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「1960年代 知識人の凋落」(その1):60年代は「政治からの撤退の季節」!60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもない!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』1)

2022-01-31 13:37:54 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(1)60年安保闘争と「政治の季節」の終焉:60年代は「政治からの撤退の季節」でもあった!(2-3頁)
A 1960年、新安保は「アジアを再び戦争に巻きこむ軍事同盟ではないか」という不安から「10万人規模の国会へのデモ」が連日続いた。だが自然承認されると、政治的な熱狂が終わる。池田内閣のもとで「軽武装・経済重視」の高度成長期が始まった。(2頁)
A-2 60年代後半に「全共闘と呼ばれる学生たちの運動」が勃発するが、これは「世代的な闘争」という側面が強かった。(※権威としての「大人」に対する若い「学生」の異議!)70年代に「過激派」(Ex. 赤軍派)の暴走で左翼運動が衰退。(3頁)

(2)純文学をめぐる戦後の論争:(ア)「マルクス主義と文学」が争点の論争!(イ)「純文学」(「私小説」)は退潮していると「純文学論争」!60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった!(3-5頁)
B 「60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった。旧世代が長く信奉してきた文学(近代文学)の命脈は、そろそろ尽きかけていた。」(5頁)
B-2 「60年代」は「明治20年代から続いてきた日本の近代文学」が大きなゆらぎに直面した時期だ。この「文学の危機」と「『政治の季節』の終焉」とはつながっている。(3頁)
B-2-2  60年代初頭まで、「文学」と「政治」は今よりずっと近い位置にあった。当時の知識人(大学生など知識人予備軍を含む)にとって「文学」は趣味や娯楽でなく、「人はいかに生くべきか」or「社会はいかにあるべきか」(「政治」)と関わる大きな関心事だった。(3頁)

B-3 「日本の近代文学」の「ゆらぎ」の前兆として、敗戦直後から続発した文学論争がある。(3頁)
B-3-2 文学論争(ア)「マルクス主義と文学」を争点とする論争:1946年に勃発した「主体性論争」「政治と文学論争」「文学者の戦争責任論争」など。背景は戦前のプロレタリア文学の流れを汲む共産党系の「新日本文学会」と、政治からの文学の独立を主張する「近代文学」の同人たちの対立だ。(4頁)
B-3-2-2 この時代の「政治」とは「マルクス主義」と同義だ。文学にとって重要なのは「政治性」か「芸術性」かが議論となった。(4頁)

B-3-3 文学論争(イ)1961年の「純文学論争」:「純文学」は日本では私生活や内面をつづる「私小説」だが、「純文学」(「私小説」)に未来はあるのかと、平野謙(ケン)が問題提起した。「純文学」(「私小説」)は退潮しておりもはや歴史的概念だ。「大衆文学」こそリアリティがあり、小説界を席巻していると平野は述べた。(4頁)

B-4 実作では、1955年石原慎太郎『太陽の季節』は「小生意気な遊び人の高校生を描いた不良小説」。また1957年大江健三郎『奇妙な仕事』は実験用の犬150匹の死体を処理する大学生のバイトを描いた「フィクショナルな短編」だ。(4-5頁)
B-4-2  彼らは20代前半の作家だが、「いずれにしても60年代は、とっくにプロレタリア文学の時代でも、私小説の時代でもなかった。旧世代が長く信奉してきた文学(近代文学)の命脈は、そろそろ尽きかけていた。」(5頁)
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更科功『爆発的進化論』第7章「羽」恐竜は空を飛べたのか:恐竜は絶滅していない!鳥は恐竜の「獣脚類」から進化した! 鳥は進化した「羽毛恐竜」そのものだ!

2022-01-31 11:48:09 | 日記
※更科功(サラシナイサオ)(1961生)『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』新潮新書、2016年 

第7章「羽」恐竜は空を飛べたのか
(20)始祖鳥は「ある小型の恐竜」によく似ている!だが恐竜に「鎖骨がない」とされていた!しかし「恐竜の獣脚類」のあるものに鎖骨があると発見された!かくて「鳥は恐竜の獣脚類から進化した」!
1860年ドイツのジュラ紀(約2億100万年~約1億4500万年前)の地層から始祖鳥の化石が見つかった。(ダーウィン『種の起源』が出た翌年だ。)(119頁)始祖鳥の化石はコンプソグナトゥスという小型の恐竜によく似ていた。しかし「鳥は恐竜から進化した」という考えは受け入れられなかった。鳥には「鎖骨」があるが、恐竜には「鎖骨がない」(とされていた)。恐竜の祖先の「槽歯類」(ソウシルイ)は鎖骨がある。だから鳥は「槽歯類」から進化したと思われていた。ところがモンゴルで発見された「獣脚類」(二足歩行;Ex. ティらのサウルス)という恐竜のグループの中には「鎖骨」があるものがあった。かくて1980年代に「鳥は恐竜の獣脚類から進化した」ことが疑いない事実とされた。(119-123頁)

(20)-2 反論への反論:①鳥の3本の指も、恐竜の「獣脚類」と同じく、第1,2,3指が残った!②始祖鳥より先にすでに「羽毛恐竜」がいた!
「鳥は恐竜の獣脚類から進化した」説への反論①「鳥」の3本の指は発生学的に《脊椎動物の5本指》のうち第2.3.4指が残り、恐竜の「獣脚類」は第1,2,3指が残ったとされていた。だがこれは誤りだった。「鳥」の3本の指も、恐竜の「獣脚類」と同じく、第1,2,3指が残ったものと後に明らかにされた。反論②始祖鳥より後にしか「羽毛恐竜」はいないと思われていたが、先にすでに「羽毛恐竜」がいることが発見された。(123-124頁)

(20)-3 「羽毛恐竜」はどのようにして鳥になった(飛べるようになった)のか?(ア) 地上走行説?(イ) 樹上滑空説?実は(ウ)「坂を駆け上がること」が飛行の起源だ!鳥は進化した「羽毛恐竜」そのものだ!
「羽毛恐竜」の羽は本来、飛ぶためでなく、体温調節に役立っていた。では羽毛恐竜はどのようにして飛べるようになった(鳥になった)のか?(ア) 「獣脚類」は二足歩行の恐竜なので、地上を駆けたりしているうちに飛び上がったと言う説がある。(「地上走行説」)。だが地上から飛び立つのは重力に反し難しい。(126-128頁)(イ)かくて高いところから「滑空」して飛べるようになったという説がある。(「樹上滑空説」)だが滑空するほとんどの生物は皮膜を使う。(Ex. トビガエル、モモンガ、トビウオ)。ところが鳥に皮膜はない。(128-130頁)かくて現在(ウ)もっとも有力な説は「坂を駆け上がること」が飛行の起源だとするものだ。《捕食者から逃げるor逆に獲物を追いかける》ため斜面を登るとき、「羽毛恐竜」は羽ばたいて体を斜面に押し付け、上りやすくした。そして降りるときも羽ばたいて降りたところ、「羽毛恐竜」は飛べるようになったのだ。(130-131頁)
★かくて鳥は進化した「羽毛恐竜」そのものだ。羽が進化して飛べるようになった「羽毛恐竜」だ。鳥は、恐竜の一グループの「獣脚類」の一種である「羽毛恐竜」そのものだ。(131-133頁)
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更科功『爆発的進化論』第6章「脚」魚の脚は何するのか:魚は陸に上がるために肢(アシ)を進化させたのでない!魚の肢は水中で進化し、その中から陸上に上がったのが、四肢動物だ!

2022-01-30 13:29:03 | 日記
※更科功(サラシナイサオ)(1961生)『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』新潮新書、2016年 

第6章「脚」魚の脚は何するのか
(18)「一本、二本、手首の骨、指の骨」という肢(脚)の骨のパターンは、四肢動物の前肢・後肢に共通だ!
第5章でみたように、魚が陸上に上がってから「肺」が進化したのでない。「肺」が進化したから魚は陸上にあがった。ここ第6章では、魚の「肢」(アシ)も生物が水中にいる時に、すでに進化していたことを、明らかにする。さて私たちの「前肢」を考えると、その骨は「上腕」(肩から肘まで)に1本、「前腕」(ひじから手首まで)に2本(橈骨トウコツ、尺骨シャッコツ)、複数の「手首の骨」、複数の「指の骨」がある。これは四肢動物の前肢・後肢に共通だ。つまり「一本、二本、手首の骨、指の骨」という肢(脚)の骨のパターンは四肢動物(両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)に共通だ。(103-105頁)

(19)四肢動物は魚類から進化した:ハイギョは「肢」(アシ)の骨のうち最初の「一本」のみ、エウステノプテロンは最初の二つ「一本、二本」を持つ!
私たち四肢動物は魚類から進化したが、DNAのデータから魚類の中でもハイギョの仲間(「肉鰭類」ニクキルイ)から進化したと決着している。ハイギョは「肢」(アシ)の骨のうち最初の「一本」しかない。(ハイギョのヒレのつけねに上腕の骨にあたる「一本」のみがある。)さて「肢」(アシ)の骨のうち最初の二つ「一本、二本」を持つのが、約3億8500万年前(デボン紀後期)の「肉鰭類」(ニクキルイ)(Ex. ハイギョ、シーラカンス)のエウステノプテロンだ。(105-108頁)

(19)-2 デボン紀後期のティクターリクは「肢」(アシ)の骨のうち「一本、二本、手首の骨」を持つ!初期の両生類アカントステガやイクチオステガは「一本、二本、手首の骨、指の骨」という四肢動物の脚(肢)の骨のパターンを持つ!
「手首の骨」があれば腕立て伏せができ、からだを起こし、浅瀬で水面から顔を出せる。腕立て伏せができる「魚類と四肢動物をつなぐ中間的な化石」はティクターリク(2004年発見)だ。「肢」(アシ)の骨のパターンのうち「一本、二本、手首の骨」を持つ。そして地球上で最初の指は、デボン紀後期(約3億6500万年前)の初期の両生類アカントステガやイクチオステガが持つ。それらは「一本、二本、手首の骨、指の骨」という四肢動物の脚(肢)の骨のパターンを持つ。両生類は進化史上、最初の四肢動物だ。(なお両生類の空気呼吸は主に「皮膚」呼吸で「肺」呼吸は補助的だ。)(108-112頁)

(19)-3 魚は陸に上がるために肢(アシ)を進化させたわけでない!肢(アシ)は水中で何回も進化し、その中から陸上に上がったのが、一方で四肢動物、他方で昆虫の祖先になった!
魚は陸に上がるために肢(アシ)を進化させたわけでない。(これは陸上で暮らすヒトの偏見だ。)エウステノプテロンも、ティクターリクも、アカントステガも完全に水中に住んでいた。イクチオステガも、ほとんど水中に住んでいた。水の中でも肢(アシ)は進化できる。カエルアンコウ(旧名イザリウオ)が海底をヒレで歩くように、かつて魚が肢(アシ)で海底を歩いたかもしれない。浅瀬に住んでいれば、落ちてきた木の枝をかき分けたかもしれない。流れが速い時、岩につかまったかもしれない。一生陸上に上がらない種類の水中のエビも肢(アシ)を持つ。きっと肢(アシ)は水中で何回も進化し、その中の一種は陸上に上がって私たち四肢動物(両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)の祖先になり、別の一種は陸上に上がって昆虫の祖先になったのだ。(112-115頁)
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更科功『爆発的進化論』第5章「肺」酸素をどう手に入れるのか:うきぶくろと肺は「相同」な器官だが、「うきぶくろが肺に進化した」のでない!「肺がうきぶくろへと進化した」!

2022-01-29 19:08:53 | 日記
※更科功(サラシナイサオ)(1961生)『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』新潮新書、2016年 

第5章「肺」酸素をどう手に入れるのか
(17) B「硬骨魚類」のうちB-1「肉鰭類」(ニクキルイ)は肺を持つ!B-2「条鰭類」(ジョウキルイ)のうちB-2-1「分岐鰭類」はエラのほかに肺もある!B-2-2「分岐鰭類以外の条鰭類」はいわゆる普通の魚でエラ呼吸だ!
金魚が水面で口をパクパクさせる時、金魚は空気中の酸素を吸って呼吸できる。そもそも魚の中には肺呼吸できる魚がいる。現存の魚はA「軟骨魚類」(Ex. サメ、エイ)とB「硬骨魚類」(ほとんどの魚!)からなる。硬骨魚類は、B-1「肉鰭類」(ニクキルイ)(肉質のヒレを持ち、肺もエラも持つ、Ex. シーラカンス、肺魚;ただしシーラカンスの肺は使わないので脂肪が詰まっている)とB-2「条鰭類」(ジョウキルイ)(一般的な魚のひれを持つ)からなる。「条鰭類」のうち約20種類はB-2-1「分岐鰭類」(ブンキキルイ)でエラのほかに肺もある。(Ex. ポリプテルス)B-2-2「分岐鰭類以外の条鰭類」(3万種以上)はいわゆる普通の魚(Ex. メダカ、マグロ)で、エラで水中の酸素を取り入れ、空気呼吸をしない。(89-93頁)
※陸上脊椎動物はB-1「肉鰭類」から進化したと言われる。

(17)-2 うきぶくろと肺は「相同」な器官だが、「うきぶくろが肺に進化した」のでない!「肺がうきぶくろへと進化した」!
さてうきぶくろと肺は両方とも、消化管が膨らんでできた器官で、「相同」な器官(つまり祖先では同じだった器官)だ。だからといって、「動物は水中から陸上に上がったので、うきぶくろが肺に進化した」というわけでない。さかさまに「肺がうきぶくろへと進化した」のだ。(93-94頁)

(17)-3「肺がうきぶくろへと進化した」理由1:「オッカムのかみそり」(仮説が複数ある時は単純な仮説を選ぶ)!「硬骨魚類」の最終共通祖先が持っていたのは、うきぶくろでなく肺だ!肺からうきぶくろが進化した!
「硬骨魚類」の共通祖先が「うきぶくろ」を持っていたとすると(仮説①)、B-1「肉鰭類」(ニクキルイ)になった時、「肺」へ進化した。またB-2「条鰭類」(ジョウキルイ)からB-2-1「分岐鰭類」(ブンキキルイ)になった時、「うきぶくろ」が「肺」に進化した。つまり「うきぶくろ」から「肺」への進化が2度起きたことになる。他方で「硬骨魚類」の共通祖先がもともと「肺」を持っていたとすると(仮説②)、「肺」から「うきぶくろ」への進化はB-2「条鰭類」(ジョウキルイ)がB-2-2「分岐鰭類以外の条鰭類」になる時1度起きればよい。「オッカムのかみそり」(仮説が複数ある時は単純な仮説を選ぶ)によれば、仮説②が正しいと考えるべきだ。(95-97頁)

(17)-4「肺がうきぶくろへと進化した」理由2:エラ呼吸より肺呼吸の方が、ずっと効率がいい!水中に住む「硬骨魚類」でも、肺呼吸が出来て損はない!
「硬骨魚類」において「うきぶくろより先に肺が進化した」の、エラ呼吸より肺呼吸の方が、ずっと効率がいいからだ。(実は水中には酸素があまり溶けていない。分子数で比べると、大気中の3%くらいだ。)水中に住む「硬骨魚類」でも、肺呼吸が出来て損はない。水中にいても、たまに口を水面から出すなどして空気を吸えば、効率的だ。(Cf. クジラは水中に住むが肺呼吸する。)(97-99頁)
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映画『テスラ エジソンが恐れた天才』Tesla(2020年、アメリカ):テスラの「交流」方式が、エジソンの「直流」方式に対して勝利した!

2022-01-28 16:34:22 | 日記
◎孤高の発明家ニコラ・テスラ。「電流戦争」でエジソンに勝利しながらも、天才であるがゆえに孤独な人生を歩んだテスラ。1884年、移民としてニューヨークへやって来たテスラは、あこがれのエジソンのもとで働き始める。「直流方式」の送電を考案したエジソンに対し、テスラは「交流方式」を主張し、両者は激しい対立の末に決別。テスラは実業家ウェスティングハウスと組んで「シカゴ万博」でエジソンを倒し、時代の寵児となる。またテスラは、大財閥J・P・モルガンの娘アンと交流し、モルガンから莫大な資金を得て“無線”の実現に挑む。テスラの孤高な発明家気質が実業界やアンと不協和音を生む。
◎J.P.モルガンの三女アン・モルガンの視点から、発明家テスラが描かれる。テスラは、モルガン財閥の創始者J.P.モルガンから支援を受けた。アンは投資家、慈善家、女権拡張運動家として活動した。アンはテスラに思いを寄せるが、投資家の観点からテスラを冷静に見てもいる。

(1)テスラ(1856-1943)(その1):渡米(28歳)まで!
1856年、テスラはセルビア人で、オーストリア帝国(現在のクロアチア)で生まれる。
《映画1》「黒猫の火花は電気!」テスラが子供の時、父が言った。テスラが電気に初めて興味を持つ。
1875年(19歳)テスラ、グラーツ工科大学に入学。電気モーターに魅了され、交流方式を着想。金がなく1878年中退。
1880年(24歳)プラハ大学に留学。(卒業していない。)
1881年(25歳)ハンガリーのブダペスト国営電信局に就職!
1882年(26歳)パリへ移動し、技師の職を得る。プライベートの時間を使い、誘導モーターの開発に成功。
1883年(27歳)ストラスブールに転勤。

(2)テスラ(その2):渡米しエジソン電灯会社に就職・失職!
1884年(28歳)テスラ、渡米。欧州で誘導モーターが無視され、渡米を決意した。米国でエジソン・マシンワークス社に採用される。当時、同社は「直流」による電力事業を展開。他方、テスラは「交流」による電力事業を提案し、エジソンと対立し数ヶ月で失職。
《映画2》エジソンの「新人いびり」。テスラは貧しい難民。エジソンは社員に不眠を要求。エジソンは尊大で社員に話しかけさせない。
《映画2-2》エジソンは「交流方式」に反対。エジソンの妻、失意のうちに死去。テスラはエジソン・マシンワークス社を退社。
《映画3》エジソン、ミナ・ミラーと再婚。1885年。

(3)テスラ(その3):ウェスティングハウス社と連携!
1887年(31歳)テスラ、テスラ電灯社(Tesla Electric Light Company)を設立。交流システムの特許を出願。
《映画4》だがテスラは極貧で肉体労働に従事。しかしやがて親方の紹介で弁護士と技師に紹介され、月給250ドルで技師として採用される。(Cf. エジソンの時は週休15ドル。)

1888年(32歳)テスラ、誘電モーター(交流電動モーター)および交流式電気システムについてテスラが学会発表。それに注目したジョージ・ウェスティングハウスから、テスラに研究費100万ドルと特許使用料の提供が決まる。テスラとウェスティングハウス社との連携で、エジソンとの「電流戦争」へ。
《映画5》「交流」対「直流」の対決:電気による処刑の実験。しかしエジソンの「直流」の電気椅子の処刑失敗。
《映画6》テスラは大富豪モルガンの娘アンと出会う。しかしテスラは研究に没頭し、アンは困惑する。だがアンはテスラを愛する。

1891年(35歳)テスラ、米国の国籍取得。高圧変圧器(テスラコイル)発明。
1893年(37歳)「シカゴ万博」会場内の電気供給に、電気館の電源システムをウェスティングハウス社が構築し「交流システム」で電気のいっさいをまかなった。テスラの「交流」が、エジソン(ゼネラル・エレクトリック社)の「直流」に対して勝利した!
1895年(39歳)ウェスティングハウス・エレクトリック社により、テスラの特許を使用した「交流発電機」の実用化。(ナイアガラの水力交流発電機。)

《映画7》アンもテスラと「シカゴ万博」会場に行く。
《映画8》エジソンが「交流方式に関して自分の反対は間違っていた」と言う。自分は資本・投資家・宣伝力を持つから、自分と組めと提案する。(ただし、これは映画の虚構。)
《映画9》「ウェスティングハウス社が危機にあるので、特許料を君に払えば会社が破産する」とジョージ・ウェスティングハウスが、テスラに言う。テスラは「特許料はいらない」と言い、自分の手で契約書を破る。「弁護士と相談する」と言えばよかったのに、テスラは世慣れていなかった。(このため、後々、テスラは経済的に窮状に陥り、貧困のうちに1943年、アパートで独り死去した。)
《映画10》サラ・ベルナール(1844-1923)の声をエジソンが録音した。サラ・ベルナールの前で、エジソンがテスラを侮辱する。アンが怒る。
《映画11》1895年に設置された《ナイアガラの水力交流発電機》は、これまでの5倍大きい前代未聞の発電機と言われた。
《映画12》「発明家は結婚すべきでない」とテスラは思う。アン・モルガンとの関係は微妙になる。

(4)テスラ(その4):無線送信塔の建設と中断!
1898年(42歳)テスラ、無線操縦特許を取得し、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで無線操縦の船舶模型を実演。

《映画13》アンは、「無線で操縦する船舶で、戦争の時、船舶を攻撃できる」とテスラを挑発する。
《映画13-2》テスラが、研究(宇宙からの受信、インスピレーション能力の向上)のため遠いコロラドに行くと言う。アンは失望し、テスラに見切りをつける。「あなたの高度な頭脳は災いだ」とアンが言う。
《映画14》1899年(43歳)テスラは、コロラドに移る。そして研究に没頭する。テスラ・コイルの実験。(※テスラ・コイルは、ニコラ・テスラによって開発された装置で、極めて高い電圧を発生させることができる。その高電圧によって、テスラ・コイルからは雷のような、稲妻が現れる。
《映画14-2》「アン殿」とテスラは、テスラ・コイルの研究報告の手紙をアンに送る。
《映画14-3》テスラの「稲妻を発生させる実験」は町中の話題となる。ある日、町中が停電する。「電気代は弁償する」とテスラが、文句を言いに来た男に言う。
《映画15》コロラド公演のサラ・ベルナールとテスラが逢う。翌日、テスラはサラの『椿姫』を見に行かず、実験をしていた。サラはガッカリし、かつ怒る。
《映画16》エジソンはテスラに敗北し、電気事業から撤退。後に鉱山事業に傾注するが失敗し、全財産を失う。

1901年(45歳)テスラ、J・P・モルガンの援助により、ロングアイランドに無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」を建設開始し、1905年(49歳)に完成するが、モルガンとの関係悪化で研究中断。Cf. 米国が第一次世界大戦に参戦すると、タワーは1917年(61歳)に撤去された。

《映画17》J・P・モルガンが、テスラの無謀に賭ける。「無線送信で東西海岸を結び株価を知りたい」とモルガン。
《映画18》マルコーニが無線通信成功。「マルコーニの通信はすでに大西洋を渡った」とアンが言う。これに対しテスラは「マルコーニは、テスラの17の特許を使っている」と反論する。
《映画18-2》テスラは「世界を通信で結びたい」と言う。「火星人からの信号を得た」とテスラが言うと、「マルコーニからの信号だ」とアンは反論する。
《映画18-3 》また「無線送信塔は赤字だ」とアンが言う。これに対し「受信機ひとつで貧しい人がどこでも住めるようになる」とテスラ。アンが「投資よ!回収されなければならない!」と言う。
《映画19》無線送信塔のための追加資金を求めに来たテスラをJ・P・モルガンが拒絶する。「特許で投資は回収できる」とテスラがJ・P・モルガンに言う。だが「これ以上、我慢できない。待てない、我慢できない」とモルガン。アン・モルガンもテスラに対して冷たく、相手をしない。
《映画20》アン・モルガンは、自分を必要としてくれるベッシー・マーベリーとフランスに住み、戦時中の医療や子どもたちのための救援基金と資金を提供した。(※ベッシー・マーベリーは「国際的な同性愛グループの女王様」と呼ばれた。)

(5)テスラ(その5):晩年(61歳~87歳):ニューヨークのホテルでテスラ、独り死去(87歳)!
1917年(61歳)テスラ、米国電気工学協会エジソン勲章受章。
1928年(72歳)「空中輸送装置」フリーバー(Flivver)の特許を取得。垂直離着陸機(ティルトローター式)の一種。
1943年、ニューヨークのホテルでテスラ、独り死去(87歳)。彼の発明品や設計図は、FBIの押収後に母国に返還された。ベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管され、2003年にユネスコ記憶遺産に登録された。

《参考》アン・モルガン、アメリカの富豪J.P.モルガンの三女。慈善事業家。第1次、第2次大戦の戦時下・戦後、フランスで救済事業を行った。1932 年、アメリカ女性で初めてレジオンドヌール勲章を受章した。

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