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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その1)「文庫版まえがき」「第1章」「第2章」:人類は自己破壊の性質を内蔵した唯一の動物である!戦争など大量殺人を平気で犯す!

2021-06-23 12:19:21 | 日記
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

「講談社文庫版まえがき」(1985年)(7-10頁)
(1)人工的環境の中での人類の進化は「おそらく、人類の滅びの道に通じている」!
A 河合雅雄氏(61歳)が言う。「私の心は明るくない。」「平和の持続性について不安を覚える。」(7頁)
A-2 「人類は自己破壊の性質を内蔵した唯一の動物である。」「動物は種の永続的な維持に向かって進化してきたが、人類だけは動物とは別の異端の道を歩みはじめた。」(7頁)
A-3  この「あとがき」を書いている1985年、日本人の80%以上が中流意識をもち、満足感を持つ人が70%を越える。これは「人類史上画期的な出来事だ。」それなのに家庭内暴力、校内暴力など「陰湿化した暴力性」はなくならない。(7頁)
A-4 サル類は「食物の豊かなそして捕食圧の低い森林」で進化し、ヒトという特異な動物を誕生させた。そして「森からサバンナへ出た人類」は数百万年かかって、現在のホモ・サピエンスにまで進化した。(8頁)
A-5 さて今や人類は人為によって豊かさを達成した。人類の人工的環境の中での進化は、生物学的法則から予測できない。「その道はおそらく、人類の滅びの道に通じている」と河合雅雄氏は言う。(8-9頁)
《感想》1985年は戦後日本の絶頂期だ。バブルの直前で、「Japan as No. 1」(1979)と呼ばれたころだ。無比の豊かさの中でも、「陰湿化した暴力性」はなくならない。人類は「呪われた」動物かもしれない。(Cf. 今2012年、「失われた30年」のあと衰退する日本!)

第1章 森林がサルを生んだ(13-32頁)
(2)《爬虫類から進化した哺乳類》の中でサル類だけが、爬虫類とすっぽり縁の切れた所、「森林の樹上」で進化の出発点をもった!
B K. ローレンツらによると、「動物は原則として同種の仲間を殺さない」。ところが人間は戦争などで大量殺人を平気で犯す。(Cf. もちろん、「愛や献身、思いやりといった高貴な精神活動」も人間は行う。)(17頁)
B-2 サル類は、一般の哺乳類と別のコースを歩んで進化した。(20頁)
B-2-2 「適応放散」(化石学者オズボーン)(各種の生物が、自分が住む生活の場に放散しそこで適応する)において、サル類のみが「森林の樹上」に放散し適応した。(22頁)
B-2-3《爬虫類から進化した哺乳類》の中でサル類だけが、爬虫類とすっぽり縁の切れた所、「森林の樹上」で進化の出発点をもった。このサル類が、人類という奇妙な「裸のサル」を産み出す母体となった。

第2章 楽園に生まれた悪(33-50頁)
(3)サル類の進化は「森林という豊饒な楽園」の中で行われた!森林にはサル類の捕食者としての天敵がいない!
C (ア)森はサバンナより食物(葉・果実・花・若芽等)がはるかに豊かだ。(36-37頁)(イ)食物に関し、森はサバンナのように乾季と雨季の大きな差がない。(37-38頁)(ウ)森林は温度環境も安定している。(40頁)(エ)サル類にとって森は食物をめぐる競争者が居ない。(40-41頁)(エ)また森林にはサル類の捕食者としての天敵がいない。(41-42頁)
C-2 サル類の進化は、「森林という豊饒な楽園」の中で行われた。サル類から進化した人類の特性もまた「森林という豊饒な楽園」からの所産だ。(42頁)
(3)-2 病気、寄生虫症による淘汰が、《人口調節による種の維持》、また《健康な個体が残ることによる種の維持》に役立つ!
C-3 楽園のサルには、捕食者がいないことから「ポピュレーションの過剰」の問題が生じる。(44-45頁)
C-3-2 ただしサル類にも、病気(Ex. 黄熱病、結核、赤痢)、寄生虫症(Ex. サナダ虫)による淘汰があり、《人口調節による種の維持》、また《健康な個体が残ることによる種の維持》に役立った。(45-47頁)
(3)-3 病気のない世界という「人工」生態系の中で、種の維持と永続をどうして行えばよいのか?「戦争、乳幼児の間引き、老人を捨てる姥捨て」は人類が持ち込まざるを得なかった「主体的な(人口)調節の道」だ!
C-4 人を含めた霊長類の人口調節に最も大きな役割を演じてきたものは病気である。(49頁)
C-4-2  だが人類はついに病気をほぼ征服した。これは「人類の進化、種の維持を助けてくれた」もの、病気との訣別だ。「病気のない世界という、人類が未だ経験したことのない人口生態系の中で、種の維持と永続をどうして行えばよいのか」。(49頁)
C-4-3 「戦争、乳幼児の間引き、老人を捨てる姥捨て」は人類が持ち込まざるを得なかった「主体的な(人口)調節の道」だ。(48-49頁)

《感想1》この本が書かれた1977年は世界が先進国を中心に戦後成長の成果を享受していた時代だ。しかし1973年の石油危機以後、宇宙船地球号・人口爆発・資源の枯渇が問題とされるようになった。河合雅雄氏は人類の人口爆発を憂慮している。だが事情は変わり、その40年余後の現在、2021年、日本では人口減少・経済縮小が問題となっている。
《感想2》今も、世界での戦争・内戦・テロなど《人類の殺し合い》は終わっていない。(Cf. これら《人類の殺し合い》を河合雅雄氏が《人類の人口調節=種族維持のために必要》と主張していると解釈される可能性がある。)
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