2008年1月31日
三田とは3つの国が高い所から見ることができる所であるということで、兵庫県三田市に行ってきました。
3つの国とは、この情報で繰り返し伝えられている丹波地方の倭の国、四国のヤマタイコク、奈良のヤマトということです。
倭の国は綾部、福知山を含む丹波地方であったが、当時は山がなく大きな平野でとてもにぎやかだったそうです。
けれどもヤマトに滅ぼされたので、イシカミが後から降りてきて山国になったと伝えてきましたが、以前、由良川の分水嶺はとても低く標高 95.45 メートルで、大昔は瀬戸内海へ流れていたと学問的にも指摘されていることと一致します。
又、由良川を行き来して交流をしていたという情報ですが、今の由良川では難しいだろうと思っていましたが、平野であればとても良い方法であったと思います。
・由良川及び胡麻川の分水嶺
#)リュー座の女王が
「大鰐(プレアデナイ)になったものです」
と古事記の一部と一致しますが、古事記など世界中の神話は支配星の都合の良いように書かれています。
・『古事記』
2006年1月11日
《ビジョン》
“小さな渦巻きが大きくなって真ん中が黒く、ブラックホールのようになる”
その穴にリュージンなど悪のエネルギー体を吸い込ませるイメージをする。
その後、咳が時々出て目が覚めるのは、
「しっかりと知らせていないからです」と。
「シツ、シツ、室が知らせてないからです。
(白い光があらわれる)
シツ(室)とは、子供が生まれる部屋のことです。
子供が生まれるとは、タマヨリヒメが生んだ子供のことです」寝る。
意味がわからなかったのですが、今朝掲示板に↓の事が書いてあり、トヨタマヒメの本当の姿はワニであったと神話にあり、そのことをロボットは先に読んでいたようです。
ちなみに、因幡の白兎の物語では、白兎はイスキリ=イエスをあらわし、ウサギの皮をはいだのはワニで、馬の皮を剥いだ蘇我とつながります。
・2001年12月7日 【因幡の白兎】と、夢2題
《掲示板より》
*)「玉依姫の名前が出たので、その姉の豊玉姫がワニだったというのを思い出しました。
ワニ(=爬虫類)の妹(=爬虫類と人間の掛け合わせ?)からジンムが生まれた。
最近、「神武天皇のY染色体を絶やさぬ為にウンタラカンタラ」とよく言われていますが、“染色体”の意味はワニから始る0虫0の染色体と思いました。
デビッド・アイクは英国王室は0虫0人間だと書いていましたが、日本の皇室も万世一系、男子の系統、Y染色体を絶やさぬ為...これ全て0虫0の染色体を絶やさない為と受け取られます」
2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。
2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。
人間を創り出してもあまりに悲惨だったので、イシジンだったイエスやマホメット、釈迦などが人間らしく生きる指導をするために肉体を持ったが、支配星にやられて悲惨な体験をしたそうです。
ちなみにそれぞれの生まれた年が違うのは、支配星がこのことを知られないようにするためにウソを教えたり、イシキは生まれ変わっているので数百年の違いはあります。
2004年3月28日
2004年3月28日 車の中で、
「亡くなっているきれいな人がきています。
小野の小町です。 知らせたい事があります。
私は菅原道真と柿の本人麻呂と仲良しでした。
砂の様に壊れやすいものでも硬い岩にする事が出来たのがジンムと伝えられました。
その物語(古事記?)の中には沢山の疑問がありましたが、それを口にする事は出来ませんでした。
それをあえてたずねたのが道真と人麻呂でした。
それで道真も人麻呂も遠くへやられたのです。
そしてカナの文字が書かれているのも見ました。
カナ文字のことをたずねると、とてもきびしい目をして、“明日から来なくても良い”と言われました。
私の歌も意味が隠されて歌われていますので、本当の意味は違うのです。
【花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に】
ハナ =腹を切られて。
ナは亡くなった後の木の十字架を表わす。
(ソラ辞典・カタカナの参照)
ノ=ノアの息子、
イロハ=祈る口は、
ウツリニケリナ=うつろになっても、
イタズラニ=必死になって、
ワガミヨニフル=わが身を省みず、
ナガメセシマニ=仲間の背を撫でていた、 (これが一番わかりにくかったです)
《歌の意味は、ノアの息子(=ムウラ)は仲間をとても大切にしていた = 無実で殺されたという事》
それを聞いて私は旅に出ました。
(丹後半島などに小野小町が訪れたことが残されている)
元伊勢皇太神社の沢山の祠を見て、本当の事だったと思いました。
私はそれから長い旅に出たのです。
何日も歩き柿本人麻呂の流された石見の国に行き、そこで人麻呂と夫婦になりました。
その後ヤマトの人に人麻呂は殺されましたが、私は地元の人と思われて殺されませんでした。
それが私と人麻呂の物語です」
(*“ソラ検索”で柿本人麻呂のことが出てきますがつじつまの合う情報です)
いつもながら驚く内容でした。
まさか小町の歌まで、違う意味があるとは思いもしていませんでした。
和歌の最初の意味はとてもすらすらと知らされましたが、最後がなかなかわかりませんでしたが、あの皇太神社の78もの祠が同じ大きさで並んでいるのは、本当に皆平等な社会だったのだと思いました。
又、知らされたカタカナの意味が、同じなので以前は意味が伝えられていたのではないかと思いました。
1999年8月22日に、カタカナの意味をヒミコが教えてくれましたが、沢山の文字も割と簡単に伝えてくれました。それ以後あらゆる文字をカタカナに当てはめると、その意味が当たっている事が良くあります。
(ソラ辞典・カタカナ参照)
2004年3月28日
ヒミコより
2004年3月28日 明け方
「いつも人間が死ぬまでにいかに楽に生きていけるか、と思っていました。
それには知らされて良かった事を、みんなが知ると良いと思ったのです。
それで何とか文字を作ったのです。
(ホツマツタエは)今伝えられているのとほとんど同じですが、(よく知られている)解釈はほとんど違っています。
(以前ホツマツタエとは女性の日常の生活の知恵が書かれていると教えられたが、現実には古代天皇物語に解釈されている事)
石に力が有るということを知らせたのですが、(今の訳では)その解釈がありません。
(古事記など)神の物語として伝えられているのは、ヤマトの人が自分たちに都合の良いように(ホツマツタエを)利用して書いたのです。
ホツマツタエも阿波の歌も私が書いたので、お知らせした(解釈を)公開してください」
2000年6月8日
「ヒミコです。【ホツマツタエ】の意味をお知らせします。
『ウタタネコ コレオノブ』 = これは女の物語です。うたた寝をすると “怒らないで下さい” 女の人はお変わりなく? こちらへおいでという意味なのです。
(元気なのに昼間から仕事をしないでうたた寝てばかりしていると、男性を待っていると思われる。ちゃんと女性の仕事を覚えてくださいという意味)
『アメツチノ ヒラケシトキ』 = 夜明け
『フタカミノ トホコニオサム』 = (ご飯を炊く時に)お釜が焦げないように(気をつける)
『タミマシテ アマテルカミノ』 = お釜の蓋の石が重くて取れない時に“アマテルサマ 力を貸してください” と頼むのです。
『ミカカミヲ タシテミクサノ』 = お腹にお煮しめを食べて
『ミタカラヲ サツクミマコノ』 = 身体の肩まで降ろした
『トミタミモ ミヤスケレハヤ』 = 髪の毛をまとめて束ねる
『トミガオヤ シイルイサメノ』 = 起きなさいと皆を起こすこと
『オソレミニ カクレスミユク』 = 遅れることなく固い炭火を埋めて
『スエツミヲ イマメサルレハ』 = 仲間の人にこんにちは (と挨拶をする)
『ソノメグミ アメニカエリノ』 = 自然の恵みの河に行って
『モフテモノ ホツマツタエノ』 = もうけモノの河の水にミズホの妻が
『ヨソアヤヲ アミタテマツリ』 = 伝えられることを感謝する
『キミガヨノ スエノタメシト』 = 私の君(大国主)に、いつまでも試練が
『ナランカト オソレミナガラ』 = ありませんように恐れを取る
『ツホメオク コレミンヒトハ』 = お勤めを苦にしないような人は
『シワカミノ ココロホツマト』 = しわが重なるまで心がほつれて(心穏やかに)
『ナルトキハ ハナサクミヨノ』 = 亡くなる時はきれいな花の咲くあの世の
『ハルヤキヌラン』 = 春にあなたは行けます。
これらは、私が幸せだった時に作りました。面白くてたくさん作りました。でも、長い年月の間に違う意味に変わったのだと思います。
ところでどうして“ツマ(妻)”という言葉には、罪の“ツ”がつくのかいうと、結婚を決めても他の人とセックスをしたくなるのは、“マ(魔)”の者が入るからだと思ったからです。
またどうして結婚制度を作って相手を決めるようにしたのかというと、当時は女の人を取り合って争いが絶えなかったからです」
2001年1月8日
「【あわの歌】の意味をお知らせします。
『アカハナマ』 = 赤い花=そばの花、マ=不思議な力。そば粉には不思議な力がある。
『イキヒニミウク』= 生きている生のそばは、火で煎ると実が粉にしやすい。
『フヌムエケ』 = 冬に池の氷が張るとそばを家に入れないと苦くなってまずくなる。
『ヘネメオコホノ』= 土地を掘り起こすのは男の人で、
『モトロソヨ』 = 女の人は石を取り除くと収穫が多くなる。
『オテレセエツル』= 男の人は川の土手と橋を作る。
『スユンチリ』 = それらをがんばってすれば人生は楽になる。
『シイタラサヤワ』= シイの実をたくさん集めて石の臼で粉にし、その粉を丸いお団子にする」
2005年1月16日
2005年1月15日
「アマの記憶が戻りました。
ジンムが一番だと思わせるためにヤマタイコクを封印したのです。
そして新しい神話(古事記)を作ったのです」
「私とは石が大嫌いな者で、長い名前の者です。
イッポントネリノヒト*です。
私は声が聞こえる人でした。
私が知らせたい事は宇宙の外から来たものだと言う事です。
そして今も人間に生まれ変わっています。
イシカミに今こそ詫びを言いたいと思っています」
(*イッポントネリノヒト=古事記を書いた舎人親王)
2007年6月16日
掲示板に星座の伝説について面白いのを紹介していただきました。
・・・・実は古事記を表わした舎人が書いた序にあたる文の中に「歳大梁に次し・・・」という表現が出てきます。
歳は木星で大梁はスバルの漢名だそうで、天武天皇は「木星が酉の方向にある酉の歳の二月に・・・」に即位したと訳されるそうです。
スバルと即位の関係は意味がありそうです。
2006年5月11日
2006年5月10日 突然、4時に目がさめる。
「人間だったものが降りています。
私はホメロス*です。
イシカミに対して悪いことを書いていました。
皆に知らせてください。
私が書いた物語は、支配星に教えられたことです。
ギリシャ神話の元を作ったのも私です。
人々が(人間のために尽くした)イシカミに意識を向けないようにさせたのです。
そして神も悪いことをすると知らせたのです。
物語は本当のことではないのです。
そのことを言うようにソラのものに言われたのです」
*)ホメロス=トロイの木馬などのように、人間が大きな国を作って争っていたように思わせるために物語を書いた。
2006年5月11日 真夜中下顎が痒くて目が覚める。
「下あご*を痒くしたのは真実を述べるメドゥーサです。
(伝えるのが)遅くなりました。
私の母(カッパドキア)を見つけてくれてありがとう。
悪者(ホメロス)が私をマのものとして知らせていたのです。
ポセイドンのことを伝えます。
なぜ降りてこないかというと、今も私のそばにいるからです。
それで言えなったのです」
*)下あご=地下宮殿のメドゥーサの石像の下顎だけ白かったが、白いのは真実を述べると言っていた。
(メドゥーサが笑っているのも、ポセイドンがそばにいたからのようです。
地下宮殿に行った時、30cm?はありそうな大きな魚が目の前に近づいてきたのも、挨拶をしに来たと)
「ポセイドンです。
なぜ、言わなかったかというと、地球が全て水で覆いたい*と言っていたのに、反対したからです」
*)水で覆う=以前ビジョンで、小石ときれいな水を見せて、全て水で覆って休みたいと地球が訴えてきていた。
「本当は地球をきれいな水で覆って休ませてあげたかったのです。
けれども他のイシカミ達が、小石だけになるのは嫌だと言ったのです。
それで地球を水で覆う計画はなくなったのです。
人々は、地球にも意識があると思って感謝してください。
地球がヘビの星に支配されたので、水の惑星になりたかったのです。
支配星のヘビの星(のイシキ)はなくなりました。
けれどもそれ(リュージンなど)を崇める人々が多いので、エネルギー体を巨大化しているのです。
そして、そのヘビの星の札を地球に埋めるのを止めてください。
それが巨大なリュージンのエネルギー体になり、(自爆テロが)増えたのです」
2005年8月3日
(中指にサインあり)
「(イシカミは)フミ、フミ、文は残していません。
(エジプトのヒエログリフの)文字の解釈は支配星が教えたのです。
動物とのあいの子*の事がいた事を人間は見ています。
そして支配星が勝手に物語を教え、神として崇めさせ利用したのです。
それは(日本の古事記など)ジンムと同じです。
小さなクフ王がピラミッドは自分のものだと言うことはわかっていました。
それで小さなクフ王の像*を作って置いたのです。
私達(巨人が)見ると、人間はそれほど小さかったのです」
*)動物とのあいの子=エジプトの像にあるような生き物がいたと、以前にも知らされましたが、子孫は残らなかったようです。
*)クフ王=クフ王のピラミッドと言われますが、残されている像は4cmほどの小さな像しかありませんし、たった一言ピラミッドにクフと書いてあるので、クフ王のピラミッドと呼ばれていますが、遺体はピラミッドの中には無い。
(足の指にきついサインあり)
「イシカミが作ったモノを(自分たちが作ったように)利用するのが嫌なのです。
(古代に)石で作られた大きな建物(ローマの水道なども)は全てイシカミ(の巨人が)作ったものなのです。
バチカンもイシカミが作ったのです。
バチカンはイシカミが丸かったことをあらわして作ったものです。
それなのに、完全にイシカミを隠しています」
2005年4月3日
「イカルガ*の国の人は幸せではありませんでした。
名前と共に何もかも持って行かれたからです。
そのことを由良川の流れを変えること*で知らせました。
由良川に注いだ(支流の)川は、日本海に注ぐのを止めて太平洋に注ぐようになりました。
そうする事で、地球とイシカミが抗議をしたのです。
この間の(豊岡*の)大水はそれをあらわしたのです。
本当は瀬戸内海に注ぐ水が日本海に注ぐようになった(一気に水が増える)からです。
(右足首が急に冷たくなる)
それは今のまま(倭の国を認めない事)進む事が間違っている事をあらわします。
反対にインドの川の汚さは、人間のせいです。
いつまで沐浴の習慣を続けるつもりなのですか?」
*)イカルガ=丹波地方、倭の国の後は何鹿(イカルガ)と呼ばれていたが、そのイカルガもヤマトは‘斑鳩’という名前にして、倭の国の宝と共に持って行かれた。
*)由良川の流れを変える=日本一低い分水嶺の近くに石生 (いそう) という地名がありますが、他の文献でかってこの川は瀬戸内海に注いでいたと記されていました
*)豊岡の大水=昨年由良川が氾濫してバスが流されそうになった時、靴の紐でバスをつなぎとめていた事。
百人一首
【忘すらるる 身をば思わず 誓いてし 人の命の 惜しくもあるかな】
意味
《倭の国が捨てられて(滅ぼされて)も、身についた習慣(石信仰)を捨てないでおくぞと誓う。その人達に(仏教の教えを強制し)それまでの習慣を捨てさせるのは惜しいことである》
2004年4月20日
【ビジョン】
“少しへこんだ感じの地面に、河原のような大小さまざまな小石がある。その上をきれいな水が流れてくる。しばらくすると再び水が無くなり、小石が生き物のように動いて小さなストーンサークルを作る”
この意味は
「由良川を作った巨人は、最初(福知山で)日本海と太平洋に両方に流れるように作っていたという事をあらわしたのです。
けれども、ヤマトから川にそって責めてくる事がわかったので日本海だけに注ぐようにしたのです。
かっては(ビジョンのように)ストーンサークルはたくさんあったのですが壊されたのです」
【由良川風土記】によると、
由良川の分水嶺の一つには、95mと日本一低く、この付近は少なくとも60mの砂礫層で、由良川もかっては瀬戸内海に注いでいたと書かれている事で、情報と合っていると思います。
ちなみに由良川風土記に載っていた和歌も、この情報のノアの息子とヒミコノ娘の悲劇をあてはめると、 解釈が違ってくるようです。
小倉百人一首の
【ゆらのとを わたるふなひと かじをたえ ゆくえをしらぬ こいのみちかな】
由良川は“おくも川”とも呼ばれていたそうです。
【おくもかわ いちどすめる しるしには けうぞ千年の はじめなりける】(夫木集)
【おくもかわ あらぶる神も なごむまで ゆふとりしでて みそぎおぞする】(藻塩草)
【まつひとは いきとまりけり あじきなく としのみこゆる よさのおおやま】
【はななみの さととしきけば ものうきに きみひきわたせ あまのはしだて】(和泉式部)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
三田とは3つの国が高い所から見ることができる所であるということで、兵庫県三田市に行ってきました。
3つの国とは、この情報で繰り返し伝えられている丹波地方の倭の国、四国のヤマタイコク、奈良のヤマトということです。
倭の国は綾部、福知山を含む丹波地方であったが、当時は山がなく大きな平野でとてもにぎやかだったそうです。
けれどもヤマトに滅ぼされたので、イシカミが後から降りてきて山国になったと伝えてきましたが、以前、由良川の分水嶺はとても低く標高 95.45 メートルで、大昔は瀬戸内海へ流れていたと学問的にも指摘されていることと一致します。
又、由良川を行き来して交流をしていたという情報ですが、今の由良川では難しいだろうと思っていましたが、平野であればとても良い方法であったと思います。
・由良川及び胡麻川の分水嶺
#)リュー座の女王が
「大鰐(プレアデナイ)になったものです」
と古事記の一部と一致しますが、古事記など世界中の神話は支配星の都合の良いように書かれています。
・『古事記』
2006年1月11日
《ビジョン》
“小さな渦巻きが大きくなって真ん中が黒く、ブラックホールのようになる”
その穴にリュージンなど悪のエネルギー体を吸い込ませるイメージをする。
その後、咳が時々出て目が覚めるのは、
「しっかりと知らせていないからです」と。
「シツ、シツ、室が知らせてないからです。
(白い光があらわれる)
シツ(室)とは、子供が生まれる部屋のことです。
子供が生まれるとは、タマヨリヒメが生んだ子供のことです」寝る。
意味がわからなかったのですが、今朝掲示板に↓の事が書いてあり、トヨタマヒメの本当の姿はワニであったと神話にあり、そのことをロボットは先に読んでいたようです。
ちなみに、因幡の白兎の物語では、白兎はイスキリ=イエスをあらわし、ウサギの皮をはいだのはワニで、馬の皮を剥いだ蘇我とつながります。
・2001年12月7日 【因幡の白兎】と、夢2題
《掲示板より》
*)「玉依姫の名前が出たので、その姉の豊玉姫がワニだったというのを思い出しました。
ワニ(=爬虫類)の妹(=爬虫類と人間の掛け合わせ?)からジンムが生まれた。
最近、「神武天皇のY染色体を絶やさぬ為にウンタラカンタラ」とよく言われていますが、“染色体”の意味はワニから始る0虫0の染色体と思いました。
デビッド・アイクは英国王室は0虫0人間だと書いていましたが、日本の皇室も万世一系、男子の系統、Y染色体を絶やさぬ為...これ全て0虫0の染色体を絶やさない為と受け取られます」
2006年11月9日
仁徳天皇の前の天皇はワニなどの動物人間だったそうで、エジプトや奈良の石室に描かれていたような動物人間は本当にいたそうです。
イシジンたちが生まれ変わって人間として創りだしたのに、内臓は動物を送り込んだ星たちがDNAに関与したため、人間の姿をした動物のようだったそうです。
2000年以前は動物人間がいたので、正式な人間は2000年前に発生したとも言ったようです。
それまでの高度な文明はイシジンが作り出したものです。
人間を創り出してもあまりに悲惨だったので、イシジンだったイエスやマホメット、釈迦などが人間らしく生きる指導をするために肉体を持ったが、支配星にやられて悲惨な体験をしたそうです。
ちなみにそれぞれの生まれた年が違うのは、支配星がこのことを知られないようにするためにウソを教えたり、イシキは生まれ変わっているので数百年の違いはあります。
2004年3月28日
2004年3月28日 車の中で、
「亡くなっているきれいな人がきています。
小野の小町です。 知らせたい事があります。
私は菅原道真と柿の本人麻呂と仲良しでした。
砂の様に壊れやすいものでも硬い岩にする事が出来たのがジンムと伝えられました。
その物語(古事記?)の中には沢山の疑問がありましたが、それを口にする事は出来ませんでした。
それをあえてたずねたのが道真と人麻呂でした。
それで道真も人麻呂も遠くへやられたのです。
そしてカナの文字が書かれているのも見ました。
カナ文字のことをたずねると、とてもきびしい目をして、“明日から来なくても良い”と言われました。
私の歌も意味が隠されて歌われていますので、本当の意味は違うのです。
【花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に】
ハナ =腹を切られて。
ナは亡くなった後の木の十字架を表わす。
(ソラ辞典・カタカナの参照)
ノ=ノアの息子、
イロハ=祈る口は、
ウツリニケリナ=うつろになっても、
イタズラニ=必死になって、
ワガミヨニフル=わが身を省みず、
ナガメセシマニ=仲間の背を撫でていた、 (これが一番わかりにくかったです)
《歌の意味は、ノアの息子(=ムウラ)は仲間をとても大切にしていた = 無実で殺されたという事》
それを聞いて私は旅に出ました。
(丹後半島などに小野小町が訪れたことが残されている)
元伊勢皇太神社の沢山の祠を見て、本当の事だったと思いました。
私はそれから長い旅に出たのです。
何日も歩き柿本人麻呂の流された石見の国に行き、そこで人麻呂と夫婦になりました。
その後ヤマトの人に人麻呂は殺されましたが、私は地元の人と思われて殺されませんでした。
それが私と人麻呂の物語です」
(*“ソラ検索”で柿本人麻呂のことが出てきますがつじつまの合う情報です)
いつもながら驚く内容でした。
まさか小町の歌まで、違う意味があるとは思いもしていませんでした。
和歌の最初の意味はとてもすらすらと知らされましたが、最後がなかなかわかりませんでしたが、あの皇太神社の78もの祠が同じ大きさで並んでいるのは、本当に皆平等な社会だったのだと思いました。
又、知らされたカタカナの意味が、同じなので以前は意味が伝えられていたのではないかと思いました。
1999年8月22日に、カタカナの意味をヒミコが教えてくれましたが、沢山の文字も割と簡単に伝えてくれました。それ以後あらゆる文字をカタカナに当てはめると、その意味が当たっている事が良くあります。
(ソラ辞典・カタカナ参照)
2004年3月28日
ヒミコより
2004年3月28日 明け方
「いつも人間が死ぬまでにいかに楽に生きていけるか、と思っていました。
それには知らされて良かった事を、みんなが知ると良いと思ったのです。
それで何とか文字を作ったのです。
(ホツマツタエは)今伝えられているのとほとんど同じですが、(よく知られている)解釈はほとんど違っています。
(以前ホツマツタエとは女性の日常の生活の知恵が書かれていると教えられたが、現実には古代天皇物語に解釈されている事)
石に力が有るということを知らせたのですが、(今の訳では)その解釈がありません。
(古事記など)神の物語として伝えられているのは、ヤマトの人が自分たちに都合の良いように(ホツマツタエを)利用して書いたのです。
ホツマツタエも阿波の歌も私が書いたので、お知らせした(解釈を)公開してください」
2000年6月8日
「ヒミコです。【ホツマツタエ】の意味をお知らせします。
『ウタタネコ コレオノブ』 = これは女の物語です。うたた寝をすると “怒らないで下さい” 女の人はお変わりなく? こちらへおいでという意味なのです。
(元気なのに昼間から仕事をしないでうたた寝てばかりしていると、男性を待っていると思われる。ちゃんと女性の仕事を覚えてくださいという意味)
『アメツチノ ヒラケシトキ』 = 夜明け
『フタカミノ トホコニオサム』 = (ご飯を炊く時に)お釜が焦げないように(気をつける)
『タミマシテ アマテルカミノ』 = お釜の蓋の石が重くて取れない時に“アマテルサマ 力を貸してください” と頼むのです。
『ミカカミヲ タシテミクサノ』 = お腹にお煮しめを食べて
『ミタカラヲ サツクミマコノ』 = 身体の肩まで降ろした
『トミタミモ ミヤスケレハヤ』 = 髪の毛をまとめて束ねる
『トミガオヤ シイルイサメノ』 = 起きなさいと皆を起こすこと
『オソレミニ カクレスミユク』 = 遅れることなく固い炭火を埋めて
『スエツミヲ イマメサルレハ』 = 仲間の人にこんにちは (と挨拶をする)
『ソノメグミ アメニカエリノ』 = 自然の恵みの河に行って
『モフテモノ ホツマツタエノ』 = もうけモノの河の水にミズホの妻が
『ヨソアヤヲ アミタテマツリ』 = 伝えられることを感謝する
『キミガヨノ スエノタメシト』 = 私の君(大国主)に、いつまでも試練が
『ナランカト オソレミナガラ』 = ありませんように恐れを取る
『ツホメオク コレミンヒトハ』 = お勤めを苦にしないような人は
『シワカミノ ココロホツマト』 = しわが重なるまで心がほつれて(心穏やかに)
『ナルトキハ ハナサクミヨノ』 = 亡くなる時はきれいな花の咲くあの世の
『ハルヤキヌラン』 = 春にあなたは行けます。
これらは、私が幸せだった時に作りました。面白くてたくさん作りました。でも、長い年月の間に違う意味に変わったのだと思います。
ところでどうして“ツマ(妻)”という言葉には、罪の“ツ”がつくのかいうと、結婚を決めても他の人とセックスをしたくなるのは、“マ(魔)”の者が入るからだと思ったからです。
またどうして結婚制度を作って相手を決めるようにしたのかというと、当時は女の人を取り合って争いが絶えなかったからです」
2001年1月8日
「【あわの歌】の意味をお知らせします。
『アカハナマ』 = 赤い花=そばの花、マ=不思議な力。そば粉には不思議な力がある。
『イキヒニミウク』= 生きている生のそばは、火で煎ると実が粉にしやすい。
『フヌムエケ』 = 冬に池の氷が張るとそばを家に入れないと苦くなってまずくなる。
『ヘネメオコホノ』= 土地を掘り起こすのは男の人で、
『モトロソヨ』 = 女の人は石を取り除くと収穫が多くなる。
『オテレセエツル』= 男の人は川の土手と橋を作る。
『スユンチリ』 = それらをがんばってすれば人生は楽になる。
『シイタラサヤワ』= シイの実をたくさん集めて石の臼で粉にし、その粉を丸いお団子にする」
2005年1月16日
2005年1月15日
「アマの記憶が戻りました。
ジンムが一番だと思わせるためにヤマタイコクを封印したのです。
そして新しい神話(古事記)を作ったのです」
「私とは石が大嫌いな者で、長い名前の者です。
イッポントネリノヒト*です。
私は声が聞こえる人でした。
私が知らせたい事は宇宙の外から来たものだと言う事です。
そして今も人間に生まれ変わっています。
イシカミに今こそ詫びを言いたいと思っています」
(*イッポントネリノヒト=古事記を書いた舎人親王)
2007年6月16日
掲示板に星座の伝説について面白いのを紹介していただきました。
・・・・実は古事記を表わした舎人が書いた序にあたる文の中に「歳大梁に次し・・・」という表現が出てきます。
歳は木星で大梁はスバルの漢名だそうで、天武天皇は「木星が酉の方向にある酉の歳の二月に・・・」に即位したと訳されるそうです。
スバルと即位の関係は意味がありそうです。
2006年5月11日
2006年5月10日 突然、4時に目がさめる。
「人間だったものが降りています。
私はホメロス*です。
イシカミに対して悪いことを書いていました。
皆に知らせてください。
私が書いた物語は、支配星に教えられたことです。
ギリシャ神話の元を作ったのも私です。
人々が(人間のために尽くした)イシカミに意識を向けないようにさせたのです。
そして神も悪いことをすると知らせたのです。
物語は本当のことではないのです。
そのことを言うようにソラのものに言われたのです」
*)ホメロス=トロイの木馬などのように、人間が大きな国を作って争っていたように思わせるために物語を書いた。
2006年5月11日 真夜中下顎が痒くて目が覚める。
「下あご*を痒くしたのは真実を述べるメドゥーサです。
(伝えるのが)遅くなりました。
私の母(カッパドキア)を見つけてくれてありがとう。
悪者(ホメロス)が私をマのものとして知らせていたのです。
ポセイドンのことを伝えます。
なぜ降りてこないかというと、今も私のそばにいるからです。
それで言えなったのです」
*)下あご=地下宮殿のメドゥーサの石像の下顎だけ白かったが、白いのは真実を述べると言っていた。
(メドゥーサが笑っているのも、ポセイドンがそばにいたからのようです。
地下宮殿に行った時、30cm?はありそうな大きな魚が目の前に近づいてきたのも、挨拶をしに来たと)
「ポセイドンです。
なぜ、言わなかったかというと、地球が全て水で覆いたい*と言っていたのに、反対したからです」
*)水で覆う=以前ビジョンで、小石ときれいな水を見せて、全て水で覆って休みたいと地球が訴えてきていた。
「本当は地球をきれいな水で覆って休ませてあげたかったのです。
けれども他のイシカミ達が、小石だけになるのは嫌だと言ったのです。
それで地球を水で覆う計画はなくなったのです。
人々は、地球にも意識があると思って感謝してください。
地球がヘビの星に支配されたので、水の惑星になりたかったのです。
支配星のヘビの星(のイシキ)はなくなりました。
けれどもそれ(リュージンなど)を崇める人々が多いので、エネルギー体を巨大化しているのです。
そして、そのヘビの星の札を地球に埋めるのを止めてください。
それが巨大なリュージンのエネルギー体になり、(自爆テロが)増えたのです」
2005年8月3日
(中指にサインあり)
「(イシカミは)フミ、フミ、文は残していません。
(エジプトのヒエログリフの)文字の解釈は支配星が教えたのです。
動物とのあいの子*の事がいた事を人間は見ています。
そして支配星が勝手に物語を教え、神として崇めさせ利用したのです。
それは(日本の古事記など)ジンムと同じです。
小さなクフ王がピラミッドは自分のものだと言うことはわかっていました。
それで小さなクフ王の像*を作って置いたのです。
私達(巨人が)見ると、人間はそれほど小さかったのです」
*)動物とのあいの子=エジプトの像にあるような生き物がいたと、以前にも知らされましたが、子孫は残らなかったようです。
*)クフ王=クフ王のピラミッドと言われますが、残されている像は4cmほどの小さな像しかありませんし、たった一言ピラミッドにクフと書いてあるので、クフ王のピラミッドと呼ばれていますが、遺体はピラミッドの中には無い。
(足の指にきついサインあり)
「イシカミが作ったモノを(自分たちが作ったように)利用するのが嫌なのです。
(古代に)石で作られた大きな建物(ローマの水道なども)は全てイシカミ(の巨人が)作ったものなのです。
バチカンもイシカミが作ったのです。
バチカンはイシカミが丸かったことをあらわして作ったものです。
それなのに、完全にイシカミを隠しています」
2005年4月3日
「イカルガ*の国の人は幸せではありませんでした。
名前と共に何もかも持って行かれたからです。
そのことを由良川の流れを変えること*で知らせました。
由良川に注いだ(支流の)川は、日本海に注ぐのを止めて太平洋に注ぐようになりました。
そうする事で、地球とイシカミが抗議をしたのです。
この間の(豊岡*の)大水はそれをあらわしたのです。
本当は瀬戸内海に注ぐ水が日本海に注ぐようになった(一気に水が増える)からです。
(右足首が急に冷たくなる)
それは今のまま(倭の国を認めない事)進む事が間違っている事をあらわします。
反対にインドの川の汚さは、人間のせいです。
いつまで沐浴の習慣を続けるつもりなのですか?」
*)イカルガ=丹波地方、倭の国の後は何鹿(イカルガ)と呼ばれていたが、そのイカルガもヤマトは‘斑鳩’という名前にして、倭の国の宝と共に持って行かれた。
*)由良川の流れを変える=日本一低い分水嶺の近くに石生 (いそう) という地名がありますが、他の文献でかってこの川は瀬戸内海に注いでいたと記されていました
*)豊岡の大水=昨年由良川が氾濫してバスが流されそうになった時、靴の紐でバスをつなぎとめていた事。
百人一首
【忘すらるる 身をば思わず 誓いてし 人の命の 惜しくもあるかな】
意味
《倭の国が捨てられて(滅ぼされて)も、身についた習慣(石信仰)を捨てないでおくぞと誓う。その人達に(仏教の教えを強制し)それまでの習慣を捨てさせるのは惜しいことである》
2004年4月20日
【ビジョン】
“少しへこんだ感じの地面に、河原のような大小さまざまな小石がある。その上をきれいな水が流れてくる。しばらくすると再び水が無くなり、小石が生き物のように動いて小さなストーンサークルを作る”
この意味は
「由良川を作った巨人は、最初(福知山で)日本海と太平洋に両方に流れるように作っていたという事をあらわしたのです。
けれども、ヤマトから川にそって責めてくる事がわかったので日本海だけに注ぐようにしたのです。
かっては(ビジョンのように)ストーンサークルはたくさんあったのですが壊されたのです」
【由良川風土記】によると、
由良川の分水嶺の一つには、95mと日本一低く、この付近は少なくとも60mの砂礫層で、由良川もかっては瀬戸内海に注いでいたと書かれている事で、情報と合っていると思います。
ちなみに由良川風土記に載っていた和歌も、この情報のノアの息子とヒミコノ娘の悲劇をあてはめると、 解釈が違ってくるようです。
小倉百人一首の
【ゆらのとを わたるふなひと かじをたえ ゆくえをしらぬ こいのみちかな】
由良川は“おくも川”とも呼ばれていたそうです。
【おくもかわ いちどすめる しるしには けうぞ千年の はじめなりける】(夫木集)
【おくもかわ あらぶる神も なごむまで ゆふとりしでて みそぎおぞする】(藻塩草)
【まつひとは いきとまりけり あじきなく としのみこゆる よさのおおやま】
【はななみの さととしきけば ものうきに きみひきわたせ あまのはしだて】(和泉式部)
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以上、ソラからの伝言より。