お代表気まぐれ日記!

悪代表の袖の下日記→野球問屋、お主も悪よのう。いえいえ、お代表様ほどでは・・悪代表が剣の武士(選手)に成敗される日記です

三段ドロップ!!

2009-02-26 00:32:21 | 子供たちへ
その少年は梅屋敷に住んでいた。
「今日はお前とお前が場所とりな」

学校で仲間と打ち合わせをして遊ぶ約束をする。
小学三年の頃ほとんど毎日野球をしていた。

梅屋敷公園、稗田神社、本蒲田公園前の大きなマンションが建つ前の空き地。
他の学年や他校の子供たちに場所を取られないように先発隊を送り込み夕暮れまで野球をしていた。
全然知らない子供たちと試合なんてものをやったりもした。
ルールなどは本人達は真剣だが実際適当だった。ルールの理解度が違ってよく喧嘩にもなった。
家に帰って父親に聞いてやっぱりとかそうなんだと確認してまた翌日公園で話し合った。ルールに基づいたセオリーについても同様に勉強していった。

その少年はしあわせだった。

そして少年は面白い癖があった。
ピッチャーやるときに投球と同時に「シュッ!」と口で言うのだ。無意識にだ。
分かっていても直せなかった。
相手チームの上級生に「あいつ、口で言ってるぜ。」と馬鹿にされた。

でも楽しかった。野球が面白くてたまらなかったのだ。
アストロ球団やアパッチ野球軍、ドカベン。
ONや阪急の山田。
色んなまんがやプロ野球選手の真似をして楽しんでいた。
大リーグボール1号やハイジャンプ魔球は定番だった。

少年はその頃銭湯に通っていた、『梅の湯』である。
そこに行く途中に『玉や』という質屋があり、ショーケースにならべてある真っ赤なグローブをいつも眺めていた。毎日通るたび、父親に「あれ良いね」と言い続けた。
よく映画やTVで観るガラスに吸い付いて離れない奴である。
いわゆるそれです。
そしてやっとやっと買ってもらったあのグローブ。
いまほど物のあふれていない時代ほんとうにやっと買ってもらった。

そう、その少年はいま少年野球の総監を任されてる。
今思えばなんて楽しかったのだろう。

あしたのためにその14
野球は自分たちで思いっきり楽しめ。
今この仲間と一緒に野球が出来ることをかみ締めて。


『心に描いたとおりになる』

2009-02-25 00:43:03 | 子供たちへ
また良い言葉みつけました。
稲盛先生のことば。

「どうしても成功したい」と思えば成功し、
「出来ないかもしれない」という思いが心の大半を占めると失敗してしまうというのです。
今まで、君たちの周りで起きてきたことは君たちの心の反映であり、心で呼ばないものは君たちに近づいてこないと書いてあります。

詰めが甘くなってしまうこと、勝利が遠ざかって行ったこと、夏合宿をやり遂げられたこと、かんぽ大会で負けたこと、駅伝で優勝できたこと!これらのこと全てが君たちのこころが呼んだと考えると

次どうすれば良いだろうか。

心でなんて叫べばいい?

何を思い続ける?

試合前いつも言ってるよな。
前向きに良いイメージを持て、失敗なんて考えるな。
成功してるイメージだけ考えろ。

君たちは練習では成功している。
ここのところ、地道に成功体験を繰り返している。
あれだけ練習してきている。
やっているんだ。
やれるんだ。

齋藤コーチ一週間良く考えなさいと言った。

成功を勝ち取るためにも毎日考え、よいイメージをもち続けよう。
準備を怠らずに。

外野手よ

2009-02-24 02:30:36 | 少年野球
練習試合、練習。
なぜ、全力走をしない?

常に言っている試合と同じだ。
練習のための練習をするな。
元G戦士の松本さんもおっしゃってましたね。覚えてますか?

明日の為にその11
常に全力。
こういう怠慢さは必ず肝心なときに出ます。気を抜かず練習から全力を尽くすことが明日への勝利と結びつきます。

明日の為にその12
打球に対する一歩目が大事。
しかしむやみやたらと瞬間に前に出るな。
瞬時に一歩身構え判断し行動せよ。
特に外野は前か後ろか、回りこむのか直線か、止まるのか突っ込むのか。
今までの試合のための訓練を思い出せ。

明日の為にその13
第一、第二。リードの意味を考えよ。
死ぬためのリードではない、次の塁に生きるためのリードである。
頭からの帰塁後はすぐに立てボールの位置を確認せよ寝てる暇などありゃしない。
盗塁か帰塁か重心の位置を意識せよ。
今一度いう生きるためのリード。
常に帰塁を頭に入れろ。ボールから目を離すな。
見るべきところは投手の足。帽子のつばを利用せよ。



犠牲心

2009-02-23 01:57:12 | 少年野球
最近思うことがあります。
送りバント。
犠牲バント。

私はこの一年、自分が犠牲になってまでも周りの人を活かす事があるということを伝えることをして来たのだろうか。
今の子供たちは自己表現が弱いと感じ続けていた私は子供たちにもっとがんばれとだけ言い続けていたような気がします。

人にはそれぞれ役割があり、それは人柄だけでなく時間的なものとかによる条件でも役割が変わっていき始めて全体がまとまっていくのだと思います。
チームの勝利には必ず目立たなくともしっかりと役割を果たしている名脇役たちがいるのです。

何かこの一年全員にヒーローになれと子供達のお尻を叩き続けていたのではないかと思います。
難しいことではありますが、各個人に的確な役割を与えまわりのために自分が犠牲になりチームのために尽くすことをもっと伝えるべきであったのでしょう。
しかし考えれば考えるほど難しいことですね。
個々を活かしチームを活かしていくことは。

子供たちよ、今こそ自己を忘れてまわりのため最善を尽くしてくれ。
六年生同士、後輩たちのため。
五年生は六年生の為。
四・三・二・一年生も六年生のため。

そうやって剣の歴史は繰り返されてきました。
そしてこれからも。