何年か前にもありました。
「本社へ呼ばれてる。」
まいったなぁ。剣どうすんだよ。
俺の率直な気持ち。一人じゃまかない切れない。
二人で一人。お互いそう言い合ってやって来た。
お前がいなきゃ俺やれないよって。
何年か前は事なきを済んだが今年はその話が再燃していきなりである。
チームを変えてきたのは彼のお陰である。
私が先に剣に入り、彼は俺の真似して入ったようなもんだ。
事実は別としてとりあえず、そう言っときます。
内情も知らず、もちろん私も知らずでしたけど。
当時常駐指導者は4人。
それに私も加わりました。
私も全体が見えず、ただただ、息子が野球を始めてくれたことに浮かれうれしくてうれしくて。本当に浮きまくってました。
剣が楽しくて毎週末が楽しみで堪りませんでした。
そんな時親友の彼のサッカー好きの子供が剣の試合を見に来てくれてました。
たまたま優勝の瞬間を目にしてうちに入ってしまいました。
初めは親友の彼はコーチなんて向いてないと私は思い、帽子を渡さないように先輩指導者に仕向けていました。
その前に、行きつけの飲み屋で先輩指導者から出た言葉にびっくりしたことがあります。(その言葉はここで言いたくありません)
そのときはそういうものなのかなぁと思い、話を聞いていました。
コーチをやっていくうちそれはやっぱり違うよと思い始めていました。
それっておかしくないかなぁ? えぇ、違う俺の考えとは違う。
段々このチームは何を主獅ノして指導しているんだ?
と結構難しく考え始めていました。
その月日の中で良く見学に来る彼に帽子を渡すことにしました。
私は彼は不向きだと思っていました、それに地元でもないしあまり引きずり込みたくなかったというのもありました。少し気が重いようなうれしいような。
しかし予想とは裏腹に彼はチームを子供を中心に考え、私と同じような考えもあることを二人(正確にはうちの爺さんも入れて三人)の話の中で確認し合いました。
また、私が流されてなあなあになっていて気づかない事もいち早く気付き指摘してくれました。
子供のためチームを守る為、力を合わせ頑張ろうという事になりチーム改革に着手しました。正直大変でした。ここまでに来るのは。
入ったときは絶対やりたくないと思ってたこと、これは俺なんかがやることじゃねえなと思っていたこともやらなくてはいけないし(入ったときはそういうことを親がやってはじめてボランティア少年野球が成り立っていることに気付いていなかったので)、審判や連盟の顔出し、グランド手配や大人の取り纏め。
これらのことを何とかこなして来れたのも彼の力でした。
彼が監督になって彼は子供担当、俺は大人担当。俺はつらい。これも彼の力でした。
つまり黒幕。
しかし……
続きは掲示板で。
「本社へ呼ばれてる。」
まいったなぁ。剣どうすんだよ。
俺の率直な気持ち。一人じゃまかない切れない。
二人で一人。お互いそう言い合ってやって来た。
お前がいなきゃ俺やれないよって。
何年か前は事なきを済んだが今年はその話が再燃していきなりである。
チームを変えてきたのは彼のお陰である。
私が先に剣に入り、彼は俺の真似して入ったようなもんだ。
事実は別としてとりあえず、そう言っときます。
内情も知らず、もちろん私も知らずでしたけど。
当時常駐指導者は4人。
それに私も加わりました。
私も全体が見えず、ただただ、息子が野球を始めてくれたことに浮かれうれしくてうれしくて。本当に浮きまくってました。
剣が楽しくて毎週末が楽しみで堪りませんでした。
そんな時親友の彼のサッカー好きの子供が剣の試合を見に来てくれてました。
たまたま優勝の瞬間を目にしてうちに入ってしまいました。
初めは親友の彼はコーチなんて向いてないと私は思い、帽子を渡さないように先輩指導者に仕向けていました。
その前に、行きつけの飲み屋で先輩指導者から出た言葉にびっくりしたことがあります。(その言葉はここで言いたくありません)
そのときはそういうものなのかなぁと思い、話を聞いていました。
コーチをやっていくうちそれはやっぱり違うよと思い始めていました。
それっておかしくないかなぁ? えぇ、違う俺の考えとは違う。
段々このチームは何を主獅ノして指導しているんだ?
と結構難しく考え始めていました。
その月日の中で良く見学に来る彼に帽子を渡すことにしました。
私は彼は不向きだと思っていました、それに地元でもないしあまり引きずり込みたくなかったというのもありました。少し気が重いようなうれしいような。
しかし予想とは裏腹に彼はチームを子供を中心に考え、私と同じような考えもあることを二人(正確にはうちの爺さんも入れて三人)の話の中で確認し合いました。
また、私が流されてなあなあになっていて気づかない事もいち早く気付き指摘してくれました。
子供のためチームを守る為、力を合わせ頑張ろうという事になりチーム改革に着手しました。正直大変でした。ここまでに来るのは。
入ったときは絶対やりたくないと思ってたこと、これは俺なんかがやることじゃねえなと思っていたこともやらなくてはいけないし(入ったときはそういうことを親がやってはじめてボランティア少年野球が成り立っていることに気付いていなかったので)、審判や連盟の顔出し、グランド手配や大人の取り纏め。
これらのことを何とかこなして来れたのも彼の力でした。
彼が監督になって彼は子供担当、俺は大人担当。俺はつらい。これも彼の力でした。
つまり黒幕。
しかし……
続きは掲示板で。