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DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

恐ろしい化け物集団!

2015-03-29 08:17:37 | 日記
これまで、彼らから、あんなに馬鹿にされた。
彼らは、人を脅し、貶めた。

その彼らが、何が今更、慰労だ!
お前は、あと少しだけ、耐えればいい。

お前は、今回、慰労の提案を拒否した。
彼らは、怒っているだろう。

このあと、恐ろしい誹謗中傷があるかもしれない。
勝手にしろだ!

この後、内部文書に悪者・怠慢者・裏切り者・非協力者として記録され、全メンバーに伝えられるだろう。
恐ろしい悪魔のような集団!

お前は無理やり、最初、その集団に入団させられた。
しかも、お前の役割は、ただの使い走り。

お前の怨みは深い。
ここまで、揚げ足を取られぬよう、気を付けて発言してきた。

だが今回の、お前の一切の拒否・非協力が、彼らを怒らせるかもしれない。
足抜けの、試練!

お前は自分を守るため、彼らを攻撃せよ!
拉致され強制されることを避けるため、絶対に、彼らと直接会うな!

彼らは化け物である。
かつての追放者、犠牲者と同じ運命に、お前もなるかもしれない。

お前にとって唯一の救いは、彼らが、やがて、お前のことを忘れることだ。
そもそも、お前など、どうでもいいのだから。

今、まだ、彼らの意図が読み切れない。
彼らは、恐るべき悪魔的集団だとしか今は思えない。
彼らがそうでない、普通の人間の集団であることを祈る。

彼らは、お前を服従させることだけを、これまで望んだ。
今、お前は、彼らに服従しない。

彼らの今回の慰労の提案は、今後も、お前を使い走りとして使い続けるための陰謀。
気を付けろ!

罠にかかるな!
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(1)悲しみ、(2)誠実、(3)遠ざかる、(4)思い出

2015-03-29 00:20:40 | 日記
(1)悲しみ
悲しみは嫌いだ。

悲しみは、向こうからやってくる。
お前が招いたわけでない。


(2)誠実
お前は、他者たちからどう思われるか、気にする。
その状態から抜け出したい。

誠実に行為することだけが、他者たちの眼を気にする自分を、克服させる。
他に方法はない。


(3)彼らから遠ざかる
お前はおろおろする。
なぜなら、他者たちが、自分に何を期待・予期しているか、わからないから。

どうしたらいいか?
誠実さを失わないこと。

ところが誠実な行為が、他者の心に届かず、彼らををひどく傷つける。
取り返しがつかない憎悪が、生まれる。

修復は、不可能。
言い訳するほど、憎悪が深まる。

そんな時は、彼らから遠ざかる。


(4)センチメンタルな思い出
センチメンタルな思い出が、苦手。
心が、過去に向き、前に進む気力がそがれる。

今が大変で、過去を振り向くと、今の困難を超えるエネルギーが減る。


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今回、発言を控えたことの主観的意図は、「異議申し立て」だった

2015-03-26 00:55:52 | 日記
 (1)他者からの批評に動揺することへの対策:自分を支える普遍的規範・基準を見つける
生きる意味。
主観的に意味を捜す。
自分の生きる意味を探す。

生きる意味について、答えが見つかったように思う時がある。

ところが、他者からの批評に動揺する。
そもそも他者が何を考え、感じているか、わからない。

かくて、確信をもって生きることのむずかしさ。
つまり他者たちが何を考え・感じているか把握が困難だから。

これについての一つの解決策は、自分を支える普遍的規範・基準を見つけることである。

 (2)他者たち:味方あるいは敵
ところで、他者たちは、自分を励まし・支えてくれることがある。

同時に他者たちは、自分にとっての危険でもある。
敵意、悪意、いやがらせ、非難、悪口。
さらに肉体的暴力。
他者たちから、自分を守る必要がある。

 (3)主観的な見通しの誤りor主観的思いに身をゆだねる
主観的な見通しの誤りがしばしば起こる。
他者たちは、味方だったのか?
他者たちは、敵だったのか?

主観的思いに身をゆだねるか?

 (3)-2 他者の善意に訴えるor悪意ある他者たちが多数
あるいは他者の善意に訴えるか?

悪意ある他者たちが多数なのか?
悪意ある彼らに、私の発言に耳を傾け、私に同調するよう変化する可能性があるか?

 (4)発言を控えた理由:①「異議申し立て」、②「新たな敵意を引き起こすことを警戒した」
私が今回、発言を控えたのは、強気に言えば、「異議申し立て」だった。

同時に、私が今回、発言を控えたのは、弱気に言えば、私が発言したら「新たな敵意を引き起こすことを警戒した」から。

  (4)-2 私が発言した場合の反応
①「理解されない」。
②そもそも何の印象も残さない。
③「味方」の誰かを勇気づける。
④「私の思い」が理解される。
⑤「他者たちの私に対する見解・態度」は、私の発言を聞いても変化しない。
⑥「敵」の側に、軽蔑を引き起こす。
⑦「見当違い」の発言で、「中立の他者たち」とは異なる見解にすぎない。
⑧「敵」の側の、敵意を強める。

 (4)-3 私が発言しない場合の反応
私が発言した場合の反応は上記で見たが、同じことは、私が発言しない場合の反応についても、言える。
①私の異議申し立ては、そもそも「理解されない」。異議申し立てであることが気づかれない。
②かくて私の不在、非発言が、何の印象も残さない。

③「味方」に対して、私の不在、非発言は何をもたらしたか?今回、私は発言しなかった。しかし過去の私の諸発言が、かつて誰かを勇気づけたとすれば、そしてそれが記憶されていれば、それは生き続ける。ただし、それが今回、再び繰り返され、補強されることはなかった。

④「私の思い」は、過去の諸発言で表明された。それらによって、「私の思い」が理解されることは、あったろう。今回、その「私の思い」を、私は改めて表明はしなかった。しかし、これが「私の思い」への理解を、減じることはないと思う。

⑤今回、私は発言しなかったので、「他者たちの私に対する見解・態度」は、今までのままで、新たな発言による変化は生じない。
⑤-2 しかし、今回の私の非発言が、彼らに気づかれ、「他者たちの私に対する見解・態度」が変化することはありうる。

⑥今回、私は発言しなかったので、「敵」の側に、新たな軽蔑は引き起こさない。
⑥-2 しかし、今回の非発言が、「敵」の側に気づかれ、彼らの私に対する軽蔑が強まることはある。
⑥-3 だが逆に、「敵」の側が、私の異議申し立てと気づき、私に恐れを感じるようになる可能性はある。

⑦私の見解が「見当違い」で、「中立の他者たち」と異なる見解かどうかは、すでに、これまでの多くの私の発言によって、彼らが、彼らの観点から判断している。今回、私は発言しなかったので、「中立の他者たち」の見解は変化しない。

⑧「敵」の側に、「私の発言」による新たな敵意は、引き起こさないが、「私の非発言」が異議申し立て、批判、非難と思われ、「敵」の側の敵意を強める可能性はある。

 (5)「味方」、「敵」、「中立」の者たち
希望は、私の非発言が、私に同調する者たち(「味方」)によって、「異議申し立て」と理解され賛同されること。
私の反対者たち(「敵」)は、私の「異議申し立て」の提示に気づくことも、気づかないこともあるだろうが、それはどうでもよい。

敵でも味方でもない「中立」の者たちは、今回の私の非発言が「異議申し立て」であることに気づいた場合、評価に戸惑うことがあるかもしれない。
彼らに対しては、彼らの私に対する中立の態度から、敵意への転化が生じないよう、事後的に対処する。
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言葉(ペグあるいは呪文)、体験、連想連関、言葉操作体験、意味(=理念)

2015-03-03 11:42:25 | 日記
言葉について考える。

 (1)ペグとしての言葉
言葉は、ペグのようなもの。
一切の体験が、言葉にひっかかる。

かつての体験の中に、その言葉があった。
言葉はそうした過去の体験の一切を思い起こさせる。
一切の体験のペグ。

 (1)-2 言葉の連想連関は体験を含む:言葉・体験の広大な連想連関
連想が言葉を広げる。
言葉、言葉がかつて置かれていた体験野、体験野内にある他の言葉、これら他の言葉が重い起こさせる体験野、逆にある体験が思い起こさせる言葉、この言葉が思い起こさせるあらゆる体験等々、これらの広大な連想連関。しかも私において、また現在・過去・未来の他者たちにおいて、さらにこれらの者たち相互において成立する、広大な連想連関。

言葉・体験の広大な連想連関。
自己の体験、あらゆる他者の体験、自己の言葉、あらゆる他者の言葉、話された言葉、書かれた言葉、過去の言葉、現在の言葉、予想される未来の言葉(ただし厳密にはこれは現在の言葉の一部)、空想上の言葉等々、それらの言葉が思い起こさせる一切の体験、これら言葉・体験の広大な連想連関が刻々と創造され続ける。

 (2)呪文としての言葉
言葉は、起動スイッチのようなもの。
言葉が、他者の行為、さらに他者の行為によってをひきおこされる出来事を、惹起する。。

つまり言葉は、他者を行為させ、出来事を引き起こす呪文である。

 (3)ペグされる体験野の特定:体験野の特定領域を指示する理念=意味
言葉は体験野を要約する。
ペグとしての言葉は、ひっかける=想起させる体験野を特定する。
特定の体験野群に対応する特定の言葉が生み出されている。
かくて言葉は複雑広大な体験野、つまり自分の体験野、あらゆる現在・過去の他者の体験野、予期される未来の他者の体験野を要約する。

体験野は、各人の現在・過去の一切の体験、予期される未来の体験からなる。
各体験は、現実体験、虚構体験、想像体験、夢体験等々からなる。

 (3)-2 言葉操作体験
ここで注意すべきは、体験野は言葉によってペグされ、要約されるので、体験野は言葉操作体験を、含む。
言葉は、広大な言葉・体験の連想連関を持つので、詩は、このレベルでの言葉操作体験である。
これに対し数学は、意味=理念レベルの言葉操作体験である。((3)-3参照)


 (3)-3 体験野の一部しての言葉vs体験野に属さない理念=意味
言葉は、一方で体験野の一部である。
しかし他方で言葉は、体験野に属さない意味なるもの、つまり体験野の特定領域を指示する理念=意味を対応物として持つ。
体験野、体験野の一部としての言葉、言葉の対応物である理念としての意味。

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