2004年2月23日
南九州へ行ってきましたが、どうしても公開して欲しいということです。
人間の進化はイシカミが大きく関わっていると以前より何度も知らされています。
(イシカミがいて座から降りてきた時は“柔らかい山のよう”だったので、その身体が柔らかい内にその一部から歯、膝関節、胃、 足、 口など、似たモノを作りその事をあらわしていた。それが固まって岩になったという事です)
鵜戸神宮の前の巨石は 「人間の身体をあらわした」 と言ってきました。
・九州の写真集
(クリックすると拡大します)
砂と石で岩の形を作り、歯*や内臓(心臓*)をあらわしたそうです。(下記の左上写真参照)
*)歯=下の方に小さな石が並んで歯のようになっている。
*)左上の画像で頂上に丸い石が並んでいる下に、滑らかな滑り台のようなのが、大動脈と大静脈だそうです)
宇宙から地球に降りて来て、別の物質になりたくない原子が砂になったそうですが、その砂に、“もう一度形になって欲しい”とイシカミの巨人が頼んだので形になったそうです。
鵜戸神宮の洞窟は、イシカミである双石山の分身の巨人が作ったそうです。
(検索をして見ると双石山の岩がオニの洗濯岩と同じ質を持つと判り驚きました)
その巨人の名前が“ウガヤノフキアエ” で、そのウガヤノの意味は分身から巨人が
【生まれ (ウガ) 作られた岩屋の屋根を (ヤノ) 葺 (フキ) いて合 (アエ) わせた】
と言う意味だそうです。
(古事記の、ウガヤフキアエ(ズ)とは発音できない)
洞窟の入り口や天井などは、確かに柔らかいうちに撫でて平らにしたように見えました。
その巨人の ウガヤノ・フキ・アエが、オニの洗濯岩を作ったと知らされましたが、オニの洗濯岩は“地球の背骨”のつもりで作った*そうです。
(*)作ったというより、砂の原子にこのような形になるように指示を送った。
“アエ” というのは、巨人が小さな岩を砂でくっつけた事をあらわします。
岩が引っ付くように砂の原子にノリの役目を頼んだと。(↓下記の右上写真参照)
ジンムは人間をそのように纏めて自由に出来る力を持ちたいので、 この巨人の ウガヤノフキアエ(ウガヤフキアエズと呼ばせている?)を自分の親だと思わせて、自分を強く見せたようです。
ジンムは狭野神社*辺りに住み着いていた韓国から来た夫婦の子供で、御池(高千穂峰の横)のリュージンのエネルギーを受けたので強力な力を持ち 鹿児島の隼人を攻め、 四国のヤマタイコクも攻め滅ぼし、ヤマトに落ち着いたと伝えてきました。
*)狭野神社
霧島神宮へ向かっていた時、サインがあって寄ってほしいといってきた所が狭野神社とこの奥?の池で、その池にリュージンが降りて、ジンムが生まれたと伝えてきた。
神社へ行って初めて、ジンム生誕の地であることがわかった。
この近くに韓国岳があり、この山だけ岩だけで、その周りは松だけである。
鹿児島の“上野原縄文遺跡のある台地”がイシカミで、“城山”や“桜島”がその分身だそうです。
・上野原縄文の森
上野原の遺跡では塩つくりをしていた隼人? が降りてきて、
「ここには家族が住んでいて、自分たちは海辺に住んでいたが、ジンムに負けて強制的にヤマトへ連れて行かれたが逃げ出し“土ぐも?の仲間*”になった」
と伝えてきました。
【ジンムは “死にゆく人を作る人”】 と表現していました。
2006年2月9日
「ウガヤフキアヘズノミコトと神話で書かせたのは、支配するためなのです。
“ワガノフキアワス”というのが本当の言葉なのです。
その意味は
“輪が強い力を持ち、ノ=平ら=平等が大切と記録し、輪を頭にする(輪をモットーとする)ことがスキ”
と言う意味なのです。
生きる力をなくしたイシカミ(=砂)を再び、形にあらわして、地球に降りてきた目的を知らせている岩が、その証拠です。
固まることは、輪となることです」
イシカミ(イシジン=ワガノフキアワス)が砂を固めて、いろいろな形にしています。
人間は砂を固めることはできないので、神武はこれを見て、(イシジンが)自分の先祖だと勝手に言ったことを、神話に取り入れています。
神武はリュージンの子供としっかり、神話に書かれています。
2001年12月7日
ワニが白兎の皮を剥ぐのは、ヤマトの権力者の蘇我が馬の皮を剥いだことを暗に知らせているのと、神話のトヨタマヒメはワニであったということは、神武にもその血が流れていることを神話を通して知らせています。
2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。
2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。
2006年1月22日
「チリの国(細長い)を真似たのです。
支配星はその形になって、大蛇を地球に送り込んだのです。
そしてアータカマから、日本へ向かったのです。
それを(イシカミが)石で(地上絵にして)知らせたのです。
大蛇のイシキが生まれ変わったのが神武なのです。
そして、アータカマ=タカマガハラに降りたのです」
タかマがはラ=タマラ
ヤマタイコク物語
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、次々と領土を広げていきました。
鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、誰がこのようなものを作ったかと聞くと、イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたのでその巨人を自分の先祖にする事にしました。
巨人は大きな洞窟を作って、イシジンを創る場所に作っておいたのに、ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。
そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。
一方、ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な(草刈)鎌を盗み出しヤマタイコクから逃げ出しました。
鎌は大国主がアトランティスから持ってきた、巨大な鎌でした。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、ジンムに会い盗んできた鎌を差し出しました。
当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
2002年8月23日
「鳥居は3本の歯の櫛を真似て作られました。(最初は3本柱だった)
(シガサトの若宮神社は下半分が、3本になっています)
ヒミコです。
大国主は、いたいけな子供を殺すと言われてこの地(ヤマタイコク)を去ったのです。
それは悲しい事でした。
(行こうと思っている阿波の土柱の)あの辺りがヤマタイコクでした。
イシカミが大きな身体で池を作ってくれました」
イシカミは生きていたのか? と言う問いに。
「(射手座から降りてきたのに比べて)
小さいイシカミ(=デェダラボッチ)はまだ生きていました。
言葉はなくても身振りで意味はわかりました」
2002年9月12日
なぜ、六甲からこの辺り迄このような岩山なのか? と聞くと
「ここに降りたイシカミです。
私たちは向かいの島に支配星に支配されたある者(=ジンム)が、ヤマタイコクを滅ぼしに行くのをただ見ていることしか出来ませんでした。
それでイシカミ達は固い岩山になることで、支配星に抗議したのです」
2003年11月26日
“星からのメッセージ”の本をお読みの方はご存知と思いますが、ヤマトの権力者(ジンム)はヤマタイコクを攻め滅ぼした後、ヤマタイコクをヤマトに売った若者を殺してしまいます。
けれども祟られると怖いので、“大山(=イシカミ)の用が済んだ = オオヤマズミ”という名前の神に仕立て上げて人々に崇めるようにさせたそうです。
そのことを書いたことで真実(イシカミの流れをくむヤマタイコクの話)が世に出ると思い、イシカミのことが世に出れば地震は起こさなくても良い、とイシカミは言ってきました。
・【ヤマタイコク物語】
ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次)
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
・Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
・アト君とちきゅう君
・アト君とお花
・地震雲画像
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。
南九州へ行ってきましたが、どうしても公開して欲しいということです。
人間の進化はイシカミが大きく関わっていると以前より何度も知らされています。
(イシカミがいて座から降りてきた時は“柔らかい山のよう”だったので、その身体が柔らかい内にその一部から歯、膝関節、胃、 足、 口など、似たモノを作りその事をあらわしていた。それが固まって岩になったという事です)
鵜戸神宮の前の巨石は 「人間の身体をあらわした」 と言ってきました。
・九州の写真集
(クリックすると拡大します)
砂と石で岩の形を作り、歯*や内臓(心臓*)をあらわしたそうです。(下記の左上写真参照)
*)歯=下の方に小さな石が並んで歯のようになっている。
*)左上の画像で頂上に丸い石が並んでいる下に、滑らかな滑り台のようなのが、大動脈と大静脈だそうです)
宇宙から地球に降りて来て、別の物質になりたくない原子が砂になったそうですが、その砂に、“もう一度形になって欲しい”とイシカミの巨人が頼んだので形になったそうです。
鵜戸神宮の洞窟は、イシカミである双石山の分身の巨人が作ったそうです。
(検索をして見ると双石山の岩がオニの洗濯岩と同じ質を持つと判り驚きました)
その巨人の名前が“ウガヤノフキアエ” で、そのウガヤノの意味は分身から巨人が
【生まれ (ウガ) 作られた岩屋の屋根を (ヤノ) 葺 (フキ) いて合 (アエ) わせた】
と言う意味だそうです。
(古事記の、ウガヤフキアエ(ズ)とは発音できない)
洞窟の入り口や天井などは、確かに柔らかいうちに撫でて平らにしたように見えました。
その巨人の ウガヤノ・フキ・アエが、オニの洗濯岩を作ったと知らされましたが、オニの洗濯岩は“地球の背骨”のつもりで作った*そうです。
(*)作ったというより、砂の原子にこのような形になるように指示を送った。
“アエ” というのは、巨人が小さな岩を砂でくっつけた事をあらわします。
岩が引っ付くように砂の原子にノリの役目を頼んだと。(↓下記の右上写真参照)
ジンムは人間をそのように纏めて自由に出来る力を持ちたいので、 この巨人の ウガヤノフキアエ(ウガヤフキアエズと呼ばせている?)を自分の親だと思わせて、自分を強く見せたようです。
ジンムは狭野神社*辺りに住み着いていた韓国から来た夫婦の子供で、御池(高千穂峰の横)のリュージンのエネルギーを受けたので強力な力を持ち 鹿児島の隼人を攻め、 四国のヤマタイコクも攻め滅ぼし、ヤマトに落ち着いたと伝えてきました。
*)狭野神社
霧島神宮へ向かっていた時、サインがあって寄ってほしいといってきた所が狭野神社とこの奥?の池で、その池にリュージンが降りて、ジンムが生まれたと伝えてきた。
神社へ行って初めて、ジンム生誕の地であることがわかった。
この近くに韓国岳があり、この山だけ岩だけで、その周りは松だけである。
鹿児島の“上野原縄文遺跡のある台地”がイシカミで、“城山”や“桜島”がその分身だそうです。
・上野原縄文の森
上野原の遺跡では塩つくりをしていた隼人? が降りてきて、
「ここには家族が住んでいて、自分たちは海辺に住んでいたが、ジンムに負けて強制的にヤマトへ連れて行かれたが逃げ出し“土ぐも?の仲間*”になった」
と伝えてきました。
【ジンムは “死にゆく人を作る人”】 と表現していました。
2006年2月9日
「ウガヤフキアヘズノミコトと神話で書かせたのは、支配するためなのです。
“ワガノフキアワス”というのが本当の言葉なのです。
その意味は
“輪が強い力を持ち、ノ=平ら=平等が大切と記録し、輪を頭にする(輪をモットーとする)ことがスキ”
と言う意味なのです。
生きる力をなくしたイシカミ(=砂)を再び、形にあらわして、地球に降りてきた目的を知らせている岩が、その証拠です。
固まることは、輪となることです」
イシカミ(イシジン=ワガノフキアワス)が砂を固めて、いろいろな形にしています。
人間は砂を固めることはできないので、神武はこれを見て、(イシジンが)自分の先祖だと勝手に言ったことを、神話に取り入れています。
神武はリュージンの子供としっかり、神話に書かれています。
2001年12月7日
ワニが白兎の皮を剥ぐのは、ヤマトの権力者の蘇我が馬の皮を剥いだことを暗に知らせているのと、神話のトヨタマヒメはワニであったということは、神武にもその血が流れていることを神話を通して知らせています。
2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。
2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。
2006年1月22日
「チリの国(細長い)を真似たのです。
支配星はその形になって、大蛇を地球に送り込んだのです。
そしてアータカマから、日本へ向かったのです。
それを(イシカミが)石で(地上絵にして)知らせたのです。
大蛇のイシキが生まれ変わったのが神武なのです。
そして、アータカマ=タカマガハラに降りたのです」
タかマがはラ=タマラ
ヤマタイコク物語
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、次々と領土を広げていきました。
鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、誰がこのようなものを作ったかと聞くと、イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたのでその巨人を自分の先祖にする事にしました。
巨人は大きな洞窟を作って、イシジンを創る場所に作っておいたのに、ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。
そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。
一方、ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な(草刈)鎌を盗み出しヤマタイコクから逃げ出しました。
鎌は大国主がアトランティスから持ってきた、巨大な鎌でした。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、ジンムに会い盗んできた鎌を差し出しました。
当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
2002年8月23日
「鳥居は3本の歯の櫛を真似て作られました。(最初は3本柱だった)
(シガサトの若宮神社は下半分が、3本になっています)
ヒミコです。
大国主は、いたいけな子供を殺すと言われてこの地(ヤマタイコク)を去ったのです。
それは悲しい事でした。
(行こうと思っている阿波の土柱の)あの辺りがヤマタイコクでした。
イシカミが大きな身体で池を作ってくれました」
イシカミは生きていたのか? と言う問いに。
「(射手座から降りてきたのに比べて)
小さいイシカミ(=デェダラボッチ)はまだ生きていました。
言葉はなくても身振りで意味はわかりました」
2002年9月12日
なぜ、六甲からこの辺り迄このような岩山なのか? と聞くと
「ここに降りたイシカミです。
私たちは向かいの島に支配星に支配されたある者(=ジンム)が、ヤマタイコクを滅ぼしに行くのをただ見ていることしか出来ませんでした。
それでイシカミ達は固い岩山になることで、支配星に抗議したのです」
2003年11月26日
“星からのメッセージ”の本をお読みの方はご存知と思いますが、ヤマトの権力者(ジンム)はヤマタイコクを攻め滅ぼした後、ヤマタイコクをヤマトに売った若者を殺してしまいます。
けれども祟られると怖いので、“大山(=イシカミ)の用が済んだ = オオヤマズミ”という名前の神に仕立て上げて人々に崇めるようにさせたそうです。
そのことを書いたことで真実(イシカミの流れをくむヤマタイコクの話)が世に出ると思い、イシカミのことが世に出れば地震は起こさなくても良い、とイシカミは言ってきました。
・【ヤマタイコク物語】
ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次)
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
・Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
・アト君とちきゅう君
・アト君とお花
・地震雲画像
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は8月27日のソラ。