ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ジンムの爪跡

2007年08月31日 00時50分55秒 | Weblog
2002年9月2日
2002年8月28日 淡路島に立ち寄る。

【イザナミ、イザナギ神社】
以前教えられた通りで、ジンムがヤマタイコクを攻める前に立ち寄り創った神様と。
ここは何も応答なし。

【おのころ島】
島の中ほどにあるのに島と呼ぶ。
自然に口が、「(悪い事をしていないか)おのれの心に聞け」と言葉が出ました。
その後看板に『自疑、、、、』と言う文字が書かれていました。

【セキレイ石】
同じく、「(悪い事をすると)イシキが(恥ずかしくて)赤くなる」
と言葉が出ました。

2005年9月8日
#)明け方、突然。

「(ヤマタイコクの)ハ、ハ、浜にいた者が“チヨニ ヤチヨニ”と歌いました。
それはジンムの世界に行くより、殺される(チ)方が良かった(ヨ)からです。
ヤりで殺されル方が奴隷としてヤマトへ連れて行かれるより良いと歌ったのです。
膝を折り曲げる(ル)祈る(イ)者を次々刺し(サ)て死んで(シ)行くことを、サザレイシと歌ったのです。
イワオトナリテとは、輪(ワ)になって祈る(イ)友達(ト)と、ナ=殺されていく方が、リコウだと歌ったのです。

君が代はヒミコが作り、二つの意味があると伝えられていました。
2002年1月9日:日本の行事
ソラ辞典:カタカナの意味

2003年11月11日
ある掲示板を読んで、未だに差別をされる事で苦しんでおられる事がわかりました。
平和を愛し、早くより文化の進んだ本当の日本人であるヤマタイコクの子孫が、未だに被差別といわれ無き差別で苦しんでおられる事がどうしても納得できないのです。

“民はヤマタイコクの子孫である”、と言う事は1999年11月に思ってもいない言葉(チャネリング)で知らされ、 本【星からのメッセージ】の原稿の締め切りは終わっていたのですが、どうしてもこの事は皆様に知っていただきたいと無理にお願いして追加しました。
その後もヤマタイコクのことはポツリポツリと知らされ、 四国や九州に直接出かけて行きましたが、知らされたこととあっていることもありました。

この情報はこれまでの文献で伝えられている歴史と大きく違うので受け入れられないとよく言われますが、権力者の都合の悪いものは焚書の憂き目に会うのがこれまでの歴史と思います。
又、大昔には文字を書くことを禁じられた時があったと知らされた頃、丁度“古代文字の展示会”があると、わざわざ速達で知らせてくれましたので出かけまた。
神主姿の方もちらほら見えましたが、本当に蛇に似せた文字が大きな掛け軸に書かれたのが沢山展示してあり、その時の感じは言葉では表せないくらいでした。

“文字を書くと蛇になる、と脅かし文字を禁止した”、と言う事が良く分かり、何故いろいろな古代文字があるのは、先日、少名彦が隠れて文字を伝えたと知らされた事と一致しました。
この事でも文字で伝えられている事が、権力者に都合の良いように伝えられてきたという事がはっきりとしていると思います。

6年にわたる情報を簡単にお伝えする事はとても難しいですが、6年に渡り次々と伝えられてくる事はそれまでの情報が補足され筋道が通って行きます。

【伝えられたことの大筋は】
大昔に空から柔らかい意識のあるものが降りてきて、山や岩になり、あらゆる生物の源を作り出したものがイシカミと呼ばれ、山ノ神として崇められていた。
その分身がデエダラボッチや世界中の巨人伝説等になっているもので、それらの意識と人間はコンタクトを取っていろいろな知恵や食物を与えられ、人間は急速に進化した。
けれどもその人間をお互い争わせる事でエネルギーを得ていた大きな星達が、1998年まで地球を支配していた為に悲惨な歴史を送って来たということです。
その大きな支配星により、人間は翻弄され悲劇が絶えませんでした。
その悲劇の一つがヤマタイコクでその名前だけ有名なのに、その真実は完全に消されて行ったのです。

ヤマタイコクは大陸から渡って来た大国主とヒミコが、四国の山の上の台地で生活を始め、イシカミやその巨人とテレパシー?で、いろいろな生活の知恵や文字も教えて貰い急速に発達したそうです。
周りの人もその知恵や教えを請いに来たりして信望を集め、大きな集落になり平和に暮らしていたと知らされました。
けれども若者の裏切りによりヤマトに責められ、大国主は出雲へ追いやられ、ヤマタイコクの人々は刺青を付けられ、ヤマトへ奴隷として連れて行かれたそうです。

この情報が初めて知らされたのは時は、上唇の上がチクチクして
「このようにヒミコはオシナマエ(=刺青)をつけられて、(ヤマトへ)奴隷として連れて行かれる事になりました」 
と知らされました。

そしてヤマタイコクの人達は大国主の指導で田を作るのが上手だったので、全ての人が刺青を付けられヤマトの国に連れて行かれ、田を作らされては取り上げられ差別されてきたそうです。

自然を利用したあらゆる知恵が伝えられているサンカやアイヌの方達と同じようにヤマタイコクの人たちも最初に住み着いていた日本人そのものと思います。
ヤマタイコクを築いた大国主は争いが嫌な平和主義であったので、ヤマタイコクの人達も同じように争いは苦手で、自然を愛し自然を利用した知恵で暮らしていたのに、後からやって来た好戦的な人達によって支配下に置かれたと思います。

ヒミコは奴隷としてヤマトへ連れて行かれる前に逃げ出して、四国にある阿波の土柱の洞窟で自殺したと知らされました。
四国へ行く大分前に、夢で変わった景色の上を飛び跳ねている夢を見ましたが、実際阿波の土柱は夢で見たのと同じ景色でした。
なぜそのような夢を見せられたかというと、ヒミコは亡くなって奴隷にされずに自由になれたので、うれしくて飛び跳ねたと知らされました。

四国の神山町には、ヒミコが亡くなったという伝説が残っており、巨石の遺跡もあります。
ヤマタイコクとは山台国と書き、山の上の平らな所に国を作ったそうです。
四国の山を想像してもなかなかピンときませんでしたが、大昔の山の上はもっと平らだったが、雨が多くて土が流れていったので、現在の様に土地が狭くなったと知らされました。山奥には確かに山にへばりつくような田もありました。

北海道の余市岳という山の頂上は飛行場ができる位の広さがあるそうですが、それはヤマタイコクがこのような平らな所にあったということを知らせているそうで、(四国も)今の地形と大昔の地形は違うという事も忘れてはならないと思います。

先日大宰府天満宮に行ってきましたが、道真は権力者によって徹底的に隠された死の国と呼ばれた四国が、ヤマタイコクだった事を知ってその事を知らせようとしたので九州に流されたそうです。
(詳しくは、ここだけでは書けませんが)

又百人一首は、大国主の娘・ヒミコの娘と、ノアの息子の悲劇(倭の国)を和歌に隠して伝えられたと知らされました。
長い年月の間、なぜ首と書いて伝えられたかというと、この歌の真実がばれると首が飛ぶことを覚悟して、和歌は作られたということです。
ヒミコの娘の悲劇を伝え聞いた道真と同時代の貴族達から、
「毎日何をするでもなく過ごしていて、
単調な風景や愛情関係の歌ばかりを詠んでいただけでは無かったのです。
その悲劇を、首を覚悟で伝えました」
とも伝えられました。

*)魏志倭人伝の‘卑弥呼’は偽ヒミコで、(北九州・壱岐の)邪馬台国は、後年(四国のヤマタイコクの)名前を真似た国のことと知らされています。

尚、この事についてお知らせに書こうと思い始めた時、1時間程だけ急に右鼻だけが異常に敏感になり、空気を吸い込むだけで痛くなるくらいでした。
なぜかすぐには意味がわかりませんでしたが、その後鼻の異常感はヤマタイコクの人のオシナマエ(=刺青)と関係があると伝えられました。
オシナマエは女性は上唇の上に付けられ、男性は目と目の間の鼻の上に真一文字につけられたそうで、その事を知らせて欲しいので鼻に異常感を与えたそうでした。

2004年7月27日
2004年7月26日真夜中突然目が覚めて。

「(名のない)星達のお蔭で、イシキの世界のことがよくわかりました。
私はヒミコで、人間として生きていて冬に死にました。
なぜ冬に死んだか知らせるように言われました。
(ヒミコは奴隷として連れて行かれる前に逃げ出したが、冬の寒さに生きることが出来ないと思ったので自殺したこと)
私が生きていた(若い)頃は、冬でも暖かかったので、薄着で過ごしても寒くなく、夏でもそれほど暑くはありませんでした」
(ヒミコの子供の頃はアトランティスも栄えていて、水の膜があった?)

「リュージンに支配された人(=ジンム)は、とてつもない力を与えられ、とてつもなく長生きをして悪さをしていました」

2007年7月6日
*)中央構造線
中央構造線上やその近くには、諏訪大社、鳳来寺山、伊勢神宮(外宮)、高野山、石鎚山、幣立神宮など古くからの聖地、霊場などがある。
このことで、ソラから知らされた情報によると、韓国から来たリュージンが宮崎の“高千穂の近くの御池”に降りてジンムになり、四国のヤマタイコクを滅ぼし、伊勢に落ち着いたこととつながります。
高千穂の地図

その後リュージンは、蓬莱寺山、諏訪まで行き、そこから松代の地下空洞の入り口から、地下空洞に入り悪さをしていたことがわかります。
これで、ジンムの末裔の天皇家が松代に来る計画が立てられ、松代で大本営が築かれようとしたこともつながっていきます。

2007年7月12日
真夜中目が覚めて。
「わかりますね。
(西日本の大雨は)悪者の足跡*を流したいのです。
*)悪者の足跡=ジンムは高千穂に降りたリュージンの化身で、その後、四国のヤマタイコクを滅ぼし伊勢に行ったこと)
そんな思いの水のアト君(原子)たちが集まったのです。
そしてシンジ(神事)をすることに抗議をしているのです。
あらゆる神事が嫌なことを述べています。
それは悪者(ジンム)が教えたことだからです。
コノハナサクヤヒメの言葉です」
台風情報
(台風4号も向かっているようです)
「コノハが咲くことはない、ということは遺伝子操作をして木の葉を花に変えたものをやっつけると言う意味なのです?」寝る。
(何か言っていたようですが、眠くてメモをしていない)

ソラ辞典より
ある者
ヤマト地方の小さな国の権力者であったが、ヤマタイコクを攻め滅ぼし、大国主を出雲に追放し、ヒミコに入れ墨を入れ自殺に追いやる。
タケルノミコトの義理の親。
ノアの息子を惨殺し、ノアを追放する。
ヒミコの娘を強引に由良からヤマトに連れてきて監禁し、子供(ニニギノミコト)を生ませる。
悪徳の限りを尽くし、悪事がばれないように文字を禁じ、逆らう者は徹底的に滅ぼし、自分の都合の良い神をも作ったと伝えられた。
ジンムとも言う。

2005年1月11日
2005年1月10日 明け方
「ソラのものです。
次の事がソラのものやイシカミには、どうしても理解出来ないと知らせてください。
ジンムを祖とする皇室を、なぜ今も人々は神のように扱うのか、どうしてもわかりません」

著者が最初にジンムを“ある者”としか書かなかったのは遠慮したためで、本当は最初からジンムと言われていました。
又、新潟の少女監禁事件の頃、ジンムもヒミコの娘を監禁していたと知らせて欲しいと伝えられていて、八重の柵で閉じ込められていた事は、和歌の八重の言葉で隠されて伝えられているとも伝えられました。

本《星からのメッセージ》に書いていますが、 愛知県の岡崎の公園に行った時、小さな“大山ズミ”の看板がある所を通りかかった時に、急にはっきりとチャネリングが始まりました。
それはヤマタイコクからタケルノミコトを誘拐し、大国主の刀(鎌)を盗んで逃げ出し、ジンムにヤマタイコクの事を知らせた若者からでした。
それからその時の事を詳しく知らせて来たのですが、ジンムに知らせた後殺されて葬られた所が、オオヤマズミ(=大きな山をのりこえた)という意味の神社になったという事でした。

瀬戸内海の小島になぜ立派な神社があるか、それはジンムが若者を殺したので祟られては困るので、地元の人達にしっかり守るように言っていたためと、伊勢と繋がっていたので保護されていたからと筋道が通りました。
因みに、なぜこの大山ズミの名前が気になっていたかというと、精神科で二人の患者さんが信じていた宗教と同じ名前だったので良く覚えていました。
(この宗教だけではありません。入院患者さんにはいろいろな宗教の信者さんが多かったと覚えています)

昨日の四国の方の【夢】で見たのが
《石炭みたいな黒いものを載せた車が、山の近くを何台も走っていた》
と知らせてくださいました。
夢の意味は
「四国は88箇所お遍路参りの仏教や、色々な宗教でヤマタイコクを封印していますが、そのエネルギー体がとても大きく育っている為に、台風などで浄化され、それをあらわしている」
そうです。

・【ヤマタイコク物語

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(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。

ジンムの侵入

2007年08月30日 00時42分26秒 | Weblog
2004年2月23日
南九州へ行ってきましたが、どうしても公開して欲しいということです。

人間の進化はイシカミが大きく関わっていると以前より何度も知らされています。
(イシカミがいて座から降りてきた時は“柔らかい山のよう”だったので、その身体が柔らかい内にその一部から歯、膝関節、胃、 足、 口など、似たモノを作りその事をあらわしていた。それが固まって岩になったという事です)

鵜戸神宮の前の巨石は 「人間の身体をあらわした」 と言ってきました。
九州の写真集
(クリックすると拡大します)
砂と石で岩の形を作り、歯*や内臓(心臓*)をあらわしたそうです。(下記の左上写真参照)

*)歯=下の方に小さな石が並んで歯のようになっている。
*)左上の画像で頂上に丸い石が並んでいる下に、滑らかな滑り台のようなのが、大動脈と大静脈だそうです)

宇宙から地球に降りて来て、別の物質になりたくない原子が砂になったそうですが、その砂に、“もう一度形になって欲しい”とイシカミの巨人が頼んだので形になったそうです。
鵜戸神宮の洞窟は、イシカミである双石山の分身の巨人が作ったそうです。
(検索をして見ると双石山の岩がオニの洗濯岩と同じ質を持つと判り驚きました)

その巨人の名前が“ウガヤノフキアエ” で、そのウガヤノの意味は分身から巨人が
【生まれ (ウガ) 作られた岩屋の屋根を (ヤノ) 葺 (フキ) いて合 (アエ) わせた】
と言う意味だそうです。
(古事記の、ウガヤフキアエ(ズ)とは発音できない)

洞窟の入り口や天井などは、確かに柔らかいうちに撫でて平らにしたように見えました。
その巨人の ウガヤノ・フキ・アエが、オニの洗濯岩を作ったと知らされましたが、オニの洗濯岩は“地球の背骨”のつもりで作った*そうです。
(*)作ったというより、砂の原子にこのような形になるように指示を送った。

“アエ” というのは、巨人が小さな岩を砂でくっつけた事をあらわします。
岩が引っ付くように砂の原子にノリの役目を頼んだと。(↓下記の右上写真参照)

ジンムは人間をそのように纏めて自由に出来る力を持ちたいので、 この巨人の ウガヤノフキアエ(ウガヤフキアエズと呼ばせている?)を自分の親だと思わせて、自分を強く見せたようです。

ジンムは狭野神社*辺りに住み着いていた韓国から来た夫婦の子供で、御池(高千穂峰の横)のリュージンのエネルギーを受けたので強力な力を持ち 鹿児島の隼人を攻め、 四国のヤマタイコクも攻め滅ぼし、ヤマトに落ち着いたと伝えてきました。

*)狭野神社
霧島神宮へ向かっていた時、サインがあって寄ってほしいといってきた所が狭野神社とこの奥?の池で、その池にリュージンが降りて、ジンムが生まれたと伝えてきた。
神社へ行って初めて、ジンム生誕の地であることがわかった。
この近くに韓国岳があり、この山だけ岩だけで、その周りは松だけである。

鹿児島の“上野原縄文遺跡のある台地”がイシカミで、“城山”や“桜島”がその分身だそうです。
上野原縄文の森

上野原の遺跡では塩つくりをしていた隼人? が降りてきて、
「ここには家族が住んでいて、自分たちは海辺に住んでいたが、ジンムに負けて強制的にヤマトへ連れて行かれたが逃げ出し“土ぐも?の仲間*”になった」
と伝えてきました。
【ジンムは “死にゆく人を作る人”】 と表現していました。

2006年2月9日
ウガヤフキアヘズノミコトと神話で書かせたのは、支配するためなのです。

“ワガノフキアワス”というのが本当の言葉なのです。
その意味は
“輪が強い力を持ち、ノ=平ら=平等が大切と記録し、輪を頭にする(輪をモットーとする)ことがスキ”
と言う意味なのです。
生きる力をなくしたイシカミ(=砂)を再び、形にあらわして、地球に降りてきた目的を知らせている岩が、その証拠です。
固まることは、輪となることです」

イシカミ(イシジン=ワガノフキアワス)が砂を固めて、いろいろな形にしています。
人間は砂を固めることはできないので、神武はこれを見て、(イシジンが)自分の先祖だと勝手に言ったことを、神話に取り入れています。
神武はリュージンの子供としっかり、神話に書かれています。

2001年12月7日
ワニが白兎の皮を剥ぐのは、ヤマトの権力者の蘇我が馬の皮を剥いだことを暗に知らせているのと、神話のトヨタマヒメはワニであったということは、神武にもその血が流れていることを神話を通して知らせています。

2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。

2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。

2006年1月22日
「チリの国(細長い)を真似たのです。
支配星はその形になって、大蛇を地球に送り込んだのです。
そしてアータカマから、日本へ向かったのです。
それを(イシカミが)石で(地上絵にして)知らせたのです。
大蛇のイシキが生まれ変わったのが神武なのです。
そして、アータカマ=タカマガハラに降りたのです」
タかマがはラ=タマラ

ヤマタイコク物語
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、次々と領土を広げていきました。
鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、誰がこのようなものを作ったかと聞くと、イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたのでその巨人を自分の先祖にする事にしました。
巨人は大きな洞窟を作って、イシジンを創る場所に作っておいたのに、ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。
そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。

一方、ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な(草刈)鎌を盗み出しヤマタイコクから逃げ出しました。
鎌は大国主がアトランティスから持ってきた、巨大な鎌でした。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、ジンムに会い盗んできた鎌を差し出しました。
当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。

2002年8月23日
「鳥居は3本の歯の櫛を真似て作られました。(最初は3本柱だった)
(シガサトの若宮神社は下半分が、3本になっています)
ヒミコです。
大国主は、いたいけな子供を殺すと言われてこの地(ヤマタイコク)を去ったのです。
それは悲しい事でした。
(行こうと思っている阿波の土柱の)あの辺りがヤマタイコクでした。
イシカミが大きな身体で池を作ってくれました」

イシカミは生きていたのか? と言う問いに。

「(射手座から降りてきたのに比べて) 
小さいイシカミ(=デェダラボッチ)はまだ生きていました。
言葉はなくても身振りで意味はわかりました」

2002年9月12日
なぜ、六甲からこの辺り迄このような岩山なのか? と聞くと

「ここに降りたイシカミです。
私たちは向かいの島に支配星に支配されたある者(=ジンム)が、ヤマタイコクを滅ぼしに行くのをただ見ていることしか出来ませんでした。
それでイシカミ達は固い岩山になることで、支配星に抗議したのです」

2003年11月26日
星からのメッセージ”の本をお読みの方はご存知と思いますが、ヤマトの権力者(ジンム)はヤマタイコクを攻め滅ぼした後、ヤマタイコクをヤマトに売った若者を殺してしまいます。
けれども祟られると怖いので、“大山(=イシカミ)の用が済んだ = オオヤマズミ”という名前の神に仕立て上げて人々に崇めるようにさせたそうです。
そのことを書いたことで真実(イシカミの流れをくむヤマタイコクの話)が世に出ると思い、イシカミのことが世に出れば地震は起こさなくても良い、とイシカミは言ってきました。

・【ヤマタイコク物語

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。

ヤマタイコクから、巨人たち

2007年08月29日 01時14分32秒 | Weblog
2002年1月9日
「日本の行事は、私たち(イシカミ)が知らせたのです」と。

【君が代】 = ヒミコがよく働き穏やかな大国主を尊敬し “君” と呼び、作った歌。
「君が世は」・・・・・・・・・・・・私の君の物語が、
「千代に八千代に」・・・・・・その長い年月の間には、血(チ)が流され槍(ヤ)で戦う事があっても、(予言)
「ざざれ石の巌となりて」・・イシカミの柔らかい体が雨にうたれてざらざらになった石が硬い岩になり、
「苔のむすまで」・・・・・・・・その岩が苔になり分解して宇宙に戻るほど長い年月を経ても、とこしえに伝えられますように。

【日の丸】 = 当時は子供が小さいうちに亡くなることが多く、より多くの子供を作る事が必要であった。 女性が一人前に成長した証の着るものに付いた生理の血液を見て、ヒミコはおめでたい事のかたちを国旗にした。

【しめ縄】 = 大国主がヒミコの形見の髪の毛で作ったものが始まり。
【鳥 居】 = 大国主がヒミコの櫛に譬えたことが始まり。(三柱の鳥居) 
【柏 手】 = 大国主がヒミコを呼ぶ合図を良い事がある時は4回、急用や不満がある時は2回手を叩いていて、それが神社にお参りする時今にも伝わっている。

<お正月>
【鏡 餅】  = イシカミを現す。(クロップサークルNo.42参照)
【ウラジロ】 = 真実(ヤマタイコクの話)が隠されている事をあらわす植物で裏の方が白い。ぎざぎざの葉は支配星大蛇や蛇)は尖っているのが嫌いなので、形であらわした。
【みかんと干し柿】 = みかんもイシカミが星たちに頼んで作ってもらったもので、形はイシカミに似せて作られた。

<書初め>
ヤマタイコクの言い伝えを消されたので書いて伝える。

<ドンド焼き>
書初めの紙を燃やして天まで届かせる。(元旦に書いた書初めを燃やす)

<節分のオニ>
イシカミの巨人が首の後ろにお汁を吸う管があり、それを角にされ悪者にされた。

<豆まき>
豆を精子に譬え、豆をばら撒くことで人間の射精をあらわしている。

<ひな祭り>
その結果沢山の子供が出来たことをあらわす。 
段飾りの雛人形は、後年権力者の指示であの形になる。(身分制度)
流し雛は、殺された柿本人麻呂と、それを追って身を投げた小野小町を慰めたのが始まり。

<七夕>
元はタナハタと呼び、“宇宙ホシノミナが掃除をする”と言う意味で笹を立てただけだった。
以前は星の戦争で別れさせられた3つ星のオリオンに、箒で掃いて織姫を寄せてあげると言うことを伝えていたが、 途中から7つ星 になる。 
途中から仁徳天皇が貰い物のメモを笹にくくりつけて、 お返しがすめば燃やすようになった。

<月見>
小さなお団子を盛るのは、 細胞分裂をあらわす。
ススキは切るとすぐに枯れるのは、人間もすぐに老いる事を知らせる。

2004年12月5日
「ヒミコです。
イトが初めて大人になった印(生理の血液)が(衣服に)付いたので喜んで残しておいたものが、日の丸の始めになりました。
(このことは以前にも伝えられていますし、お赤飯を炊いて祝います)

着る物は糸を紡いで布を織っていました。
その糸は山にいるもの(山繭)の糸でしたが、数が少ないので木の皮を(細く)裂いたものを織っていました。
糸にする綿もありました。

(先日イメージで見た)肩の火傷の傷は、(サマルカンドで)火事にあったからです。
その地に支配星の部下が降りて来たのです。
そして小さな人間に乗り移り、(イシカミと人間の合いの子の)大きな人を殺して行ったのです。
大きな人がどうして小さな人間に滅ぼされたかというと、大きな人は戦う事が出来なかったのです。
大きな人は動きが鈍くて、小さな人間に振り回されたのです」

2005年9月13日
#)他のチャネラーサンから、うれしいサイトを教えていただきました。

「昨日ヤマタイコクの人はどんな服を着ていたのかと見ていましたが、コウゾって真っ白の布なんですね。
つい麻のベージュを想像していたのですが、白い木ってコウゾのことみたいでもありますね。
それで、イシジンが(大国主やヒミコのもとに?)集まってできたのがヤマタイコクです?当時は腰ミノを着ているような生活でした。
服もヤマタイコクから発祥した?
そして、かまどや墨、文字、紙、田なども皆イシカミやシリウスから教えてもらいました。
個人的にはどうもまだ時代の感覚がよくわからないのですが、ヤマタイコクの時代にイシジンもいた?」

これは私が知らされている事と一致します。
白い布をまとっていて、大人になった証拠の、女性の初潮の血の色を記念して、日の丸ができたと伝えられています。
イシジンも結構長くいたので、デェダラボッチ伝説が残っていると思います。

ヤマタイコクの事を知らせてくれた時に、木の線維を布にした着物を着ていて、洗濯して残ったカスから紙ができたのを発見し、それに煤を固めた墨で文字を書いたとヒミコが知らせてきました。
(本『星からのメッセージ』に書いています)

この時、木の繊維で布が織れるのかなと、思っていましたが、現在も伝えられ実際に布が織られていました。
そしてその発祥が四国と書かれていて四国は、太古の昔に国家の祭祀を担当し、その為、紙や布の製造にも関わりの深かったとのことで、ますます情報の信憑性が高まりました。

コウゾ
>楮の皮の繊維は、麻に次いで長く繊維が絡み合う性質が強く、その紙は粘りが強く揉んでも丈夫な紙となる。
>楮の皮の繊維を蒸して水にさらし、細かく割いて作った糸を木綿(ゆう)と言う。
コウゾの和紙

2004年12月5日
「イシカミがうれしいと思う事は、天然(=自然に出来たと言われている不思議な形の岩など)と思われているものを、イシカミ(の巨人)が作ったと思ってくれる事です。
地震の時にそのように思ってくれる人の家は潰しません。
(このことはこれまで何度も伝えてきていますが、現実にどうかわからないので書きませんでした)

なぜなら家が建っている下の土地は、イシカミの体だからです。
その思いがイシカミにわかれば動かないからです。
その事を皆に知らせてください。

耳鳴りでキーンとなるのは、地球がお知らせをしているのです。
地球の金属の成分を使いながら、金属で作られたもの(機械など)の事は信用して、機械ばかり大切にするからです。
(地球の事を大切にしない事)

地震の時に電磁波がどうして出るかというと、地球の中を通っている磁力がイシカミが動く事で(割れ目から)外に漏れ出るからです」

「(地震で)イシカミの身体の岩が断層を作るのはなぜかというと、(重なり合った)イシカミ同士がお互いに遠慮して移動するからです。
(海辺などで)断崖絶壁になっているのは、その部分のイシカミの身体の原子が、一斉に岩にならないで分解したからです」

「ヒミコです。
私は生きているように言葉が伝えられる者です。
(初めてこのように言って来ました)
生きている人たちは、死んでからの方が長いのに、(イシキの事を知ろうとしないで)騙し騙し生きています。
そのように生きることは亡くなる時に苦しみます。
それはその時にならないと気付きません。
イシキを認めると苦しまなくて(向こうへ)行く事が出来ます」

しかし特にその益だけを求めても、イシカミたちは人間の思考を読み取る?ことが出来るようですので、実際にはどうか全く分かりません。

2005年2月14日
化石として残る骨のあるモノしか生きていたと思われない人たちは、巨人が地球上に生きていたという事を受け入れませんが、イシカミの巨人は人間と違って、シリコンから出来ていて、遺体は岩や土になっているので、遺骨はありませんが世界中に巨人伝説はあります。
情報の公開を止めた10日の間に、2つの伝統行事がマスコミに大きく公開されました。
いずれもイシカミを徹底して消し去ろうとしたヤマトから、遠く離れていた土地(中部から北)で守り伝えられていたと思われ、この情報と大きく関係すると考えられます。

2005年2月14日真夜中

「大国主やヒミコの居た頃には、巨人も生きていました。
巨人は池を作ったり、川を作ったりしていました。
(遅く降りたイシカミの)身体がまだやわらかいのもありました。
生きている時の巨人は頭の丸いガザ(カセ鳥)*のようでした。
巨人は死ぬと三角山になりました。
巨人は手と足はありました。
音で話は出来ませんでしたが(テレパシーで人間と)会話が出来ました」

【カセ鳥の祭り】
山形県上山市の変わった姿のカセ鳥の祭りの主人公は、イシカミの巨人をあらわすそうですが、なぜ一番寒い時されるのか、意味を知りたいと思って寝ました。
カセ鳥の模様

「ワザラシ?ワザラシ=座敷わらしの事なのです。
座敷わらしを見ると(事業が)成功すると言われていますが、それはサタンに守られるからです。
座敷わらしはサタンの子供なのです。
(座敷わらしのように)家の中に閉じこもっていて何もしない事は良くありません。
なぜ、真冬にカセ鳥(=ガザ取り)の祭りが行われるかというと、その頃は雪(になった原子)がたくさん降ってきて積もります。
サタンは座敷わらしを通してその雪に話し掛け、知らない内に(雪を)サタンの部下にさせようとします。
それでイシカミは巨人の姿を思い出さすために、(雪が積もっているその時期に)その姿を見せ、雪ん子たちにイシカミを思い出させて、本当の雪ン子(=水)の使命を思い出させたのです」寝る。

その後の【夢】で、とてもはっきりと三角山が出てきました。
「(三角になった山が)ガザ取り(=カセ鳥)を知らせたのです。
巨人があの姿だったのです」

カセ鳥はガザとしか発音できなく、大昔は【ガザ取り】と言っていたそうで、明治に入り中止させられたりして途中から変わったそうです。
ガ=力が2乗、ザ=サすのサが2乗で
【力を刺す=権力者を無くする】
という意味を濁音にしてより強めて言ったそうです。
パレスチナの激戦地「ガザ」も青森から出て行ったヤハウエーがつけた名前だそうです。
(ヤハウエーが青森から出て行った事は早くから知らされていますし、イエス達が青森に向かったのもその為と伝えられています)

【巨大わらじの祭り】
巨大なわらじを信夫山(福島県)に奉納する祭りですが、後年宗教に利用されています。
平野にポツンとある山は、特に最期までがんばって人間の為に働いてくれた巨人だそうです。
せめてものお礼にと大昔の人たちが、わらじを供えてあげたようです。
日本一の大わらじ奉納
この山には巨石もありました。
信夫山

この他の巨人伝説
よりお借りしました。

茨城県【デエダラ坊】
人を踏み潰さないように夕方から夜だけ歩く大男で、その足跡が6畳くらいの大きさの池として残った。

茨城県【ダイダラボッチ】
ユーモラスな大男で、堤防を作るのを手伝ったくれた。その時にこぼれた土が峰山になった。

長野県【デーラ・ボッチ】
大男で山をまたいで歩き、その足跡が池になった。

長野県【デーラボッチャ】
デーラボッチャの巨人が背負ってきて下ろしたのが室山であり、背負子の土を払ったのが背中という山になり、縄の土を払ったのが背負縄の山になった。槍ヶ岳に腰をかけて諏訪湖で足を洗ったと伝えられている。

長野県【ダイダラボッチ】
疣石にある溜水の窪みが手の跡といわれ、その足跡は砂鉄のある場所に向かっていた。

長野県【デイダラボッチャ】
藤蔓で山を運んでいた時、藤蔓が切れて山を落としてしまったので、藤蔓を投げつけた。そこが藤塚で、切れた藤蔓に怒ったのでこの地方に藤蔓が生えないという。

長野県【デェダラボッチ】
大昔巨人が大泉山と小泉山をヲンガラ(麻稈)でかついでここまで来たら、ヲンガラが折れた。担ぐための変わりの棒がなく、そのうちに大泉山と小泉山に根が生えてしまった。

群馬県【データラブチ】
昔巨人が榛名富士を作ろうと土を運んでいたが、夜が明けてしまったので土を掘り出していったのが、ひともっこ山になった。

埼玉県【ダイダラボッチ】
ダイダラ坊(ダイダ坊)という巨人が昔いて、定峰峠をまたいで腰掛けて昼食をとっていた。その跡が数々の山になった。巨人の足跡は凹地として残っている。

静岡県【大多良坊】
昔巨人が富士山のような山を千頭に作ろうと土を運んでいたが、夜があけたので土を掘り出して行った。それが丘になった。大井川をまたいで水を飲んだ時についた足跡が遠州と駿河にあるが、それは足窪と名づけられた

神奈川県【デェラボッチ】
巨人のデェラボッチが富士山を背負おうとしたが、ふじ蔓がなかったので、ジンダラ(地団太)を踏んだ跡が、鹿沼と菖蒲沼になった。

神奈川県【デーラサマ】
富士山に縄をかけて引いてきたが、頂がちぎれて城山になった。デーラサマの足跡は、デーラクボと呼ばれる窪地になる。足駄の歯にはさまった土が落ちて出来たのが、相原のデーラボッチ。デーラサマは大山に腰掛け、相模川で足を洗い、東方へ飛び去ったと伝えられている。

東京都【デェラボッチ】
巨人の足跡に似た窪地が、池の窪ある。昔、デェラボッチが富士山を背負おうとして踏ん張った足跡と言われている。

東京都【デエラボッチ】
平野にぽつんとある小山は昔、デエラボッチが背負ってきたが縄が切れて落ちた。ふじ蔓で縄を繋ごうとしたが見つからず、この小山にふじが生えないようにした。

東京・北多摩郡【ダイダラボッチ】
丸い小山を丸山と呼び、ダイダラボッチはここで休んで立ち上がろうとしたら、藤の背負縄が切れて荷が落ちたという。

ソラ画像より
巨人の足跡
「巨人のイシジンがいたことを知らせておきます」

・【ヤマタイコク物語

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月28日のソラ。

ヒミコ

2007年08月28日 00時29分13秒 | Weblog
ソラ辞典より
ヒミコ
サマルカンドで大国主と一緒になり、日本に来る。
イシカミの声が聞こえ、文字を作ったり織物を織ったりして、大国主と供に四国にヤマタイコクを作る。
タケルノミコトの2人の子供に恵まれ幸せに暮らしていたが、ある者に攻め滅ぼされ自殺をする。

ホツマツタエ
一般には、古代大和言葉で綴られた日本の古代の神達の歴史の記録であると言われているが、ヒミコが女性のしなければならない仕事や、イシカミの事などを書いたものだと知らされた。
内容の一部の意味を聞かされている。
ホツマ文字はヘビをやっつける方法とも。

2004年3月28日
「いつも人間が死ぬまでにいかに楽に生きていけるか、と思っていました。
それには知らされて良かった事を、みんなが知ると良いと思ったのです。
それで何とか文字を作ったのです。
(ホツマツタエは)今伝えられているのとほとんど同じですが、(よく知られている)解釈はほとんど違っています。
(以前ホツマツタエとは女性の日常の生活の知恵が書かれていると教えられたが、現実には古代天皇物語に解釈されている事)
石に力が有るということを知らせたのですが、(今の訳では)その解釈がありません。
(古事記など)神の物語として伝えられているのは、ヤマトの人が自分たちに都合の良いように(ホツマツタエを)利用して書いたのです。
ホツマツタエも阿波の歌も私が書いたので、お知らせした(解釈を)公開してください」

2000年6月8日
「ヒミコです。【ホツマツタエ】の意味をお知らせします。

『ウタタネコ コレオノブ』 = これは女の物語です。うたた寝をすると“怒らないで下さい”女の人はお変わりなく? こちらへおいでという意味なのです。
(元気なのに昼間から仕事をしないでうたた寝てばかりしていると、男性を待っていると思われる。ちゃんと女性の仕事を覚えてくださいという意味)
『アメツチノ ヒラケシトキ』 = 夜明け
『フタカミノ トホコニオサム』 = (ご飯を炊く時に)お釜が焦げないように(気をつける)
『タミマシテ アマテルカミノ』 = お釜の蓋の石が重くて取れない時に“アマテルサマ 力を貸してください” と頼むのです。
『ミカカミヲ タシテミクサノ』 = お腹にお煮しめを食べて
『ミタカラヲ サツクミマコノ』 = 身体の肩まで降ろした
『トミタミモ ミヤスケレハヤ』 = 髪の毛をまとめて束ねる
『トミガオヤ シイルイサメノ』 = 起きなさいと皆を起こすこと
『オソレミニ カクレスミユク』 = 遅れることなく固い炭火を埋めて
『スエツミヲ イマメサルレハ』 = 仲間の人にこんにちは(と挨拶をする)
『ソノメグミ アメニカエリノ』 = 自然の恵みの河に行って
『モフテモノ ホツマツタエノ』 = もうけモノの河の水にミズホの妻が
『ヨソアヤヲ アミタテマツリ』 = 伝えられることを感謝する
『キミガヨノ スエノタメシト』 = 私の君(大国主)に、いつまでも試練が
『ナランカト オソレミナガラ』 = ありませんように恐れを取る
『ツホメオク コレミンヒトハ』 = お勤めを苦にしないような人は
『シワカミノ ココロホツマト』 = しわが重なるまで心がほつれて(心穏やかに)
『ナルトキハ ハナサクミヨノ』 = 亡くなる時はきれいな花の咲くあの世の
『ハルヤキヌラン』 = 春にあなたは行けます。

これらは、私が幸せだった時に作りました。
面白くてたくさん作りました。
でも、長い年月の間に違う意味に変わったのだと思います。

ところでどうして“ツマ(妻)”という言葉には、罪の“ツ”がつくのかいうと、結婚を決めても他の人とセックスをしたくなるのは、“マ(魔)”の者が入るからだと思ったからです。
またどうして結婚制度を作って相手を決めるようにしたのかというと、当時は女の人を取り合って争いが絶えなかったからです」

2001年1月8日
「【あわの歌】の意味をお知らせします。

『アカハナマ』  = 赤い花=そばの花、マ=不思議な力。そば粉には不思議な力がある。
『イキヒニミウク』= 生きている生のそばは、火で煎ると実が粉にしやすい。
『フヌムエケ』  = 冬に池の氷が張るとそばを家に入れないと苦くなってまずくなる。
『ヘネメオコホノ』= 土地を掘り起こすのは男の人で、
『モトロソヨ』  = 女の人は石を取り除くと収穫が多くなる。
『オテレセエツル』= 男の人は川の土手と橋を作る。
『スユンチリ』  = それらをがんばってすれば人生は楽になる。
『シイタラサヤワ』= シイの実をたくさん集めて石の臼で粉にし、その粉を丸いお団子にする」

2003年10月22日
仁徳天皇のお墓の中には女性の品物があります。
仁徳天皇陵はヒミコのお墓にしようと作ったお墓で、そこに仁徳天皇とヒミコを偲んで女性の品物(櫛?)が入っているのです。
仁徳天皇がお願いしていたのです。
(私が)亡くなったらイスキリから教えられた Ω (オーム)の形にして欲しいと。
それで仁徳天皇を慕っていた人たちが、あのような形にしたのです。
ヒミコの話は大国主を慕う人(出雲の人)たちから聞いていたのです。
仁徳天皇は一番良い天皇でした」
(足にサインがあり)

「私はお姫様に可愛いがられた一寸法師と呼ばれた者です。
(以前、一寸法師が仁徳天皇になったと知らされた)
私が知らせたことは真実の事です」

【イメージ】
“車のオートロックの情景が浮かぶ”

「車のオートロックはドアを閉めると自然にロックされますが、人間の脳も同じようにされている事が分かりました」
(この情報が受け入れられない人たち?)

「そのロックを解くのにカギが必要です。
(そのロックを解除する) 鍵穴が、“仁徳天皇の前方後円墳”なのです。
仁徳天皇のお墓が、なぜ途中から“開かずのお墓”になったか、今の踏み切りで表しています。  (小金井の踏み切り?)
(仁徳天皇陵が)なぜ途中から埋め戻されて閉じられたか、宮○庁が知っています?
仁徳天皇のお墓の中が知られないことは良くない事です。
仁徳天皇のお墓の中には、男性の品物の他に女性の品物が入っています。
その事が国民に知られると困るので、“開かずのお墓”にしたのです」

「仁徳天皇は一寸法師だったと以前にお話しました。
そして自分の祖先であるヒミコのことを出雲の人に聞きました。
それで自分が亡くなれば、ヒミコをあらわす櫛(=鳥居の原型)を一緒に入れるようにお願いしたのです。(足にとても強いサイン)
その事はイシカミのことが分かるので支配星の嫌がるものです」
(ヒミコはイシカミの言葉を聞いて文字を書いていた)

「ツマ、ツマ…(言葉がなかなか出てこず)妻の勤めを書いた言葉=ホツマツタエのホツマ文字? カタカナ?がお墓の石に書かれているのです。
ホツマツタエはヒミコが妻としての勤めを書いたものなのに、権力者の都合のよいように書かれた物語(古事記や日本書紀)を裏付けするように訳されました。
そしてホツマツタエはヒミコが書いた目的とは違う意味で解釈され世に出ました。
そして意味を悟られないように、現実には無いミカサフミの2,3巻を探す事に意識を向けさせたのです。
ホツマツタエ がなぜ宇和島から出たかと言うと、世間に知られないように隠れて違う意味で解釈されていたのです。(強い足のサイン)
それが地球の秘密を開くカギなのです。
ホツマツタエは、イシカミのことが書かれていると受け継がれて来ました。
その意味を、神の言葉として?解釈させてきたのが神道です」

2005年1月16日
「アマの記憶が戻りました。
ジンムが一番だと思わせるためにヤマタイコクを封印したのです。
そして新しい神話(古事記)を作ったのです」

「私とは石が大嫌いな者で、長い名前の者です。
イッポントネリノヒト*です。
私は声が聞こえる人でした。
私が知らせたい事は宇宙の外から来たものだと言う事です。
そして今も人間に生まれ変わっています。
イシカミに今こそ詫びを言いたいと思っています」
(*イッポントネリノヒト = 古事記を書いた舎人親王)

2004年3月28日
「亡くなっているきれいな人がきています。
小野の小町です。 知らせたい事があります。
私は菅原道真柿の本人麻呂と仲良しでした。
砂の様に壊れやすいものでも硬い岩にする事が出来たのがジンムと伝えられました。
その物語(古事記?)の中には沢山の疑問がありましたが、それを口にする事は出来ませんでした。
それをあえてたずねたのが道真と人麻呂でした。
それで道真も人麻呂も遠くへやられたのです。
そしてカナの文字が書かれているのも見ました。
カナ文字のことをたずねると、とてもきびしい目をして、“明日から来なくても良い”と言われました。
私の歌も意味が隠されて歌われていますので、本当の意味は違うのです。

【花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に】

ハナ=腹を切られて。ナは亡くなった後の木の十字架を表わす。
 (ソラ辞典・カタカナの参照)
ノ=ノアの息子、
イロハ=祈る口は、
ウツリニケリナ=うつろになっても、
イタズラニ=必死になって、
ワガミヨニフル=わが身を省みず、
ナガメセシマニ=仲間の背を撫でていた、(これが一番わかりにくかったです)
《歌の意味は、ノアの息子(=ムウラ)は仲間をとても大切にしていた=無実で殺されたという事》

それを聞いて私は旅に出ました。
(丹後半島などに小野小町が訪れたことが残されている)

元伊勢皇太神社の沢山の祠を見て、本当の事だったと思いました。
私はそれから長い旅に出たのです。
何日も歩き柿本人麻呂の流された石見の国に行き、そこで人麻呂と夫婦になりました。
その後ヤマトの人に人麻呂は殺されましたが、私は地元の人と思われて殺されませんでした。
それが私と人麻呂の物語です」

(*“ソラ検索”で柿本人麻呂のことが出てきますがつじつまの合う情報です)
いつもながら驚く内容でした。
まさか小町の歌まで、違う意味があるとは思いもしていませんでした。
和歌の最初の意味はとてもすらすらと知らされましたが、最後がなかなかわかりませんでしたが、あの皇太神社の78もの祠が同じ大きさで並んでいるのは、本当に皆平等な社会だったのだと思いました。
又、知らされたカタカナの意味が、同じなので以前は意味が伝えられていたのではないかと思いました。

1999年8月22日に、カタカナの意味をヒミコが教えてくれましたが、沢山の文字も割と簡単に伝えてくれました。それ以後あらゆる文字をカタカナに当てはめると、その意味が当たっている事が良くあります。
(ソラ辞典・カタカナ参照)

カタカナ
最初の文字(ホツマツタエ)は覚えにくいので、ヒミコと若者が考え出した文字。

「私はヒミコです。
“ワ”ということはとても大切だと思いました。
輪になって踊ったりして、お互い助け合ってヤマタイコクを作りました。
私が考えた『カタカナ』の意味をお知らせします。
“ワ”が最初の言葉でした。

『ア』=アナタのア。頭と身体。
『イ』=イノリのイ。頭を下げている姿、ノとリを合わせた。
『ウ』=ワの上の点で、輪の先頭に立ってウタウ。
『エ』=橋=エニ=川と川を結ぶ=連絡する=天と地を結ぶ。
『オ』=男のことで、付いているモノがある。

『カ』=動物の皮。力を合わせて力を入れて皮を剥ぐ。力があること。
『キ』=木の板に文字を書いて綴じた物。記録。
『ク』=苦労のク。タから点を取るとク。点は人間を表し、田に入らないと苦労するという意味。
『ケ』=毛のケ。頭の上に丸(点)を載せていた。
『コ』=子供が産まれるところ。女性。

『サ』=(めざしを)刺す。男と女がサス。人を刺す。
『シ』=死ぬのシ。2つの点が魂と霊を現し、長い線が肉体。肉体からそれらが離れると死ぬという意味。
『ス』=好きのス。これは若者が考えました。
『セ』=磯の精霊のセ。砂浜に穴を開けている貝。穴に入るということ。
『ソ』=ソのものということ。指さしてソレということ。

『タ』=高いのタ。田んぼのタ。稲を干す高い所に登った人の形。
『チ』=命の元である血。+は死。ノに散ると死。
『ツ』=罪のツ。肉体から魂と霊が離れると悪いことをする。
『テ』=身体の上に2本あるものが手。
『ト』=供という意味。自分をちょっと支えてくれる。

『ナ』=ナニの意味。ナ=+=死とはどういうものか、意味が解らなかった。
『ニ』=2本。肉体と霊だけでは死ぬということ。死ぬとはナニ。
『ヌ』=スとともに若者が考えました。
『ネ』=木の根の形。
『ノ』=野原のノ。本当は横線でした。

『ハ』=歯。
『ヒ』=かまどから火が出ている様子。
『フ』=フーと口から息が出る様子。
『ヘ』=なだらかな土地の形。
『ホ』=死んだ後、善人は左、悪人は右と別れる死後の世界のこと。

『マ』=鉛が身体に入り、苦しむこと、身体を曲げている。魔。
『ミ』=魂・霊・肉体の3つという意味。
『ム』=無理をして身体が曲がること。
『メ』=芽が出た様子。
『モ』=モノをもらう時に手を差し出す形。

『ヤ』=矢。
『ユ』=舞台の上でユーガに踊っている形。
『ヨ』=たくさん食べ物が採れて、棚に並べている様子。良かったのヨ。

『ラ』=楽をすると後でフーとため息が出る様子。
『リ』=利口のリで、2通りのことを考えることができること。肉体と顕在意識のみで人間はできていると思うこと。
『ル』=礼をしている人の前に立っている人が、瑠璃(ルリ=宝石)を身に付けている様子。
『レ』=頭を下げて礼をしている様子。折れ曲がるのとは違うので、上下反対にしました。
『ロ』=家の中の炉のこと。口。

『ワ』=輪になって踊る様子。輪。
『ン』=シから点が一つなくなっている様子。魂が空に行くと、死んでも生まれ変わらなくても良いという意味」

・【ヤマタイコク物語

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。

オオクニヌシ(大国主)

2007年08月27日 00時00分07秒 | Weblog
2005年11月6日
寝る前にヤマタイコクは四国のどこらあたりかと思っていた。

「思い出しました。
少々のことではそこ(四国のヤマタイコクがあった所)には行けません。
踏み固めた(イシカミの背中の)道は歩くのに気持ちのよいものでした。
大国主です。
(大柄な人間の身体に生まれ変わって)イシカミの体の上で暮らしていました。

柔らかく、暖かでした。
そして稲を植えました。
(種はどうしたの?)
種は目が覚めると目の前にありました。
(イシカミの原子が栄養があっておいしい稲の種になった?)
イシカミの身体に穴を掘ってそれを植えました。
以前(ビジョンで見た)丸い穴に植えていったのです。
稲は持ってきた稲刈り鎌で刈り取りました」
(右足の中指にサインあり)

「石のトンカチはヤマタイコクがあった石鎚山をあらわしています。
イシカミの背中になる山の台地の方が暖かかく、住みやすかったのです。
イシカミの体が土になり、稲を植えたのです」

大国主の稲刈り鎌は、アトランティスから持ってきたと伝えられ、熱田神宮の大きな刀になったと伝えられていますが、今まで錆びずに残っているのが不思議だと思っていました。

「大国主はインドで大蛇にやられましたが、その鎌と遺体はイシカミによって四国の山まで運ばれました。
その鎌は大国主が生まれ変わった時にも、役にたちました。

けれどもその鎌があるというので、ジンムに殺されたのです。
錆びずにあったと言うことを証明するために、大国主が殺されたインドにおいて錆びない鉄柱(アショカ・ピラー)が残されていたのです。

2003年10月20日
【夢】で
《小さな丸い形の田を二人の男性が、手前から耕していき、それが4つ並んでいるが、その先は平野である。
昔から伝えられている車田(日の輪田、月の輪田)と同じで、丁度平野に丸い池を掘ったような感じの田を作っている。
最後にセリフの文字が流れ、「活断層」という文字だけはっきりと現れる》

男性二人は、大国主?と仲間で、二人ずつで小さな田を作っていたそうです。

2004年4月18日
「なぜ漢字は中国から始まったと思われているかというと、なんとしても自国(中国)の文字を作ろうと、中国の権力者が号令をかけたからです。
いにしえにヤマタイコクから簡単な漢字を教えられていたので、それを元に作っていったのです。 (山、川、日など)」

「今、思い出しました。
白い王と書いて“皇”と呼ぶのは何故かというと、アトランティスの血を引く大国主が白い肌だったからです。その言葉でもわかるように、最初の王は大国主だったのです」

「書いてください。
白い王とは大国主のことで、農業の神様として慕われていました。
それはイネの栽培をするのに、“田”を考えたからです。
最初は丸い田を作りましたが、それを伝えているのが車田です。
一番最初の王が白いと書いた意味がわかるでしょう。
そして出雲に田の形を残した巨木の跡があるのは、何としても大国主の働きを残しておこうと思ったからです。
“王”という文字は3位一体を認める人のみ、なるという意味です」

2001年6月24日
2001年6月23日 NHK「出雲の巨大三本柱の建築」を見ました。

古くから出雲国造に関わられた宮司さんの家に、巨大三本柱の設計図が伝えられていて公開されていました。それと同じで形で出土した巨大な3本柱は田の字型に建って、40mの高さの建物があったそうです。
昨年出雲に‘地震’があったのは、
イシキ達が折角3本柱を見つけだす手伝いをしたのに、この情報に目を向けてくれないから”
と、大きなラップ音と共に知らされていました。

6月24日 昼 突然ピシーと大きな音と供に、何か落ちる感じがしたので聞いてみました。

「お知らせします。 出雲の巨大建築は私たちが建てました。
大国主を信じる者でした。(再度大きなビシーというラップ音)
意地悪なヤマトに対抗するため、多くの船乗り? 達が応援してくれました。
何としても、いき、、、、。(言葉が出てこない)
何としても、大国主の事を伝えたいと思ったのです。
それで神殿を建てようと思いました。 建物は単なる飾りでした。
人が住むのではなく、神となった大国主の為に造ったのですから。
火を燃やして灯台の役もしていました。
そして一番の目的は、「田」を考えて食べ物に困らなくなったのは、(イシカミの教えを受けた)大国主なのに、(ヤマトが)自分勝手な神を作り国民に押し付けていたので、その事(田作り)を言い伝える為に、あの様な建物を建てたのです。
何もかも意識を他に向けさせたので、建物で残そうと思ったのです。
今以上に舟は作っていました。 大きな舟でなく小さな舟で、風を上手に利用して遠くまで行きました」

田の字を強調して設計図を残しているのは、大国主が「田」を考えたと言っていたのでそうでないかと思っていましたが、やはりその通りでした。
そして中国の人が、ヒミコに文字を習いにきていたと伝えられましたが、同時に「田」の事も聞いたのでないかと思います。
それで「神農」とは大国主ではないか、と以前から思っていましたがその思いがさらに強くなりました。

又、口遊び? と言う貴族の遊びの本に、一番高い建物は「出雲」で、2番目が「和二(わに = 東大寺)」と書いてありました。
「和二」が東大寺を表わすとは知りませんでしたが、それでやはり仏教はプレアデナイに支配されたモノで、これまでの星物語の情報が合っていると思いました。
ちなみに、‘ワニ’はプレアデナイが地球に送り込んだという事は、バーバラ・マーシニアック著の「地球を開く鍵?」の本にしっかりと書いてあったと思いました。

『因幡の白ウサギ』の物語は、イスキリの使いのバーソロミューが、ローマの地震(=ナマズ)を乗り越えて来たと伝えられましたが、ワニ(東大寺 = 仏教)を乗り越えて出雲に行き、ヤマトが差し向けた盗賊に身ぐるみはがれた、と言う事を童話にして伝えたと思いました。

2006年2月10日
「悪者の親が居るからです。
米を作る人です。
天皇のことです。
天皇の住んでいる所です。
皇居の水田のことです。
(天皇が田植えをされること)
それが悪いことなのです。
それがイシカミが嫌なことなのです。

イシカミの子孫のオオモノ*(オオクニヌシ)が、(稲作を)教えたのにまねをするからです。
(明治維新の時?の)悪者が教えて、真似をさせたのです。
オオモノとはオオクニヌシのことなのです。

(オオ)クニと言わせたのは、ジンムなのです。
クるしむニくたいを持つ人と呼ばせたのです。
これまでにもオオモノが田を作った*と知らせました。

それが四角(皇居)の中でされるのが嫌なのです。
オオモノの無念の思いが強いからです。
無念と思うのはイシカミも同じです。
お米はオオモノによって人々に伝えられました。
それをジンムが教えたようにしているから嫌なのです」

*)オオモノ=オオクニと発音できず。本当は大物(オオモノ=大物主)と呼ばれていたそうです。

2005年4月9日
【相撲取りのしめ縄】
昨夜、朝0リューの横綱のしめ縄が、観音像を祭る霊能者の(細0和0)家に納められたのをTVで放映していましたが、イシカミを封印しているリューと観音にもてあそばれるしめ縄を見て、ヒミコの悲しみ、大国主の怒りがひしひしと感じられました。

横綱のしめ縄は神社のしめ縄と同じで、 相撲はイシカミの子孫が始めたとソラからの情報で伝えられている事は正しいと思いました。
しめ縄は、ヒミコと大国主がジンムの為に別れなければならなかった時、形見にヒミコの“髪の毛”を大国主が持って行き、いつもヒミコが【しめ縄】の様に髪の毛を束ねていたのを真似したと伝えられています。

髪の毛と同時にヒミコの形見の“クシ”を見て、 大国主はヒミコたちヤマタイコクを想い、【鳥居】の形にして偲んでいたそうです。
それを見て回りの人は、束ねた髪の毛をしめ縄に、 クシを鳥居の形にして後世に伝えたと最初から知らされていますが、その事を思うとヒミコや大国主の無念の気持で一杯になってきます。

2004年11月17日
“週刊現代”で、地震前の異常な雲が写真で紹介されています。
阪神大震災や十勝沖地震でも現れていましたが、もっと早くからマスコミが取り上げて知らされていたらと思います。
地震の前の‘強烈な赤の夕焼け雲’の意味を聞くと。

「赤い雲は次の事を知らせます。
赤い血を持った人間に真実を知らせています。
赤い血がなぜ真実を知らせるかというと、これまで宗教の名の元にどれほど多くの血が流されたかあまり知りません。
争いを起しているのはイスラム教だけと思っていますが、今は平和の宗教と言われている仏教とて同じでした。
隠された悲惨な争いを皆は知らないだけです。

人間には赤い血が流れていますが、イシカミには白いお汁が流れていたのです。
巨人は大きなイシカミのあちこちにある穴からお汁を吸い取っていました。
そしてその白いお汁は地球上にたくさん残されています。
いたる所に人間の骨が残っていますが、それだけで人間が存在していた事が示されます。
それを基準に学者は“巨人は骨がなく証拠がない”からと、イシカミの巨人が存在していたことを決して認めません。
イシカミはそれがかえすがえすも悔しい事です。
その悔しさはいさぎよく元の地球に戻したいくらいです。

赤くなる雲はその事でイシカミの無念の怒りをあらわしているのです。
(異常な赤色の雲や竜巻雲が)ようやくマスコミに取り上げられました。
同時に穀物模様の説明を知らせましたが、それを受けいれていればイシカミの怒りもこれほどにはならなかったでしょう。
この情報が世に出た2000年の気象*を思い出してください」
(*空梅雨でさわやかな気候で台風は上陸しなかった?)

「(ノコギリのような雲は)稲刈り鎌の意味もあらわしているのです。
(これまではノコギリをあらわし、地球を切り裂くと伝えられ、
又、稲作は大国主が田を作り始めたとこれまでに知らされている)

いて座のモノ(アトランティス人であった大国主の事が忘れられているので)雲で知らせているのです。
下から立ち昇る雲(竜巻雲)は、人間がイシカミに気づかないので抗議をあらわしているのです。
人間が中指を立てて抗議をするのと同じです。
中指は宇宙の大元をあらわしていますが、みんなはその事は知りません。
支配星が嫌がらせに違う意味として、(そのような動作を)させていますが、その大元が怒っているという意味なのです。(軽い振動があり)
その雲を見てお知らせするイシカミがいるのです」

ノコギリの形の雲は、‘地球を切り開く=地震’という意味と、‘稲刈り鎌’の意味がある。
地震雲らしきもの特集
又津波は1直線の雲の境目の雲が立ち上がって移動していく事であらわしています。
↑のサイトの一番下にあります。

地震雲画像

・【ヤマタイコク物語

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月26日のソラ。

祝福、ヤマタイコク物語

2007年08月25日 20時50分30秒 | Weblog
ソラ画像より
太陽の祝福
「悪いものではありません。
祝福をしているのです」
というも、地球にとっては良い知らせでも、現実には何か厳しいお知らせかもしれません。

ただ、赤い丸が6個なのでので、イシキを認める者にとっては良い知らせのようです。

地震雲画像

ヤマタイコク物語
《以下のストーリーは全てチャネリングで知らされたもので、想像で書いたのではありません。
なお、年代が違うのはイシキの生まれ変わりがあり、過去世の思いを知らせるためにその容姿に似て生まれ変わります》

1)大昔、アトランティスの子孫である大国主は、アトランティスが滅びる時に母親の女王に云われて、宇宙の大元の分身であるホシノミナが降りた日本に行く事にしました。
大国主はアトランティスのイシジンと人間の合いの子だったので、とても大きく白い色で、アトランティスで金属に変わった鎌を持っていました。
途中、ヨルダンのペトラのイシカミに、食べても減らない食べ物マナを、同じく飲んでも減らない水の入った瓶を与えてもらいました。
そして、道中で一緒になったイシジンと人間の合いの子のヒミコと共に日本に向かいましたが、途中で支配星の送り込んだ大蛇にやられて死んでしまいました。

けれどもイシキは日本へ行きたいと思っていたので、そのことをテレパシーで知った道中のイシカミの巨人達は、大国主たちのイシジンの遺体を鎌と共に手渡しで日本へ運んであげました。
大国主たちは四国の山の台地(山台国)になっているイシカミの背中で、今度は大柄な人間の体に生まれ変わりました。
そしてイシカミの身体の上で、イシカミの原子は次々と食べ物に変わったので、食べ物に困ることなく過ごせました。
そして農業も発達し豊かで、人々は自然の恵みを分け合い平和に暮らしていました。
男性と女性は別れて暮らし、男性は山や畑の仕事で女性は子供たちと一緒に川の近くで共同生活をしていました。

山になったイシカミから大国主は農業の知恵を、ヒミコは文字や衣服などの生活の知恵を授けられて、人間としての平和な暮らしをしていました。
その事は近隣は勿論、大陸にもその噂は広がり、教えを乞いに来るほどでした。
ヒミコは星延べとして、イシカミからビジョンで文字を教えられ、ホツマ文字、すなわち" ミズホのツマ" の文字として皆に教えていました。
又、コウゾの木の皮で編んだ布を洗っていて紙が出来ることに気づき、その紙に生活の知恵などを文字として書いていったのが、ホツマ伝えでした。
けれども、ホツマ文字は覚えにくかったので、ヒミコは子供たちと一緒にわかりやすいカタカナの文字を作り、まとめてあらわす簡単な漢字も作っていました。
ソラ辞典:カタカナの意味
二人の間には、女の子のイトと男の子のタケルノミコという子供がいて、それは仲良く暮らしていました。

2)【ジンムがヤマタイコクを滅ぼす】
一方、朝鮮から九州に渡来した夫婦の元に、男の子が生まれましたが龍神のイシキが入りました。
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、次々と領土を広げていきました。
鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、誰がこのようなものを作ったかと聞くと、イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたのでその巨人を自分の先祖にする事にしました。
九州の写真集
巨人は大きな洞窟を作って、イシジンを創る場所に作っておいたのに、ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。
そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。

一方、ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な(草刈)鎌を盗み出しヤマタイコクから逃げ出しました。
鎌は大国主がアトランティスから持ってきた、巨大な鎌でした。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、ジンムに会い盗んできた鎌を差し出しました。
当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
ヤマタイコクの人々はその時から刺青をつけられ、被差別民として差別され続けるようになったのです。
ヒミコは娘のイトをひそかに逃がしましたが、ヒミコ自身は捕まって奴隷として連れて行かれる事になり、隙をみて逃げ出し自殺をしました。
イトは乳母と共に無事に逃げ出す事が出来ましたが、星原まで行くことはできず途中で亡くなりました。
時を経てヒミコに言われていたホシノミナの降りた所の星原で生まれ変わりました。

3)【ノアの親子と倭の国を創る】
そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子がやはりイシカミに導かれて日本に流れ着いて、イトが生まれ変わる時ムウラも生まれ変わりました。
ムウラもチャネリングができホシノミナの所(星原)に呼ばれて行き、そこでムウラとイトは恋に落ち一緒に住むことにしました。
しばらくホシノミナの降りた所で暮らしていましたが、砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしましたが、子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、そのそばに住みたいと星原に残りました。

ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、それがいつか市場のようになり、その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。
ノアとムウラ親子は生まれ変わっても製鉄の技術を覚えていて、鍬や斧などを作り、人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。

一方、大国主が生まれ変わると同時に支配星はジンムも生まれ変わらせました。
ジンムはたくさんのイシカミの分身が大きな古墳となったのを利用して、ヤマトを基盤にしていましたが、又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。
その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、魚の網で捕らえられてしまいました。
(アミダ如来の名前の元とされた)
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。
無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、夜になってムウラを慕っていた仲間にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。
(大江山の鬼退治として、ムウラは悪者として後世に伝えられた)

みんなに慕われていた父親のノアも、追放されましたが、倭の国近辺では、お招きさんとして大切にされて、飲んだ水は言い伝えられていきました。
(それがお水取りに利用され、封印された)

けれども遠くに行くうちに乞食と間違えられ、籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)と言っていたので、モーゼの墓とされました。
(金沢市にモーゼの墓がある)

4)【出雲の大国主】
争うという事ができない大国主は、折角築きあげたヤマタイコクを後にして、8人の部下と共に出雲に向かいました。
働き者の大国主はここでも農業を発達させ、人々は集まり大きな国となっていきました。
けれども大国主は、ヤマタイコクのことが忘れられず、形見として持ってきたヒミコの髪の毛を束ねて、その前に櫛を置き、毎日それに語りかけていました。
それを見て周りの人は亡くなった後も大国主を偲び、髪の毛をしめ縄に、櫛を鳥居として形を残していきました。

又、男性ばかり一緒に行ったので、ヒミコを知っているのは男性のみでしたが、あまり大国主がヒミコを偲ぶので、その内の一人がヒミコの真似をして慰めてあげました。
それが歌舞伎の始まりで、歌舞伎の" 柿落とし" という名前で今日まで残っているのは、柿はイシカミが与えた食べ物で、イシカミの色と姿に似せて作られたからです。
柿で言い伝えられると困ると思ったヤマトは、柿渋で染めた衣類を嫌がらせで、被差別の人たちに強制的に着させていました。
イシカミの助けで大国主を中心に出雲の国が大きくなってくると、又してもヤマトが嫌がらせをして来るので、争いの嫌いな大国主は、当時は地続きであった隠岐の島に行くことにしました。
そこでも皆に大切にされ暮らしていたら、思いがけずあきらめていたイトに出会い、最後まで幸せに暮らしました。
その後後醍醐天皇などが隠岐に来てゆっくり出来ないと、大国主のイシキはイトのイシキと共にヤマトの手の届かない北海道に来ていました。

5)【タケルノミコト】
若者によってヤマタイコクから連れてこられた幼いタケルノミコは、早くに死んでしまいました。
支配星は生まれ変わる時にもジンムの元で生まれ変わるようにさせました。
そして生まれ変わっても敵とは知らずジンムの元で大きくなりましたが、ジンムからは絶えず大国主は悪者だと言われて育ちました。
そして大国主が亡くなると、8人の仲間は朝鮮の人達にだまされてヤマトを攻めようとしているとジンムは嘘をついて、ひそかに8人をだまし討ちにするようにタケルノミコトに言いつけました。

タケルノミコトは何も知らず言われるままに、大国主がもっとも信頼していた8人の仲間を次々と殺してしまいました。
けれどもヤマトへ帰って来て聞いた言葉は、その8人は自分の本当の父親の仲間だったという事でした。
その言葉を聞いてタケルノミコトは絶望に陥り、イシカタヤマ(猿投山)のイシカミに呼ばれてそこで自殺をしてしまいました。
父親の形見が鎌であったので、今でも猿投神社では鎌が奉納されます。

6)【ヤマトへ連れて行かれたイト】
一方、イトは幸せな生活から一転して、ヤマトへ連れて行かれることになりました。
道中、白い藤が咲いていたので、白人のムウラを忍んで、白い藤を手折って持って行きました。

ヤマトへ連れて行かれ何重にも塀で囲まれた所(八重垣)で、幽閉生活をさせられました。
ジンムはどうしてもイトとの子供が欲しく、強引に子供を生ませましたが、その子供がニニギのミコトで、イトの乳母に育てられられました。
乳母はニニギに、イシカミの話や、ヤマタイコクや母親が由良から連れてこられた事を話したために、それを知ったジンムに股を刺されて死にました。
その事を天の橋立の股覗きで伝えているのです。

イトは子供を生む事で由良に行くことが出来ましたが、ヤマトへ戻るのが嫌で、自殺をしようとしましたが、スセリ姫が身代わりを申し出て、警備のものから逃げる事が出来ました。
そして隠岐の島に隠れていた父親の大国主と共に、その地で最後を迎えました。

7)【星原で大きくなった山彦も殺される】
イトとムウラの息子の山彦は、星原に残っていたので命が助かり、何度か生まれ変わりました。
そしてイシカミの助けで次々田畑を作り、星原だけでなく、山を越えたシガサトまでも広げていき、穏やかな人柄で人望を集めていました。
山彦はムウラに似て瞳が他の人と違い、大きな身体で大きくなるにつれムウラに似てきました。
その噂がヤマトに届き、ヤマトがムウラを惨殺した仕返しをするのでないかと思った推古天皇の息子の聖徳太子が、山彦を殺しに来ました。

その時のことを百人一首
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲し」

星原にあるイシカミのキミ山は、イトとムウラの息子の山彦が罪も無いのに殺された惨劇を悲しく見守るだけでしたが、そのエネルギーで植物に不思議な変化を起こさせました。

それが【シガサトの7不思議】と呼ばれる奇跡です。
(注*京都府綾部市志賀郷に伝わる七不思議)

1)白藤(藤波神社の藤は正月に白藤が咲いた)
2)白萩(若宮神社=山彦が祭られる?神社の萩を白くした)
3)ゆるぎ松(山彦達が逃げて行った所の松が風も無いのに揺れる)
4)しずく松(同じく山彦が逃げていった場所の松が雨が降らないのにしずくが落ちる)
5)タケノコさん(竹の子の出る季節でもない2月4日に竹の子が出てきた)
6)みょうがさん(みょうがの出る季節でもない2月3日に芽が出てきた)
七)ご用柿(秋に赤くならないでお正月に赤くなる。御用、御用と追っ手がきて恐怖の為に柿が青いままだったから)
又、大男が夜中に悪い事をする伝説は、ヤマトが大きな山彦を悪者に仕立てあげ伝えさせたのです。

8)【ヤマトは仏教を利用して、貧富の差の激しい国家になった】
ジンムがヤマトに落ち着いてからも、何とか国を広めようとあちこち攻めていましたが、倭の国の人たちの団結は強く、なかなか支配下に置く事が出来ませんでした。
その頃中米では、あまりに大蛇に支配された人々が悲惨なために、彗星を呼び寄せその国を滅ぼしました。

彗星の衝突のために、巨大地震や地軸が移動して人々は不安になった頃に、竜神の支配する仏教が大陸から渡ってきました。
それまでイシカミの山や岩を祭っていたのですが、仏教はその山や岩が大地震を起したので、代わりに仏教を信じるように言いました。
また、竜神などに支配された人が、地獄絵などを見せ、信じないと死んでから地獄へ行くと恐怖の教えで人々を支配していきました。
そして、供物を供え、お経を唱える事で死後は極楽へいけると、働かなくても良い階級を作り、反対に国民からは搾取し、仏教のための豪華な建築物と次々作りました。
人々はそれまでは自然の恵みを平等に受けていたのに、それ以後貧富の差の激しい国家となっていたのです。

9)【封印されたイシカミ】
早くにヒミコがカタカナやホツマ文字を作り上げていましたが、ヤマタイコクを責め滅ぼした事がわかると困るので、ヤマトが文字を書く事を禁止しました。
その代わり蛇文字を作って神社に置き、民衆には文字を書くと蛇になると脅かしていたのです。
日本には神代文字がいろいろ隠されて存在するのに、ヤマトに都合の良い物語としてだけの文献(日本書紀など)を残したのです。

その事に気づいた道真が隠された事を世に出そうとして、友人の柿の人麻呂や小野の小町と協力して、首を覚悟でイトとムウラの悲劇を秘めた和歌を作りました。
それが百人一首で、和歌の作者は権力者の名前をつけることで、公開が許され現在まで伝えられたのです。

けれども柿の本人麿呂も小野小町もその後権力者から狙われ命を落とすことになり、ナゾの人とされたのですが、人々はその事を知っていたので名前だけでもと語り継がれているのです。
ヤマトは権力者が国民を支配するのに都合の良い仏教神道を国民に押し付け、両者が協力して山や岩を崇めていたイシカミを完全に封印してきたのです。

この物語はソラから知らされた事をつなぎ合わせて出来上がったのですが、ヤマタイコクやイシカミの話は民話や百人一首に隠されて伝えられていました。

*詳しくは星雲社から発売の【ソラからの真実の歴史】をご参照ください。

ソラからの真実の歴史』の目次

第1章 宇宙物語
【宇宙で最初に誕生したものは物質ではなく意識である】
【あらゆる物質を構成する小さな原子にも意識がある】
【宇宙から飛来した射手座のものが、珪素になり煮えたぎる地球を固めた】
【いろいろな種類の生物はソラのものやイシカミの思いを形にあらわしている】
【地球も生き物で意識があり身体の分担がある】

第2章 太陽系の惑星
【太陽は地球に住む生物に暖かさと明るさを与えるために作られた】
【水星が送り込んだ水素が地球の酸素と結合し地球に水を与えてくれた】
【土星は柔らかい土を地球にプレゼントした】
【宇宙のみんなは地球を水だけの星にする計画だった】

第3章 射手座のイシカミ
【射手座の意識体たちは原子の姿でやってきて地球に降りる直前に形になった】
【イシカミの分身やその巨人たちが山や岩になった】
【ストーンヘンジはイシカミとシリウスの共同作品だった】
【巨石を並べて星の戦争があったことを伝えてきた】
【ナスカなどの巨大な地上絵は原子たちに見せるための生物の設計図だった】
【人間はストーンサークル、石室、円形劇場の中で創られた】
【ソラのものからのメッセージの一つが穀物模様(クロップサークル)】

第4章 イシカミの子孫
【アトランティスはイシカミの子孫が作った理想の国だった】
【アトランティスの崩壊は大陸の原子が自ら宇宙に帰ったために起こった】
【レムノイアとムーノイアという伝説の大陸の存在は?】
【ヨルダンのぺトラは日本と大きな関わりがある】

第5章 オーストラリアのイシカミ
【ウルル(エアーズロック)がイシカミそのものの姿である】
【カタジュ(マウント・オルガ)はウルルに近づこうとしてばらばらになった】
【オーストラリアのいろいろなイシカミたち】

第6章 ヤマタイコク
【ヤマタイコクは四国の山上の台地にあり、大国主とヒミコが築きあげた】
【ヒミコは文字や紙も作り出し、ホツマツタエは女性の教科書だった】
【君が代と日の丸の意味】
【竜神の力をもらったジンムの誕生】
【ヤマタイコクの最後】
【ヤマタイコクを四国(死国)と呼ばせて封印し、その子孫を差別し続けた】
《小休止…日本の民話の真相》

第7章 出雲と倭の国
【大国主は出雲でオオクニヌシとして生まれ変わり、出雲を大きな国にした】
【忍耐を強いられた出雲の人々】
【イシカミの巨人トヨウケは丹波の由良川沿いの私市円山古墳になった】
【ノア親子の惨劇】
《小休止…百人一首は隠された歴史を歌にこめて伝えている》
【神武はイトを強引にヤマトへ連れ去り幽閉した】
【桃太郎の物語には隠された別な意味がある】
【物部守屋は仏教を受け入れなかったので殺された】

第8章 ヤマト
【ヤマトは支配星が作った国で “矢で治めて魔を友とする ”国だった】
【イシカミの分身の亡骸を後年の権力者が自分の墓にしたものが古墳である】
【ヤマトは神道と仏教の力でイシカミを封印し領土を広げた】
【邪馬台国はヤマタイコクの名前を真似した後年の国】
【蘇我は仏教と共に朝鮮から来て巨石信仰を排除した】
【推古天皇は支配星に支配された女性でイシカミの排除を強行した】
【聖徳太子も支配された人で、支配するのに都合の良い制度を作った】

第9章 イエスからクラノスケまで
【イエスは磔で死なずにエルサレムを脱出し、青森に来てイスキリと名乗った】
【大坂の意味と因幡の白ウサギ】
【一寸法師は仁徳天皇でイスキリの養子だった】
【菅原道真はヒミコの文字やヤマタイコクのことを知って左遷された】
【柿本人麻呂と小野小町は石見の国で一緒になった】
【日蓮は外宇宙の王で、女王と共に人間を支配しようとやってきた】
【義経と静御前は星述べだった】
【浅野家と吉良家は仲間同士であったが天皇の策略にはまった】

第10章 明治維新
【明治維新の真相も隠されていた】
【近藤勇は板橋で処刑されずに西郷隆盛の部下になっていた】
【坂本竜馬は伊藤博文にだまされてテロリストになった】

付録
【ソラのイスラム物語】
【ソラのイエス物語】
【友達物語】

あとがき

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月25日のソラ。

兵庫県加西市の500カンはイシジン

2007年08月24日 23時59分38秒 | Weblog
ソラ画像より
加西市の500カン(5百羅漢)

sumomoブログさんより
愛らしい五百カン
五百羅漢(兵庫県加西市)写真集

ここを見に行った後、サインがあるのはなぜかとメールが来た後知らせてきました。

『5百羅漢のイシキが来たのです。
五百羅漢はイシジンなのです。
(左ふくらはぎにきついサインあり)
五百カンとだけ言ってください。
五百カンとはタルムードのことなのです。
500のことを書いたのです。
人間が生きていくのに守ることを書いたのです。
小さなイシジンが人間に教えていたのです。・・・』

現在のタルムートの訳は、後年支配星に支配された権力者が都合の良いように書き換えたと伝えられています。
イシジンの姿がそれぞれ違うのが、何か意味を教えているようです。
そして、ようやくその意味を知らせることが出来たので、うれしくて身体を揺らしたようです。

発生時刻:2007年8月24日7時9分頃
震源地:兵庫県南東部(北緯34.8度 東経134.8度 深さ10km)
規模:マグニチュード 3.5
震度3:加古川市(兵庫県)
震度2:加西市、加東市、姫路市(兵庫県)

発生時刻:2007年8月24日21時1分頃
震源地:兵庫県南東部(北緯35.2度 東経135.1度 深さ20km)
規模:マグニチュード 4.1
震度3:朝来市(兵庫県)
震度2:豊岡市、養父市、西脇市、加西市、篠山市、丹波市、多可町、加東市(兵庫県)、福知山市、京丹波町(京都府)、和気町(岡山県)

発生時刻:2007年8月24日21時46分頃
震源地:兵庫県南東部(北緯35.2度 東経135.1度 深さ20km)
規模:マグニチュード 2.9
震度1:朝来市(兵庫県)

地震雲画像

ソラ辞典より
人間
生物はいて座から降りてきたイシカミ原子の意識と、他の星達が形にしたい意識が一緒になって遺伝子の中に組み込まれ、意識を持った原子が地球上であらゆる生き物の形となってあらわした。
その最高傑作が人間で、イシカミや星達の存在を理解できる生き物を創ろうとして創られました。

まず最初にイシカミの原子がシリウスの協力の元に人間の形になり、(イシジン=後の石像)それに星達の知恵で(特に小鳥座が内臓を考えた)食べ物を食べて、生きるためのエネルギーを得る今の人間になるようにした。

石像になったイシジンの原子が分解しその形を覚えた遺伝子と、星たちから人間の働きを教えてもらった遺伝子とが一緒になり、今の人間ができた。

それはイシカミの原子がイシカミの一部で創られたストーンサークルやその後は石室、石箱のなかで、イシカミの指示により分解してそれぞれの指示を受けて人間になろうと思う原子たちが強く結合して肉体が地球上にあらわれた。
人間はイシカミの原子の進化論にプラス、いて座とシリウス、小鳥座などの指示で肉体が創られたので、進化論と創造論がミックスされて人間はできた。
極初期は、イシジンと人間と一緒になって混血もあったので、エジプトの壁画ややイラクの石像に残っている動物人間が存在していたけれど、人間だけの遺伝子の子孫だけが増えていった。
ちなみに天使は実際に存在し人間と、ワシ座の星の合体で創られたもので、高い所の石室などは天使が創られた。
受胎告知の天使が生きているようなのは、イシジンの原子が分解し、絵の中に絵の具として入ったから。
同じくエジプトの壁画なども、イシジンが壁の中に入って出来上がった。

初期にはイシカミのお腹の中に人間を入れてきたと書いているのは、イシカミの原子が人間になったからです。
クラゲのようになって降りて来たイシカミは分身、巨人、イシジン、人間と変化していったので、間違いではないのです。

ソラの人間誕生記』の目次より

第1章 宇宙の誕生から原子の発生まで
【宇宙の誕生そして原子の発生】
【全ての原子には思い=意識がある】
【宇宙の原子たちの不満の思いを掃除して燃やした塊が地球の元になった】
【地球を固めたのがいて座のイシカミだった】
【ドロドロの地球をイシカミたちが包み込んだ膜がプレートである】
【初期の地球の上空は水の膜が覆っていた】

第2章 イシカミ
【イシカミは地球に降りてきて山や渓谷、土などになった】
【イシカミは岩になって宇宙の歴史を伝えている】
【イシカミは自分の肉体の原子に指示することで分裂・増殖が出来た】
【イシカミの巨人は想像を絶する大きさで、その分身は川や池を造った】

第3章 イシカミが古代遺跡などになった
【イシカミはストーン・サークルやメンヒル、ドルメンなどになった】
【古墳は塚から前方後円墳までイシカミの分身が固まったものである】
【石室もイシカミの身体の一部が巨石に変化したものである】
【イシカミの分身で顔があるのがモアイである】
【初期のイシカミの分身はより立派な形で残ろうとして石柱になった】
【石造建築はイシカミの分身とシリウスの合同作品だった】
【世界中にある巨人伝説は巨大なイシジンによるものだった】

第4章 人間の形をしたイシジンの発生
【イシジンはイシカミの身体から抜け出て生まれ〝お汁〟を栄養にしていた】
【土器の壷はイシジンのお汁の入れ物だった】
【最初の人型のイシジンはトルコで発生した】
【アトランティスのイシジン】
【土蜘蛛は日本のイシジンのひとつであった】
【中南米や東南アジアのイシジンは支配星にだまされた】
【イシジンはなぜ固められたか】

第5章 生物の発生
【生物は岩のシリコンから発生した】
【星の思いでDNAが出来る】
【星たちがDNAを構成する原子に指導をすることで生物は進化する】
【恐竜時代の重力は小さかった】
【恐竜は地球上にいっせいに降り注いだ稲妻で感電死した】
【地球には家族愛を持つ小型の動物だけを送り込むことになった】

第6章 人間誕生
【人間はなぜ生まれてきたのか】
【イシカミから出来たストーン・サークルで人間が創られた】
【小さなイシジンもストーン・サークルで生まれた】
【ストーン・サークルの中の小さな土偶が人間発生を知らせている】
【ストーン・サークルの後は劇場型遺跡や石箱、石室で人間が創られた】
【ギリシャ・ローマ式建築はイシカミの亡骸で、人間のために建物になった】
【イシジンと人間の合いの子がいた】

第7章 人間の身体の各部
【身体の各部位の意味】
【イシカミやソラのものは人間の肉体に地球の出来事を伝える】

第8章 意識と肉体と病気の関係
【潜在意識と顕在意識】
【脳の発生と働き】
【脊椎の出来方】
【血液について】
【意識と病気の関係】
【身体からのメッセージ】

第9章 人間を支配してきたもの
【見えない世界を利用するエネルギー体への警告】
【宗教のエネルギー体が人間を支配してきた】
【誕生から死まで宗教の行事で支配されてきた】
【きれいな言葉の陰に支配が隠された精神世界】
【なぜリュージンが雨を支配できたか?】
【人間の世話をしたイシジンは宗教に取り込まれた】
【見えないエネルギー】
【人間を支配してきたものの意味】
【生まれ変わりについて】
【ホロコーストもキリスト教が関係していた】

付録
【ソラの釈迦とブッタ物語】
【ソラのイスラム物語】
【世界の巨人伝説とローマ式建築物】

あとがき

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月24日のソラ。

播磨地方で震度3 近年、M3級が多発(2007年8月25日付ニュース)
播磨地方を中心に最大で震度3を観測した二十四日朝の地震で、震源の周辺地域では二〇〇五年以降、マグニチュード(M)3級の地震が多発していることが、京都大防災研究所地震予知研究センターの調査で分かった。
 大阪管区気象台によると、地震は二十四日午前七時九分に発生。震源の深さは一〇キロで、M3・5と推定される。加古川市志方町で震度3、同市加古川町、加西市北条町、加東市下滝野などで震度2を記録した。
 地下で起きた地震の震源を地表に示した震央分布図によると、今回の地震は、山崎断層帯を構成する活断層の一つ、暮坂峠断層の南東側付近で起きた。
 周辺は〇五年三月以降、M3以上が六個発生しており、地震活動の活発化が目立つ。山崎断層帯でも二〇〇〇年以降、地震は主に南東部で多発する傾向にある。
 調査に当たった渋谷拓郎准教授(地震学)は今回の地震と山崎断層との関係について「暮坂峠断層の延長より少し南にずれている上、推定される断層面も暮坂峠断層とは一致しないようだ」と指摘。近辺の岩盤の小さな割れ目が動いた-と推測する。
 地震を繰り返し発生させ、今後も引き続き活動する可能性の高い活断層の周辺には、至る所にこうした割れ目があると考えられる。渋谷准教授は「今回発生した地域は地震活動が活発な状態にあると思われ、どういう性質の地震が起きているのか、今後詳しく調べていきたい」と話している。
 また、加古川市危機管理室は「山崎断層帯との関連性も含め、今後の国や県の分析を待つとともに情報収集に努めたい」としている。

雲は意思を持ってその形を作る

2007年08月23日 23時59分15秒 | Weblog
2007年3月25日
2007年3月25日、マグニチュード7.1、震度6強の能登地震が発生しました。
被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
・能登沖でM7級の記録なし、予測の難しさも浮き彫り(2007年3月25日付ニュース)
(近くの羽咋(はくい)市はUFOで有名です)
先日から
“越後獅子の歌が頭に浮かび、獅子の飾りを頭につけた子供がとんぼ返りする”
イメージがありました。
越後獅子=角べえ獅子
(フィギアースケートで後ろに大きく反り返るレイバック・イナバウアーが有名になったのも意味があるかもしれません)
98年秋に断層が50mもの巨大地震が起こり、日本列島が糸魚川ー静岡構造線(ホッサマグナ) を中心に反転する予定だったと情報があったことを思い出していました。
越後獅子とは、獅子の被り物をかぶる子供のことで、それは支配星に支配されたことをあらわし、それがひっくり返る踊りをする=日本列島が反転する計画が支配星によって立てられていたことを知らせたようです。
越後というのは、佐渡が外宇宙入り口と伝えられていることと繋がります。
又、富山湾は立山のイシカミと関係しており、能登半島はノアの親子が日本に来たら、能登半島で引っかかって、倭の国になる丹波へ行くために創られたと伝えられています。

ちなみに【地震と雲】の写真集を4月半ばに発売する予定です。
出来るだけ多くの方に、雲が地震を知らせているのはなぜかを知っていただきたいと発刊します。
それで、23日に新たな販売手段を模索しにいったのですが、小さな出版社では流通経路に載せるのは到底、無理だということでした。

そのことに対して、ソラのものたちはいつまで経っても人間が、ソラの情報を受け入れないということに厳しく言ってきていました。
280余枚の地震雲の画像となぜ地震が起きるかを、ソラから知らされた情報を簡単にまとめています。
プレート理論では今回の地震も、プレート理論からすると珍しい地震と説明されています。
プレート理論では多くの矛盾があるということを、学者の間でも討論されているそうですが、無視しされているそうです。 

【地震と雲】の写真集の予告を今週の週刊朝日に少しですが、宣伝をする予定です。

地震雲画像(Images of earthquake cloud)

原子とニウ物語(雲、虹、地震雲、などの意味)
原子たちの思いを形にあらわしているものひとつがいろいろな形の雲で、変わった雲は原子たちの意見が一致して、ここに思いを持ったものがいると知らせたり、人間に対しての抗議をするために集まってできます。
又、このような変わった雲が出たら“原子たちに意識を向けほしい”と思って地震で知らせているようです。
小さな地震は“ここにいるものも思いを持っていますよ”とも知らせます。
巨大地震が起きる時は、“人間の進んでいる道が間違っている”と知らせていると思うことも大切です。
画像であらわした雲の種類を独断で決めさせてもらいましたが、次のような雲があらわれると“これから地震を起すよ”知らせて、しばらくすると地震が起こるようです。
けれども地震表にはあらわれても、沖で起きていたり、遠くで起きる場合は体感ではわからなく気づかない場合が多く、このようにまとめてみると雲と地震の関係が良くわかります。

2007年7月12日
2007年7月12日 真夜中目が覚めて。
「わかりますね。
(西日本の大雨は)悪者の足跡*を流したいのです。
*)悪者の足跡=ジンムは高千穂に降りたリュージンの化身で、その後、四国のヤマタイコクを滅ぼし伊勢に行ったこと)
そんな思いの水のアト君(原子)たちが集まったのです。
そしてシンジ(神事)をすることに抗議をしているのです。
あらゆる神事が嫌なことを述べています。
それは悪者(ジンム)が教えたことだからです。
コノハナサクヤヒメの言葉です」
台風情報
(台風4号も向かっているようです)
「コノハが咲くことはない、ということは遺伝子操作をして木の葉を花に変えたものをやっつけると言う意味なのです?」寝る。
(何か言っていたようですが、眠くてメモをしていない)

早朝の雷雨JR混乱 近畿、一時停電5400世帯超す(2007年8月23日付ニュース)

2007年3月28日
#)たまたま見たTVが高校講座でした。
細胞分裂と細胞周期

細胞は小さな地球のように見え、極から紐(紡錘体)が伸びてきて染色体を二つに分かれさせていてとても面白いと思いました。
いかに原子が小さいか、そして整然と増殖していくかよくわかり、その増殖していく様は原子に意識がなければ到底無理なことと思います。
以前から思っているのですが、体内での働きで細菌を取り巻く白血球などの説明をする時、必ず意識を持って行動しているように説明されるのに、どうして細胞に、そして原子に意識があると認めないのでしょう。

2007年7月2日
2007年6月30日 真夜中、右手にサインがありて目が覚める。
「丸いもの(イシカミ)です。
(地球に降りてきた)丸いものは形として残るものと、無になるもの(原子)に分かれました。
形として残ったものが(ストーン・サークルなど)になりました。
そして無になったもの(原子)に人の形になるようにかけ声をかけたのです。
そして丸いもの(ストーンサークル)の中で原子たちが集まり人間になったのです」

「丸いもの(イシカミ)は沢山地球に降りてきました。
雪のように沢山降りてきました。
それで無になるものが多かったのです。
無になるものはいろいろなもの(原子)になりました。
一番多かったのはN(チッソ*)です。
Nの(文字の)形は、地球に降りてきたけど、無になって上にあがり、再び(有機質の)形になって、それが(死んで)再び無になったことをあらわす形です。
その他、手をつないだ水素Hや、仲良くなって輪になる形の酸素0は、(人間に)仲良くすることが大切だと教えています。
このようにして地球の周りに原子が増えていったのです」

2005年6月1日
【ビジョン】
“白い丸の周りに稲妻のような白い光が5、6本降りてきて、丸の中で2、3人?がごそごそしていると赤ちゃんのような顔が出来上がる”
↓の画像参照。

意味は
「ストーンサークルの中に射手座のものがエネルギーを送り込んで、名のない星たちがイシカミの原子に指示を与えて人間(大人)を創った事を知らせたのです。
まず、最初に心臓が作られて大人の体が創られました。
そして最初の人間はホシノミナが降りてきた所(綾部市星原)のストーンサークルで創られました。
そしてそこから数千人も出て行ったのです。
けれどもそこのストーンサークルはヤマトに壊されたのです」
(本当かな? と思っていると、口の上をチクチクとサインがあり、本当ですと)

ホシノミナの降りた所に最初のストーンサークルがあり、ヤマトに壊されたとは、以前にも知らされています。
ちなみに以前の情報でよく出てきた綾部市シガサト(犀川流域)には、旧石器時代のチャ-ト製ナイフ形石器が出ています。
綾部の古墳

同じく綾部市にある(埋められたが)たくさんの何の穴か分からないという巨大な穴は、青森の三内円山と同じ巨木で巨人を示すものが作ってあったのですが、ヤマトがそれを隠すためにあちこち穴を掘って意味をわからなくさせたと知らされています。
綾部の謎の穴

人間は猿を基礎としていますが、直接進化したのでなく参考としただけで、丁度コンタクトの映画にあった“小さな点(=原子)が集まって人間の姿が出来上がる”イメージと同じと思いました。

ストーンサークルの中に、エネルギーを与えられて創られたと聞いて思い出したのが穀物模様です。
以前TVで、小さな光があらわれた後に穀物模様が出来ていたと、実際光を見た人が言っていましたが、実際に小さな光がふわふわしている映像も写されていました。

日本のTVではたった一つの穀物模様を見せて(それも一度試作してからの)穀物模様は人間が作ったと、お笑いにして断言してしまいましたが、もっと真剣に取り組んでいただきたいと思います。

豊田で見た穀物模様では、巻き上げるようになっていたり、焦げたような色になっていたりして、明らかに不自然なエネルギーが与えられたようで、自然に出来たとは思えませんでした。

TVで写っていた小さな光がロボットと思えますが、最初の穀物模様を見た頃、穀物模様ができていた所へ行く道で、ぬいぐるみの小象が2頭道を横切るビジョンか夢をみました。
それはイシカタヤマのロボットが穀物模様を作ったということをあらわしたそうです。
小象のロボットは、娘がタイで買ったぬいぐるみそのもので、こちらをチラッと見て横切り、可愛かったイメージはまだはっきりと覚えています。

・発生時刻 2005年6月1日 20時44分ごろ
・震源地 東京湾 深さ 50km M 4.2 震度3

7時ごろ、皇居の門で4人の警察官の交代という、前時代的な行事がまだ行われているのをTVで見ていました。
(書いていると大きなラップ音)
同じ人間なのに未だになぜあのように特別扱いしているのでしょう。
巷では夜も寝ずに事件に対応している警察の方がおられるのに。

【0時追記】
「海の中のイシカミです。
(TVを)あなたが見ていてのを見たのです。
それで知らせたのです。
これほど知らせても変わりません。」

の後ビジョン
“真中に極太の黒い柱?がドンとある”

「ソラの者達にとって↑のような事が一番の目障りな事なのです」 と。

東京湾の地震
・発生時刻:2007年8月23日10時12分頃
・震源地:東京湾(北緯35.5度 東経140.0度 深さ30km)
・規模:マグニチュード 2.4
・震度1:千葉県市原市

加西市北条町がゆれた意味
発生時刻:2007年8月24日7時9分頃
震源地:兵庫県南東部(北緯34.8度 東経134.8度 深さ10km)
規模:マグニチュード 3.5
震度3:加古川市、震度2:加西市、加東市、姫路市
加西市「五百羅漢」の石仏と岩石

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月23日のソラ。

意思を持つ原子たち

2007年08月22日 23時36分20秒 | Weblog
2003年9月17日
シリコンがなぜ藻になったか?

射手座の意識体であるイシカミ達は、どろどろに溶けた“丸い地球”を固めるために“四角いもの”になろうと地球に突入したら、地球の高温の為にシリコンになりました。
地球は丸くてどろどろしてふらふらと宇宙を漂っていたので、丸の中に四角いモノが入れば漂わなくなるから。
(地球の始まりは【宇宙物語】参照)

そしてシリコンになったイシカミ達の仲間で、山や岩になることが出来なく海に沈んだシリコン達は、そのまま原子に戻るのでなく、動く事の出来る物質(=生物)になろうと思いました。
それでいろいろな形の藻になったのです。

なぜいろいろな形になったかと言うと、シリコンの原子は自分を主張する“意思”があるからです。
たくさんの形がある藻のシリコンには、しっかりとした意思があることを示しているのです。
藻はいろいろな原子で出来たものもありますが、それらは形のある物質になろうと思った他の原子たちが、シリコンの真似をして藻になっていったのです」

【ビジョン】
“小さな動物の様で、見たことのない形のモノが動いたくさんていて、その後ろに大きな巨人?のようなやはり見たことのない形がマンガのように現れる。
小さなモノが何かを積み上げるような動きをしているが、次の場面は崖から人間に似たモノが落ちる”

意味は
小さな生き物で人間の形に似たのもあるが、手足だけのような変わった形のモノが実際仕事をした巨人で、後ろにいた大きなモノがイシカミだそうです。
いろいろな形のモノをイシカミの柔らかい身体で作っているが、崖から落ちたようなビジョンの意味は、その部分の原子が、イシカミの指示で落ちて行った、すなわち原子に戻ったということをあらわしたそうです。
イメージ的にはブライスキャニオンの人型になるのは、岩の原子の意思で形が作られたと言う事のようです。
すなわち形に必要な岩だけ残り、他は崩れるということです。
天然記念物の土柱もそうで、簡単に作れて壊れるのであれば、天然記念物になりません。
阿波の土柱

【ビジョン】
“人の横顔のような形で、鼻を除いた部分(頬?)が真っ白なのが見える”

「昨夜見たドーバー海峡の白い崖のような白さで、上のような巨人が作りました」

「あのような(ビジョン)イシカミの巨人が、(ドーバー海峡の)崖を作りました。
なぜ作ったかというと、“この地域には白い肌の人間が住みつく”、と言う事を知らせたかったのです。
海に沈んでいた白いモノを岩に塗ったのです」

円石藻 -石灰の殻をもつハプト藻のなかま-
*本当に鼻を除いた横顔が真っ白でしたが、崖も真っ白のようです。

以前、冷水山(北海道)の中腹で、同じように白いパールの液体?を強い力でこすりつけたような四角い岩を見た時に、しきりに
「一生懸命、海からここまで運んできたのに認めてくれない」
とサインをして、巨人が降りてきて文句を言ってきた事がありました。

なぜ岩は横の縞模様になったり、くびれたりするのか?

「イシカミが形になるために呼び掛けて集まった原子たちは、地球の近くで少しずつ集まってきて手をつなぎ横に列を作ります。
そして手をつないだ原子たちは地球に引っ張られて、イシカミの形となって地球に降りて行ったのです。
このようにイシカミは原子たちが手をつなぎ、重なり合って形が出来上がりました。
その時に一緒になった原子たちは、どのような形、色になるかと決めて降りてくるのです」

あちこちで見受けられる岩はそれをあらわしています。
↓はニュージーランドのパンケーキロックです。
パンケーキロック

Hoodooのサイトを紹介してくださいました。
↓とても沢山の不思議な岩が紹介されています。
hoodooの画像

以前、「ICチップはイシカミが作った」と言っていたことがありました。
(インスピレーションで知らせたと言う事で、知識は宇宙の意識が大きく関係しています)

2003年9月16日
「シリコンがなぜ四角かと言うと、地球が誕生した時は丸くてふらふらとしながら煮えたぎっていたので、射手座のイシカミ達は何とかして地球を落ち着かせようと、丸の中に四角になって入ろうと思ったのです。
それで地球は落ち着いて固まったのです」

↓読者が知らせてくださった事。
地殻で、酸素に次いで沢山ある元素がシリコン。(ケイ素)
河原などによくある白っぽい石「けい石」には沢山のシリコンが含まれています。
この「けい石」を原料にして作り出された樹脂が“シリコーン”。
シリコン(Si)と酸素(O)が交互に結び付いた鎖がシロキサン結合。
シリコン(ケイ素)は半導体材料に使われ、ICチップ = 四角。

注:シリコーン【silicone】
シロキサン結合(-Si-O-)を骨格とし,ケイ素原子にアルキル基などが結合した構造をもつ高分子有機ケイ素化合物の総称。耐熱性・耐薬品性・電気絶縁性が高く、水をよくはじく。[新辞林 三省堂]

Q.1)岩に何層もの細い横縞模様があるものが多い。
「イシカミが、イシカミの身体になる原子に、“私の身体をきれいにしてね”と頼むからです」

それで原子たちは精一杯きれいな模様になるそうです。
原子に意識があるのは、徳島の“土柱”を見に行った時に、なぜその形になるの?と聞いたら知らされました。
土柱のある所でヤマタイコクヒミコは自殺したそうですが、イシカミの言葉を伝えていたヒミコが亡くなった場所を知らせようと、イシカミの原子はヒミコの墓柱としてがんばって、土柱の形を保っていたそうです。
“人間は気づいてくれなかったので、この形を保つのはとてもしんどかった” 
と言っていました。
崩れたアーチなどは長い間、人間が気づいてくれないので、諦めて崩れたと。

Q.2)水平方向にクビレや割れ目(ジョイント)が入っているものが多い。
ちょっと意味が分かりませんが、「地球の重力の関係です?」と言います。
反対に滑らかに指で押さえた様なのも多いです。

Q.3)しばしば岩のてっぺんに頑丈な地層や岩塊を乗せている。
「折角作ったのに雨風で壊れてしまうと困るから、、」と。
何と言っても人間は長い間、イシカミを認めてくれない事がわかっていたから。
(イシカミは未来が見れるのです)

↓それにしても“藻”の形の多さに驚きますが、これは原子に意識があり、思い思いの形に表現しているのだそうです。
微小藻の世界

2002年9月1日
【土柱】
徳島県にある独特の崖で、世界に3つしかないそうです。

「ヒミコです。
ここ(神山町のお寺のある所)で捕まえられました。
そして奴隷として舟に乗せられる前に再び逃げ出し、土柱の洞窟で自殺をしました」
(今は洞窟はない)

(私が以前、“土柱の上で飛んで跳ねている夢”を見たのは、死んで自由になれたのでうれしかったので知らせたそうです) 

「(土柱は)イシカミが吉野川の河原の石を持ってきて積み上げました。 
(これは知らなかったのですが、説明版に土柱には吉野川の石があると書かれていました)
なぜ土柱になるかと言うと、将来ここでヒミコが自殺をする事がわかっていたので、ヒミコの墓標をあらわすように、(土の元素に)立った姿になってほしいと頼んだのです」

土柱の元素 
「ようやく知らせることができ安心しました。
雨風で壊れていくので(土柱として保持していく事が)大変でした」
虫がとてもにぎやかに鳴いていました。

イシカミが
「この声にとても和まされました」と。

【わくらばに おしながされる このみかな】
という俳句が浮かんできました。
昔は、それくらい沢山の落葉樹の葉っぱが谷を埋めたという事のようです。
山の頂上まで杉の植林がしてある事が、イシカミは嫌だと言う事のようです。
(ラップ音あり本当の意味ですと)

・【ヤマタイコク物語

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・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月22日のソラ。

八幡山ストーンサークル

2007年08月21日 23時57分21秒 | Weblog
ソラ画像より
八幡山ストーンサークル
余市町の小山の八幡山にあったが、余市水産博物館の庭に移されています。
(これは何の説明もないので、最近の人が造ったと思っていました。
せめてどこにあったか、どのような石の配置であったか、元の写真を公開してほしいと思います。特に遺跡街道=余市のフルーツ街道の近くにあったということは大きな意味があると思いますので)

このストーンサークルの意味は

原子たちにこのように集合すれば、大きな形になることが出来る】

と教えた形です。
やや渦巻きになっています。
(これは移し変えたのでどれだけ元の形を復元しているかわかりませんが、、)

このように小さな日時計型のストーンサークルは、西崎山ストーンサークルや、大湯環状列石で見られます。
西崎山ストーンサークル

八幡山のイシカミは、八幡神社のそばを通った時に、同行者共々にはっきりとサインがあり、次のことを伝えてほしいと。

支配星外宇宙の司令官に騙されて、宇宙に行くように知らせたことを謝ってほしい」と。
近くの出身の毛利元宇宙飛行士は八幡山の化身なので、イシカミのことに気づいてほしいと。
近くに余市宇宙記念館が有ります。

大湯環状列石1
大湯環状列石2
大湯環状列石3

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宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

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以上、ソラからの伝言より。
写真は8月13日のソラ。