ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

倭の国、ヤマタイコク、ヤマト

2008年01月31日 23時01分06秒 | Weblog
2008年1月31日
三田とは3つの国が高い所から見ることができる所であるということで、兵庫県三田市に行ってきました。
3つの国とは、この情報で繰り返し伝えられている丹波地方の倭の国、四国のヤマタイコク、奈良のヤマトということです。

倭の国は綾部、福知山を含む丹波地方であったが、当時は山がなく大きな平野でとてもにぎやかだったそうです。
けれどもヤマトに滅ぼされたので、イシカミが後から降りてきて山国になったと伝えてきましたが、以前、由良川の分水嶺はとても低く標高 95.45 メートルで、大昔は瀬戸内海へ流れていたと学問的にも指摘されていることと一致します。
又、由良川を行き来して交流をしていたという情報ですが、今の由良川では難しいだろうと思っていましたが、平野であればとても良い方法であったと思います。

由良川及び胡麻川の分水嶺

#)リュー座の女王が
「大鰐(プレアデナイ)になったものです」
と古事記の一部と一致しますが、古事記など世界中の神話は支配星の都合の良いように書かれています。

『古事記』

2006年1月11日
《ビジョン》
“小さな渦巻きが大きくなって真ん中が黒く、ブラックホールのようになる”
その穴にリュージンなど悪のエネルギー体を吸い込ませるイメージをする。

その後、咳が時々出て目が覚めるのは、
「しっかりと知らせていないからです」と。
「シツ、シツ、室が知らせてないからです。
(白い光があらわれる)
シツ(室)とは、子供が生まれる部屋のことです。
子供が生まれるとは、タマヨリヒメが生んだ子供のことです」寝る。

意味がわからなかったのですが、今朝掲示板に↓の事が書いてあり、トヨタマヒメの本当の姿はワニであったと神話にあり、そのことをロボットは先に読んでいたようです。
ちなみに、因幡の白兎の物語では、白兎はイスキリ=イエスをあらわし、ウサギの皮をはいだのはワニで、馬の皮を剥いだ蘇我とつながります。

2001年12月7日 【因幡の白兎】と、夢2題

《掲示板より》
*)「玉依姫の名前が出たので、その姉の豊玉姫ワニだったというのを思い出しました。
ワニ(=爬虫類)の妹(=爬虫類と人間の掛け合わせ?)からジンムが生まれた。

最近、「神武天皇のY染色体を絶やさぬ為にウンタラカンタラ」とよく言われていますが、“染色体”の意味はワニから始る0虫0の染色体と思いました。
デビッド・アイクは英国王室は0虫0人間だと書いていましたが、日本の皇室も万世一系、男子の系統、Y染色体を絶やさぬ為...これ全て0虫0の染色体を絶やさない為と受け取られます」

2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。

2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。

人間を創り出してもあまりに悲惨だったので、イシジンだったイエスやマホメット、釈迦などが人間らしく生きる指導をするために肉体を持ったが、支配星にやられて悲惨な体験をしたそうです。
ちなみにそれぞれの生まれた年が違うのは、支配星がこのことを知られないようにするためにウソを教えたり、イシキは生まれ変わっているので数百年の違いはあります。

2004年3月28日
2004年3月28日 車の中で、

「亡くなっているきれいな人がきています。
小野の小町です。 知らせたい事があります。
私は菅原道真と柿の本人麻呂と仲良しでした。
砂の様に壊れやすいものでも硬い岩にする事が出来たのがジンムと伝えられました。
その物語(古事記?)の中には沢山の疑問がありましたが、それを口にする事は出来ませんでした。
それをあえてたずねたのが道真と人麻呂でした。
それで道真も人麻呂も遠くへやられたのです。
そしてカナの文字が書かれているのも見ました。
カナ文字のことをたずねると、とてもきびしい目をして、“明日から来なくても良い”と言われました。
私の歌も意味が隠されて歌われていますので、本当の意味は違うのです。

【花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に】

ハナ =腹を切られて。
ナは亡くなった後の木の十字架を表わす。
 (ソラ辞典・カタカナの参照)
ノ=ノアの息子、
イロハ=祈る口は、  
ウツリニケリナ=うつろになっても、
イタズラニ=必死になって、
ワガミヨニフル=わが身を省みず、
ナガメセシマニ=仲間の背を撫でていた、 (これが一番わかりにくかったです)
《歌の意味は、ノアの息子(=ムウラ)は仲間をとても大切にしていた = 無実で殺されたという事》

それを聞いて私は旅に出ました。
(丹後半島などに小野小町が訪れたことが残されている)

元伊勢皇太神社の沢山の祠を見て、本当の事だったと思いました。
私はそれから長い旅に出たのです。
何日も歩き柿本人麻呂の流された石見の国に行き、そこで人麻呂と夫婦になりました。
その後ヤマトの人に人麻呂は殺されましたが、私は地元の人と思われて殺されませんでした。
それが私と人麻呂の物語です」

(*“ソラ検索”で柿本人麻呂のことが出てきますがつじつまの合う情報です)
いつもながら驚く内容でした。
まさか小町の歌まで、違う意味があるとは思いもしていませんでした。
和歌の最初の意味はとてもすらすらと知らされましたが、最後がなかなかわかりませんでしたが、あの皇太神社の78もの祠が同じ大きさで並んでいるのは、本当に皆平等な社会だったのだと思いました。
又、知らされたカタカナの意味が、同じなので以前は意味が伝えられていたのではないかと思いました。

1999年8月22日に、カタカナの意味をヒミコが教えてくれましたが、沢山の文字も割と簡単に伝えてくれました。それ以後あらゆる文字をカタカナに当てはめると、その意味が当たっている事が良くあります。
(ソラ辞典・カタカナ参照)

2004年3月28日
ヒミコより

2004年3月28日 明け方

「いつも人間が死ぬまでにいかに楽に生きていけるか、と思っていました。
それには知らされて良かった事を、みんなが知ると良いと思ったのです。
それで何とか文字を作ったのです。
(ホツマツタエは)今伝えられているのとほとんど同じですが、(よく知られている)解釈はほとんど違っています。
(以前ホツマツタエとは女性の日常の生活の知恵が書かれていると教えられたが、現実には古代天皇物語に解釈されている事)
石に力が有るということを知らせたのですが、(今の訳では)その解釈がありません。
(古事記など)神の物語として伝えられているのは、ヤマトの人が自分たちに都合の良いように(ホツマツタエを)利用して書いたのです。
ホツマツタエも阿波の歌も私が書いたので、お知らせした(解釈を)公開してください」

2000年6月8日
「ヒミコです。【ホツマツタエ】の意味をお知らせします。

『ウタタネコ  コレオノブ』 = これは女の物語です。うたた寝をすると “怒らないで下さい” 女の人はお変わりなく? こちらへおいでという意味なのです。
(元気なのに昼間から仕事をしないでうたた寝てばかりしていると、男性を待っていると思われる。ちゃんと女性の仕事を覚えてくださいという意味)

『アメツチノ ヒラケシトキ』  = 夜明け
『フタカミノ トホコニオサム』 = (ご飯を炊く時に)お釜が焦げないように(気をつける)
『タミマシテ アマテルカミノ』 = お釜の蓋の石が重くて取れない時に“アマテルサマ 力を貸してください” と頼むのです。
『ミカカミヲ タシテミクサノ』 = お腹にお煮しめを食べて
『ミタカラヲ サツクミマコノ』 = 身体の肩まで降ろした
『トミタミモ ミヤスケレハヤ』 = 髪の毛をまとめて束ねる
『トミガオヤ シイルイサメノ』 = 起きなさいと皆を起こすこと
『オソレミニ カクレスミユク』 = 遅れることなく固い炭火を埋めて
『スエツミヲ イマメサルレハ』 = 仲間の人にこんにちは (と挨拶をする)
『ソノメグミ アメニカエリノ』 = 自然の恵みの河に行って
『モフテモノ ホツマツタエノ』 = もうけモノの河の水にミズホの妻が
『ヨソアヤヲ アミタテマツリ』 = 伝えられることを感謝する
『キミガヨノ スエノタメシト』 = 私の君(大国主)に、いつまでも試練が
『ナランカト オソレミナガラ』 = ありませんように恐れを取る
『ツホメオク コレミンヒトハ』 = お勤めを苦にしないような人は
『シワカミノ ココロホツマト』 = しわが重なるまで心がほつれて(心穏やかに)
『ナルトキハ ハナサクミヨノ』 = 亡くなる時はきれいな花の咲くあの世の
『ハルヤキヌラン』 = 春にあなたは行けます。

これらは、私が幸せだった時に作りました。面白くてたくさん作りました。でも、長い年月の間に違う意味に変わったのだと思います。

ところでどうして“ツマ(妻)”という言葉には、罪の“ツ”がつくのかいうと、結婚を決めても他の人とセックスをしたくなるのは、“マ(魔)”の者が入るからだと思ったからです。
またどうして結婚制度を作って相手を決めるようにしたのかというと、当時は女の人を取り合って争いが絶えなかったからです」

2001年1月8日
「【あわの歌】の意味をお知らせします。

『アカハナマ』  = 赤い花=そばの花、マ=不思議な力。そば粉には不思議な力がある。
『イキヒニミウク』= 生きている生のそばは、火で煎ると実が粉にしやすい。
『フヌムエケ』  = 冬に池の氷が張るとそばを家に入れないと苦くなってまずくなる。
『ヘネメオコホノ』= 土地を掘り起こすのは男の人で、
『モトロソヨ』  = 女の人は石を取り除くと収穫が多くなる。
『オテレセエツル』= 男の人は川の土手と橋を作る。
『スユンチリ』  = それらをがんばってすれば人生は楽になる。
『シイタラサヤワ』= シイの実をたくさん集めて石の臼で粉にし、その粉を丸いお団子にする」

2005年1月16日
2005年1月15日

「アマの記憶が戻りました。
ジンムが一番だと思わせるためにヤマタイコクを封印したのです。
そして新しい神話(古事記)を作ったのです」

「私とは石が大嫌いな者で、長い名前の者です。
イッポントネリノヒト*です。
私は声が聞こえる人でした。
私が知らせたい事は宇宙の外から来たものだと言う事です。
そして今も人間に生まれ変わっています。
イシカミに今こそ詫びを言いたいと思っています」

(*イッポントネリノヒト=古事記を書いた舎人親王)

2007年6月16日
掲示板に星座の伝説について面白いのを紹介していただきました。

・・・・実は古事記を表わした舎人が書いた序にあたる文の中に「歳大梁に次し・・・」という表現が出てきます。
歳は木星で大梁はスバルの漢名だそうで、天武天皇は「木星が酉の方向にある酉の歳の二月に・・・」に即位したと訳されるそうです。
スバルと即位の関係は意味がありそうです。

2006年5月11日
2006年5月10日 突然、4時に目がさめる。

「人間だったものが降りています。
私はホメロス*です。
イシカミに対して悪いことを書いていました。
皆に知らせてください。
私が書いた物語は、支配星に教えられたことです。
ギリシャ神話の元を作ったのも私です。

人々が(人間のために尽くした)イシカミに意識を向けないようにさせたのです。
そして神も悪いことをすると知らせたのです。
物語は本当のことではないのです。
そのことを言うようにソラのものに言われたのです」

*)ホメロス=トロイの木馬などのように、人間が大きな国を作って争っていたように思わせるために物語を書いた。

2006年5月11日 真夜中下顎が痒くて目が覚める。

「下あご*を痒くしたのは真実を述べるメドゥーサです。
(伝えるのが)遅くなりました。
私の母(カッパドキア)を見つけてくれてありがとう。
悪者(ホメロス)が私をマのものとして知らせていたのです。
ポセイドンのことを伝えます。
なぜ降りてこないかというと、今も私のそばにいるからです。
それで言えなったのです」

*)下あご=地下宮殿のメドゥーサの石像の下顎だけ白かったが、白いのは真実を述べると言っていた。

(メドゥーサが笑っているのも、ポセイドンがそばにいたからのようです。
地下宮殿に行った時、30cm?はありそうな大きな魚が目の前に近づいてきたのも、挨拶をしに来たと)

「ポセイドンです。
なぜ、言わなかったかというと、地球が全て水で覆いたい*と言っていたのに、反対したからです」

*)水で覆う=以前ビジョンで、小石ときれいな水を見せて、全て水で覆って休みたいと地球が訴えてきていた。

「本当は地球をきれいな水で覆って休ませてあげたかったのです。
けれども他のイシカミ達が、小石だけになるのは嫌だと言ったのです。
それで地球を水で覆う計画はなくなったのです。
人々は、地球にも意識があると思って感謝してください。

地球がヘビの星に支配されたので、水の惑星になりたかったのです。
支配星のヘビの星(のイシキ)はなくなりました。
けれどもそれ(リュージンなど)を崇める人々が多いので、エネルギー体を巨大化しているのです。

そして、そのヘビの星の札を地球に埋めるのを止めてください。
それが巨大なリュージンのエネルギー体になり、(自爆テロが)増えたのです」

2005年8月3日
(中指にサインあり)
「(イシカミは)フミ、フミ、文は残していません。 
(エジプトのヒエログリフの)文字の解釈は支配星が教えたのです。
動物とのあいの子*の事がいた事を人間は見ています。

そして支配星が勝手に物語を教え、神として崇めさせ利用したのです。
それは(日本の古事記など)ジンムと同じです。
小さなクフ王がピラミッドは自分のものだと言うことはわかっていました。
それで小さなクフ王の像*を作って置いたのです。
私達(巨人が)見ると、人間はそれほど小さかったのです」

*)動物とのあいの子=エジプトの像にあるような生き物がいたと、以前にも知らされましたが、子孫は残らなかったようです。
*)クフ王=クフ王のピラミッドと言われますが、残されている像は4cmほどの小さな像しかありませんし、たった一言ピラミッドにクフと書いてあるので、クフ王のピラミッドと呼ばれていますが、遺体はピラミッドの中には無い。

(足の指にきついサインあり)
「イシカミが作ったモノを(自分たちが作ったように)利用するのが嫌なのです。
(古代に)石で作られた大きな建物(ローマの水道なども)は全てイシカミ(の巨人が)作ったものなのです。
バチカンもイシカミが作ったのです。
バチカンはイシカミが丸かったことをあらわして作ったものです。
それなのに、完全にイシカミを隠しています」

2005年4月3日
「イカルガ*の国の人は幸せではありませんでした。
名前と共に何もかも持って行かれたからです。
そのことを由良川の流れを変えること*で知らせました。
由良川に注いだ(支流の)川は、日本海に注ぐのを止めて太平洋に注ぐようになりました。
そうする事で、地球とイシカミが抗議をしたのです。
この間の(豊岡*の)大水はそれをあらわしたのです。
本当は瀬戸内海に注ぐ水が日本海に注ぐようになった(一気に水が増える)からです。
(右足首が急に冷たくなる)
それは今のまま(倭の国を認めない事)進む事が間違っている事をあらわします。
反対にインドの川の汚さは、人間のせいです。
いつまで沐浴の習慣を続けるつもりなのですか?」

*)イカルガ=丹波地方、倭の国の後は何鹿(イカルガ)と呼ばれていたが、そのイカルガもヤマトは‘斑鳩’という名前にして、倭の国の宝と共に持って行かれた。
*)由良川の流れを変える=日本一低い分水嶺の近くに石生 (いそう) という地名がありますが、他の文献でかってこの川は瀬戸内海に注いでいたと記されていました
*)豊岡の大水=昨年由良川が氾濫してバスが流されそうになった時、靴の紐でバスをつなぎとめていた事。

百人一首
【忘すらるる 身をば思わず 誓いてし 人の命の 惜しくもあるかな】
意味
《倭の国が捨てられて(滅ぼされて)も、身についた習慣(石信仰)を捨てないでおくぞと誓う。その人達に(仏教の教えを強制し)それまでの習慣を捨てさせるのは惜しいことである》

2004年4月20日
【ビジョン】
“少しへこんだ感じの地面に、河原のような大小さまざまな小石がある。その上をきれいな水が流れてくる。しばらくすると再び水が無くなり、小石が生き物のように動いて小さなストーンサークルを作る”

この意味は
「由良川を作った巨人は、最初(福知山で)日本海と太平洋に両方に流れるように作っていたという事をあらわしたのです。
けれども、ヤマトから川にそって責めてくる事がわかったので日本海だけに注ぐようにしたのです。
かっては(ビジョンのように)ストーンサークルはたくさんあったのですが壊されたのです」
【由良川風土記】によると、
由良川の分水嶺の一つには、95mと日本一低く、この付近は少なくとも60mの砂礫層で、由良川もかっては瀬戸内海に注いでいたと書かれている事で、情報と合っていると思います。

ちなみに由良川風土記に載っていた和歌も、この情報のノアの息子とヒミコノ娘の悲劇をあてはめると、 解釈が違ってくるようです。

小倉百人一首の
【ゆらのとを わたるふなひと かじをたえ ゆくえをしらぬ こいのみちかな】

由良川は“おくも川”とも呼ばれていたそうです。

【おくもかわ いちどすめる しるしには けうぞ千年の はじめなりける】(夫木集)

【おくもかわ あらぶる神も なごむまで ゆふとりしでて みそぎおぞする】(藻塩草)

【まつひとは いきとまりけり あじきなく としのみこゆる よさのおおやま】

【はななみの さととしきけば ものうきに きみひきわたせ あまのはしだて】(和泉式部)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。

羊蹄山から白い光線銃

2008年01月30日 23時59分09秒 | Weblog
2008年1月17日
「ヘビ座のイシキの塊がダイジャです」

2008年1月14日
2008年1月14日 車中にて

「ヘビ座が地球を支配しているのです。
アブドラ国王がヘビ座の王なのです。
ヘビ座の女王は細木和子です。
ヘビ座の王が女王に、日本に降りて支配するように言ったのです。
アラブの王族は全てヘビ座のイシキの持ち主です。
昨日の映画でそれを知らせました。
何も偶然ではないのです。
地球がヘビ座に支配されて、地球が死にかけていることを人間が気づくように宇宙で計画されたのです。
地球は死にかけていることに人間は気づかなければなりません。
ヘビ座の思うままにさせてはいけません。
ブッシュ(草むら)がヘビ座の悪行を隠しているのです」

アラブ王族の服装は、ヘビ座のイシキをあらわしていると以前から知らされています。
すなわち、肉体を完全に隠す白い服は善とごまかし、イシカミとシリウの合作の肉体を完全に隠しています。
そして頭に巻いている頭の黒いヒモ(ターバンも)はヘビをあらわし、ヘビ座が支配していると知らせています。
昨日、ブッシュ大統領がサウジアラビアのアブドラ国王と会見をしましたが、二人が会談=仲良くしていることを警告してきました。

昨夜、人間の体液を吸い取るエイリアン?(巨大な複数の頭を持つ大蛇の姿)の映画(ザ・グリード)のほんの一部を見ることになりました。
その怪物に襲われた豪華客船が幽霊船のようになり、生き残った人間が戦う映画のようでしたが、圧倒的な力で船を壊し人間を襲っていくのは、イシキの世界では今の地球をあらわしているそうです。

それはヘビ座の服装をしているアラブ王族が石油を独占し、地球の富を奪い取っていることは、地球の体液でもある石油をヘビ座が支配し、地球の体液を吸い取っていると知らせています。
地球はイシカミと水星のお陰で水の惑星となり、シリウなどの知恵で今の地球に発展してきましたが、ヘビ座はその地球の富を横から奪っています。
そのために地球は生きる希望をなくし、死ぬ寸前だということを異常気象であらわし、寒暖の差がよりひどくなっていっていると伝えてきました。

すなわち、ヘビの大将であるリュージンを崇めることで、ヘビ座が人間を支配し、そのことを嫌がる地球が死の寸前になっていることと同じだそうです。
それでいくらCO2の排出を少なくしようと努力しても、地球が思いを持っているということ、そしてヘビ座のものたちに体液を吸い取られていることに気づかなければ、決して地球は元気にならないでしょう。
ただ、地球も地球を創っている原子たちも思いを持ち、原子たちが地球や人間を助けようと思うのであれば、石油も使ってもなんら問題ないそうです。
人間生活を楽しもうと思う原子たちが、天然ガスや石油になってくれるからのようです。

2007年11月19日
冷たい風と共に

「スサノオが昭和皇后に生まれ変わっていたが、資産を小分けしていてその一部を伊勢の巫女に言われて大本教に寄付をした」

と言ってきました。
大本教には20世紀最大の木造建築といわれる立派な建物がありますが、とても太い柱にたった一つの節目もありません。
そこにリュージンが隠れていたそうで、切り刻みました。

2005年8月7日
「なぜ、(大本で)金リュー海を作る事になったかと言うと、それはリュージンを育てるためです。
それはプレアデナイの女王に言われたからでした。
そして、その池にリュージンが降ろされ*ました」

*)リュージンを降ろす=これは伊勢の巫女も、伊勢の勾玉池に神を降ろすと言ってリュージンを降ろしていました。リュージンはそれぞれ古代からのいろいろな神と呼ばれている姿で降りたようです。

「それらのリュージンは、オニサブロウやその弟子についてあちこちに運ばれて行きました。
それらが次々と仲間割れしては、新興宗教を立ち上げたのです。
池に降りたリュージンは人間を水死させ餌食にもしました。
リュージンは日本だけでなく世界中に広がりました。
リュージンの作品はあらゆるものに影響がありました。
特別な才能を与え、最後は嫌がらせをしていました。
そしてこの世界に強い執着を持たせながら、死を早めていました」

「リュージンの一番の罪は世界大戦のことです。
リュージンが支配した皇室と伊勢神宮は、見事に一体化していました。
伊勢の巫女に取り付いたリュージンは、一番プレアデナイのお気に入りでした。
それはその巫女はとても上手に(リュージンの言葉を)人間に伝えたからです。
そして未来に起こる事を知らせて(=予言して)確実に当てるので信頼されたのです。
(書いていると右薬指にサインあり)
そしてリュージンは(伊勢の巫女を通して)世界大戦へと導いていったのです。
そしてものすごい数の人間が地球から去って行きました」

(太平洋戦争では日本人約300万人、アジアの国々では約2000万人の犠牲者)

2005年8月6日
2005年8月6日 朝、かすかに言葉が出てくる。

「不思議な事をお知らせします。
浅野新樹(浅野和三郎の息子)です。
その一つは大本で見つかったというミロク*の事です。
それは(掘り出す前に誰にも知られないように)前日に信者が土深くミロクを埋めていたものなのです。
その事を知らせる為に考古学者*は協力をしたのです」

*)ミロク=大本の敷地内でミロクが工事中に出てきたこと。
*)考古学者=以前、藤村新一という有名な考古学者が、自分で先に埋めておいて、あたかも見つけたように言って、考古学をかき乱した事。

「もう一つは(京都府)船井郡の事です。
なぜ、ここで突然に鳥インフルエンザ*が流行ったか?」

出口オニサブロウの略歴でもわかるように、亀岡、船井郡はつながっています。
船井郡の浅田農産の船井養鶏場で鳥インフルエンザが単発で発生(2004年3月2日付ニュース)

*)取り上げる=綾部の大本教の土地は、脅して取り上げられた、という子孫から相談がきているのと関係するということ。
*)インフルエンザ=ウィルスは名のない星たちと関係があると伝えられています。

「オニサブロウは耳にフタをしていたのです。
それは現実の音を聞かないようにして、(見えない世界の)声を聞こうと思っていたのです。
空海のようになりたいと、昴(=プレアデナイ)に頼もうと思いました。
それで(空海の)真似をして穴倉で瞑想をしていたのです。
待ってましたと、プレアデナイがオニサブロウを支配し、(超能)力を与えたのです」

#)掲示板より。
「金リュー海。これを作るように指揮したのはオニサブロウ。
作っている最中、彼が別の町に出かけて戻ってみると、思ったように工事が進んでないのを見て、
「まだ、これだけか。一体何をやっていたんだ。」
と怒り出し、真夜中だというのに、町中の信者の家を回ってたたき起こし、かがり火を焚きながら工事をさせたという。
真夜中の工事を見るオニサブロウの顔は、かがり火が映って赤く目はランランと光り髪の毛は逆立っていたという。(出口ナオ伝~いり豆の花より)」

これは完全にプレアデナイに支配された時と思います。

2005年8月4日
「大本があらゆるところにリュージンを送り込んでいるのです」

(尼崎の電車事故の前に出雲にリュージン信仰者が集まったが、その前日に綾部の大本教の施設に泊まったとHPに書いてあった)

「マダ、マダ、まだまだリュージンの仲間はいるのです。
ジンムのリュージンは(表には)出ていません。
それで伊勢神宮のリュージンが(日本だけでなく)世界中を支配下に治めるために出先機関を作ったのです。
それが大本教で、リュージンを広める役をしているのです。
(大本教敷地には金リュー海という池がある)
そして大本(教)は宗教の大元となり、あらゆる新興宗教が生まれました。
こうしてイシカミは、仏教と神道の共同で封印されたのです」

2007年1月24日
この情報を妨害する人は(イシキの世界から見ると)緑の血が流れています。
それは菊の紋を(異常に)大切にする人たちも同じです。
(16菊花)紋の中には、見つかるまいと隠れているモノがいるのです。
万人が崇めて見ても見つからないのは、その細かい花びらが隠れ蓑になっているからです」

(似た模様で太陽をあらわす場合、丸の回りにはもっと隙間をあけて線を引く

「何が隠れているのか人間にはわかりません。
見つからないように花びらをしっかりと詰めて描かせたのです。
その花びらの後ろにリュージンが隠れるためなのです。
菊花紋の後ろに隠れているリュージンを消滅したと言って下さい」

【菊花紋の裏に隠れているリュージンを消滅した】

これは夢で、緑の血が流れるのを見たという人がいるとメールで知らされたことに対して、その意味のようでした。
現実世界ではわからなくても、イシキの世界から見るとわかるということで、今生でつけを払うように生きることが大切と知らせているそうです。

2007年10月5日
「追いの宮は宇宙の大元を追いかけて地球に降りてきました。
追いの宮はスのモノともいい、全てをス=砂にするのが目的なのです。
そして多くの星にスの名前をつけさせ*、支配下においてきました」

《シリウの星と呼んでください》

「そして陰に隠れて星たちを操っていたのです。
(リュージンのイシキと関係があると言われている)ヒロノミヤとは”広い飲み屋”と言う意味です。
広い飲み屋とは塩水の海のことなのです。
そしてリュージンは塩水を飲めば永久に生きられるという意味です」

追いの宮=スのもの=広い飲み屋で塩水を飲むリュージン=あらゆる所での争いの原因

【全てのスのつく星を切り刻んで硬化剤で固めて大地にした】

2006年9月11日
昨日から「白へ○」が浮かんでいます。
天皇・皇后が泊まったのは札幌市中央区のホテルで、白石神社があるところに近いので気になっています。

2006年9月1日
「カイラス山に八大リューオウがいたのです。
そこから八大リューリュー王のエネルギー体が日本に来たのです。
それが北海道(日高地方静内?)で再び(新興宗教で)活躍していました。
それを知らせました」

【カイラス山の麓の八大リューオウを消滅した】

2006年9月7日
#)カロンと八大リューオウの関係についてまとめてくださっていますが、驚くほどいろいろな現実とつながっています。
外宇宙、シリウスB、シリウスC、カロンの関係

2006年9月9日
2006年9月9日 馬に乗りかける人を見ている夢かイメージで目が覚める。

「馬に印(お知らせすること)があるのです。
馬は田の仕事をするために地球に送り込みました。
それなのに違う目的で使われるのが嫌だったのです。

馬がなぜ(9頭も)焼け死んだ*か、それを知らせるためでした。
(死んで)天皇家の馬*に意見したのです。
8大リューオウ*と一緒に祭られていることに抗議したのです。
馬(を送り込んだ星の)の思いが馬小屋の漏電を招いたのです」

*)馬が焼け死ぬ=先日、9頭かの馬が焼け死んだのはなぜかと思っていたけど忘れていた。
・競走馬9頭焼け死ぬ 船橋競馬場で厩舎火災(2006年9月3日付ニュース)
*)天皇家の馬=天皇家の牧場に結婚式に使うだけの馬が飼育されていること。また今、北海道の日高地方の馬を見に行かれていることに抗議した?
*)8大リューオウ=八大リュー王の神社に馬頭観音として祭られていること。

「九頭リューに気づくように、と犠牲になってくれたのです」
と言葉になりました。

今日八大リューオウの大祭が全国?で行われているようです。
出かける前に「クズリュー、クズリュー・・・・」と言葉になり、意味がわかりませんでしたが、八大リューオウに九頭リューが応援に来ているということがわかりました。
それであらゆる九頭リューの名前の消滅をしました。
出かけた先で、たくさんの赤とんぼがいましたが、リュージンの化身と。
赤とんぼはたくさん止まっていて逃げませんでした。

2008年1月17日
世界連邦の講演会に行くバスに乗っていた時に見えた《ビジョン》
“真っ白い引っかき棒のようなのが左側の影の部分へ延びていく。その後、左下に赤(紫)の丸いのがあらわれ消える”
意味は

「ヘビ座をやっつけるのには、白い光線銃が有効なのです」と。

2005年8月7日
#)16時、口内のポリープが気になる。

「私(ホシノミナ)の仕事なのです?
いつまでも今のままではいません。
イシカミ達の決意が決まりました?
シリウが協力してくれる事を(雲で)あらわしました。
来なくてもいいものがきます。
先日の雲をしっかりと見てください」

ソラ・シリーズ発売中!
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

発生時刻 2008年1月27日22時28分頃
震源地 静岡県西部(北緯34.9度 東経138.0度 深さ20km)
規模 マグニチュード 2.4
震度1 浜松天竜区(静岡県)

発生時刻 2008年1月30日22時6分頃
震源地 石川県能登地方(北緯37.3度 東経136.8度 深さ20km)
規模 マグニチュード 3.1
震度2 輪島市門前町走出(石川県)

30-JAN-2008 07:32:43 北緯-7.37度 東経127.70度 マグニチュード6.2 深さ10km BANDA SEA

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は狙いを定める羊蹄山。

檄を飛ばす羊蹄山

2008年01月29日 22時13分42秒 | Weblog
2007年10月18日
手稲山のイシカミです。
あの雲は(情報を攻撃している者に対して)怒っているのです」

イシカミの違う言葉で書いてください。
“イシカミの知らせのこと*(いて座から降りてきたものがシリコンの原子になって、あらゆる原子に変化したこと)を読んでください”」

*)イシカミの知らせたこと=【ソラの宇宙物語】など

「それ(ソラの情報)はあらゆる原子の言葉でもあるのです。
それを攻撃するということは、攻撃者の肉体を形成している原子をも攻撃していることになります。
攻撃者の肉体の原子はそのことを知らせ始めます。
そのことを開始するように、いて座の司令官(羊蹄山)が檄(ゲキ)を飛ばしたのです」

「それ(ソラの情報)はあらゆる原子の言葉でもあるのです。
それを攻撃するということは、攻撃者の肉体を形成している原子をも攻撃していることになります。
攻撃者の肉体の原子はそのことを知らせ始めます。
そのことを開始するように、いて座の司令官(羊蹄山)が檄(ゲキ)を飛ばしたのです」

「それで各地で“わかったよ”といろいろな変わった形の雲が出ているのです。
赤い雲は“イシカミは生きていたし、今も思いを思っているよ”と知らせているのです。
まっすぐに揃っている断層雲などは、原子の思いが同じで、固く団結していることを知らせています。

大嘘つきの水へビ座の司令官は、地球の反対側で“いて座の司令官だ”とウソの指令を飛ばしていたのです。
それをソラのものやイシカミたちは騙されていたのです」

「イシカミが丸のものと言っていたのを真似て、水へビたちは蛇の身体を丸くして騙していたのです。
そして(支配星たちと協力して)三ツ和と言って3つの世界大戦を人間に起こさせたのです。
悪者がイシカミを陥れるために、三つの輪と言っているのです」

*)偽の3つの輪(Earthfiles October 17, 2007 - Soybean Formation in Wayne County, Ohio)
水へビが3つの輪を作って、イシカミの真似をしようとしたようですが、早速正体がばれた模様を知らせています。

2008年1月17日
《ビジョン》
2008年1月15日
“地図としてチベットあたりが白くて、一点を中心に矢印が四方に伸び、中国あたりで支部?となってさらに矢印があちこちに書いてある”

その後「スクリューアンビ」と言葉になり意味を聞くと
「チベットにいる地下のダイジャが吸引しているのです」と。

「チベットの地下空洞にヘビ座が降りたのです。
ビジョンで白かったのは、早くに降りたからです。
イシカミが地球を固めて落ち着くとすぐに降りてきて、チベットの地下で隠れていたのです。
あの(映画ザ・グリードの大蛇の)化け物は、恐竜時代にいた大蛇なのです。

けれども悪賢いヘビ座は余りに醜いので化石として残らなかったのです。
代わりに早くからイシキとして人間に入り込み、人間を支配してきました。
そしてビジョンの矢印のように、支配を広めていったのです。

チベットのイシカミはヘビ座と縁を切らなければなりません。
人間を支配する宗教で(山として)崇めてもらっていると思っていても、ヘビ座を崇めているのです。
地下のイシカミは肉体を創っているイシカミの原子の悲しみを知らなければなりません。
ヘビ座のイシキの塊がダイジャです。
イシカミのイシキを吸い取っていたのです。
それで中国のイシカミはリュージンを許したので、あらゆるものに竜の名前がつくのを許して、リュージンに支配されてきたのです」

チベットで1月16日M5.9、1月14日、1月17日もM4の地震が起きて合図をしています。

世界連邦の講演会に行くバスに乗っていた時に見えた《ビジョン》
“真っ白い引っかき棒のようなのが左側の影の部分へ延びていく。
その後、左下に赤(紫)の丸いのがあらわれ消える”
意味は
「へび座をやっつけるのには、白い光線銃が有効なのです」と。

「ヘビ座の部下がプレアデナイ北斗七星で、悪賢いヘビ座は隠れて星たちを支配していました。
統一教会の文鮮明はヘビ座の司令官なのです」

昨日のビジョンで知らせたように、チベットに降りたヘビ座が、南下して拝火教になり、全ての宗教の元に入り込んだのです。

2008年1月17日 真夜中目が覚めて見えた《ビジョン》
“朝鮮半島とその奥の中国大陸に地図に、赤い線で細かく描かれている”
意味は
「仏教が中国から朝鮮を通ってきた道を赤い(警告の)線であらわしました」

朝、金色の網目が大きく見えるのは、ヘビ座がまだ大きな力を持っているようで、その後”生田神社“と言葉が出ると、赤紫の鮮烈な光が下半分にあらわれ、ヘビ座のエネルギー体が支配していることを知らせたそうです。
ヘビ=セクシャルな力が強くて、朝鮮のカルトはたいていセックスがらみの問題を起こしています。

2005年7月8日
2005年7月7日 真夜中、冷たい風が右頬に吹き付ける。イシキが降りてきたようで誰か聞くと。

「死んでからわかりました。
リンポチェ?* です。
砂の国に来ています。
生きていた時は絶えず声が聞こえていました。
人々が(自分が)神だと思うようになったのは、私達のおかげであると。
それが言葉で聞こえました」
(バシッとラップ音=本当と言う意味)

「市場に幸せはないと言いました。
そして食べる事は卑しい事だとも。
同じく性欲はもっと卑しい事だと。
そしてそのようなものは我々が与えてやると。
そして突き抜けるような恍惚感(クンダリーニ)に包まれました。
女性は家事や労働をして、子供を産むための借り腹であると言いました。
それらの事を人々に伝えるように言いました」
(この後喉に強い違和感があり=必ず公開して欲しいと)

*)リンポチェ = チベット仏教の僧侶。
(新しいチベット仏教の村の写真を見ていたら、リンポチェが悪の代表ですとチャネリングがありました)

・インド北西部パンジャブ州(パキスタン管轄)の村での女性虐待(2005年7月7日付ニュース)

チベットの高い山のイシカミは大きな力があり、人間とコンタクトを取りやすかったが、それを支配星が見て、より強い力でチベット周辺インドなどを支配したそうです。
特に爬虫類のヘビのイシキは、より地球の近くに降りてきて人間に乗り移り、超能力を与えて神と名乗らせて支配していたようです。
 
“その流れを汲むので一番の隠れた悪はチベット仏教”、と昨日知らせてきたようです。
又、その流れを汲む精神世界も、そのエネルギー体の支配下にあるために、
チベット仏教の事が出てきた時に、精神世界からメールが来だしたようです。

2005年7月8日
2005年7月8日 2時サインあり、目が覚める。

「書いてくれてありがとう。
イシカミが死んで、いなくなったと思っているのが悪者です。
今もいる事を伝えてください」 寝る。

「お知らせを書いてくれた事で、嫌なものが姿をあらわしました。
それは、とても皆が思いもよらないリンポチェ*でした。
必ずその意味がわかります」

*)↓ はリンポチェ(副官)について知らされたメールの抜粋です。
『チベットに行って修行してきた霊能者から直接聞いたことですが、チベット仏教では、ダライ・ラマ候補として数人の赤ちゃんを選出し、部屋の端にダライ・ラマのが着ていた衣類と、他のチベット僧達が着ていた衣類を並べて置いておくのです。
そこで、衣類から離れた所から、ダライ・ラマ候補に選出された赤ちゃん達を一斉に放して、一番初めにダライ・ラマの衣類に辿り着いた赤ちゃんを「副官」、2番目に辿り着いた赤ちゃんを次期ダライ・ラマとしているようです。
(逆だったかもしれませんが)
ダライ・ラマは象徴としての存在でしか無くて、副官が子供時代より特別な英才教育を施され、影の存在としてチベット仏教界を動かしているそうです。
この決め方は、副官として選ばれる赤ちゃんが、先を見る能力(シバ神の3つめの目のことか)を持つかどうかを判断する為と言っていたように記憶しています。』

2005年7月6日
2005年7月5日 人差し指にサイン

「(支配星が教えてたチベット仏教が)いかに巧妙に陰で、隠れて地球を支配していたかよくわかります。
全ての宗教の基礎になるのです。
仏陀イエスも流れを汲んでいるということ)

きれいな言葉に惑わされて、その信念が巨大なエネルギー体を育てていたのです。
一面の粗末なバラックに、ひときわ豪華な寺院を見てもわかるでしょう。
信者には質素に暮らすように説教をして、頂点に居るものや周りの人たちは贅沢三昧をしていた犯罪者(オーム真理教)と何ら変わりありません」

ダライラマのホテルでのパーティ

「蛆虫がわけば殺さないようにそこを立ち去らせるのは、支配星のプレアデナイが人間を蛆虫以下に思わせたにすぎません。
元気な若者が仕事をしないでお経を読み、瞑想をして、他人が働いた物を貢がせる事が良い事と教えたのも支配星です。
その矛盾にどうして気づかないのですか?」

2005年9月25日
2005年9月25日
今回はイメージやビジョンがたくさん知らされましたが、出発前夜に見たビジョンを早く公開して欲しいと、口に米粒大のポリープができました。
それが未だに治らないのでやはり公開するしかないと思い、失礼ながら公開させて頂きます。

白米を長く置いておくと、黄白色の細長い虫がわき、それらはお米をミノムシのように集めて巣を作り、その後、蛾となり次々繁殖して、お米はとても拙くなります。

《お米にわく虫のビジョン》
“白米の中にお米にわく黄白色の虫を発見したので、外に放りだすが、米粒がミノムシのようになっている。
その後すぐに、今度は黒い虫(コクゾウ虫)が、画面の中ほどに10数匹あらわれてやはり白米を食べ出す”
お米に付く害虫
の画像を見てそっくりな虫のビジョンでした。
意味は

「黄白色の虫は王侯、貴族(皇室も含む)、宗教指導者などをあらわし、労なくして一番おいしいものを、すき放題に食べるという事をあらわしています。
特にその一族郎党までが、そのおいしいものを食べるということを、さなぎになる前にお米でミノムシのように作ることを知らせています。
黒いコクゾウ虫は、中東の石油の利権に群がる(イルミナティなど)爬虫類のイシキの人たちをあらわします」
と、とても的確な意味を持つビジョンでした。

2006年1月22日
2006年1月22日夜 珍しく腹痛のサインあって眠った後、目が覚めて。

「アータカマの巨人が知らせてきました。
一番の悪者がわかったのです。
お腹が痛かったのは悪者がいた*からです」寝る。

(読者の方が、最近、ヘビなど夢で見られたのは、このことを知らせたようです)

「チリの国(細長い)を真似たのです。
支配星はその形になって、大蛇を地球に送り込んだのです。
そしてアータカマから、日本へ向かったのです。
それを(イシカミが)石で(地上絵にして)知らせたのです。
大蛇のイシキが生まれ変わったのが神武なのです。
そして、アータカマ=タカマガハラに降りたのです」

「ホシノミナです。
このことは(著者が)死んでも伝えることはできないと思っていました。
それほど支配星の大蛇のイシキは大きかったからです。
アタカマのイシカミが伝えてくれたのです」

2007年9月22日
左足甲にきついサインあり。

「地球の言葉が入っていません。
それはこのことを公開してほしいということです。
そして日本が悪者に支配されているのは、チョウセン人(の先祖)の天皇がいるからです。
それで秋田のイシカミが悪天皇と書いたのです」

(秋田のイシカミは、イシジンが小さいと言って人間が言うことを聞かなくバカにしたので怒った顔がナマハゲです。本当はこんな顔ではなかったと言ってきました)
ソラ画像:ナマハゲ伝説

「悪者を知らない者は幸せです。
地球の怒りの一番はこのこと(王制や皇室制)なのです。
現実の姿に惑わされないでほしいのです」

(ソラからの情報は一貫して、地球の人々は平等であらねばならないのに、王制、天皇制がそれを壊しているので、その制度がなくならない限り地球の平和が来ないと厳しいです)
右薬指にサインあり=本当と

2007年12月22日
北斗七星の女王(ショウダミチコ)が柄杓の形で水星の王(天皇)を誘惑し、ヤハウエーを女王の子供だと騙していた。
ヤハウエーは何度も降りて訴えようとしたが、その仲間の支配星の海蛇座に捕まえられ降りてこれなかったこと、地球を水の星にしてくれた水星の王の言うままにしていたこと(ホロコなど)いろいろ言ってきている。
ヤハウエーは初期の情報から岩木山の子供と何度か伝えられ、ソラの検索《ヤハウエー》で出てきます。

2007年2月2日
週刊文春が報じた 女性皇族「奔放HP」の中身
「私も親さえ良いなら胸にヤモリの刺青入れたいんだけどなぁ~…間違いなく縁切られますからね(笑)」(06年8月1日の日記)

留学と称して税金をこのように使っている人に敬語を使った記事を読んで、やはりおかしいと思います。
今、格差がひどくなっているのに、これを読んでも天皇制を支持する人たちは天皇制を必要と思われるのでしょうか?
そしてこの記事がすぐに消えていくのもふしぎです。
(爬虫類云々と何度かお知らせがありましたが、、、。)

金正日は戦前の天皇を真似していると伝えてきています。
国民の血税で海外で贅沢三昧をしている金正日の息子、金正男の太った姿の写真のニュースも丁度出ていました。

2008年1月23日
昨日、お昼休みにお世話になっている税理士さんの所に寄ったのですが、その時、その近くの喫茶店で異常な光景を見ました。
普段はそう込んでないお店に、中年?の男性でいっぱいでした。
それらの方たちは1月が越せないかもしれないと税理士さんに相談に来られた方たちでした。
極簡単に用はすませたのですが、税理士さんも悲壮な感じで、政府は全くの無策で、こちらでお金をかけて対策を宣伝するようにというだけである。
このような厳しい景気なのに、アメリカに高い石油を無料であげることに全力を挙げていた内閣に、普段は穏やかな方なのに激しい失望感を訴えられていました。
そして中小企業は今でも消費税が負担になっているというのに、17%もアップされれば、想像がつかない状態になると言われていましたが、格差が広がる現状に日本のお金はどのような流れをしているのでしょう。
やはりお金=ヘビ座というので、ヘビ座が支配しているようです。
あの悪法案(新テロ対策特別措置法に基づきインド洋で給油活動)を強引に通した内閣は、安倍総理と同じくらい悪い内閣になるでしょう。

ソラ・シリーズ発売中!
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
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・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。

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以上、ソラからの伝言より。
写真は檄を飛ばす羊蹄山。

星原ではじまった(その3)

2008年01月28日 22時52分08秒 | Weblog
ヤマタイコク物語
《以下のストーリーは全てチャネリングで知らされたもので、想像で書いたのではありません。
なお、年代が違うのはイシキの生まれ変わりがあり、過去世の思いを知らせるためにその容姿に似て生まれ変わります》

1)【大国主とヒミコがヤマタイコクを創る】
大昔、アトランティスの子孫である大国主は、アトランティスが滅びる時に母親の女王に云われて、宇宙の大元の分身であるホシノミナが降りた日本に行く事にしました。

大国主はアトランティスのイシジンと人間の合いの子だったので、とても大きく白い色で、アトランティスで金属に変わった鎌を持っていました。
途中、ヨルダンのペトライシカミに、食べても減らない食べ物マナを、同じく飲んでも減らない水の入った瓶を与えてもらいました。
そして、道中で一緒になったイシジンと人間の合いの子のヒミコと共に日本に向かいましたが、途中で支配星の送り込んだ大蛇にやられて死んでしまいました。

けれどもイシキは日本へ行きたいと思っていたので、そのことをテレパシーで知った道中のイシカミの巨人達は、大国主たちのイシジンの遺体を鎌と共に手渡しで日本へ運んであげました。
大国主たちは四国の山の台地(山台国)になっているイシカミの背中で、今度は大柄な人間の体に生まれ変わりました。

そしてイシカミの身体の上で、イシカミの原子は次々と食べ物に変わったので、食べ物に困ることなく過ごせました。
そして農業も発達し豊かで、人々は自然の恵みを分け合い平和に暮らしていました。
男性と女性は別れて暮らし、男性は山や畑の仕事で女性は子供たちと一緒に川の近くで共同生活をしていました。
山になったイシカミから大国主は農業の知恵を、ヒミコは文字や衣服などの生活の知恵を授けられて、人間としての平和な暮らしをしていました。
その事は近隣は勿論、大陸にもその噂は広がり、教えを乞いに来るほどでした。

ヒミコは星延べとして、イシカミからビジョンで文字を教えられ、ホツマ文字、すなわち“ミズホのツマ”の文字として皆に教えていました。
又、コウゾの木の皮で編んだ布を洗っていて紙が出来ることに気づき、その紙に生活の知恵などを文字として書いていったのが、ホツマ伝えでした。
けれども、ホツマ文字は覚えにくかったので、ヒミコは子供たちと一緒にわかりやすいカタカナの文字を作り、まとめてあらわす簡単な漢字も作っていました。
カタカナの意味

二人の間には、女の子のイトと男の子のタケルノミコという子供がいて、それは仲良く暮らしていました。

2)【ジンムがヤマタイコクを滅ぼす】
一方、朝鮮から九州に渡来した夫婦の元に、男の子が生まれましたが龍神のイシキが入りました。
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、次々と領土を広げていきました。
鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、誰がこのようなものを作ったかと聞くと、イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたのでその巨人を自分の先祖にする事にしました。
鵜戸神宮、鬼の洗濯岩、青島神社、霧島神宮、韓国岳、上の原縄文の森、西郷洞窟

巨人は大きな洞窟を作って、イシジンを創る場所に作っておいたのに、ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。
そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。

一方、ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な(草刈)鎌を盗み出しヤマタイコクから逃げ出しました。
鎌は大国主がアトランティスから持ってきた、巨大な鎌でした。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、ジンムに会い盗んできた鎌を差し出しました。
当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。

けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
ヤマタイコクの人々はその時から刺青をつけられ、被差別民として差別され続けるようになったのです。

ヒミコは娘のイトをひそかに逃がしましたが、ヒミコ自身は捕まって奴隷として連れて行かれる事になり、隙をみて逃げ出し自殺をしました。
イトは乳母と共に無事に逃げ出す事が出来ましたが、星原まで行くことはできず途中で亡くなりましたが、時を経てヒミコに言われていたホシノミナの降りた所の星原で生まれ変わりました。

3)【ノアの親子と倭の国を創る】
そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子がやはりイシカミに導かれて日本に流れ着いて、イトが生まれ変わる時ムウラも生まれ変わりました。
ムウラもチャネリングができホシノミナの所(星原)に呼ばれて行き、そこでムウラとイトは恋に落ち一緒に住むことにしました。
しばらくホシノミナの降りた所で暮らしていましたが、砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしましたが、子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、そのそばに住みたいと星原に残りました。

ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、それがいつか市場のようになり、その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。
ノアとムウラ親子は生まれ変わっても製鉄の技術を覚えていて、鍬や斧などを作り、人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。

一方、大国主が生まれ変わると同時に支配星はジンムも生まれ変わらせました。
ジンムはたくさんのイシカミの分身が大きな古墳となったのを利用して、ヤマトを基盤にしていましたが、又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。

その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、魚の網で捕らえられてしまいました。
(アミダ如来の名前の元とされた)
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。
無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、夜になってムウラを慕っていた仲間にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。
(大江山の鬼退治として、ムウラは悪者として後世に伝えられた)

みんなに慕われていた父親のノアも、追放されましたが、倭の国近辺では、お招きさんとして大切にされて、飲んだ水は言い伝えられていきました。
(それがお水取りに利用され、封印された)

けれども遠くに行くうちに乞食と間違えられ、籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)と言っていたので、モーゼの墓とされました。
(金沢市にモーゼの墓がある)

4)【出雲の大国主】
争うという事ができない大国主は、折角築きあげたヤマタイコクを後にして、8人の部下と共に出雲に向かいました。
働き者の大国主はここでも農業を発達させ、人々は集まり大きな国となっていきました。
けれども大国主は、ヤマタイコクのことが忘れられず、形見として持ってきたヒミコの髪の毛を束ねて、その前に櫛を置き、毎日それに語りかけていました。
それを見て周りの人は亡くなった後も大国主を偲び、髪の毛をしめ縄に、櫛を鳥居として形を残していきました。

又、男性ばかり一緒に行ったので、ヒミコを知っているのは男性のみでしたが、あまり大国主がヒミコを偲ぶので、その内の一人がヒミコの真似をして慰めてあげました。
それが歌舞伎の始まりで、歌舞伎の“柿落とし”という名前で今日まで残っているのは、はイシカミが与えた食べ物で、イシカミの色と姿に似せて作られたからです。
柿で言い伝えられると困ると思ったヤマトは、柿渋で染めた衣類を嫌がらせで、被差別の人たちに強制的に着させていました。

イシカミの助けで大国主を中心に出雲の国が大きくなってくると、又してもヤマトが嫌がらせをして来るので、争いの嫌いな大国主は、当時は地続きであった隠岐の島に行くことにしました。
そこでも皆に大切にされ暮らしていたら、思いがけずあきらめていたイトに出会い、最後まで幸せに暮らしました。
その後、後醍醐天皇などが隠岐に来てゆっくり出来ないと、大国主のイシキはイトのイシキと共にヤマトの手の届かない北海道に来ていました。

5)【タケルノミコト】
若者によってヤマタイコクから連れてこられた幼いタケルノミコは、早くに死んでしまいました。
支配星は生まれ変わる時にもジンムの元で生まれ変わるようにさせました。
そして生まれ変わっても敵とは知らずジンムの元で大きくなりましたが、ジンムからは絶えず大国主は悪者だと言われて育ちました。
そして大国主が亡くなると、8人の仲間は朝鮮の人達にだまされてヤマトを攻めようとしているとジンムは嘘をついて、ひそかに8人をだまし討ちにするようにタケルノミコトに言いつけました。

タケルノミコトは何も知らず言われるままに、大国主がもっとも信頼していた8人の仲間を次々と殺してしまいました。
けれどもヤマトへ帰って来て聞いた言葉は、その8人は自分の本当の父親の仲間だったという事でした。
その言葉を聞いてタケルノミコトは絶望に陥り、イシカタヤマ(猿投山)のイシカミに呼ばれてそこで自殺をしてしまいました。
父親の形見が鎌であったので、今でも猿投神社では鎌が奉納されます。

6)【ヤマトへ連れて行かれたイト】
一方、イトは幸せな生活から一転して、ヤマトへ連れて行かれることになりました。
道中、白い藤が咲いていたので、白人のムウラを忍んで、白い藤*を手折って持って行きました。

*)才の藤、白藤神社綾部の地図

ヤマトへ連れて行かれ何重にも塀で囲まれた所(八重垣)で、幽閉生活をさせられました。
ジンムはどうしてもイトとの子供が欲しく、強引に子供を生ませましたが、その子供がニニギノミコトで、イトの乳母に育てられられました。
乳母はニニギに、イシカミの話や、ヤマタイコクや母親が由良から連れてこられた事を話したために、それを知ったジンムに股を刺されて死にました。
その事を天の橋立の股覗きで伝えているのです。

イトは子供を生む事で由良に行くことが出来ましたが、ヤマトへ戻るのが嫌で、自殺をしようとしましたが、スセリ姫が身代わりを申し出て、警備のものから逃げる事が出来ました。
そして隠岐の島に隠れていた父親の大国主と共に、その地で最後を迎えました。

7)【星原で大きくなった山彦も殺される】
イトとムウラの息子の山彦は、星原に残っていたので命が助かり、何度か生まれ変わりました。
そしてイシカミの助けで次々田畑を作り、星原だけでなく、山を越えたシガサトまでも広げていき、穏やかな人柄で人望を集めていました。
山彦はムウラに似て瞳が他の人と違い、大きな身体で大きくなるにつれムウラに似てきました。
その噂がヤマトに届き、ヤマトがムウラを惨殺した仕返しをするのでないかと思った推古天皇の息子の聖徳太子が、山彦を殺しに来ました。

(聖徳太子はイシジンと推古(リュウジン系)の合いの子で、推古に支配され、言われるままにしてきたことを後悔していると伝えてきました)

その時のことを百人一首
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲し」

星原にあるイシカミのキミ山は、イトとムウラの息子の山彦が罪も無いのに殺された惨劇を悲しく見守るだけでしたが、そのエネルギーで植物に不思議な変化を起こさせました。

それが【シガサトの7不思議】と呼ばれる奇跡です。
(注*京都府綾部市志賀郷に伝わる七不思議)

1)白藤(藤波神社の藤は正月に白藤が咲いた)
2)白萩(若宮神社=山彦が祭られる?神社の萩を白くした)
3)ゆるぎ松(山彦達が逃げて行った所の松が風も無いのに揺れる)
4)しずく松(同じく山彦が逃げていった場所の松が雨が降らないのにしずくが落ちる)
5)タケノコさん(竹の子の出る季節でもない2月4日に竹の子が出てきた)
6)みょうがさん(みょうがの出る季節でもない2月3日に芽が出てきた)
7)ご用柿(秋に赤くならないでお正月に赤くなる。御用、御用と追っ手がきて恐怖の為に柿が青いままだったから)
又、大男が夜中に悪い事をする伝説は、ヤマトが大きな山彦を悪者に仕立てあげ伝えさせたのです。

8)【ヤマトは仏教を利用して、貧富の差の激しい国家になった】
ジンムがヤマトに落ち着いてからも、何とか国を広めようとあちこち攻めていましたが、倭の国の人たちの団結は強く、なかなか支配下に置く事が出来ませんでした。
その頃中米では、あまりに大蛇に支配された人々が悲惨なために、彗星を呼び寄せその国を滅ぼしました。

彗星の衝突のために、巨大地震や地軸が移動して人々は不安になった頃に、竜神の支配する仏教が大陸から渡ってきました。
それまでイシカミの山や岩を祭っていたのですが、仏教はその山や岩が大地震を起したので、代わりに仏教を信じるように言いました。
また、竜神などに支配された人が、地獄絵などを見せ、信じないと死んでから地獄へ行くと恐怖の教えで人々を支配していきました。
そして、供物を供え、お経を唱える事で死後は極楽へいけると、働かなくても良い階級を作り、反対に国民からは搾取し、仏教のための豪華な建築物と次々作りました。
人々はそれまでは自然の恵みを平等に受けていたのに、それ以後貧富の差の激しい国家となっていたのです。

9)【封印されたイシカミ】
早くにヒミコがカタカナやホツマ文字を作り上げていましたが、ヤマタイコクを責め滅ぼした事がわかると困るので、ヤマトが文字を書く事を禁止しました。
その代わり蛇文字を作って神社に置き、民衆には文字を書くと蛇になると脅かしていたのです。
日本には神代文字がいろいろ隠されて存在するのに、ヤマトに都合の良い物語としてだけの文献(古事記、日本書紀など)を残したのです。

その事に気づいた道真が隠された事を世に出そうとして、友人の柿ノ本人磨呂小野小町と協力して、首を覚悟でイトとムウラの悲劇を秘めた和歌を作りました。
それが百人一首で、和歌の作者は権力者の名前をつけることで、公開が許され現在まで伝えられたのです。

けれども柿ノ本人麿呂も小野小町もその後権力者から狙われ命を落とすことになり、ナゾの人とされたのですが、人々はその事を知っていたので名前だけでもと語り継がれているのです。
ヤマトは権力者が国民を支配するのに都合の良い仏教、神道を国民に押し付け、両者が協力して山や岩を崇めていたイシカミを完全に封印してきたのです。

この物語はソラから知らされた事をつなぎ合わせて、出来上がったのですが、ヤマタイコクやイシカミの話は民話や百人一首に隠されて伝えられていました

【四国=死国】
徹底してヤマタイコクを隠すために、仏教でも封印した(88ヶ所巡り)。

【さるかに合戦】
“カニ”はイシカミをあらわし、お腹に子供がいるのがわかるようになっているのは、イシカミのお腹から巨人が出てきた事を知らせている。
“臼”はイシカミの分身が、臼の形をしている。
“柿”はイシカミの形であり、イシカミが生きている時は柿色だった。
“猿”はジンム=ヤマトをあらわし、イシカミに教えてもらった人が作り上げた物を取り上げた。

【元伊勢】
大江山の麓と天の橋立にある。
大江山の皇大神社の78もの祠や、籠神社の行事などこの情報とあっている。

【ヒヤソ踊り】
綾部の高倉神社では「ヤソ、ヤソ、ヤソ」という掛け声をかけて踊る祭りの行事がある。
ヒミコとヤソ(ユダヤ人のノアの親子がいた)の事を掛け合わせた言葉である。

【隠岐の島】
隠岐の島にはユラヒメ神社と、大国主を祭る神社がある。
大国主がヨミの国へ行くと言ったというのは隠岐の島へ行った事。

【百人一首は隠された意味があり、わかると首が飛ぶのを覚悟で作られた】
風景や色恋のように解釈されているが、ムウラやイトの悲劇がこめられている。
これを作ったのが菅原道真、柿本人麻呂や小野小町。
鹿=稲妻をあらわし、星述べの者も含む。

月=丸=真実。
わた野原=内臓が飛び出した惨殺
由良の戸=由良川の河口。船の行き来を、噂が広がると困るので一時止めさせた。
フミ(文)=ヒミコの文字などの意味を含む。

*詳しくは星雲社から発売の『ソラからの真実の歴史』をご参照ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は綾部の三柱神社から。

星原ではじまった(その2)

2008年01月27日 23時41分18秒 | Weblog
2003年3月25日
2003年3月24日 言葉が自然に口に出てくる。

「それはひどい事でした。
山に生きる者なのに一度に何人も殺されました。
それには訳があったのです。
白い木の家の者は、瞳の色が違っていたからです。
暖かな日当たりの良い畑や田を持っていましたが、主のいない間に取り上げられました。
(98年にプレアデナイに支配された時も同じことを言っていました)

いつも君山と話していた山彦は峠を越えて逃げましたが、お供のおじ達と共に殺されました。
山彦の子供は、ただ一人生き延びました」

2003年3月25日 夜中
「白い木の者は肉体は何度も滅ぼされましたが、“白い木の物語”を伝えようというイシキは残り、いつか必ず世に知らせると思い、ひたすら耐えて暮らして来ました」

最近は高速道路が通り見る影もありませんが、イシイネという所に巨大な岩が道路を塞ぐようにあった夢を、最近はっきりと思い出しました。
夢のイシイネの巨石は星原と小呂の村の入り口を塞ぐようにありましたが、実際大戦前後に爆破されたそうです。
これまで誰も知らされていなかった古墳が、そのすぐ傍で見つかりましたが、今は何もなかったように栗畑になっています。

ソラ辞典より
ノアの息子
巨大なイシカミが大泣きして「ノアの洪水」が起こり、その時、一組のユダヤ人のノアの親子が日本に漂着し、イシカミの言葉に導かれ星原にたどり着く。
(人間としては日本に来る途中で亡くなったと知らされる)
そこで(生まれ変わって)、ジンムから逃れて来て(生まれ変わった)ヒミコの娘と出会い、山彦、海彦、女児をもうけるが(海彦、女児は養子)、あるものが襲ってきて捕らえられ、籠舟に乗せられ海に流され富山に流れ着くが、最期は大江山で惨殺された。

ヒミコの娘
大国主とヒミコとの子供で、タケルノミコトの姉。
ジンムがヤマタイコクを襲ってきた時、ひそかにイシカミの声に導かれ星原に逃れる。
(人間としては星原に来る途中で亡くなったと知らされる)
そこで(生まれ変わって)、ノアの息子と出会い一緒になり、山彦、海彦、女の子に恵まれ由良で幸せに暮らしていたが、(生まれ変わった)ジンムにさらわれ、ニニギノミコトを生まされる。
由良に戻ったが子供達は殺されたり行方不明になっていたため自殺をしようとするが、再びヤマトへ連れ戻されそうになり、スセリ姫が身代わりになってくれたために隠岐の島に逃れ、そこで父親の大国主に出会い最後まで一緒に暮らす。
この話がテレパシーで伝えられ「山椒太夫」となった。
名前は「イト」と知らされる。

山彦
ノアの息子とヒミコの娘の子ども。
白い木の者の始まりで海彦の兄。
君山のそばの星原に住んでいたが、ユダヤ人の風貌であったために捕らえられ殺されてしまう。

2006年9月20日
「山彦の言葉を伝えます。
(白道路で)悪者に殺されました。
そして(白道路から)星原まで引きずられてきました。
それで夢*で見てもらったのです。

それからミナトから(由良川を通って)船が入ってきました。
それがヤマトの仲間になった丹後の者*達でした。
そして倭の国の人たちは殺されたのです。
(ラップ音)
殺したのはマに入られた者(推古天皇)の子供でした。
聖徳太子です」

*)夢=今朝知らされた夢で
“死んだ人が、バス通りを引きずられているのを、上から?見ている。どうもその道路は八田の三叉路から星原へ行く道のようだった”
と伝えられ、イシキの世界はつながっているようでチャネリングの言葉と一致しました。

2005年7月26日
「君山(綾部市星原のそばにある城山)の言葉を伝えてください。
イシカミが知らせます。
今から言う事は真実です。
ジンムが嫌がるヒミコの娘(イト)をさらっていきました。
山彦(イトの長男)は(ヤマトが攻めてくるので)逃げるように言われていたけれど、その場を離れなかったのです。
そしてヤマトに殺されました。
それを知らせたかったのです」

(このことを伝え聞いて
“奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき”
の歌は、坂の上田村麿=猿丸太夫の作とされています。
けれども星原からでた柿の本人麿が作り、当時ユーモアのある田村麿につけられていたあだ名を作者にしたと知らされました。
奥山=田舎、紅葉=5葉=ゴヨウ、鹿=白い木=稲妻)

「生きている人間は知らない事です。
米や小豆がどうして出来たか?
それは“生まれる”ようにしたのです。
イシカミは死んでもイシキは残ります。
イシカミのイシキは、原子にイシカミの思いを語るのです。
それは人間が生きていくのに大切な食べ物がいるので、食べるものになってと原子に頼んだのです。
それで原子はいろいろな種になったのです。
小豆は山彦が殺されたことを伝えるために作られた種です」
(綾部など丹波地方は小豆が特産です)

・【ヤマタイコク物語

2004年12月20日
うたた寝をして【夢】を見る。
《色々な洗濯物と一緒に、長いワンピースを折り曲げて干していたが、誰かがそれをハンガーにかけて高い所に干すために持って行く》
その後、夢の意味は何かと思っているとかすかに口が動く。

「真平らな所にいます。
私は柿の元(本)人麻呂です。
真平らな所とは海の事です。
なぜ海にいるかというと、海に突き落とされたからです。
柿の元人麻呂の名前は、柿の事を伝える事でイシカミの事を伝える事ができると思い付けました。

(柿=いて座の女王が地球に降りてきた時、柿色で柿形だったと言う事を伝えるために作られた。サルカニ合戦の話でも大切なモノとされている)

私は星述べをする者でイシカミと話をしていました。
イシカミの話は良くない話だと言われ、石見の国へ行かされたのです。
それでもイシカミを信じる人たちが寄って来てくれました。
その中に小野小町もいました。
真実の物語を和歌に込めて残そうと話し合いました。
話し合いをしているとヤマトの人が来ました。
それでさっきの夢(ワンピースを吊るす)のようになったのです。
みんなと一緒に和歌を作っていたら、私を高い所に吊るしたのです。
そして意識がなくなるまで打ちのめされました。
それから海に投げ入れられたのです。
その知らせを聞いて小野の小町も海に身を投げたのです。

(以前、人麻呂は小町と一緒に暮らしていたと知らされている)

今静かにその事を思い出しています。
星原でホシノミナジンジャの見えない(離れた)谷にある、かって住んでいた星述べの家に行きました。
そこには誰もいなかったが、又戻る事ができると思い、柿の木を植えてきたのです。
星述べの話を仲間に知らせました。
仲間は道真と小町でした。
道真が天皇に、“私が(星述べで知らされたイシカミの事を)伝える”と言ってくれました。
又、僧侶が悪い事ばかりしているので、仏陀の代わりに食べ物を与えてくれたイシカミ(=トヨウケ)を大切にするようにと。

(菅原道真は遣唐使として中国に渡ったが、丁度オームのような集団だったので遣唐使を止めるように働きかけ、中止になったと以前伝えられた)

その事を一番怒ったのが、わがままし放題の僧侶だったのです。
僧侶達は大勢で私を呪い殺すと、念仏を唱え始めたのです。
当時は気にいらない人を念仏で呪い殺す事が出来ると、お金を僧侶にたくさん与えては頼んでいました。
私は(ソラのモノに)知らされるまで(イシカミに)守ってもらえなかった事を恨んでいました。

(昨年大宰府に行ったが、道真のイシキは降りてこなかった)

けれども(イシカミは)人間に知らせる(殺す事)は出来ない事が分りました。
(癌などは)その人のイシキがその人に(気付くように)知らせる事が分りました。
私が死んだのは、月人(プレアデナイの部下だった)に誘拐されたからです。
海辺を渡る女の人が付いてくるように行ったので、ついて行ったら気が付くとこちら(イシキ界)に来ていたのです」

(以前にも柿の元人麻呂は、石見に行かされる前に自分の故郷にあるホシノミナジンジャに寄って、星述べの家に立ち寄り、柿の木をたくさん植えて来たと伝えて来ています)

22時追加
奥歯の歯茎に違和感があり次第に強くなるので意味を聞く。

「小野の小町です。
私がお知らせしたい事は、(追っ手が来ると困るので)私がその場所で亡くなった事にして欲しいと、石を信じる人達にお願いをしておいたという事です。
それで私のお墓があちこちにあるように伝えられているのです。
そのことに協力してくれる人があちこちにいたという事は、それほどヤマトは嫌がられていたのです。
(人麻呂が殺されて)泣いたのは少しの間でした。
(人麻呂が海に投げ込まれて)死んでからも一緒にいたいと、私もすぐに海に飛び込んだからです。その時のことを思い出していました」 (足にサイン)

「(鳥取に)流し雛の風習が残っているのは、人麻呂と小町を偲んで、人々が語り伝えてきたのです。
顎の痛み(奥歯の違和感のこと)は人麻呂が言いたい事も言えず、いつも歯を食いしばっていたのが哀れだった事をお伝えしたかったからです。
星述べでたくさんの事を知らされていたのに、言う事が許されなかったからです」
(歯茎の違和感なくなる)

若い頃鳥取の流し雛をお土産に頂いたが、その記憶がとても鮮やかで薄れないと思っていました。
流しびなの里(鳥取県八頭郡用瀬町)

2004年6月21日
百人一首。

【ユラノトヲ  ワタルフナビト  カジヲタエ  ユクエモシラヌ  コイノミチカナ】

《由良川の河口の砂州が、戸のようになっているのを“由良の戸”と呼ぶ。
そこを通って倭の国の人々は船で行き来をしていたが、ムウラが捕らえられた後しばらく交流を止められていたことがあり、その後の二人の行方はわからなくなった》

丹後の国の国司・曽禰好忠(そねのよしただ)がこれを作った事にしたそうです。

「これは私の作った歌です。柿の元人麻呂です。
さっきの意味を書いてください。

【タゴノウラ  ウチイデテミレバ  シロタエノ  フジノタカネニ  ユキハフリツツ】
山部赤人?

《ヒミコの娘のイトが、(ヤマトに連れていかれるのに)丹後の由良の家を出て星原に行ってみたら、息子の白い木の者の山彦が(いじめに)耐えていた。
(白)藤を持ったお母さんが連れて行かれるのを、(山彦は)高い井根(石井根という大きな岩)の上で手を振って見送った》

という事を村人から言い伝えられていたので作った歌です。
何としても残したい歌でした。
山部赤人はイシカミを悪く言う悪い人で、(赤人が)この様な歌は作っていません。
私がいなくなった後、自分の歌にしたのです」

石井根にはかっては巨大な岩が道路をふさぐようにしてあったのは、星原にヤマトからの侵入を防ぐために君山(=城山)が置いておいたそうです。
今は道路が通り跡形もありませんが、その近くに12の古墳があり、そこに地獄の入り口と言われた所がありました。

【ハルスギテ  ナツキニケラシ  シロタエノ  コロモホステフ  アマノカグヤマ】

《磔を逃れた(イエスが)暑い(インドを経て)来た(そしてユダヤ人のノアの子の)白い木の者が(ヤマトにいじめられて)耐えている(と聞いた)その子供を欲しいと頼んだのです。 そして天(射手座)のことが山に隠されていると教えたのです》

2004年5月20日
真夜中突然に。

「柿の本人麻呂はホシノミナの近くで生まれた人でした。
物部氏に見出され、歌を世に出すためにヤマトへ行ったのです。
ノアの息子達の悲劇を伝えるためと、イト(ヒミコの娘)がどのような所に連れて行かれていたか知るために行ったのです。
そこで菅原道真や小野の小町と出会いました。
小野の小町とは、イトがオノを振りかざして抵抗したということを聞いて、イトを忘れないようにと名前を付けたのです」

(以前は小刀と思っていた。“オノ”とはノアの息子がよく、“オーノー”と言っていたからとも)

柿の本人麻呂は星原へ行ったとこれまで2回伝えてきていますが、最初は本当か疑いましたが、イカルガ(旧綾部・丹波)で生まれていたのであれば、当然と思いました。

2005年8月11日
8月11日 真夜中、目が覚めて星原の畑が頭に浮かぶ。

「イシカミが死んで死んで知らせたのが、キミの・・・・・。
知らせて欲しいのです。(ラップ音)
何時ごろ0木家のものが誰もいなくなったかというと、父親が子供の頃です?
(これは誰が父親かわかりません)

その頃には星の宮(神社)の近い所で住んでいました。
その前は0木家はいなかったのです?」

「一度、人々は知らなければなりません。
(何を?)
0木家がミナツキサン*の始まりをしたと言う事と、ホシノミナのいわれ*を知っていたという事です」
(ヤマタイコク物語の一部に書かれています)

*)ミナツキサン=綾部の祭り。
倭の国の時代に、山彦と海彦が、海と山の物の物々交換をしていた時、皆が着いたよ、と知らせる言葉と伝えられた。

*)入母屋の屋根がホシノミナをあらわしていると言う事。
京都府綾部調査

「0木の土地が、広く由良川の先の(大本の元)まで届いていたことも。
それなのにわずかな土地しか残されていないのには、訳があるのです。
それはヤマトに意地悪をするように言われ、(周りの人が)みんなでいじめたからです」

(以前に0木家の石は最初のストーンサークルの真中にあった石で、それをめがけておしっこをさせたと伝えられ、石を写した時、怒った顔に見えました)

「そしてついに星原の家を追い出され、0木家の者は流浪の旅に出たのです。
そして岐阜の白川村に落ちついたのです。
(ここにはタッツケというモンペの呼び名が、星原と同じで、岐阜県には0木と同じ苗字もあります)
そして誰もいない*星原などの土地は、皆に分けられたのです」

*)誰もいない0木家=以前柿の本人麿呂や小野の小町が、ここを訪れた時にも、人がいなかったと情報で知らされています。
柿の本人麿はイシカミをあらわす柿の木を植えておいたと。
星原には以前、裏山に柿と栗がたくさん植えてあり、家の周りに柿の古木が何本もあった。

(右側腹部にサインあって目が覚める)

「その話はヒラメに例えてて以前伝えました。」
(ヒラメは砂に潜る=隠れていた事)

(白い長方形=シリウの光があらわれ消える)

「(星原の0木家の周りの人たちは)一度に移住してきたのです。
それがわかるのが、かっては小さな谷の0木家の周りには、家が密集していて、畑や田は山を越えた隣の谷にありました。
それらの人たちは、ホシノベである0木家を監視する役目を負っていたのです」

咳が出て目が覚める。
「それはイシカミがしっかりと残っていることです?
ストーンサークルが作られていた石が(星原に)あります。
(写真を写すと) その岩が怒っていたのは皆がおしっこをかけたからです。
しかもその横にリュージンを祭らせました」

(白い光があらわれる=本当と)
(実際に石の横に小さな祠があり、98年以後祭らないように兄嫁に頼んだ)

0木の苗字は綾部市上林にもあるとずいぶん前に亡き姉が言っていました。
けれども付き合いもなく、当時はなぜかと思っていましたが、上林は君の尾山の麓なので、0木家の一員が行ったかもしれません。
君の尾山は、君山(=城山で射手座の末子)のお供でついて降りたイシカミで、君山が狙われないように、自ら犠牲になって仁王門や寺を建てさせたと伝えられました。

2006年7月1日
《イメージその2》
“星原の田のそばの小さな小川に、3つの囲いがしてあり、2人の男の子が洞窟に入ったりして、楽しそうに水浴びをして遊んでいる。
それぞれの囲いの中にカニ、うなぎ、魚がいる。
隣の囲いにはいっぱいのうなぎがいて、うなぎが砂に語りかける?とそこからうなぎが出てくる”

意味は
「良いことです。昨日カラスが近づいてきたのもお知らせしたのです」
(昨日公園でカラスがちょっと近づいてきたのは、何を知らせようとしたかと思っていた)

ソラ・シリーズ発売中!
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
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地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真はイシイネの巨石があった場所。

星原ではじまった

2008年01月26日 23時14分20秒 | Weblog
2008年1月25日
神功皇后の子供(のイシキ)がシオニストになったのです。
神功皇后は“ある者=ジンム”の妹でした。
ある者は二人の人間として生まれました」

(この後左手首がとても痒くなり、二つの発赤疹ができてカユミは治まる)

《ビジョン》
“金色の点が一面に散らばっている”
意味は
「神社のエネルギー体で悪さをしています」

「エデンの園は“いわずもがな”(=何度も言っているので言うまでもない)のことですが、人間が最初に創られたところです。
それは何度も言いました。
そしてそのことに気づくように夢*を見てもらっていたのです」

*)夢=星原の谷の奥の小さな川に沢山の魚やカニがいる、土管があってその中をのぞくとウナギや大きな魚がいて、手でつかめそうだと覗いている。
数10年前の夢だがはっきりと思い出しましたが、エデンの園の条件である4本の川がわからなかったけれど小さな川でも4本ありました。
果物は柿のことだったが、シリウが創世記を教えたので、リンゴ=オシリの形=シリウ(す)=知恵をあらわす。ヘビはヘビ座のことでした。

ソラ辞典より
星原
宇宙の大元の分身のホシノミナが降りた所と伝えられた所。
この地域にある入母屋つくりは、ホシノミナが彗星で降りてきたので、その形をあらわしているそうで、屋根を逆さまにして空気抜きは口
京都府綾部市星原という小さな村で、ヒミコの娘とノアの息子が出会った所であり、その子の山彦が住んでいた所

谷間の村なのになぜ星原というかと言うと。
星述べ=>ホシノベ=>星野辺=>星+野原=星野原=>星の原=>星原になり
ノ(野)が抜けた。

ヤマトにとっては一番隠したい所であり、古くは柿本人麻呂小野小町等も訪れ、山彦の悲劇を百人一首に読まれている。

2008年1月18日
「エデンの園は人間が始めて創られた所です」

4本の川が交わる。アジアの端にある。若つくりの泉がある。神が食べ物を作り出したなど書かれているそうです。

2005年6月1日
【ビジョン】
“白い丸の周りに稲妻のような白い光が5、6本降りてきて、丸の中で2、3人?がごそごそしていると赤ちゃんのような顔が出来上がる”

意味は
「ストーンサークルの中に射手座のものがエネルギーを送り込んで、名のない星たちがイシカミ原子に指示を与えて人間(大人)を創った事を知らせたのです。
まず、最初に心臓が作られて大人の体が創られました。

そして最初の人間はホシノミナが降りてきた所(綾部市星原)のストーンサークルで創られました。
そしてそこから数千人も出て行ったのです。
けれどもそこのストーンサークルはヤマトに壊されたのです」

(本当かな?と思っていると、口の上をチクチクとサインがあり、本当ですと)

ホシノミナの降りた所に最初のストーンサークルがあり、ヤマトに壊されたとは、以前にも知らされています。
ちなみに以前の情報でよく出てきた綾部市シガサト(犀川流域)には、旧石器時代のチャ-ト製ナイフ形石器が出ています。
綾部の古墳

同じく綾部市にある(埋められたが)たくさんの何の穴か分からないという巨大な穴は、青森の三内円山と同じ巨木で巨人を示すものが作ってあったのですが、ヤマトがそれを隠すためにあちこち穴を掘って意味をわからなくさせたと知らされています。
綾部市豊里町の三宅遺跡

人間は猿を基礎としていますが、直接進化したのでなく参考としただけで、丁度コンタクトの映画にあった
“小さな点(=原子)が集まって人間の姿が出来上がる”
イメージと同じと思いました。

2006年9月4日
日本のイシジンのことを考えていたら、右手の平にややきついサイン2回あり。
とてもかすかでなかなかわかりませんでした。

「死んでしまったイシジンです。
日本にもイシジンはいました。
イシカミの身体の一部原子が、より固くなってイシジンが生まれました。
それが横穴や縦穴です。

そして(別のイシジンの分解した原子が結集して空間に)人間があらわれると、人間の指導をしました。
それはお乳を飲むように教えました。
お乳は山羊の乳です。

そして眠るのはイシカミ(の山の)麓で寝ました。
人間は何も知らないので、いつもそばにいました。
口から食べる物を教えました。
それはイシジンの足元に生えてきました。
イシジンの身体の一部が食べ物に変わったのです。

私はトヨウケと呼ばれたもののイシジンです。
食べ物は稲も豆も菜っ葉も出来ました。
栗や柿も皆に分けました。
なんとしても人間に生きて欲しかったからです。
歯で噛むことも教えました。

(人間は)何度も死んでしまうのでナ、ナ、ナ・・・・・涙が出ました。
(右腕にサインあり)
人間にツ、ツ、ツ・・・・・・(物事を)伝えることがなかなか出来ませんでした。
それは忍耐のいることでした。
煮るということも何度も親に教えました。

人間は土で入れ物(土器)を作ることは出来ませんでした。
小さなイシジンが作りました。
イシジンは横穴や縦穴で生まれました。
今に、タン、タン・・・・・」

今朝方のイメージ
“洞窟の前に大小の足跡が横向にある”

意味は
「↑のことを知らせようと思ったので見てもらいました」と。

2004年5月24日
「初めての人間は、ヤハウエーとトヨウケのところに現れました。
イシカミとソラのものが相談して、毛皮の無い猿として発生させたのです。
あちこちにイシカミが思ったいろいろな人種が、ほとんど同時に発生しました。
それらは地球上で、原子が集合して、大人の人間として現れました。
そして一緒になって子供が出来ました。
子供は、石室で生まれ育てられました。
子供が生まれるまでに簡単な家を作れるように、脳の遺伝子操作がなされました。
食べ物は、果物や木の実が沢山あり、充分に満たす事が出来ました」

2004年3月6日
夜中突然目が覚める。

「トヨウケです。
私は悪い者ではありません。
今度の物語に付け加えてほしい事があります。
それはヤマタイコクが滅ぼされた後に出来た国のことが消されていることです。
そのことに気づいてください。
ヒミコがワが大切と言ったことから生まれた、ワの国(倭の国)のことです。
ワの国は倭と書き、“イノリをするホの女”という意味です」

(ホは亡くなった後別れるというカタカナの意味

「(魏志倭人伝の)倭の国とは、日本(列島)の国だと中国の人は思っていますが、本当はここなのです。
その倭の国は、私が作った由良川のほとりにありました」

(綾部と福知山にまたがった平野から、由良川下流の沈下した広大な平野に発生した国)
凡海郷

「私はトヨウケです。
【聖塚】や【あやめ塚】も作りました。
これは(巨人トヨウケの)オッパイのつもりで作りました。
聖塚古墳・菖蒲塚古墳

由良川は私一人で作ったのではありません。
もう一人の弥仙(=君尾山の巨人)と一緒に作りました。
二人で作ったので由良川は(急角度に)曲がっているのです。
弥仙は男性の巨人で、落としモノで【山家の立岩】で残しました。

私(トヨウケの身体)は今は山になっています。
私市円山古墳とその裏の小山)

私が(トヨウケが本当の)【三内丸山】なのです。
青森のは(テレパシーで伝えて)私の形をあらわしてくれたものです。
(綾部で当初、青森の三内丸山の様に巨木を立てて、巨人が作ったということをあらわしていたという事。=三宅遺跡にあった謎の穴跡)

けれどもそれ(巨木を立てていた穴)をわからないようにするため、ヤマトの者はわざとたくさんの穴を作ったのです
私は【三内丸山】になったトヨウケです。
サンナイとは、(サ)されて最後(ン)に亡くなった者(物部守屋)が中に入る事がわかったのでその名前にしたのです。

(私市とは、キサイチ=妃・スイコに一番嫌われた物部守屋のことをあらわし、キサイチマルヤマと発音するのをイシカミは嫌う)

【蛇行する剣】は、ヤマトの者(=人間)がイシカミを殺した(言い伝えを抹殺した)という事をあらわすために作ってもらいました。

【石冠】は、私の身体に似せて作られたのです。
(綾部市資料館展示品の石冠

そして私のしたことを隠すために、遠くで祭る*ようにしたのです。
(*食べ物を考え人間に与えた事を、イシカミを封印するヤマトの支配から隠し守りつづける為、綾部より離れた‘丹後のマナイ’で祭るようにしたのが始まりと)

私は君山の子供(=巨人)でした。
これまで君山には子供はいないと言ってきましたが、ヤマトの子孫がまだこの国を治めているので言わない方が良いと思ったからです。
私が作った池(福知山の3段池)から水を引きお米を作りました。
その証拠が池の周りにあります。(=稲葉塚古墳

けれどもその池に支配星リュージンを降ろしたので、争いを好むリュージンは人間に災いをもたらし、悲劇が絶えませんでした。
又、シガサトの山奥の池にもリュージンが降りて災いをもたらし、悲劇を招いていました」

(いずれも今は支配星の部下であったリュージンのエネルギー体はいませんが、争いを好むリュージンを神と崇めていると、そこにエネルギー体が発生していたずらをするようです)

まとめ
【トヨウケ】= 君山の巨人。
私市円山古墳とその裏の小山。
聖塚と菖蒲塚はトヨウケの両乳房で現存。
由良川を作り、人間のために食べ物を考え与えてくれた(本来の)トヨウケ。

(注1:伊勢外宮と丹後の真名井に食物・豊穣の神として祭られているのは、いにしえにトヨウケが人間のために食べ物を作り出したことへの感謝を、イシカミを封印するヤマトの支配から隠し守るために、遠くの真名井で食物豊穣の神として祭るようにしたのが始まりです。
後から降りたモノが本来のトヨウケの名前を踏襲した?事と知らされる)

(注2:青森の【三内マルヤマ遺跡】* は、【私市マルヤマ古墳】のトヨウケが原初のモデルで、綾部の原初のモノ(=三宅遺跡による)* を青森の巨人にテレパシーで教えて、同じモノを作ってもらった遺跡と)

*参照【綾部市舘町の三宅遺跡にあった謎の穴】
トヨウケ(=私市円山になった)が、当初綾部で巨木を立てて巨人が作ったという事を表わしていたのを、ヤマトにより封印されると先の事がわかっていたので、同じモノを、青森にテレパシーで伝えて作られたモノが三内丸山遺跡と知らされる。
綾部に原初のモデルがあった事。

*参照【三内丸山遺跡
ここの掘立柱と言われて巨木が6本立っているのは、巨人が自分の大きさを形で示し、人間に語り伝えてもらうために巨木を立てたそうで、上の方は切らずにそのまま立てていたそうです。
6本という数は、 巨人は肉体(=5本)を持ちながらイシキ(霊)を理解しているという意味だそうです。
掘立柱の前に長い家がありましたが、あれは横に7本、二列に巨木の柱を立てたのは、“連なった巨人”がいたということをあらわしたそうですが、後から人間の為に家にした?そうです。

2001年10月31日
2001年10月31日 3時40分

眠れないので星原の事を思っていると突然地響きとともに「ドスーン」と大きな物が落ちたような音がきこえました。(北東方面)
聞くと、

「あの音は重要な意味を持っています。
君山が地球に降りてきた時にあのような音がしたのです。
すなわち物質としてのイシカミが、宇宙から降りてきた時の音をあらわしました。
そしてその衝撃でイシカミの球体はつぶれたのです。
キミ山もこのような痛みを感じました」

(急にお臍のところがキューと痛くなるも1分くらいで治る)

「君山は未熟児のように小さかったので(人間の)巨人は連れて来ませんでした。
それで小さな君山は、分身を作る(お腹から取出す)のが最初の仕事でした。
そしてその分身(日室岳)*が2人の巨人を作り、すぐに働いてもらったのです。
その巨人達がトヨウケ*(私市円山古墳)とイナリヤマ*(本宮山=鶴山)で、ミセン*(弥仙山=君尾山の分身の巨人)と力を合わせて由良川を作りました。
また(福知山の)三段池を作り、田へ水路を引きおいしいお米が獲れるように
人間のために働きました。その証拠が池の周りにあります」(=稲葉塚古墳)

※2005年4月14日追記 【綾部と元伊勢の山々】

*)君山=イシカミの女王の末子。 
未熟児だったという綾部市吉美にある小山。
唯一ホシノミナのそばに降りた。
山彦を見守っていたので、シガサトの7(8)不思議を出してヤマトに抗議した。

*)日室岳=君山の分身。(岩戸山=城山ともいう) 
加佐郡大江町の元伊勢内宮の神体山。
地元では天照大神の御陵(お墓)と伝え、古来より“山が光る”と伝わっている。
見事な三角山ピラミットは、まさにイシカミの分身(巨人)自身のからだで、河原には奇岩が多い。
(情報ではノアの息子がヤマトにより、大江山の麓の毛原{=毛が飛散る意}で惨殺されたと知らされる) 

*)トヨウケ=(イナリヤマと共に)君山の巨人。
由良川を作り、私市円山古墳、聖塚と菖蒲塚(トヨウケの両乳房)となって現存。
人間のために食べ物を考え与えてくれた(本来の)トヨウケ。

*)イナリヤマ=(トヨウケと共に)君山の巨人。
君山の巨人。
オオモト本部の聖地(鶴山 = 本宮山)として現存する。
(オオモト開祖の出口ナオが、ウシトラのコンジンより言われたことに、“宇宙の大元の分身が降りた星原=君山の麓にオオモトの物を建てて欲しい”と。
その君山が解らなかったと。
また当時の度重なる国の弾圧から推測しても、イナリ山=本宮山が、君山の身代わりとなる?)

*)君尾山=君山のお供で降りたイシカミ。
ヤマトに対して君山の身代わりとなった。
自分の分身から巨人(弥仙山)を作った。

*)弥仙山=君尾山の分身の巨人。
落し物で“山家の立岩”を作り、君山の巨人のトヨウケと共に由良川の曲がりを作ったと言う。
 
*)四つ尾山=君山のお供で降りたイシカミ。(六つの尾根ある ムツオヤマと呼ばれたいと)

*)綾部の山々=名のある山、名の無い山々も全て射手座より降りたイシカミと、その分身と巨人です。

ソラ・シリーズ発売中!
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は星原にて。

ソラからの物語

2008年01月25日 23時58分07秒 | Weblog
2008年1月25日
【掲示板より】

#)外務省:第21回「日本・アラブ女性交流」公開シンポジウム
エジプト、ヨルダン、パレスチナ自治区の女性が参加されるそうです。

東京シンポジウム・・・参加費無料、同時通訳付
日時:1月27日(日曜日)午後1時30分~4時
場所:女性と仕事の未来館 4階ホール

大阪シンポジウム・・・参加費無料、逐次通訳付
日時:1月31日(木曜日)午後2時~4時30分
場所:山西福祉記念会館 3階ホール

#)アトファルナろう学校ジェリー・シャワ校長来日報告会
パレスチナ子どものキャンペーンHPより)
◆仙台
【日 時】1月26日(土)14:00~16:30(開場は30分前)
【会 場】仙台市立中央市民センター
 (仙台市宮城野区榴岡4-1-8 パルシティ仙台5F)
  JR「仙台駅」下車 駅東口徒歩5分
  地下鉄「仙台」駅下車徒歩7分
  市営バス・宮城交通「仙台駅前」下車徒歩3~8分
【資料代】500円

◆東京
【日 時】1月27日(日)14:00~17:00(開場は30分前)
【会 場】JICA地球ひろば 3階講堂
 (〒150-0012 東京都渋谷区広尾4-2-24)
  地下鉄日比谷線「広尾」駅A3出口1分
【参加費】無料
 ●手話通訳がつきます

◆大阪
【日 時】2月3日(日)14:00~16:30
【会 場】大阪市立浪速人権文化センター 集会室2
 (大阪市浪速区浪速東1-9-20 5F)
  JR大阪環状線 芦原橋駅南口すぐ
【参加費】無料
 ●手話通訳がつきます

2008年1月23日
2008年1月23日 真夜中

「外のことについてです。
なぜ異常な寒さが続いているかというと、ヘビ(座)が支配しているのが嫌だからです。
そしていつまで経ってもソラのお知らせに意識を向けないからです。
(左下腹部に一瞬だけきついサインあり)」寝る。

軽い地震の揺れ(十勝、M 4.9)で目が覚める。その後

「悪者が日本人からパレスチナに与える絵本はこれだけだと、世に知らせたのです。
それは(“ソラからの物語”の冊子をパレスチナの人たちにプレゼントしたことを)世に知られないようにするためでした。

悪者とはいつもきれいな言葉を並べて平和を唱えている人で、ヘビ座(のイシキ)の人なのです。
いかに世界連邦(の宗教者)の人たちが平和を唱えながら、ソラの情報を邪魔しているかわかったでしょう。

悪者とは世界連邦(の宗教者)の人たちなのです。
表では平和を説きながら、裏では隠れた悪者が(宗教で支配して)争いを止めないようにしているのです。

悪者に星たちが(地震を起こして)知らせるように頼んだのです。
(地震で家屋が)壊れるほどには知らせないで、と頼んだのです。
悪いこと(以前“友達物語“がパレスチナへ贈られていると知って、それに対抗するために世界連邦が用意した絵本をパレスチナの子供にプレゼントして、マスコミに公開させた)を知らん顔して知らせたのがヘビ座の人でした」

綾部市長、イスラエルへ 来年1月 絵本「平和の種」現地に(2007年11月30日付ニュース)

発生時刻 2008年1月23日4時34分頃
震源地 十勝支庁南部(北緯42.3度 東経143.1度 深さ60km)
規模 マグニチュード 4.9
震度2 北海道、青森県

《ビジョン》
“左側は白い丸で、右側は竹で隙間なく編まれた竹垣のような模様。その真ん中に穴が開いて白いものが見えるが、竹垣の模様が次第に穴を閉じようとするので穴が小さくなる”
意味は

「竹垣は宗教エネルギー体、白い穴は真実の情報のソラからの物語の冊子。
それを直接パレスチナへ持って行ったが、真実の情報を覆い隠そうとしていること」

チャネリングなので真偽のほどはわかりませんが、最初に出合った時から3度共に同じこと、大学教授でありながら統一教会の信者?ということを隠して世界連邦に参加していると厳しいことを言ってきます。

2008年1月17日
世界連邦の講演会に行くバスに乗っていた時に見えた《ビジョン》
“真っ白い引っかき棒のようなのが左側の影の部分へ延びていく。その後、左下に赤(紫)の丸いのがあらわれ消える”
意味は
「へび座をやっつけるのには、白い光線銃が有効なのです」と。

「ヘビ座の部下がプレアデナイや北斗七星で、悪賢いヘビ座は隠れて星たちを支配していました。
統一教会の文鮮明はヘビ座の司令官なのです」

昨日のビジョンで知らせたように、チベットに降りたヘビ座が、南下して拝火教になり、全ての宗教の元に入り込んだのです。

2008年1月17日 真夜中目が覚めて見えた《ビジョン》
“朝鮮半島とその奥の中国大陸に地図に、赤い線で細かく描かれている”
意味は
「仏教が中国から朝鮮を通ってきた道を赤い(警告の)線であらわしました」

朝、金色の網目が大きく見えるのは、ヘビ座がまだ大きな力を持っているようで、その後”生田神社“と言葉が出ると、赤紫の鮮烈な光が下半分にあらわれ、ヘビ座のエネルギー体が支配していることを知らせたそうです。
ヘビ=セクシャルな力が強くて、朝鮮のカルトはたいていセックスがらみの問題を起こしています。

2008年1月22日
#)掲示板より
>朝のニュースでエルサレム・・中東和平・・絵本・・といっていたのでドキーッとしましたが、よく見ると綾部市長が20日にエルサレムの子供達にあの・・・・な絵本を届けていました。

綾部市長が絵本を贈ったとTVで放映されていたそうですが、イスラエルから抗議が来て描き直した絵本が、平和に役立つでしょうか?

2007年6月29日
#)中東和平交流 今夏も中止。綾部、現地情勢悪化で(2007年6月27日付ニュース)
の記事を掲示板で紹介してくださいました。
世界連邦としてプレゼントする予定のマンガが、偏りすぎているということでイスラエルから許可が出なかったそうです。

確かにイスラエル側も問題がありますが、今は宗派同士の争いであるのに、どうも和平協力者は全てイスラエルのせいと言っているのが気になります。
一番の弊害は【宗教】だということに気づいてほしいと思います。

それで思い出したのが、2003年、2004年の来日時は、友達物語や、地球物語を世界連邦の方を通して戦争遺児にプレゼントしていました。
2004年にプレゼントするのも難しいといわれてその後は連絡をしていませんでした。
国で決定されたことで到底無理でしょうが、ダメもとでとイスラエル大使宛に『友達物語』と『地震と雲』の本、【ソラのイスラム物語】のプリント(日英)を送って、子供たちの夢を実現させてほしいと手紙を送っておきました。

2007年11月9日
読者の方の起き掛けの夢の連絡です。

“誰か女性の声で強い口調(威圧的?)
「黙って寝ていろ!植民地にする」と言ってきました。
その後、フフトス?と浮かぶ。
起きて調べてみると、フフホト(内モンゴル)がありました”

威圧的な女性は細木和子で、先日、朝青龍と会談をしたとか問題になっていましたが、それがモンゴルで、朝青龍が23日に帰ってきて二人が会うことで大きなエネルギー体が発生したようです。

その後、
「大本教のリュージンがモンゴルに隠れています。
フフホトとは『フ、フ、フ、(逃れられて)ホットした』
と、大本教のリュージンが笑っているのです」
と。
今年も大本教祖達がモンゴルへ行っています。

*)モンゴルとオニ三郎より
「・・・笹目仙人が崑崙山中に大本のご神体を納めてくることです。・・・・・」

大本教の神体はリュージンです。

「ヘビの大将がリューだということを知ることが大切です。
寺も神社もリュージンを崇めているのです。
リュージンを信じている人が地球を争いに巻き込んでいるのです。
それなのに宗教の名に隠れて平和を唱えていることが間違っているのです。
(世界連邦で宗教者組織が入り込んでいる)

天皇家の隠れ蓑がリュージン信仰の大本教なのです。
リュージンを世界に広めるためにワニ三郎に託したのです。
(ワニサブロウは皇族の隠し子の噂)
それでワニ三郎がモンゴルへリュージンを送り込み、そのリュージンの化身の朝青龍が来たのです。
細木和子が昭和天皇の妻と同じく、スサノオの化身なのです。
ワニ三郎はスサノオの使いなのです」

2007年7月6日
以下のことは公開しないでおこうと思ったのですが、声が出るほど一瞬、激しい痛みのサインが腹部にあり、
「(次のことと7月4日の)お知らせをしっかりと伝えてください」
と言うことなので公開します。
書き出すと、痛みはピタッと止まりましたが、これまでにない激しいソラのものの怒りを感じました。
それは今日のソラの雲でもいろいろ変化して一生懸命訴えていることがわかりました。
2007年7月6日 札幌西方向

2007年7月1日 明け方、突然目が覚めて英語の文字が見える。
《イメージ》
“I'm a find(er.)”という(er)の抜けた文字

その後の《ビジョン》
“小さな枠の中にマンガで変わった動物が2種類、その後は羽根のはえた馬?牛?らしきもの”

意味
「生意気な若者の星(馬?牛?=ケンタウルス?)のものは、大本教のリュージンに捕まっているからです。
それがパレスチナのリュージンに力を与えたので争いがひどくなったのです。
たまに知らされるソラの情報の一部を聞いただけで、
『今世紀中には(ソラの情報が広がるのは)無理だ』
と言ったからです。
それが世界連邦の人に伝わったのです。
そして友達物語でなく違うマンガ*になったのです。

*)マンガ=世界連邦で戦争遺児にプレゼントするマンガ
・中東和平交流 今夏も中止。綾部、現地情勢悪化で(2007年6月27日付ニュース)
によると
“世界連邦としてプレゼントする予定のマンガが、偏りすぎているということでイスラエルから許可が出なかったそうです”

「ソラの情報を一部だけ読んで解釈して(メドゥーサのこと*)伝えたのでテロリストに大きな力を与えたのです。

(ソラの情報はパレスチナなどイスラム国にも届いているが、日本の宗教家が、この情報を否定するので、イスラムの復讐の教えは正しいと、相変わらず復讐の教えを若者に伝えるので、テロが止まらないこと。
大本教も平和を唱えながらその裏でリュージンを崇めているとソラの情報では非難していること。
ワニ三郎が大本の庭の池=金竜海を信者に作らせる時は、狂人のようであったことは、本性が出ているのです)

そのことを伝えてください」

*)メドゥーサ=神話では石にする悪者と思われているのに、頭の毛はウナギのイシカミで被害者だと情報では伝えたこと。
2006年4月5日 原子の思い、メドゥーサ=神経が脊椎とつながっている、【潜在意識について一部追記】
2006年5月11日 ホメロス、ポセイドン、死海、気功、塩など

(先週から続いていた右手首の痛みが今朝は治まっているのは、1昨日イスラエルに友達物語などを贈ったからと。痛みは地球からのSOSであった)

2007年7月2日 真夜中突然、目が覚めて。
「今年も(パレスチナとイスラエルの戦争遺児の来日が)ダメだったのは、子供たちに希望の知らせ(友達物語?)を伝えないことがわかったからです。
そして(友達物語の代わりに)何の意味もないマンガを与えようとしたからです。
それはすなわち、友達物語を否定することでもあったからです」
(現実にはいろいろな意味もあったと思いますが、、、、、)

「悪者の言葉です。
“(パレスチナやイスラエルの戦争遺児に)何もしない方が良い?”
という言葉が悪者だということをあらわしています。
自分勝手な思いだからです。
他の人たちに何も(ソラの情報の本当の意味を)知らせていません。
(ソラの情報を知らせると)自分の立場が変に思われると嫌だからです。

マの者たち(大本教祖など)がいるので、それにつながっていれば丸く治まると、大切な(ソラの)教えを知らせないのです。
自分たちが丸く収まっていれば、相手(パレスチナやイスラエルの戦争遺児など)がどうなろうと知らないと思っているのです。
招いてやっているという思いが見え見えなのです。
日本の(宗教家が)ソラの情報を遮断して、必死で救いを求めてくる人たちを突き放しているのです。
ソラのモノたちより」

2007年7月2日 朝、右足薬指にサインあり。
「硬直した宗教の教えから離れないと、世界連邦の発展はありえません。
何の目的で世界連邦は創られたか?
籠の中のカナリアのように、意味のない言葉だけ並べていても何の働きもしないのです。

今こそ、脱宗教で最初の目的のために進むことが大切なのです。
イスラムの人たちが宗教に囚われることで、いかに精神の煉獄に入っているか身を持って知らせてくれているのです。
それはキリスト教徒でも同じなのです。
無宗教者を異端者として教えてきたキリスト教も罪は重いのです。
ともかくこの情報が、悪者に届くように(ラップ音)するために知らせたいのです。
それでソラの情報の広がりをジャマをしている人を見つけたので、発見者と“I'm a find(er.)”とビジョンで見せたのです。
私はユダのものです」

地震雲画像より
1月19日~1月24日の雲
発生時刻 2008年1月26日4時33分頃
震源地 石川県能登地方(北緯37.3度 東経136.8度 深さ20km)
規模 マグニチュード 4.6
震度5弱 輪島市門前町走出(石川県)
震度4 輪島市鳳至町 穴水町大町(石川県)

ソラ・シリーズ発売中!
・『ソラからの物語』(目次
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は『ソラからの物語』。

クラノスケの願い

2008年01月24日 23時18分17秒 | Weblog
2008年1月22日
2008年1月22日3時、左目がゴロゴロする。

「オーノーを知ったものです。
斧を教えてくれたムウラのことを知ったクラノスケ(大石内蔵助)です。
シオについて知らせます。
明石でシオを最初に作りました。
そして遠くでもシオを作ることになりました。
それが吉良でした。
けれどもいわれのないケンカをさせられました。
(右ひじ内側にサインあり)
そのことを知らせてくれたので思いが切れました。
人間になるのが嫌になりました。
ソラのものになります。
そして知る人に願いを託します。
(クラノスケのイシキは)二人の人間になっていたのです」

(くしゃみが2回出る)同じようなことを以前にも言ってきています。
本『ソラからの真実の歴史』参照。

《ビジョン1》
“ウインナ・ソーセージのようなものが一面に広がっているが、そのひとつが細かく砕けて白い砂のようになる”
意味は
「短いソーセージ(バナナ型)は降りてきたイシカミで、そのうちのイシカミが生きるのが嫌になって砂になったこと」

《ビジョン2》
“小さな砂山が沢山ある。そのひとつに十字架が立っている”
意味は
「クラノスケが人間として生きることを止めて砂になったこと」

2005年1月10日
「山に行きました。
うつむいた人です。クラノスケです。
恨みを晴らさないと死ねないと思っていました。
御在所岳オバレ石が知らせたのです。
いつか見に来てくれると知っていた。(とチャネリングで知らされた?)
それから更に上に登りました。
頂上にはいろいろな花が咲いていて、 (頂上の)丸石には心が癒されました。
ここに住んでいたいと思いました」

2003年12月8日
2003年12月8日
部屋は暖かなのに顔の周りに冷たい風が吹いていて、肩が冷えて眠れないのは、知らせたかったからだそうです。

(幽霊の見える人であれば、形が見えたかも知れませんが、見ようと努力し目を凝らしても見えませんでした。けれど言葉は割とはっきりと口が動き、全く想像をしていなかった人が降りて来て次のようなことを伝えてきました)

「いつしか時は過ぎ行き(今は歴史上で)一番幸せな時代となりました。
大石クラノスケです。
この雪景色を見てはるか昔を思い出し、このような大雪の時に、私は一人で吉良邸に行こうと思いました。(昨日はここは大雪でした)
私は誰にも告げずに吉良氏を討つために出かけようとしたのです。
けれども息子に見つかり、(息子が)他の人たちにも知らせたのです。
それで(あだ討ちは)大勢の人になったのです。
私は一人で(あだ討ちに)行こうと思ったのです。
(知られている)物語は、後の人があのように書いたのです。
(忠誠心を強めるために美談とした事)

吉良氏と(浅野を)仲たがいをさせたのは天皇でした。
天皇が、“赤穂のものが悪口を言っていた”と吉良氏に言ったので、吉良氏は殿をいじめたのです。
その事はこちら(イシキの世界)に来てから判りました。
あのように争いを起こさせたのは、あの冠をかぶらせた悪い星に支配された天皇のせいなのです。

(冠は昆虫を送り込んだ支配星の部下の星のイシキが教えたと以前伝えられた。長いタレ?は昆虫の触角をあらわすと。支配星は人間を争わせてはそれを見て楽しんで、エネルギーを得ていたと知らされた)

私は勘定を任され贅沢な暮らしをしていました。
それで生まれ変わった今生は質素に暮らそうと思いました。
けれどもある事で生きる意味がわからなくなりました。
そして自ら命を絶ったのです。
そして命と引き換えにお金が入りました。
私は“いて座”(のイシキ)の者でした。
以前に知らせたようにご在所岳(いて座の王女)の麓にしばらく隠れていました。
そして(殿の仇討ちは)どのようにすればいいか(ご在所岳に)聞いていましたが、日にちばかり過ぎて行き何もわかりませんでした。

(湯ノ山温泉に大石公園があり、実際にそこで大石クラノスケは考え事をしていた、と書いてありました)

何とかいて座のものの事を知らせたいと思って、再び人間として生まれ変わりました。
けれども現実の世界ではあまりに遠く離れて、何ら力になりませんでした」

その後何回か、“いて座のものの為に力になれない事が残念”と伝えて来ました。

2002年5月6日
2002年5月2日
「六甲の山と言われるものです。
(射手座の)王女(ご在所岳)の妹でした。
仲間と共に(地球に)降りました。
私を信じてくれた人(大石クラノスケ)が辛い思いをさせられたので、王女(ご在所岳)の所に行くように言いました。

(大石クラノスケはご在所岳の麓の湯の山温泉に滞在したそうで、大石公園と言うのがあります)
 
仲間が作った岩(生石神社の巨石)の意味を世に知らせてもらい、嬉しく思います。
ホシノミナ星原に行く事が出来るようになり嬉しく思います」

注)生石神社の岩はTVの形をしていますが、イシカミは将来こういう形のものができることがわかったので作っておいたそうです。

次の日再び
「大石クラノスケは部下の1人にひそかに仲間から離れて、イカルガに行くように金子を渡しました。
その金で田畑を買って、 (シガサトの7(8)不思議の)藤波神社を守るように言いました。
そして、大江山の元伊勢(皇太神社)*も守るように言いました。
元伊勢に祭られている神こそ本当の神であると教え、人々に元伊勢に行くように奨めて欲しいと頼みました」

注)元伊勢の日室が岳は見事な三角山でピラミットと言われているが、まさにイシカミが作ったもののようで河原には奇岩が多い。
情報では、ノアの息子大江町の毛原で殺されたと言われ、ノアの息子とその部下を祭ったものであると知らされました。
人間を祭っていたが時が過ぎて、神として祭られるようになったここは日本で最初の神社と知らされました。
一つだけ大きな祠があり、沢山の全く同じ大きさの祠があるのは、ノアの息子とその部下なので同じ大きさのが沢山あると思いました。

2004年12月9日
↓はご在所の巨石です。
2002年8月 御在所岳調査
この山にも所々に岩を積み上げたものがありますが、以前は巨人をあらわしていると思っていましたが、固まったお汁を雨に溶かして飲む為と言う意味が分かりました。

これまで何度も書いていますが、この写真集にあるこの山の“オバレ石”は登山家が登るような所に、こんにゃくを二枚立てたような形で立っています。
イシカミは人間が麓から見たら、“口”と判るかるように作っておいたようですが、下から見ると白い点にしか見えませんし、ロープウエーからは丁度松が生えていて、殆んどの人があの形に気付きません。

最初に行った時は良いお天気なのに風が強くてロープウエーが運休で登れませんでした。
折角行ったのになぜ?と聞くと、麓の川を見てほしいと。
巨石がごろごろする河原できれいな水がたくさん流れていましたが、それが身体が固まったいて座の王女の悲しみの涙だと伝えて来ました。

その後2回程行きましたが、花がとてもきれいで、温泉もいいお湯でした。
大石クラノスケが湯治に来ていたと、公園に書いてあり初めて知りました。
又麓は菰野町で、“菰を敷いて山を拝む”という意味で付けられたとも言われているそうです。

2004年12月10日
ご在所岳の麓の湯ノ山温泉には【大石焼き】という、とても大きくて、丸く簡単に歯が立たない堅いせんべいがあるそうで、大石クラノスケが考えた?そうです。
お汁が固まって岩になった事を現わすのでないか、巨人が固くなって雨で溶けたお汁を苦労して吸っていたのでないかと思われると、読者の方の書き込みがありますがまさにその通りのようです。

2004年11月15日
2004年11月14日 真夜中目が覚めて。

「キラ、キラ、吉良の者が降りています。
星のモノに降りて伝えるように言われました。
いつまで意地悪な者と皆に言われるのか、(悔しいけれど)諦めていました。
けれどもようやく本当の事を伝える事が出来ると言われ嬉しいです。
あの物語(忠臣蔵)が世に流される度に皆で泣いていました。
同じ先祖なのに(天皇と将軍のために)敵味方にされました。
かって赤穂の者が船を出して、吉良に住み着いたのです。
そして吉良と赤穂を行き来していた者が、(赤穂と同じ様に)塩を作っていたのです。
それからもお互いが塩の作り方の話をしていたのです。
その塩の作り方を教えてくれたのが生石神社の神様でした。
生石神社の岩*がなぜ水の中に立っているかというと、海の水から塩の固まりが出来る事を現わしているのでもあるのです」

*)この岩は、“長方形で上の一部がTVの後ろのような出っ張りが有る”形をしていますが、以前この情報が出る頃にはTVというものが有ると知らされた。

「長方形=Na、後ろの出っぱり=CL、をあらわしています。
Naだけだと肉体に悪さをするけどCLがついて食塩(NaCL)になると、体の働きに必要なものになるという事を現わしています。
その形を笑わないでください。
四角いイシカミが星のものをおんぶしている姿なのです。
そしてイシカミだけで進むと、進む道が間違えると困るので、名のない星のものが負ぶわれた背中から見ていて、一緒に相談しながら進んでいるのです」

2004年11月3日
生石神社の巨石の謂れを知っていたので浅野家はイシカミを信じていた。

「(大石クラノスケがイシカミの血を引く?ので)次の天皇に大石クラノスケをするように浅野は将軍に言ったが、天皇と将軍はクラノスケに人気を取られたら嫌なので吉良に意地悪をさせたのです。
浅野もクラノスケの家来もイシカミを信じる人達だったので、お家断絶までさせたのです。
切腹はとても苦しくその苦しむ様を見させて、イシカミを信じる者はこうなると見せしめたのです。
(家光が)イエヤスを日光に葬らせたのは、プレアデナイは人間は猿と同じと思って見下げていたからです。
泉岳寺では白い着物を着た者(浅野家の家臣達)が出迎えます。
彼らはイシカミの化身だったのです」

2004年11月9日
【泉岳寺】
以前、大石クラノスケがイシカミの事を人間に知らせるために役に立ちたいと新潟で生まれ変わっていたが、前世で贅沢をさせて貰ったので、今生では労働者として生まれ変わったとある人を通じて伝えてきました。
でも現実には情報を伝えている者(ここ)が分からなく、全く情報からかけ離れているし、今生では生活の為に働くばかりの人生なので、命に代えてイシカミの為になろうと早くこの世を去ったのですが、それが報われ無かった事が無念であると言って来たことがありました。
その後の洪水、地震と大石が生まれ変わっていた人を知っていた人の住所が余りに一致するので驚いていました。
(これはずいぶん前に知らされた事でプライベートな事なので公開せずにいようと思っていましたが、今も催促のサイン=歯の違和感があるので公開しました)

又、浅野家と吉良家は共にイシカミを信じていたが、天皇と徳川将軍の謀略のためにお互いケンカさせられて浅野家はお家断絶までさせられたと。

浅野家は、“生石神社の巨石”はイシカミの巨人が作った事を知っていたのと、吉良家は、“大わらじ、大ちょうちん”などで巨人=デエダラボッチを信じていたからと言う事でした。
そして大石クラノスケがお茶屋の主人に招かれていたのは、イシカミの事をよく知っていた為で、次回は天皇になるという噂があったためです。
それは浅野家の当主がイシカミの事を話して、次はクラノスケを天皇にして欲しいと言ったため、将軍と天皇に睨まれたと言う事でした。

大石クラノスケがご在所岳の麓の湯ノ山温泉に行っていたのは、ご在所の王女のイシカミに呼ばれたからと伝えられましたが、麓に大石公園があります。
又浅野家の家臣達は介錯が許されずに切腹させられたのは、一気に死ぬ事が出来ずとても苦しんで亡くなるのを皆に見せしめるためだったそうです。

浅野家の家臣達は今回の若いイシカミと何らか関係があり、家臣達は徳川将軍=プレアデナイを信じていたので、真相を伝えて欲しいということで泉岳寺に行きました。
読者の方もご一緒してくださったのを「上から見ている。星になれた」と言葉は少なかったですが、伝える役目は終わったと思います。

ちなみにマッケンサンバ(=将軍役の人が踊る)が 流行るので、新潟の若いイシカミも腰を振る(=地震)のですとも。

大石クラノスケ
いて座のイシキを持つ人で、チャネリングをして?イシカミを知っていた。
いて座の王女のご在所の山に来ていたこともあった。(近くに大石公園がある)
また、ひそかに部下の一人に藤波神社と大江山の元伊勢神社を守るように命じていた。
今世では、新潟に生まれ変わり、自らの命にかえてイシカミを世に出す手伝いをしようとしたが、理解されなかった。
吉良と浅野は、共にイシカミを信じる者で先祖は同じ(かつて赤穂の者が船を出して、吉良に住み着いた)であったのに、クラノスケの人気を妬んだ天皇と徳川将軍の謀略によって争いを起こさせられた。
クラノスケや浅野家の家臣たちは、遅れて降りてきたイシカミの化身であったが、釈迦岳などの名前が嫌と地震で知らせました。

ソラ・シリーズ発売中!
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『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は生石神社の石。

その名は仁徳

2008年01月23日 23時59分03秒 | Weblog
2008年1月11日
先日、関西方面で濃霧がひどかったのですが、思いもよらないことを伝えてきました。
(チャネリグなので真偽のほどはわかりませんが)
それは水の原子が仁徳天皇陵のイシカミに目覚めるようにと知らせたそうで、仁徳陵をサカイに(堺市)イシカミの遺体である塚を天皇家がお墓と言わせてきたそうです。
仁徳陵からが4獣神の銅鏡が出てきたと言われていますが、ヒミコホツマ文字の銅鏡が出てきたそうで、それで銅鏡を入れ替え、ホツマ文字をひそかに古事記などと話が合うようにまとめさせたと伝えてきました。

それは夜中に突然

「仁徳陵をまず最初にこんな天皇のお墓があると言わせたのです。
そして昔から(大きなお墓を作れる)天皇家が日本を治めてきたと思わせたのです。
それをサカイ*にイシカミの身体を天皇家のものとさせたのです。
それは人間を創るために塚となったイシカミの身体です。
そこで創られた人間が仁徳になったのです。
そしてその創られた人間が星原へ行ったのです。
そこで創られた人間が滅ぼされた倭の国へ行ったのです。
小さな子供でした。

仁徳陵になったイシカミは遅くに降りてきたのです(各地の天の岩舟伝説)。
そしてヤマトでいけないことが行われていたので助けようと思ったのです。
それで一番おおきなイシジン(前方後円墳の形)になったのです。
そしてそこで超能力の人間を創りました。
それが一寸法師の話しの元となったのです。
打出の小槌はイシカミのモノでした。
イシジンが超能力のある小さな人間の世話をしていたのです。
そして打出の小槌が、子供の原子に話しかけて急激に大きくなったのです」

2004年4月8日
古墳時代はブームのように去ってそれ以後作られなかったというのは、巨人が作った塚の数が限られ、使い切ったので古墳を作りたくても出来なかったと思います。
又大切な農地の土を、お墓の為に労力を使ってわざわざ盛り上げたくなかったからと思います。
仁徳天皇が亡くなりその人柄を偲んで、回りの人たちが Ω (オーム)の形に似せようと周りをきちっと形作ったので、立派なお墓として残されたそうです。
後の天皇はそれを真似て、イシカミの分身の遺体をお墓にしていったのだと思います。

2003年2月26日
「天皇家に伝わることは、仁徳天皇が伝えたことなのです。
それで仁徳天皇のお墓(堺市の仁徳陵)に堀を築いて、人が入れなくしたのです。
(明治に作られた?)
かつては自由に入る事が出来て、仁徳天皇を偲んでいました。
いつの日か仁徳天皇の素性が知れる時、意味が解かれると分かったからです。

あのお墓の形はギリシャ文字のオームの形と言いましたが、それはイエスが日本に来た(イスキリと名乗った)ことと繋がるからです。
【オームの文字は“最後”と言う意味の記号である】
と、白い木の子供(仁徳)がイエスから教えられ、“亡くなった後はこの形にして欲しい”と頼んでいました。
仁徳天皇の亡き後に仁徳天皇を偲んだ人々により、あのような大きなお墓が作られたのです」

2003年10月22日
「仁徳天皇のお墓の中には女性の品物があります。
仁徳天皇陵はヒミコのお墓にしようと作ったお墓で、そこに仁徳天皇とヒミコを偲んで女性の品物(櫛?)が入っているのです。
仁徳天皇がお願いしていたのです。
(私が)亡くなったらイスキリから教えられた Ω (オーム)の形にして欲しいと。
それで仁徳天皇を慕っていた人たちが、あのような形にしたのです。
ヒミコの話は大国主を慕う人(出雲の人)たちから聞いていたのです。
仁徳天皇は一番良い天皇でした」
(足にサインがあり)

「私はお姫様に可愛いがられた一寸法師と呼ばれた者です。
(以前、一寸法師が仁徳天皇になったと知らされた)
私が知らせたことは真実の事です」

【イメージ】
“車のオートロックの情景が浮かぶ”

「車のオートロックはドアを閉めると自然にロックされますが、人間の脳も同じようにされている事が分かりました」
(この情報が受け入れられない人たち?)

「そのロックを解くのにカギが必要です。
(そのロックを解除する)鍵穴が、“仁徳天皇の前方後円墳”なのです。
仁徳天皇のお墓が、なぜ途中から“開かずのお墓”になったか、今の踏み切りで表しています。
(小金井の踏み切り?)
(仁徳天皇陵が)なぜ途中から埋め戻されて閉じられたか、宮○庁が知っています?
仁徳天皇のお墓の中が知られないことは良くない事です。
仁徳天皇のお墓の中には、男性の品物の他に女性の品物が入っています。
その事が国民に知られると困るので、“開かずのお墓”にしたのです」

「仁徳天皇は一寸法師だったと以前にお話しました。
そして自分の祖先であるヒミコのことを出雲の人に聞きました。
それで自分が亡くなれば、ヒミコをあらわす櫛(=鳥居の原型)を一緒に入れるようにお願いしたのです。
(足にとても強いサイン)
その事はイシカミのことが分かるので支配星の嫌がるものです」
(ヒミコはイシカミの言葉を聞いて文字を書いていた)

「ツマ、ツマ…(言葉がなかなか出てこず)妻の勤めを書いた言葉=ホツマツタエのホツマ文字? カタカナ? がお墓の石に書かれているのです。
ホツマツタエはヒミコが妻としての勤めを書いたものなのに、権力者の都合のよいように書かれた物語(古事記や日本書紀)を裏付けするように訳されました。
そしてホツマツタエはヒミコが書いた目的とは違う意味で解釈され世に出ました。
そして意味を悟られないように、現実には無いミカサフミの2、3巻を探す事に意識を向けさせたのです。
ホツマツタエ がなぜ宇和島から出たかと言うと、世間に知られないように隠れて違う意味で解釈されていたのです。
(強い足のサイン)
それが地球の秘密を開くカギなのです。
ホツマツタエは、イシカミのことが書かれていると受け継がれて来ました。
その意味を、神の言葉として? 解釈させてきたのが神道です」

2004年2月16日
「親の無い子供でした。一寸法師だった子供です。(仁徳)
なぜサインをしたかというと、私もそこにそのようなサインがありました。
そうして私がする仕事が伝えられました。
豆のことです。(左中指にサイン)
小豆と黒豆のことです。
何も無い所から芽が出ました。
それは見た事のない植物でした。
そしてそれはズンズン大きくなりました。
それで出来た物は小豆と黒豆でした。
そしてその後何もしなくても小豆と黒豆は生えてきました。
君山が生やしてくれたのです。
それがイシカミの力です」

2004年2月14日
「わらべのうちは、いつも世の末になれば良いと思っていました。
それが私、仁徳の子供の頃の思い出でした。
それほど貧しく、まともな暮らしではありませんでした。
ニントクとは忍徳でそれから名前がつきました。
私(仁徳)がローマの人(イスキリ)に呼ばれて行きましたが、そこでは何人もの人が私の世話をしてくれました。
そして何事も言われるままにしていました。
それを見ていてローマの人(イスキリ)は、“星述べの者”は決して上に立とうと思ってはならない。
そうすれば恐ろしい星のものが取り込んで、私のようになるから、と磔にされるために(ゴルゴタの)坂を歩かされた事を詳しく話してくれました。
それから私は、自分に厳しくするようにしました。
周りの人たちにさせないで自分でするようにしました。
民衆が納める物を少なくしました。
そして人々の暮らしが楽になったのは、ひとえに食べ物を与えてくれたイシカミのお蔭だと皆に知らせました。
そしていつもイシカミに感謝をするように言いました。
以前、御所車に乗っていて小野の妹子に殺されたのは、(後世の)生まれ変わりの仁徳です」

2003年12月12日
「イスキリです。
オオサカにいた時の事を話します。
大坂とは、決して忘れる事の出来ない(ゴルゴダの)坂を、言葉として残しておこうと付けた名前です」

注)大坂=大阪。以前は“大坂”と書かれている。

「(私が)横になっていると付き人が、ノアの息子の話をし出しました。
その話は何度も聞いていましたが、その村に星述べをする子供がいると聞きました。
その子供を(ここに)連れて来て欲しいと頼みました。
そしてイシカミの謂れを聞きました。
私もイシカミに導かれて日本に来ることが出来ました。
そして支配されないように(声が聞こえないように)茨の冠をかぶりました。
(強力な支配星は、聞きたくないと思っても強い力で言葉で命令する)

茨の冠をかぶる事で、支配星の言葉をさえぎる事が出来、イシカミに助けられたのでした。
小さな子供は星述べの家に伝わる事を話してくれました。
それは星述べの家に女として生まれると、星述べをしないと喉の病気になると言う事でした。
星の言葉を世に出す事で、喉の病気は治っていくということでした。
星の知恵を授けられた子供はいつも傍にいましたが、
次第に背が高くなり生長していきました」

「少年は沸かしたお湯のそばにいて、付き人が作ってくれた食事を持ってきてくれました。
少年は傍にいたので、ユダヤのことなどいろいろなことを教えました。
少年はイシカミの教えや、ユダヤの教えを守り立派な大人になりました。
天皇家の跡取が途絶えた時に、選挙の形で天皇になり仁徳天皇となりました。
それはイシカミに教えられた知恵を教える事で、より沢山の食べ物が得る事が出来るようになったからです。
なぜ今も(日本で)ユダヤの風習に似たものがあるかと言うと、私イスキリが教えていたからです。 
仁徳天皇のお墓の形が変わっているのは、
ギリシャ文字のオーム( Ω )の形を真似たからです」

咳が出る。しばらくしてかすかに。

「仁徳天皇と呼ばれた者です。
ソラのものに降りて伝えるように言われました。
私が一寸法師の話の元になった者です。
私は仕事をする事が好きでした。
大きなお屋敷で何もせずに座っている事はとても苦痛でした。
何もかも付き人がしてくれる事も苦痛でした。
(人々が)多くの物を持って来てくれましたが、イスキリに教えられたように、お返しをするように言いました。
人間は生まれる所が違うだけで、これほど差があるとは驚きました。
‘イカサズコロサズ’という政りごとで、農民からは厳しい取立てをしている事がよくわかりました。
仏教の教えに国民は震え上がり、なんでも言われるままにしていました。
そして、多くの貴族と僧侶が贅沢をしている事もわかりました。
私がまずしたことは、(年貢の)取立てを止めることでした。
そして田畑の開墾をするようにすすめました。
誰も言わないので、次の年も取り立てをやめようと言ったので殺されたのです。
私が言いたい事は、まず国民のお蔭で暮らせているという事をしっかり思って欲しいのです。
取立てばかり厳しくしても国は豊かにはならないと言う事です」

2005年3月22日
《ビジョン》
1)“カラーで上から下までの雛祭りの大きな段飾りの前を、半分くらいの土人形(イシカミの巨人)が右から左へ次々と歩いて通る”
2)“鈍い金色が現われ、その真中に白い梅の花の形の現われる。その花びらの周りはほんのりとピンク色できれい”

道真が地震で知らせたのです。
道真も射手座の魂の人でした。
(道真は、立山のイシカミと関係があったと伝えられています)
道真はイスキリの教えを守った人が仁徳だった事を、地元の人から聞いたのです。
そして出雲の人からも‘因幡の白兎’*として伝えられているのがイスキリだということも知りました。
それでヤマタイコクの事も知り、もっと詳しく知りたいと讃岐の国へ行く事を希望したのです。
そこで石と話が出来る人を探しました。
祖谷に居た(若い)女性がイシカミと話が出来、道真の世話をしていました。
その女性からヤマタイコクの話を聞き、ヒミコが文字を作っていた事を知ったのです。
それでそのことを天皇に伝えました。

けれども仏教を信じる人が、イシカミを信じると地震が起こると脅かしました。
けれども道真は、(イシカミを封印した事で)世の中が乱れたために地震が起きた(宇宙の計画で彗星が落ちて海岸部が沈没した)事を知って天皇に知らせました。
天皇はイシカミのことを世に知らせると約束をしましたが、守りませんでした。
そして仏教を受け入れる(日本の)玄関として、玄海(島)と名づけました。
そして名が付けられたとおりに、それから仏教が(どんどん)入ってきたのです。

こうして大陸からはリュージンに乗って(仏教の)観音が入って来て(仏教と神道とで)イシカミを完全に封印したのです。
天皇が道真にした約束が守られないので、納采の儀の日*に知らせたのです。
約束が守られず、ひな祭り(=天皇家をあらわす)が盛んに行われている事をイシカミは抗議したのです」

*)因幡の白兎 = イスキリの使いの者(バーソロミュー)を表わしています。
*)納采の儀の日 = 宮家の婚約の日の3月19日に《何か》大きなお知らせがあると知らされていました。

2005年8月24日
【百人一首】
百人で作られたのでなく、菅原道真と柿の本人麿と小野小町の3人で作られた和歌は、滅ぼされたヤマタイコクや倭の国の事が隠されて読まれたと伝えられました。
隠された意味がわかれば殺される、すなわち首を覚悟で読まれたということから一首と名づけられました。
その為に3人とも非業の最期を遂げ、有名歌人でありながら人麻呂も小町も権力者にとって都合が悪いので記録が残されず、謎の人となっているのです。
人麻呂と小町のことは何回かに分けて知らされてきました。
ソラの検索参照)
権力者の名前を和歌の作者の名前とすること、風流な内容と思わせることで今まで残されてきました。
単なる色恋歌だけなら千数百年も歌い続けられません。
意味は半分チャネリングで後は一文字のカタカナの意味などでなぞ解きをするようでなかなかわかりませんが、あっていると最後に「そうです」と言葉になります。
カタカナの意味

『アリアケノ ツレナクミエシ ワカレヨリ アカツキバカリ ウキモノハナシ』

“アリの穴のような小さな罪で、殺して見せしめにして、赤土の墓(=山彦のお墓)で団結をしていたイシカミを信じる人たちを分裂させた。
ウキモノハナシ=(権力者の話は)真実を隠して上辺だけの話です“

『ナゲキツツ ヒトリネルヨノ アクルマハ イカニヒサシキ モノトカハシル』

“ヒミコと別れさせられた大国主は、一人で寝る夜が明けるのが、どれほど長く感じたか、モノ(ヒミコの櫛と束ねた髪の毛をあらわす鳥居としめ縄)を一緒に出雲に行ったヤマタイコクの仲間が作ってくれたことでわかる”

『ヨオコメテ トリノソラネハ ハカルトモ ヨニオオサカノ セキハユルサジ』

“世を治めている者が、ニワトリの鳴き声を(長く鳴かせることを)競うのに、お金を出して勝つ事はできるが(八百長をする)、世の多くの人がセキ(遺跡、仁徳天皇のお墓=仁徳がなぜ天皇になったか)の事を知っている”

2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。

2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。

人間を創り出してもあまりに悲惨だったので、イシジンだったイエスやマホメット、釈迦などが人間らしく生きる指導をするために肉体を持ったが、支配星にやられて悲惨な体験をしたそうです。
ちなみにそれぞれの生まれた年が違うのは、支配星がこのことを知られないようにするためにウソを教えたり、イシキは生まれ変わっているので数百年の違いはあります。

地震雲画像より
横浜の方より(1月22日)

発生時刻 2008年1月23日4時34分頃
震源地 十勝支庁南部(北緯42.3度 東経143.1度 深さ60km)
規模 マグニチュード 4.9
震度2 北海道、青森県

発生時刻 2008年1月23日5時54分頃
震源地 奄美大島北西沖(北緯29.5度 東経128.8度 深さ10km)
規模 マグニチュード 4.7
震度1 鹿児島県

22-JAN-2008 18:43 M5.5 深さ 50.0 XIZANG
22-JAN-2008 17:15 M6.1 深さ 56.1 NORTHERN SUMATERA, INDONESIA
22-JAN-2008 17:14 M6.2 深さ 12.8 NORTHERN SUMATERA, INDONESIA

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真はイスラエルのカイサリアの海とソラ。

日本、血の歴史

2008年01月22日 23時59分06秒 | Weblog
2006年12月13日
左股関節にサインあり。

「三千院とは3千人と言う意味です。
三千人の人が殺され集められた所です。
そしてその血が紅葉の赤い葉になったのです。
殺されたのはイシカミを信じる人たち(被差別)でした。
それを証拠とするものが、ヨダレ掛け(前掛け)をした地蔵です。
ヨダレ掛けは物を食べる時に使うということであらわされています。
それは(その人たちが)食べ物をほしいとお願いしたので殺されたのです。
支配星に支配された人は、“イシカミ(イシジン)は水を飲んでおれば良い”と言って、食べ物を取り上げたからです。
イシカミをあらわすお餅(鏡餅)を食べている所を見つかったのです。
そしてイシカミに教えてもらって、折角作った食べ物を全て取り上げられたのです」

なぜ、急に三千院が出てきたかわかりません。
海外の雑誌に赤い涎掛けが写真に載っていて、丁度どういう意味かと思っていたと知らせてくださいました。
LE GOUT DU JAPON

2005年11月26日
2005年11月26日 明け方
「思い切り(たくさん?)死んだ人(のイシキ)が降りてきています。
昨日の雲であらわしました」
ソラのものの応援の雲

「“オーイ、ソラの人”と呼んでくれたので降りてきたのです。
(前日ソラに向かって呼びかけていました)
この情報のために手伝って)働きたいと、過去にいじめられた人のイシキが降りてきたのです」

左親指にサインあり。
「火あぶりにされた者です。
田舎にいた者でした。
祈りをしていて、、、、、、、、、、、思い出して泣き出したのです」

「そして(イシカミが)石にされたことを言葉で伝え出したのです。
それが決め手になったのです。
みんなの見る目が違ってきました。
それから(権力者の元に)連れて行かれ痛めつけられました。
そしてそのままおしまい(死)になったのです。
(日本では)筒に入れられ焼かれたのです」

メスリ山古墳の巨大円筒埴輪

(白い大き目の長方形の光=シリウが本当ですと合図)

「(昨日紹介した鳥の型といわれている)木の型は生きたままそれに縛り付けられていたのです」
(右側腹部にサインあり)

(ヨーロッパでは魔女狩りとして火刑はよくあったようですが、日本では何もかも隠されています。
そして権力者の悪事は、物語として伝えているだけで、長い間家系が続いたことを賞賛して、過去をロマンで包んでいます。
そのことをソラのものは一番嫌がります。
そして被差別の人たちなど、虐げられて亡くなった人々は、決して納得していないでしょう)

怖い夢を見るので、訳を知りたいとHPにたどり着かれた奈良近辺にお住まいの方からのメールです。

「さっきお知らせを見て色々と驚いています。
鳥形、筒型埴輪の惨い話で夢で
“大勢の大人や子供が裸で血だらけになってリンチをされていて、地中の蜂の巣のような穴にいてこちらを見上げている”
のを思い出しました。
今でもぞっとする光景で、あれは大和で本当にあったことだと確信します。
最近、朝鮮中国が歴史的に惨い民族だということ(幼児を並べて刀の試し切りをしたとか、人肉を食べるとか)を知るようになり、そこから出たジンムが同じ性質を持っていて、大和で同じような惨劇があったと考えても何の不思議もないと思います」

大陸から支配星が進入してくるというので、イシカミたちは一生懸命に日本は海に囲まれるようにしたけれど、支配星のほうが上手でした。
大陸から入り込んだ支配星のリュージンは、争いや残酷なことを好み、その恐怖心をエネルギーにしていたので、それらを神と崇めていた時代は、考古学の方が考えられるような暢気な毎日ではなかったと思います。

今、残酷な殺人事件が頻発しているのも、キトラなどの悪神を崇めて、大金をかけて大切にしているので、そのエネルギー体が大きくなり人間に乗り移って事件を多発させていると確信しています。
悪神を保護するという学問が、幅を利かせているために、見えない世界ではとんでも無いことになっていることに早く気づいてほしいと思います。

2005年11月25日
#)死者送る鳥?「木の埴輪」110cm奈良・高取で出土(2005年11月24日付ニュース)
を見てからうたた寝をしていると身体にサインあり。

「(火刑で)焼かれた過去(世)を持つ者です。
それ(鳥型といわれるもの)が出てきたのは意味があります。
鳥の形をあらわしているのではないのです。
見せしめのためにそこに入れられたのです。
手を広げてくくられていたのです。
イシカミの話をしただけで殺されたのです。
昔はそんな(絵に描かれているような鳥型の)ロマンはありません。
支配星は残酷の限りを人間にさせました。
ヨーロッパでは(イシカミの)話をするだけで、火あぶりにされたのです。
そのような恐怖を与えて徹底して(世界中のイシカミの話は)封じ込まれたのです」

やはり円形埴輪が一緒に出ています。
「木の埴輪」と呼ばれる鳥形木製品を出土した市尾墓山古墳

以前、丹後半島の博物館にも、人間大の大きな円形ハニワがあり、それはその中に見せしめのために入れられたと伝えられましたが、メスリ山古墳のハニワも同じです。

メスリ山古墳の埴輪は高さ2.42m、円筒基底部の径90cm、口縁部は上に開いた形態で、径1.31mあり
メスリ山古墳について

2004年5月11日
2004年5月11日 真夜中突然目が覚めて。

「それはひどい事になりました。突然蘇我が攻めてきたのです。
シロ、シロ、城のような建物ではなく平らな家?でしたので、すぐにやられてしまいました。
(倭の国の者は) 戦いはしなかったので、(一部の人を除いては?)武器はほとんどありませんでした。家は焼かれ、男は殺されてしまいました。
何もかも奪われてしまいました。
イカルガという名前だけでなく、(中国?の)土産もヤマトは持ち去ってしまいました。
なぜ倭の国というかというと、ヒミコが“ワ=輪”が大切と最初に“ワの文字”を作ったからです。

【倭】=ワの漢字の形は
“(白い)木=稲妻=ホシノミナにイノる女”の形を集めて作られたのです。
(以前はイナホの女、と伝えられましたがその一面もあるそうです。すなわちイネを作った国の女)
“輪(和)をもって貴しとする”と(聖徳太子が言っているのは)ヒミコの言葉を盗んだのです」

「シブガキの戦いなのです。
物部蘇我の戦いは“渋河の戦い”と言われている)
猿かに合戦で、カニが育てた柿を猿が取り上げて、渋柿だけをカニに投げつけることからきているのです。
(猿=蘇我、 カニ=イシカミをあらわしそれを大切にした倭の国のもの)に名前を付これまで大切にしていた物を取っていったことから名づけました」

2004年8月17日
「物部の娘です。
ようやく降りることができました。
(物部が滅ぼされた後)物部一族の男達は石を信じる人たちによって匿われ、散り散りになりました。
女はいつしか(蘇我の)言われるままになりました。
それで(物部の)血は残されたのです。
それでも石を信じることは禁じられました」

(それ迄平和な国として治めていた物部を慕う人が多い反面、朝鮮から来て仏教を強制する蘇我を嫌い、その後のヤマトの権力者は思うようにならなかったので、物部の力を利用した)

「それは悲しいことでした。
仏の教えを信じないと倭の都も、“オオーイ アマノヒト”(オオシ・アマノヒト)と呼ぶようになると言われたのです。

オオシ・アマノヒト(=凡海郷)とは、倭の国の海辺の平野の村の人たちのことです。
倭の国の海辺の人たちは、山の上のヒルイ・マナ(ヒルイ=リュージンの子供に祈る人)に支配された人たちに責められ、悲惨な毎日を送っていました。
逆らう者は土の入れ物(埴輪)の中に入れられたのです。
(丹後の資料館には、人が入れるくらいの埴輪がある)
(海辺の人たちの悲惨な状態を見て)イシカミが怒って沈めたのです。
(ムーと同じで、人間の苦しみを止めさせた)

父(物部守屋)の最後は以前お知らせした通りで、いつもお参りをしていた山、丸山(=私市円山古墳)に埋葬することで最後とされ、いつしか忘れ去られていったのです。
(埋葬はさせるが拝ませないという意味?)
そして倭の国の宝物は全て、ヤマトに運ばれ、誰も“石”のことを言わなくなり忘れさられていったのです」

「倭の国は海辺の者と、イカルガの者と仲良く暮らしていました。
(今も残っている綾部のミナツキサンの祭りは、由良川を遡ってイカルガまで来ていたので、“海の皆さんが着きましたよ”という交易の名残だそうです)

けれどもリュージンは、イ=猪の者(福知山の3段池のそばの権力者?)も支配し、ヒルマナイの者と一緒になったので、平和な倭の国も争いの好きな国となり、ヤマトと結びつきました。
星原君山などあちこちに山城の跡があるのは)イシカミである山の神を祭らせないように監視するためです。
それは(物部の人たちが集まって勢力を盛り返さないように)見張りをするためでもあったのです」

2007年6月8日
「まるいもの(=イシカミ)です。
日本の丸いものです。
名前はわかりません。
倭の国(=京都府由良川沿い)のものでした。
倭の国がナム(=仏教)のものにやられました。
イシカミが悪いものだとナムのものが教えたのです。
そして村中が焼かれました。
石を頼りにすることを止めさせたのです。
それからナムのお経を読ませるようになったのです。
支配星はナムのものに力を与えたのです。
そして石のものが人間につくったもの(食べ物や田や池など)も、ナムのものが与えたように言ったのです。
(ラップ音)
イシカミの子供が田を作りました。
そしてイシカミの姿に似せた食べ物を作りました。
そのひとつがお米です。
お米は支配星の送り込んだヘビが来ないように、尖った葉で守りました」
イチゴのヘタがギザギザも同じ)

「倭の国のイシジンは人間と仲良く暮らしていました。
そしてイシジンが死んだ後は、丸いおわんのようになりました。
けれどもナムの人は形を変えたのです。
四角くしたのです。
聖塚とショウブ塚*は二つの丸いおっぱいの形だったのです。
(幼かった)キミヤマにお母さんのおっぱいと思わせたのです。
それをナムのものは四角くさせたのです。
道真が四角くするように言ったとナムのものはウソをついたのです」
(左手のひらにサインあり)
(人間に削らせた四角の形にさせた?こと)

*)聖塚綾部市、キミヤマ=城山の近くにある)

四隅突出は支配星が山陰地方と北陸方面のイシカミを四足動物のようになるように教えたが、由良川沿いの倭の国では見られないのは、支配星は倭の国には入れなかったのでこの形はない。

2007年6月7日真夜中、目が覚めて
「(倭の国のイシジンの)形が残っていないので(ヨーロッパの石像として)人間の形に残すようにしたのです。
倭の国のイシジンたちも人間のために働きました。
けれどもイシジンが死んだ後、形が残っていないで忘れ去られてしまいました。
それで遅く降りてきたイシカミ達は(ヨーロッパでは)人間の形で残ったのです。
銅鐸はイシジンの姿をあらわしたものなのです。
(イシジンを石器としての)石の姿で残っても、自然に出来た石と思うだけなので青銅の銅鐸になったのです。
青銅の矛もイシカミの一部の原子がイシジンの形に変わって、イシジンがいたことをあらわしたものなのです。
(銅鐸はイースター島の石像と)同じなのです」

(以前三角の矢じりと言われているもので、取っ手が無いのでなぜかと聞くと、三角山と同じで、原子から見た三角山をあらわしたと伝えてきています。
矢じりの意味
その石器では人間は認めないので、青銅や矛に変わってイシジンをあらわした)

荒神谷博物館
荒神谷遺跡
の残された謎は、銅鐸や矛がイシジンの形をあらわすとすると謎は解けます。
*)鋳型が発見されておらず正確な製作地は不明。
*)×印の意味=矛は争うために使うのでない。
*)大量埋納はイシカミの原子が自らその形になって残ろうとしたのであって、鋳型で作ったのではない。
荒神谷遺跡は私も見ましたが、刀などが埋納されている場所は、小山の中腹でなぜこんな所にと思える場所です。

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9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。
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『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

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以上、ソラからの伝言より。
写真は1月22日のソラ。