生活水準は1997年比で15%下落した。
今後、名目GDP3%を達成しても、ROE(自己資本利益率)20%経営を強いられれば、10年後の生活水準は1997年比で40%下がる。

《感想1》
生活水準が下がったと言っても、これは平均だから、実は、低賃金の非正規雇用者の増大を意味する。
今後、さらに急激に、非正規雇用者が増大する可能性がある。
正社員も、裁量労働制が拡大すれば、労働時間の制限がなくなり、また残業代もなくなるので、低賃金・労働強化が進むだろう。

《感想2》
非正規雇用は、身分意識・差別意識・パワハラを生み、暗い社会を生み出す。
「国民窮乏化」だけでなく、「階級社会化」が進む。
「美しい」はずの国は、「国民相互の共感が失われた殺伐とした」国になるだろう。
残念だ。何とかしなければならない。

(3)-6 アベノミクスは、「国民生活より株主を重視している」
安倍政権は、一方で、3%賃上げを求めている。
しかし、他方で、安倍政権は「伊藤レポート」を前提とし、ROE(自己資本利益率)20%経営も求める。
3%賃上げとROE20%経営の両立のためには、名目GDP成長率5.5%が必要だ。
官僚は、このことを、知っているが、「忖度」(ソンタク)し、何も言わない。
アベノミクスは、「明らかに、国民生活より株主を重視している」(水野氏)。

《感想1》
アベノミクスは、国民向け(or選挙向け)に「3%賃上げ」ばかり宣伝する。
ところが実は、アベノミクスは、ROE(自己資本利益率)20%経営を事実上強制し、非正規雇用の拡大=「国民窮乏化」をめざしているのに、それを隠す。

《感想2》
企業が、国民全体の経済状況の向上など、考慮しない。
政治の任務だ。
日本が「階級社会」でいいわけがない。
かつて仁徳天皇は、「民のかまどの煙」に喜んだ。
政治は、国民全体の幸福の増大を目指すべきはずだ。

(4)アベノミクスと「株高」
ところで、アベノミクスは、「株高」をもたらした。
「株高」はアベノミクスの目標の一つだ。
①米国では株高は、国民の資産向上に寄与するが、「日本では、国民の資産の多くが銀行預金で、国民の大多数は、株高の恩恵を受けない」。
②株高は、もっぱら外国人株主に恩恵を与える。株高のために株を買い支える日銀は、「外国人株主銀行」(?!)と言ってよいくらいだ!

《感想》
水野氏の話に、付け加えれば、次の通り。
③株高は、時価会計の企業決算を好転させる。企業の好決算は、賃金上昇につながりうる。(実際は、企業は内部留保を増やすばかりで、賃金を増やさない。)
④株高は、富裕層に、資産効果をもたらし、一定程度、個人消費を増大させる。アベノミクスは、基本的にトリクルダウン説に立つ。(だが、格差の拡大が大きすぎる。)

(4)-2 日銀は、いつまで「株」を買い支えることが出来るか?
日銀は、5年間も、量的緩和を続ける。
量的緩和をやめるたら、「利上げ」と、「株価の急落」が起きる。
かくて「株価第一」の安倍政権は、黒田東彦(ハルヒコ)総裁に量的緩和を続けさせたい。
だが、タマ(日銀が購入できる民間保有の国債)がなくなったら、日銀の株買い支えができなくなる。
ただし日銀の国債購入が、年40-50兆円ペースなら、10年間は、大丈夫だ。つまりタマはもつ。

《感想1》
水野氏は、日銀の量的緩和、つまり日銀の「株」の買い支えが、10年間は大丈夫だとみる。
アベノミクスは、安泰だ。

《感想2》
安倍首相の目的は、「憲法改正」であって、「アベノミクス」は方便だ。
彼は、「株価」が上がり、「人手不足」が続き、就職が「売り手」市場で若者の支持が見込め、さらに景気に関心を持つ国民が、安倍政権を支持すれば、「憲法改正に有利になる」から、それだけに関心がある。
極論すれば、彼は「国民の生活」に興味がない。
彼は、「憲法改正」だけに興味がある。

(5)量的緩和からの出口でハイパーインフレ、国債暴落の懸念はないのか?
「基本的にはないと思う。」(水野氏)
ただし、安倍政権が財政収支均衡目標を先送りさせるのは、まずい。
今は、日本(経済)の基礎体力があるからいいが、なくなると財政収支均衡化が、大変な負担になる。

《感想》
「量的緩和からの出口で、ハイパーインフレや国債暴落の懸念がないのか」との問いに対し、水野氏が「基本的にはないと思う」と答えたが、本当にそうなのか、疑問が残る。

(5)-2 日本の基礎体力の物差しの一つは、「経常収支黒字」だ
(ア)日本の基礎体力の物差しの一つは、日本全体の「貯蓄」、つまり「経常収支黒字額」が、どれだけあるかだ。
これが、じわじわ減っている。
(イ)日本の経常収支黒字の源泉は、電気機械と自動車だったが、リーマンショック後、電気機械(Ex. スマホ)は落ち込んだ。かつて10-15兆円あった貿易黒字が3兆円に縮小。
(イ)-2 これから、「自動車が黒字を出せるか」、懸念がある。(これからは電気自動車の時代だ!)
(ウ)経産省は、かつての旧通産省のように輸出・産業育成行政に、立ち戻るべきだ。
(ウ)-2 財務省に成り代わって、経産省がマクロ経済政策の司令塔役を果たそうなどと、無理をするから間違える。先述の「ROE至上主義政策」など間違いの典型だ。

《感想》
「これから自動車が黒字を出せるか、懸念がある。」との指摘はもっともだ。
(a)中小企業は後継ぎがなく、産業のすそ野が衰退する。
(b)国内は格差が拡大し、優秀な人材が高等教育を受けられない。
(c)大学に財政資金を回さず、日本の科学・学問は瀕死の状態だ。
「国家百年の計」は、大丈夫なのか?

(6)水野氏の論点①:資本主義が崩壊に向かっている?
論点①:「資本主義が崩壊に向かっている」との水野氏の主張を、以下、検討しよう。
資本主義は、「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」(フロンティア)を広げることによって、「中心」が利潤率を高めていく(資本の自己増殖を推進していく)システムだ。
ところが「グローバリゼーション」で、世界が近くなったこの時代に、地理的な市場拡大も、金融・資本市場の拡大も、限界に来ている。

《感想1》
水野氏が「資本の自己増殖」と呼ぶのは、「経済成長」、「経済規模の拡大」のことだ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義は、このグローバリゼーションの時代、終わりつつある。
世界が、もはや「周辺」を持たず、「中心」のみになる時が、やがて来るだろう。
その時は、「経済成長」、「経済規模の拡大」は不可能だ、つまり「資本の自己増殖」は不可能だと、水野氏が言う。

《感想2》
さて、水野氏は、国民経済レベルで、拡大再生産は、不要だと主張する。
つまりGDP 成長は不要だとする。
前年と同じだけ利益が上がればよい。
国民経済の目標を、経済成長(GDPの成長)でなく、一人当たりGDPの水準の維持に置けば、良い。
人口規模に対応した単純再生産でよいということだ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」を目的とする「資本主義」は崩壊してよい。

《感想2-2》
GDPとは、そもそも、企業・個人の経済活動における利益の合計だ。
これが国民経済レベルで増大しなくても、困らない。
国民一人当たりのGDPが変わらなければ良いのだ。
経済的競争はもちろんある。
損する企業も、得する企業もある。
しかし、全体として国民経済レベルで、拡大再生産することを、目標としなくていい。
国民一人当たりのGDP、分配の公正性などを、目標とすればよい。
「利益の合計を前年より増大させよ」、「前年より経済成長させよ」と、各企業に要求しなくてよい。

《感想2-3》
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は崩壊しない。

(6)-2 「金利ゼロで、資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)が、終わりつつある」?
資本主義は、無目的に自己増殖する仕組み(「経済成長」、「経済規模の拡大」を追求する仕組み)だ。
これに関して、水野氏が、以下のように言う。
だが「金利ゼロで、資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)が、終わりつつある。」
特に、日独では長短金利が両方ゼロになり、資本主義のご臨終の局面だ。
これは、科学とテクノロジーで合理性を追求する近代主義の終りでもある。

《感想1》
金利がゼロだからと言って、それが資本の自己増殖ゼロを意味するわけでない。
金利がゼロでも、投資の配当がゼロでない。
例えば、銀行は、金利で稼げなければ、投資で稼ぐ。

《感想1-2》
「金利ゼロ」と、「資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)の終わり」が同一との、水野氏の主張は、疑問だ。

《感想2》
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義(つまり「資本の自己増殖」としての資本主義)は崩壊してよい。

《感想2-2》
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は、歴史的に見て最良の経済システムだ。

《感想2-3》
「企業・個人の利潤追求」は、競争を不可欠とするから、「科学とテクノロジーで合理性を追求する近代主義」も、終わることがない。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義が崩壊したら、「近代主義も終わる」とする水野氏の主張は、疑問がある。

(7)資本主義は、利潤も生めない&格差ばかり拡大する
「資本主義はモラルとしてもたない」と水野氏は言う。
資本主義は、格差社会を生み出しつつある。
「全体のパイが増えず、分配が行き届かない。」
日本では、「分配が、外国人株主のほうに厚く、片寄っている。」
「資本主義は、利潤も生めない。格差ばかり拡大する。」(水野氏)

(7)-2 経済成長を目標としない“定常型社会”に適した資本主義への「修正」がなされるべきだ
水野氏は、「資本主義後の世界」について語る。
(※これには、疑義がある。資本主義は存続する。問題は資本主義の「修正」だ。(後述))
経済成長を目標としない“定常型社会”が、到来する。

《感想》
「資本主義後の世界」について水野氏は語るが、これは不適切で、問題は、資本主義の「修正」だ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義(つまり「資本の自己増殖」としての資本主義)は崩壊してよい。
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は、これまでのところ歴史的に最良の経済システムだ。
かくて、経済成長を目標としない“定常型社会”に適した資本主義への「修正」がなされるべきだ。

(7)-3  財政の均衡化、再生可能エネルギーへの転換、地方分権の実現が、定常型社会の前提だ(水野氏)
定常型社会は、ゼロ金利、ゼロインフレ、ゼロ成長だ。
財政の均衡化、再生可能エネルギーへの転換、地方分権の実現が、定常型社会の前提だ。
資本主義、近代主義の「より遠く、より速く、より合理的に」という価値観から、「より近く、より遅く、より寛容に」の価値観へ転換する。

《感想1》
《経済成長を目標としないが、競争にも勝ち抜く「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」》は、存続するだろう。

《感想2》
水野氏が言うように、経産省の「ROE至上主義政策」など間違いの典型だ。
分配の不公正が、国民の連帯感、活力をそぐ。国民が、分断されてしまう。
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ロバート・フロスト(Robert Frost)(1874-1963)「砂漠の地」(1937年):彼には「寂しさ」を圧倒する《生きるエネルギー》があったはずだ!

2018-02-27 22:53:31 | 日記
 Desert Places                      砂漠の地

Snow falling and night falling fast, oh, fast 雪が落ちる、夜が落ちる、速い、おお、速い、
In a field I looked into going past,       私が通りすがりに覗いた野原に。
And the ground almost covered smooth in snow, そして地面は雪で覆われほとんど平らだが、
But a few weeds and stubble showing last.    しかしわずかな草と切株が最後に見える。

The woods around it have it-- it is theirs. 野原を取りまく森がそれ(寂しさ)を持つ--それは森のものだ。
All animals are smothered in their lairs.  すべての動物が巣の中で息をひそめる。
I am too absent-spirited to count;      私はあまりに魂が消えて数に入らない。
The loneliness includes me unawares.     寂しさが知らぬ間に私を取込む。

And lonely as it is, that loneliness    そして寂しいとはいえ、その寂しさは
Will be more lonely ere it will be less-- やがて和らぐ前に、一層寂しさを増すだろう。
A blanker whiteness of benighted snow    夜を迎えた雪の、より空白な白さは
With no expression, nothing to express.   表情がないし、表現すべきものがない。

They cannot scare me with their empty spaces    彼らは、彼らが言う星々--その星々に人はいない--の間の
Between stars -- on stars where no human race is. 空虚な空間で私を怖がらすことができない 。
I have it in me so much nearer home          私はずっと手近により痛切に私の内において、
To scare myself with my own desert places.     私自身の砂漠の地で自らを怖がらせるからだ。

《感想1》
詩人は、「私自身の砂漠の地」(my own desert places)について語っている。
「彼ら」(科学者や宗教者)が宇宙の空虚な空間について語っても、その「寂しさ(loneliness)」を詩人は怖れない。
なぜなら、詩人は、すでに「寂しさ」に知らぬ間に取込まれてしまっているから。
「私が通りすがりに覗いた野原」を、それを「取り巻く森」の「寂しさ」が支配する。
「夜を迎えた雪」の「野原」として描かれたのは、実は、「私自身の砂漠の地」の「寂しさ」なのだ。

《感想2》
①それにしても、この詩人の苛烈な「寂しさ」は何に由来するのか?
②また、彼はこの「寂しさ」を背負ってor内在させて、いかにして89歳まで生きえたのか?

《感想2-2》
②に関しては、彼には「寂しさ」を圧倒する《生きるエネルギー》があったはずだと、言える。
「寂しさ」が、この世の無常性、無意味性、虚無性・幻影性に由来するとしたら、この詩人は、この世に永遠性、有意味性、実在性を見いだそうと、生き続け、苦闘したのだ。
①に関しては、彼は、自らの苛烈な「寂しさ」故に、他者との共感(愛)の貴重さ、稀有さに気づいたろう。
①-2 彼の苛烈な「寂しさ」の起源は、①死の不可避性(不死の不可能性)、②この世の無常性(⇔永遠性)、③無意味性(⇔有意味性)、④虚無性・幻影性(⇔実在性)、⑤自他の心の合一の不可能性等だろう。
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誰もが、「感情、欲望、欲求、目標、意図」に振り回される!なんという、煩悩!人生とは煩悩そのものだ!

2018-02-27 19:08:07 | 日記
(1)
まことに、君は、面倒くさい。
君は、健康のため、今、体重管理をしている。
ところが今日は、美味(ウマ)いものを食べ過ぎた。
明日は、あまり食べられない。
つらくて大変だ。

(2)
美味(ウマ)いものを食べたい欲求。
別に悪いことではないが、「食べ過ぎ」は、健康によくない。

(3)
これだけのことで、かくも、面倒くさい。
人生は、その些末(サマツ)さに笑ってしまう。

(4)
さて、これまでの「君の悩み」、「君が戦ってきた相手、あるいはもの」は、何だったのか?
思い返すのも、大変だ?
ただ「多くの苦労が、あった」のは、間違いない。

(5)
今、君は、「美味(ウマ)いものが、好きなだけ食べられない」と、悩んでいる。
「いいご身分だ!」と嫌味を言われるだろう。

(6)
それにしても、人生は欲望、欲求、目指すべき目標、意図で動く。
さらに、感情が、君を取り巻く。
(欲望、欲求も、感情の一種だ。)

(6)-2
理性(論理的理性)は、論理的注視の自発性(欲望)だ。
善を求める理性もある。道徳的理性だ。これも欲望の一種だ。
美への欲望もある。

(6)-3
目標・意図の基盤は、感情、欲望、欲求だ。

(7)
かくも人生は、人の心の産物だ。
そして、誰もが、「感情、欲望、欲求、目標、意図」に振り回される。
なんという、煩悩!
「煩悩は、身心を乱し、悩ませる」と仏教は言うが、人生とは煩悩そのものだ。

(7)-2
煩悩の否定は、人生の否定だ。
それは、どう考えても、簡単にできるわけがない。
煩悩の否定は、生きたまま死ぬことだ。
(お釈迦さまも、大変な課題を、自らに課したものだ!)

(7)-3
その上、何十億もの人生が、この地上(地球)にある。
考えただけで、気が滅入る。

(8)
君は、どうするか。
君が、君にふさわしいと思う「感情、欲望、欲求、目標、意図」を選び取り、君自身をそちらへ誘導し、あるいは実現していく。
これが、君の人生の内実そのものだ。
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北原白秋(1885-1942)「赤い夕日に」『東京景物詩』所収(1913、28歳):働かず、昼から酒を飲み、詩など書く自分は、「怠け者」?

2018-02-27 19:00:34 | 日記
 赤い夕日に 

あかい夕日につまされて、 
酔うて珈琲店(カフエ)を出は出たが、 
どうせわたしはなまけもの 
明日(アス)の墓場をなんで知ろ。 

 By the red setting sun

I was forced by the red setting sun to get out of a cafe while I was drunken.
Anyway, I am an idle man. 
I can't expect what I shall be when I enter my grave in the future.

《感想1》
詩人は28歳だ。
夕日は1日の終わり。
昼間からカフェで酒を飲み、今、夕刻となり、店を出た。
彼は、金持ちの酒造業の家に生まれ、金の心配がなかった。
ところが、彼が24歳の時、家が破産。
働かず、昼から酒を飲み、詩など書く自分は、「怠け者」と親族たちから言われる。
彼は、詩人として成功しつつあったが、つらい気持ちだったろう。

《感想2》
詩人は、次のように歌っている。
「私は赤い夕陽により無理矢理、カフェから追い出されたが、私は酔っていた。いずれにせよ、私は怠け者だ。私は、自分が将来墓に入る時、何者になっているか、予想できない。」
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立原道造(1914-39)「月夜のかげは大きい」:くらさの中に、まつばぼたんの花が、鮮やかだ!詩人は、明るい生に、憧れる! だが不安だ!

2018-02-26 21:35:08 | 日記
 月夜のかげは大きい    
 “A shadow at moonlit night is large.”

月夜のかげは大きい 
僕の尖った肩の辺(アタリ)に 
まつばぼたんが
くらく咲いてゐる

A shadow at moonlit night is large.
Around a shoulder of my shadow, flowers of sun plant are darkly in bloom.

《感想1》
29歳代で夭折した詩人の不安。
月夜は、不思議に明るい。
明るい夜は、矛盾であり、それ自身、不安だ。

《感想2》
尖った肩の僕は、やせている。
布袋のように太っていることは、現世の幸福・幸運の象徴だ。
僕がやせていることは、不幸・不運を象徴する。

《感想3》
不幸・不運の「かげ」の近くに、まつばぼたんが、明るく咲く。
しかも、夜の明るさは、矛盾ゆえに、屈折し、くらい。
「くらさ」の中に、また、やせた「かげ」の近くに、まつばぼたんの花が、鮮やかだ。

《感想4》
一方で、鮮やかな花の色。
他方で、その鮮やかさを取り巻く「くらさ」、不幸・不運の「かげ」。つまり不吉さ。
この不吉さは、死だ。
詩人は、現世を肯定する鮮やかな生と、現世を否定する死に、引き裂かれる。
「月夜のかげは大きい」!
これは死の「かげ」だ。

《感想5》
詩人は、明るい生に、憧れる。
だが彼は、不安だ。
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