2002年9月2日
2002年8月28日 淡路島に立ち寄る。
【イザナミ、イザナギ神社】
以前教えられた通りで、ジンムがヤマタイコクを攻める前に立ち寄り創った神様と。
ここは何も応答なし。
【おのころ島】
島の中ほどにあるのに島と呼ぶ。
自然に口が、「(悪い事をしていないか)おのれの心に聞け」と言葉が出ました。
その後看板に『自疑、、、、』と言う文字が書かれていました。
【セキレイ石】
同じく、「(悪い事をすると)イシキが(恥ずかしくて)赤くなる」
と言葉が出ました。
2005年9月8日
#)明け方、突然。
「(ヤマタイコクの)ハ、ハ、浜にいた者が“チヨニ ヤチヨニ”と歌いました。
それはジンムの世界に行くより、殺される(チ)方が良かった(ヨ)からです。
ヤりで殺されル方が奴隷としてヤマトへ連れて行かれるより良いと歌ったのです。
膝を折り曲げる(ル)祈る(イ)者を次々刺し(サ)て死んで(シ)行くことを、サザレイシと歌ったのです。
イワオトナリテとは、輪(ワ)になって祈る(イ)友達(ト)と、ナ=殺されていく方が、リコウだと歌ったのです。
君が代はヒミコが作り、二つの意味があると伝えられていました。
・2002年1月9日:日本の行事
・ソラ辞典:カタカナの意味
2003年11月11日
ある掲示板を読んで、未だに差別をされる事で苦しんでおられる事がわかりました。
平和を愛し、早くより文化の進んだ本当の日本人であるヤマタイコクの子孫が、未だに被差別といわれ無き差別で苦しんでおられる事がどうしても納得できないのです。
“民はヤマタイコクの子孫である”、と言う事は1999年11月に思ってもいない言葉(チャネリング)で知らされ、 本【星からのメッセージ】の原稿の締め切りは終わっていたのですが、どうしてもこの事は皆様に知っていただきたいと無理にお願いして追加しました。
その後もヤマタイコクのことはポツリポツリと知らされ、 四国や九州に直接出かけて行きましたが、知らされたこととあっていることもありました。
この情報はこれまでの文献で伝えられている歴史と大きく違うので受け入れられないとよく言われますが、権力者の都合の悪いものは焚書の憂き目に会うのがこれまでの歴史と思います。
又、大昔には文字を書くことを禁じられた時があったと知らされた頃、丁度“古代文字の展示会”があると、わざわざ速達で知らせてくれましたので出かけまた。
神主姿の方もちらほら見えましたが、本当に蛇に似せた文字が大きな掛け軸に書かれたのが沢山展示してあり、その時の感じは言葉では表せないくらいでした。
“文字を書くと蛇になる、と脅かし文字を禁止した”、と言う事が良く分かり、何故いろいろな古代文字があるのは、先日、少名彦が隠れて文字を伝えたと知らされた事と一致しました。
この事でも文字で伝えられている事が、権力者に都合の良いように伝えられてきたという事がはっきりとしていると思います。
6年にわたる情報を簡単にお伝えする事はとても難しいですが、6年に渡り次々と伝えられてくる事はそれまでの情報が補足され筋道が通って行きます。
【伝えられたことの大筋は】
大昔に空から柔らかい意識のあるものが降りてきて、山や岩になり、あらゆる生物の源を作り出したものがイシカミと呼ばれ、山ノ神として崇められていた。
その分身がデエダラボッチや世界中の巨人伝説等になっているもので、それらの意識と人間はコンタクトを取っていろいろな知恵や食物を与えられ、人間は急速に進化した。
けれどもその人間をお互い争わせる事でエネルギーを得ていた大きな星達が、1998年まで地球を支配していた為に悲惨な歴史を送って来たということです。
その大きな支配星により、人間は翻弄され悲劇が絶えませんでした。
その悲劇の一つがヤマタイコクでその名前だけ有名なのに、その真実は完全に消されて行ったのです。
ヤマタイコクは大陸から渡って来た大国主とヒミコが、四国の山の上の台地で生活を始め、イシカミやその巨人とテレパシー?で、いろいろな生活の知恵や文字も教えて貰い急速に発達したそうです。
周りの人もその知恵や教えを請いに来たりして信望を集め、大きな集落になり平和に暮らしていたと知らされました。
けれども若者の裏切りによりヤマトに責められ、大国主は出雲へ追いやられ、ヤマタイコクの人々は刺青を付けられ、ヤマトへ奴隷として連れて行かれたそうです。
この情報が初めて知らされたのは時は、上唇の上がチクチクして
「このようにヒミコはオシナマエ(=刺青)をつけられて、(ヤマトへ)奴隷として連れて行かれる事になりました」
と知らされました。
そしてヤマタイコクの人達は大国主の指導で田を作るのが上手だったので、全ての人が刺青を付けられヤマトの国に連れて行かれ、田を作らされては取り上げられ差別されてきたそうです。
自然を利用したあらゆる知恵が伝えられているサンカやアイヌの方達と同じようにヤマタイコクの人たちも最初に住み着いていた日本人そのものと思います。
ヤマタイコクを築いた大国主は争いが嫌な平和主義であったので、ヤマタイコクの人達も同じように争いは苦手で、自然を愛し自然を利用した知恵で暮らしていたのに、後からやって来た好戦的な人達によって支配下に置かれたと思います。
ヒミコは奴隷としてヤマトへ連れて行かれる前に逃げ出して、四国にある阿波の土柱の洞窟で自殺したと知らされました。
四国へ行く大分前に、夢で変わった景色の上を飛び跳ねている夢を見ましたが、実際阿波の土柱は夢で見たのと同じ景色でした。
なぜそのような夢を見せられたかというと、ヒミコは亡くなって奴隷にされずに自由になれたので、うれしくて飛び跳ねたと知らされました。
四国の神山町には、ヒミコが亡くなったという伝説が残っており、巨石の遺跡もあります。
ヤマタイコクとは山台国と書き、山の上の平らな所に国を作ったそうです。
四国の山を想像してもなかなかピンときませんでしたが、大昔の山の上はもっと平らだったが、雨が多くて土が流れていったので、現在の様に土地が狭くなったと知らされました。山奥には確かに山にへばりつくような田もありました。
北海道の余市岳という山の頂上は飛行場ができる位の広さがあるそうですが、それはヤマタイコクがこのような平らな所にあったということを知らせているそうで、(四国も)今の地形と大昔の地形は違うという事も忘れてはならないと思います。
先日大宰府天満宮に行ってきましたが、道真は権力者によって徹底的に隠された死の国と呼ばれた四国が、ヤマタイコクだった事を知ってその事を知らせようとしたので九州に流されたそうです。
(詳しくは、ここだけでは書けませんが)
又百人一首は、大国主の娘・ヒミコの娘と、ノアの息子の悲劇(倭の国)を和歌に隠して伝えられたと知らされました。
長い年月の間、なぜ首と書いて伝えられたかというと、この歌の真実がばれると首が飛ぶことを覚悟して、和歌は作られたということです。
ヒミコの娘の悲劇を伝え聞いた道真と同時代の貴族達から、
「毎日何をするでもなく過ごしていて、
単調な風景や愛情関係の歌ばかりを詠んでいただけでは無かったのです。
その悲劇を、首を覚悟で伝えました」
とも伝えられました。
*)魏志倭人伝の‘卑弥呼’は偽ヒミコで、(北九州・壱岐の)邪馬台国は、後年(四国のヤマタイコクの)名前を真似た国のことと知らされています。
尚、この事についてお知らせに書こうと思い始めた時、1時間程だけ急に右鼻だけが異常に敏感になり、空気を吸い込むだけで痛くなるくらいでした。
なぜかすぐには意味がわかりませんでしたが、その後鼻の異常感はヤマタイコクの人のオシナマエ(=刺青)と関係があると伝えられました。
オシナマエは女性は上唇の上に付けられ、男性は目と目の間の鼻の上に真一文字につけられたそうで、その事を知らせて欲しいので鼻に異常感を与えたそうでした。
2004年7月27日
2004年7月26日真夜中突然目が覚めて。
「(名のない)星達のお蔭で、イシキの世界のことがよくわかりました。
私はヒミコで、人間として生きていて冬に死にました。
なぜ冬に死んだか知らせるように言われました。
(ヒミコは奴隷として連れて行かれる前に逃げ出したが、冬の寒さに生きることが出来ないと思ったので自殺したこと)
私が生きていた(若い)頃は、冬でも暖かかったので、薄着で過ごしても寒くなく、夏でもそれほど暑くはありませんでした」
(ヒミコの子供の頃はアトランティスも栄えていて、水の膜があった?)
「リュージンに支配された人(=ジンム)は、とてつもない力を与えられ、とてつもなく長生きをして悪さをしていました」
2007年7月6日
*)中央構造線
中央構造線上やその近くには、諏訪大社、鳳来寺山、伊勢神宮(外宮)、高野山、石鎚山、幣立神宮など古くからの聖地、霊場などがある。
このことで、ソラから知らされた情報によると、韓国から来たリュージンが宮崎の“高千穂の近くの御池”に降りてジンムになり、四国のヤマタイコクを滅ぼし、伊勢に落ち着いたこととつながります。
・高千穂の地図
その後リュージンは、蓬莱寺山、諏訪まで行き、そこから松代の地下空洞の入り口から、地下空洞に入り悪さをしていたことがわかります。
これで、ジンムの末裔の天皇家が松代に来る計画が立てられ、松代で大本営が築かれようとしたこともつながっていきます。
2007年7月12日
真夜中目が覚めて。
「わかりますね。
(西日本の大雨は)悪者の足跡*を流したいのです。
*)悪者の足跡=ジンムは高千穂に降りたリュージンの化身で、その後、四国のヤマタイコクを滅ぼし伊勢に行ったこと)
そんな思いの水のアト君(原子)たちが集まったのです。
そしてシンジ(神事)をすることに抗議をしているのです。
あらゆる神事が嫌なことを述べています。
それは悪者(ジンム)が教えたことだからです。
コノハナサクヤヒメの言葉です」
・台風情報
(台風4号も向かっているようです)
「コノハが咲くことはない、ということは遺伝子操作をして木の葉を花に変えたものをやっつけると言う意味なのです?」寝る。
(何か言っていたようですが、眠くてメモをしていない)
ソラ辞典より
・ある者
ヤマト地方の小さな国の権力者であったが、ヤマタイコクを攻め滅ぼし、大国主を出雲に追放し、ヒミコに入れ墨を入れ自殺に追いやる。
タケルノミコトの義理の親。
ノアの息子を惨殺し、ノアを追放する。
ヒミコの娘を強引に由良からヤマトに連れてきて監禁し、子供(ニニギノミコト)を生ませる。
悪徳の限りを尽くし、悪事がばれないように文字を禁じ、逆らう者は徹底的に滅ぼし、自分の都合の良い神をも作ったと伝えられた。
ジンムとも言う。
2005年1月11日
2005年1月10日 明け方
「ソラのものです。
次の事がソラのものやイシカミには、どうしても理解出来ないと知らせてください。
ジンムを祖とする皇室を、なぜ今も人々は神のように扱うのか、どうしてもわかりません」
著者が最初にジンムを“ある者”としか書かなかったのは遠慮したためで、本当は最初からジンムと言われていました。
又、新潟の少女監禁事件の頃、ジンムもヒミコの娘を監禁していたと知らせて欲しいと伝えられていて、八重の柵で閉じ込められていた事は、和歌の八重の言葉で隠されて伝えられているとも伝えられました。
本《星からのメッセージ》に書いていますが、 愛知県の岡崎の公園に行った時、小さな“大山ズミ”の看板がある所を通りかかった時に、急にはっきりとチャネリングが始まりました。
それはヤマタイコクからタケルノミコトを誘拐し、大国主の刀(鎌)を盗んで逃げ出し、ジンムにヤマタイコクの事を知らせた若者からでした。
それからその時の事を詳しく知らせて来たのですが、ジンムに知らせた後殺されて葬られた所が、オオヤマズミ(=大きな山をのりこえた)という意味の神社になったという事でした。
瀬戸内海の小島になぜ立派な神社があるか、それはジンムが若者を殺したので祟られては困るので、地元の人達にしっかり守るように言っていたためと、伊勢と繋がっていたので保護されていたからと筋道が通りました。
因みに、なぜこの大山ズミの名前が気になっていたかというと、精神科で二人の患者さんが信じていた宗教と同じ名前だったので良く覚えていました。
(この宗教だけではありません。入院患者さんにはいろいろな宗教の信者さんが多かったと覚えています)
昨日の四国の方の【夢】で見たのが
《石炭みたいな黒いものを載せた車が、山の近くを何台も走っていた》
と知らせてくださいました。
夢の意味は
「四国は88箇所お遍路参りの仏教や、色々な宗教でヤマタイコクを封印していますが、そのエネルギー体がとても大きく育っている為に、台風などで浄化され、それをあらわしている」
そうです。
・【ヤマタイコク物語】
ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次)
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
・Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
・アト君とちきゅう君
・アト君とお花
・地震雲画像
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。
2002年8月28日 淡路島に立ち寄る。
【イザナミ、イザナギ神社】
以前教えられた通りで、ジンムがヤマタイコクを攻める前に立ち寄り創った神様と。
ここは何も応答なし。
【おのころ島】
島の中ほどにあるのに島と呼ぶ。
自然に口が、「(悪い事をしていないか)おのれの心に聞け」と言葉が出ました。
その後看板に『自疑、、、、』と言う文字が書かれていました。
【セキレイ石】
同じく、「(悪い事をすると)イシキが(恥ずかしくて)赤くなる」
と言葉が出ました。
2005年9月8日
#)明け方、突然。
「(ヤマタイコクの)ハ、ハ、浜にいた者が“チヨニ ヤチヨニ”と歌いました。
それはジンムの世界に行くより、殺される(チ)方が良かった(ヨ)からです。
ヤりで殺されル方が奴隷としてヤマトへ連れて行かれるより良いと歌ったのです。
膝を折り曲げる(ル)祈る(イ)者を次々刺し(サ)て死んで(シ)行くことを、サザレイシと歌ったのです。
イワオトナリテとは、輪(ワ)になって祈る(イ)友達(ト)と、ナ=殺されていく方が、リコウだと歌ったのです。
君が代はヒミコが作り、二つの意味があると伝えられていました。
・2002年1月9日:日本の行事
・ソラ辞典:カタカナの意味
2003年11月11日
ある掲示板を読んで、未だに差別をされる事で苦しんでおられる事がわかりました。
平和を愛し、早くより文化の進んだ本当の日本人であるヤマタイコクの子孫が、未だに被差別といわれ無き差別で苦しんでおられる事がどうしても納得できないのです。
“民はヤマタイコクの子孫である”、と言う事は1999年11月に思ってもいない言葉(チャネリング)で知らされ、 本【星からのメッセージ】の原稿の締め切りは終わっていたのですが、どうしてもこの事は皆様に知っていただきたいと無理にお願いして追加しました。
その後もヤマタイコクのことはポツリポツリと知らされ、 四国や九州に直接出かけて行きましたが、知らされたこととあっていることもありました。
この情報はこれまでの文献で伝えられている歴史と大きく違うので受け入れられないとよく言われますが、権力者の都合の悪いものは焚書の憂き目に会うのがこれまでの歴史と思います。
又、大昔には文字を書くことを禁じられた時があったと知らされた頃、丁度“古代文字の展示会”があると、わざわざ速達で知らせてくれましたので出かけまた。
神主姿の方もちらほら見えましたが、本当に蛇に似せた文字が大きな掛け軸に書かれたのが沢山展示してあり、その時の感じは言葉では表せないくらいでした。
“文字を書くと蛇になる、と脅かし文字を禁止した”、と言う事が良く分かり、何故いろいろな古代文字があるのは、先日、少名彦が隠れて文字を伝えたと知らされた事と一致しました。
この事でも文字で伝えられている事が、権力者に都合の良いように伝えられてきたという事がはっきりとしていると思います。
6年にわたる情報を簡単にお伝えする事はとても難しいですが、6年に渡り次々と伝えられてくる事はそれまでの情報が補足され筋道が通って行きます。
【伝えられたことの大筋は】
大昔に空から柔らかい意識のあるものが降りてきて、山や岩になり、あらゆる生物の源を作り出したものがイシカミと呼ばれ、山ノ神として崇められていた。
その分身がデエダラボッチや世界中の巨人伝説等になっているもので、それらの意識と人間はコンタクトを取っていろいろな知恵や食物を与えられ、人間は急速に進化した。
けれどもその人間をお互い争わせる事でエネルギーを得ていた大きな星達が、1998年まで地球を支配していた為に悲惨な歴史を送って来たということです。
その大きな支配星により、人間は翻弄され悲劇が絶えませんでした。
その悲劇の一つがヤマタイコクでその名前だけ有名なのに、その真実は完全に消されて行ったのです。
ヤマタイコクは大陸から渡って来た大国主とヒミコが、四国の山の上の台地で生活を始め、イシカミやその巨人とテレパシー?で、いろいろな生活の知恵や文字も教えて貰い急速に発達したそうです。
周りの人もその知恵や教えを請いに来たりして信望を集め、大きな集落になり平和に暮らしていたと知らされました。
けれども若者の裏切りによりヤマトに責められ、大国主は出雲へ追いやられ、ヤマタイコクの人々は刺青を付けられ、ヤマトへ奴隷として連れて行かれたそうです。
この情報が初めて知らされたのは時は、上唇の上がチクチクして
「このようにヒミコはオシナマエ(=刺青)をつけられて、(ヤマトへ)奴隷として連れて行かれる事になりました」
と知らされました。
そしてヤマタイコクの人達は大国主の指導で田を作るのが上手だったので、全ての人が刺青を付けられヤマトの国に連れて行かれ、田を作らされては取り上げられ差別されてきたそうです。
自然を利用したあらゆる知恵が伝えられているサンカやアイヌの方達と同じようにヤマタイコクの人たちも最初に住み着いていた日本人そのものと思います。
ヤマタイコクを築いた大国主は争いが嫌な平和主義であったので、ヤマタイコクの人達も同じように争いは苦手で、自然を愛し自然を利用した知恵で暮らしていたのに、後からやって来た好戦的な人達によって支配下に置かれたと思います。
ヒミコは奴隷としてヤマトへ連れて行かれる前に逃げ出して、四国にある阿波の土柱の洞窟で自殺したと知らされました。
四国へ行く大分前に、夢で変わった景色の上を飛び跳ねている夢を見ましたが、実際阿波の土柱は夢で見たのと同じ景色でした。
なぜそのような夢を見せられたかというと、ヒミコは亡くなって奴隷にされずに自由になれたので、うれしくて飛び跳ねたと知らされました。
四国の神山町には、ヒミコが亡くなったという伝説が残っており、巨石の遺跡もあります。
ヤマタイコクとは山台国と書き、山の上の平らな所に国を作ったそうです。
四国の山を想像してもなかなかピンときませんでしたが、大昔の山の上はもっと平らだったが、雨が多くて土が流れていったので、現在の様に土地が狭くなったと知らされました。山奥には確かに山にへばりつくような田もありました。
北海道の余市岳という山の頂上は飛行場ができる位の広さがあるそうですが、それはヤマタイコクがこのような平らな所にあったということを知らせているそうで、(四国も)今の地形と大昔の地形は違うという事も忘れてはならないと思います。
先日大宰府天満宮に行ってきましたが、道真は権力者によって徹底的に隠された死の国と呼ばれた四国が、ヤマタイコクだった事を知ってその事を知らせようとしたので九州に流されたそうです。
(詳しくは、ここだけでは書けませんが)
又百人一首は、大国主の娘・ヒミコの娘と、ノアの息子の悲劇(倭の国)を和歌に隠して伝えられたと知らされました。
長い年月の間、なぜ首と書いて伝えられたかというと、この歌の真実がばれると首が飛ぶことを覚悟して、和歌は作られたということです。
ヒミコの娘の悲劇を伝え聞いた道真と同時代の貴族達から、
「毎日何をするでもなく過ごしていて、
単調な風景や愛情関係の歌ばかりを詠んでいただけでは無かったのです。
その悲劇を、首を覚悟で伝えました」
とも伝えられました。
*)魏志倭人伝の‘卑弥呼’は偽ヒミコで、(北九州・壱岐の)邪馬台国は、後年(四国のヤマタイコクの)名前を真似た国のことと知らされています。
尚、この事についてお知らせに書こうと思い始めた時、1時間程だけ急に右鼻だけが異常に敏感になり、空気を吸い込むだけで痛くなるくらいでした。
なぜかすぐには意味がわかりませんでしたが、その後鼻の異常感はヤマタイコクの人のオシナマエ(=刺青)と関係があると伝えられました。
オシナマエは女性は上唇の上に付けられ、男性は目と目の間の鼻の上に真一文字につけられたそうで、その事を知らせて欲しいので鼻に異常感を与えたそうでした。
2004年7月27日
2004年7月26日真夜中突然目が覚めて。
「(名のない)星達のお蔭で、イシキの世界のことがよくわかりました。
私はヒミコで、人間として生きていて冬に死にました。
なぜ冬に死んだか知らせるように言われました。
(ヒミコは奴隷として連れて行かれる前に逃げ出したが、冬の寒さに生きることが出来ないと思ったので自殺したこと)
私が生きていた(若い)頃は、冬でも暖かかったので、薄着で過ごしても寒くなく、夏でもそれほど暑くはありませんでした」
(ヒミコの子供の頃はアトランティスも栄えていて、水の膜があった?)
「リュージンに支配された人(=ジンム)は、とてつもない力を与えられ、とてつもなく長生きをして悪さをしていました」
2007年7月6日
*)中央構造線
中央構造線上やその近くには、諏訪大社、鳳来寺山、伊勢神宮(外宮)、高野山、石鎚山、幣立神宮など古くからの聖地、霊場などがある。
このことで、ソラから知らされた情報によると、韓国から来たリュージンが宮崎の“高千穂の近くの御池”に降りてジンムになり、四国のヤマタイコクを滅ぼし、伊勢に落ち着いたこととつながります。
・高千穂の地図
その後リュージンは、蓬莱寺山、諏訪まで行き、そこから松代の地下空洞の入り口から、地下空洞に入り悪さをしていたことがわかります。
これで、ジンムの末裔の天皇家が松代に来る計画が立てられ、松代で大本営が築かれようとしたこともつながっていきます。
2007年7月12日
真夜中目が覚めて。
「わかりますね。
(西日本の大雨は)悪者の足跡*を流したいのです。
*)悪者の足跡=ジンムは高千穂に降りたリュージンの化身で、その後、四国のヤマタイコクを滅ぼし伊勢に行ったこと)
そんな思いの水のアト君(原子)たちが集まったのです。
そしてシンジ(神事)をすることに抗議をしているのです。
あらゆる神事が嫌なことを述べています。
それは悪者(ジンム)が教えたことだからです。
コノハナサクヤヒメの言葉です」
・台風情報
(台風4号も向かっているようです)
「コノハが咲くことはない、ということは遺伝子操作をして木の葉を花に変えたものをやっつけると言う意味なのです?」寝る。
(何か言っていたようですが、眠くてメモをしていない)
ソラ辞典より
・ある者
ヤマト地方の小さな国の権力者であったが、ヤマタイコクを攻め滅ぼし、大国主を出雲に追放し、ヒミコに入れ墨を入れ自殺に追いやる。
タケルノミコトの義理の親。
ノアの息子を惨殺し、ノアを追放する。
ヒミコの娘を強引に由良からヤマトに連れてきて監禁し、子供(ニニギノミコト)を生ませる。
悪徳の限りを尽くし、悪事がばれないように文字を禁じ、逆らう者は徹底的に滅ぼし、自分の都合の良い神をも作ったと伝えられた。
ジンムとも言う。
2005年1月11日
2005年1月10日 明け方
「ソラのものです。
次の事がソラのものやイシカミには、どうしても理解出来ないと知らせてください。
ジンムを祖とする皇室を、なぜ今も人々は神のように扱うのか、どうしてもわかりません」
著者が最初にジンムを“ある者”としか書かなかったのは遠慮したためで、本当は最初からジンムと言われていました。
又、新潟の少女監禁事件の頃、ジンムもヒミコの娘を監禁していたと知らせて欲しいと伝えられていて、八重の柵で閉じ込められていた事は、和歌の八重の言葉で隠されて伝えられているとも伝えられました。
本《星からのメッセージ》に書いていますが、 愛知県の岡崎の公園に行った時、小さな“大山ズミ”の看板がある所を通りかかった時に、急にはっきりとチャネリングが始まりました。
それはヤマタイコクからタケルノミコトを誘拐し、大国主の刀(鎌)を盗んで逃げ出し、ジンムにヤマタイコクの事を知らせた若者からでした。
それからその時の事を詳しく知らせて来たのですが、ジンムに知らせた後殺されて葬られた所が、オオヤマズミ(=大きな山をのりこえた)という意味の神社になったという事でした。
瀬戸内海の小島になぜ立派な神社があるか、それはジンムが若者を殺したので祟られては困るので、地元の人達にしっかり守るように言っていたためと、伊勢と繋がっていたので保護されていたからと筋道が通りました。
因みに、なぜこの大山ズミの名前が気になっていたかというと、精神科で二人の患者さんが信じていた宗教と同じ名前だったので良く覚えていました。
(この宗教だけではありません。入院患者さんにはいろいろな宗教の信者さんが多かったと覚えています)
昨日の四国の方の【夢】で見たのが
《石炭みたいな黒いものを載せた車が、山の近くを何台も走っていた》
と知らせてくださいました。
夢の意味は
「四国は88箇所お遍路参りの仏教や、色々な宗教でヤマタイコクを封印していますが、そのエネルギー体がとても大きく育っている為に、台風などで浄化され、それをあらわしている」
そうです。
・【ヤマタイコク物語】
ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次)
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
・Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
・アト君とちきゅう君
・アト君とお花
・地震雲画像
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。