※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書
(1)60年安保闘争と「政治の季節」の終焉:60年代は「政治からの撤退の季節」でもあった!(2-3頁)
A 1960年、新安保は「アジアを再び戦争に巻きこむ軍事同盟ではないか」という不安から「10万人規模の国会へのデモ」が連日続いた。だが自然承認されると、政治的な熱狂が終わる。池田内閣のもとで「軽武装・経済重視」の高度成長期が始まった。(2頁)
A-2 60年代後半に「全共闘と呼ばれる学生たちの運動」が勃発するが、これは「世代的な闘争」という側面が強かった。(※権威としての「大人」に対する若い「学生」の異議!)70年代に「過激派」(Ex. 赤軍派)の暴走で左翼運動が衰退。(3頁)
(2)純文学をめぐる戦後の論争:(ア)「マルクス主義と文学」が争点の論争!(イ)「純文学」(「私小説」)は退潮していると「純文学論争」!60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった!(3-5頁)
B 「60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった。旧世代が長く信奉してきた文学(近代文学)の命脈は、そろそろ尽きかけていた。」(5頁)
B-2 「60年代」は「明治20年代から続いてきた日本の近代文学」が大きなゆらぎに直面した時期だ。この「文学の危機」と「『政治の季節』の終焉」とはつながっている。(3頁)
B-2-2 60年代初頭まで、「文学」と「政治」は今よりずっと近い位置にあった。当時の知識人(大学生など知識人予備軍を含む)にとって「文学」は趣味や娯楽でなく、「人はいかに生くべきか」or「社会はいかにあるべきか」(「政治」)と関わる大きな関心事だった。(3頁)
B-3 「日本の近代文学」の「ゆらぎ」の前兆として、敗戦直後から続発した文学論争がある。(3頁)
B-3-2 文学論争(ア)「マルクス主義と文学」を争点とする論争:1946年に勃発した「主体性論争」「政治と文学論争」「文学者の戦争責任論争」など。背景は戦前のプロレタリア文学の流れを汲む共産党系の「新日本文学会」と、政治からの文学の独立を主張する「近代文学」の同人たちの対立だ。(4頁)
B-3-2-2 この時代の「政治」とは「マルクス主義」と同義だ。文学にとって重要なのは「政治性」か「芸術性」かが議論となった。(4頁)
B-3-3 文学論争(イ)1961年の「純文学論争」:「純文学」は日本では私生活や内面をつづる「私小説」だが、「純文学」(「私小説」)に未来はあるのかと、平野謙(ケン)が問題提起した。「純文学」(「私小説」)は退潮しておりもはや歴史的概念だ。「大衆文学」こそリアリティがあり、小説界を席巻していると平野は述べた。(4頁)
B-4 実作では、1955年石原慎太郎『太陽の季節』は「小生意気な遊び人の高校生を描いた不良小説」。また1957年大江健三郎『奇妙な仕事』は実験用の犬150匹の死体を処理する大学生のバイトを描いた「フィクショナルな短編」だ。(4-5頁)
B-4-2 彼らは20代前半の作家だが、「いずれにしても60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった。旧世代が長く信奉してきた文学(近代文学)の命脈は、そろそろ尽きかけていた。」(5頁)
(1)60年安保闘争と「政治の季節」の終焉:60年代は「政治からの撤退の季節」でもあった!(2-3頁)
A 1960年、新安保は「アジアを再び戦争に巻きこむ軍事同盟ではないか」という不安から「10万人規模の国会へのデモ」が連日続いた。だが自然承認されると、政治的な熱狂が終わる。池田内閣のもとで「軽武装・経済重視」の高度成長期が始まった。(2頁)
A-2 60年代後半に「全共闘と呼ばれる学生たちの運動」が勃発するが、これは「世代的な闘争」という側面が強かった。(※権威としての「大人」に対する若い「学生」の異議!)70年代に「過激派」(Ex. 赤軍派)の暴走で左翼運動が衰退。(3頁)
(2)純文学をめぐる戦後の論争:(ア)「マルクス主義と文学」が争点の論争!(イ)「純文学」(「私小説」)は退潮していると「純文学論争」!60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった!(3-5頁)
B 「60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった。旧世代が長く信奉してきた文学(近代文学)の命脈は、そろそろ尽きかけていた。」(5頁)
B-2 「60年代」は「明治20年代から続いてきた日本の近代文学」が大きなゆらぎに直面した時期だ。この「文学の危機」と「『政治の季節』の終焉」とはつながっている。(3頁)
B-2-2 60年代初頭まで、「文学」と「政治」は今よりずっと近い位置にあった。当時の知識人(大学生など知識人予備軍を含む)にとって「文学」は趣味や娯楽でなく、「人はいかに生くべきか」or「社会はいかにあるべきか」(「政治」)と関わる大きな関心事だった。(3頁)
B-3 「日本の近代文学」の「ゆらぎ」の前兆として、敗戦直後から続発した文学論争がある。(3頁)
B-3-2 文学論争(ア)「マルクス主義と文学」を争点とする論争:1946年に勃発した「主体性論争」「政治と文学論争」「文学者の戦争責任論争」など。背景は戦前のプロレタリア文学の流れを汲む共産党系の「新日本文学会」と、政治からの文学の独立を主張する「近代文学」の同人たちの対立だ。(4頁)
B-3-2-2 この時代の「政治」とは「マルクス主義」と同義だ。文学にとって重要なのは「政治性」か「芸術性」かが議論となった。(4頁)
B-3-3 文学論争(イ)1961年の「純文学論争」:「純文学」は日本では私生活や内面をつづる「私小説」だが、「純文学」(「私小説」)に未来はあるのかと、平野謙(ケン)が問題提起した。「純文学」(「私小説」)は退潮しておりもはや歴史的概念だ。「大衆文学」こそリアリティがあり、小説界を席巻していると平野は述べた。(4頁)
B-4 実作では、1955年石原慎太郎『太陽の季節』は「小生意気な遊び人の高校生を描いた不良小説」。また1957年大江健三郎『奇妙な仕事』は実験用の犬150匹の死体を処理する大学生のバイトを描いた「フィクショナルな短編」だ。(4-5頁)
B-4-2 彼らは20代前半の作家だが、「いずれにしても60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった。旧世代が長く信奉してきた文学(近代文学)の命脈は、そろそろ尽きかけていた。」(5頁)