ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ヤマタイコクから、巨人たち

2007年08月29日 01時14分32秒 | Weblog
2002年1月9日
「日本の行事は、私たち(イシカミ)が知らせたのです」と。

【君が代】 = ヒミコがよく働き穏やかな大国主を尊敬し “君” と呼び、作った歌。
「君が世は」・・・・・・・・・・・・私の君の物語が、
「千代に八千代に」・・・・・・その長い年月の間には、血(チ)が流され槍(ヤ)で戦う事があっても、(予言)
「ざざれ石の巌となりて」・・イシカミの柔らかい体が雨にうたれてざらざらになった石が硬い岩になり、
「苔のむすまで」・・・・・・・・その岩が苔になり分解して宇宙に戻るほど長い年月を経ても、とこしえに伝えられますように。

【日の丸】 = 当時は子供が小さいうちに亡くなることが多く、より多くの子供を作る事が必要であった。 女性が一人前に成長した証の着るものに付いた生理の血液を見て、ヒミコはおめでたい事のかたちを国旗にした。

【しめ縄】 = 大国主がヒミコの形見の髪の毛で作ったものが始まり。
【鳥 居】 = 大国主がヒミコの櫛に譬えたことが始まり。(三柱の鳥居) 
【柏 手】 = 大国主がヒミコを呼ぶ合図を良い事がある時は4回、急用や不満がある時は2回手を叩いていて、それが神社にお参りする時今にも伝わっている。

<お正月>
【鏡 餅】  = イシカミを現す。(クロップサークルNo.42参照)
【ウラジロ】 = 真実(ヤマタイコクの話)が隠されている事をあらわす植物で裏の方が白い。ぎざぎざの葉は支配星大蛇や蛇)は尖っているのが嫌いなので、形であらわした。
【みかんと干し柿】 = みかんもイシカミが星たちに頼んで作ってもらったもので、形はイシカミに似せて作られた。

<書初め>
ヤマタイコクの言い伝えを消されたので書いて伝える。

<ドンド焼き>
書初めの紙を燃やして天まで届かせる。(元旦に書いた書初めを燃やす)

<節分のオニ>
イシカミの巨人が首の後ろにお汁を吸う管があり、それを角にされ悪者にされた。

<豆まき>
豆を精子に譬え、豆をばら撒くことで人間の射精をあらわしている。

<ひな祭り>
その結果沢山の子供が出来たことをあらわす。 
段飾りの雛人形は、後年権力者の指示であの形になる。(身分制度)
流し雛は、殺された柿本人麻呂と、それを追って身を投げた小野小町を慰めたのが始まり。

<七夕>
元はタナハタと呼び、“宇宙ホシノミナが掃除をする”と言う意味で笹を立てただけだった。
以前は星の戦争で別れさせられた3つ星のオリオンに、箒で掃いて織姫を寄せてあげると言うことを伝えていたが、 途中から7つ星 になる。 
途中から仁徳天皇が貰い物のメモを笹にくくりつけて、 お返しがすめば燃やすようになった。

<月見>
小さなお団子を盛るのは、 細胞分裂をあらわす。
ススキは切るとすぐに枯れるのは、人間もすぐに老いる事を知らせる。

2004年12月5日
「ヒミコです。
イトが初めて大人になった印(生理の血液)が(衣服に)付いたので喜んで残しておいたものが、日の丸の始めになりました。
(このことは以前にも伝えられていますし、お赤飯を炊いて祝います)

着る物は糸を紡いで布を織っていました。
その糸は山にいるもの(山繭)の糸でしたが、数が少ないので木の皮を(細く)裂いたものを織っていました。
糸にする綿もありました。

(先日イメージで見た)肩の火傷の傷は、(サマルカンドで)火事にあったからです。
その地に支配星の部下が降りて来たのです。
そして小さな人間に乗り移り、(イシカミと人間の合いの子の)大きな人を殺して行ったのです。
大きな人がどうして小さな人間に滅ぼされたかというと、大きな人は戦う事が出来なかったのです。
大きな人は動きが鈍くて、小さな人間に振り回されたのです」

2005年9月13日
#)他のチャネラーサンから、うれしいサイトを教えていただきました。

「昨日ヤマタイコクの人はどんな服を着ていたのかと見ていましたが、コウゾって真っ白の布なんですね。
つい麻のベージュを想像していたのですが、白い木ってコウゾのことみたいでもありますね。
それで、イシジンが(大国主やヒミコのもとに?)集まってできたのがヤマタイコクです?当時は腰ミノを着ているような生活でした。
服もヤマタイコクから発祥した?
そして、かまどや墨、文字、紙、田なども皆イシカミやシリウスから教えてもらいました。
個人的にはどうもまだ時代の感覚がよくわからないのですが、ヤマタイコクの時代にイシジンもいた?」

これは私が知らされている事と一致します。
白い布をまとっていて、大人になった証拠の、女性の初潮の血の色を記念して、日の丸ができたと伝えられています。
イシジンも結構長くいたので、デェダラボッチ伝説が残っていると思います。

ヤマタイコクの事を知らせてくれた時に、木の線維を布にした着物を着ていて、洗濯して残ったカスから紙ができたのを発見し、それに煤を固めた墨で文字を書いたとヒミコが知らせてきました。
(本『星からのメッセージ』に書いています)

この時、木の繊維で布が織れるのかなと、思っていましたが、現在も伝えられ実際に布が織られていました。
そしてその発祥が四国と書かれていて四国は、太古の昔に国家の祭祀を担当し、その為、紙や布の製造にも関わりの深かったとのことで、ますます情報の信憑性が高まりました。

コウゾ
>楮の皮の繊維は、麻に次いで長く繊維が絡み合う性質が強く、その紙は粘りが強く揉んでも丈夫な紙となる。
>楮の皮の繊維を蒸して水にさらし、細かく割いて作った糸を木綿(ゆう)と言う。
コウゾの和紙

2004年12月5日
「イシカミがうれしいと思う事は、天然(=自然に出来たと言われている不思議な形の岩など)と思われているものを、イシカミ(の巨人)が作ったと思ってくれる事です。
地震の時にそのように思ってくれる人の家は潰しません。
(このことはこれまで何度も伝えてきていますが、現実にどうかわからないので書きませんでした)

なぜなら家が建っている下の土地は、イシカミの体だからです。
その思いがイシカミにわかれば動かないからです。
その事を皆に知らせてください。

耳鳴りでキーンとなるのは、地球がお知らせをしているのです。
地球の金属の成分を使いながら、金属で作られたもの(機械など)の事は信用して、機械ばかり大切にするからです。
(地球の事を大切にしない事)

地震の時に電磁波がどうして出るかというと、地球の中を通っている磁力がイシカミが動く事で(割れ目から)外に漏れ出るからです」

「(地震で)イシカミの身体の岩が断層を作るのはなぜかというと、(重なり合った)イシカミ同士がお互いに遠慮して移動するからです。
(海辺などで)断崖絶壁になっているのは、その部分のイシカミの身体の原子が、一斉に岩にならないで分解したからです」

「ヒミコです。
私は生きているように言葉が伝えられる者です。
(初めてこのように言って来ました)
生きている人たちは、死んでからの方が長いのに、(イシキの事を知ろうとしないで)騙し騙し生きています。
そのように生きることは亡くなる時に苦しみます。
それはその時にならないと気付きません。
イシキを認めると苦しまなくて(向こうへ)行く事が出来ます」

しかし特にその益だけを求めても、イシカミたちは人間の思考を読み取る?ことが出来るようですので、実際にはどうか全く分かりません。

2005年2月14日
化石として残る骨のあるモノしか生きていたと思われない人たちは、巨人が地球上に生きていたという事を受け入れませんが、イシカミの巨人は人間と違って、シリコンから出来ていて、遺体は岩や土になっているので、遺骨はありませんが世界中に巨人伝説はあります。
情報の公開を止めた10日の間に、2つの伝統行事がマスコミに大きく公開されました。
いずれもイシカミを徹底して消し去ろうとしたヤマトから、遠く離れていた土地(中部から北)で守り伝えられていたと思われ、この情報と大きく関係すると考えられます。

2005年2月14日真夜中

「大国主やヒミコの居た頃には、巨人も生きていました。
巨人は池を作ったり、川を作ったりしていました。
(遅く降りたイシカミの)身体がまだやわらかいのもありました。
生きている時の巨人は頭の丸いガザ(カセ鳥)*のようでした。
巨人は死ぬと三角山になりました。
巨人は手と足はありました。
音で話は出来ませんでしたが(テレパシーで人間と)会話が出来ました」

【カセ鳥の祭り】
山形県上山市の変わった姿のカセ鳥の祭りの主人公は、イシカミの巨人をあらわすそうですが、なぜ一番寒い時されるのか、意味を知りたいと思って寝ました。
カセ鳥の模様

「ワザラシ?ワザラシ=座敷わらしの事なのです。
座敷わらしを見ると(事業が)成功すると言われていますが、それはサタンに守られるからです。
座敷わらしはサタンの子供なのです。
(座敷わらしのように)家の中に閉じこもっていて何もしない事は良くありません。
なぜ、真冬にカセ鳥(=ガザ取り)の祭りが行われるかというと、その頃は雪(になった原子)がたくさん降ってきて積もります。
サタンは座敷わらしを通してその雪に話し掛け、知らない内に(雪を)サタンの部下にさせようとします。
それでイシカミは巨人の姿を思い出さすために、(雪が積もっているその時期に)その姿を見せ、雪ん子たちにイシカミを思い出させて、本当の雪ン子(=水)の使命を思い出させたのです」寝る。

その後の【夢】で、とてもはっきりと三角山が出てきました。
「(三角になった山が)ガザ取り(=カセ鳥)を知らせたのです。
巨人があの姿だったのです」

カセ鳥はガザとしか発音できなく、大昔は【ガザ取り】と言っていたそうで、明治に入り中止させられたりして途中から変わったそうです。
ガ=力が2乗、ザ=サすのサが2乗で
【力を刺す=権力者を無くする】
という意味を濁音にしてより強めて言ったそうです。
パレスチナの激戦地「ガザ」も青森から出て行ったヤハウエーがつけた名前だそうです。
(ヤハウエーが青森から出て行った事は早くから知らされていますし、イエス達が青森に向かったのもその為と伝えられています)

【巨大わらじの祭り】
巨大なわらじを信夫山(福島県)に奉納する祭りですが、後年宗教に利用されています。
平野にポツンとある山は、特に最期までがんばって人間の為に働いてくれた巨人だそうです。
せめてものお礼にと大昔の人たちが、わらじを供えてあげたようです。
日本一の大わらじ奉納
この山には巨石もありました。
信夫山

この他の巨人伝説
よりお借りしました。

茨城県【デエダラ坊】
人を踏み潰さないように夕方から夜だけ歩く大男で、その足跡が6畳くらいの大きさの池として残った。

茨城県【ダイダラボッチ】
ユーモラスな大男で、堤防を作るのを手伝ったくれた。その時にこぼれた土が峰山になった。

長野県【デーラ・ボッチ】
大男で山をまたいで歩き、その足跡が池になった。

長野県【デーラボッチャ】
デーラボッチャの巨人が背負ってきて下ろしたのが室山であり、背負子の土を払ったのが背中という山になり、縄の土を払ったのが背負縄の山になった。槍ヶ岳に腰をかけて諏訪湖で足を洗ったと伝えられている。

長野県【ダイダラボッチ】
疣石にある溜水の窪みが手の跡といわれ、その足跡は砂鉄のある場所に向かっていた。

長野県【デイダラボッチャ】
藤蔓で山を運んでいた時、藤蔓が切れて山を落としてしまったので、藤蔓を投げつけた。そこが藤塚で、切れた藤蔓に怒ったのでこの地方に藤蔓が生えないという。

長野県【デェダラボッチ】
大昔巨人が大泉山と小泉山をヲンガラ(麻稈)でかついでここまで来たら、ヲンガラが折れた。担ぐための変わりの棒がなく、そのうちに大泉山と小泉山に根が生えてしまった。

群馬県【データラブチ】
昔巨人が榛名富士を作ろうと土を運んでいたが、夜が明けてしまったので土を掘り出していったのが、ひともっこ山になった。

埼玉県【ダイダラボッチ】
ダイダラ坊(ダイダ坊)という巨人が昔いて、定峰峠をまたいで腰掛けて昼食をとっていた。その跡が数々の山になった。巨人の足跡は凹地として残っている。

静岡県【大多良坊】
昔巨人が富士山のような山を千頭に作ろうと土を運んでいたが、夜があけたので土を掘り出して行った。それが丘になった。大井川をまたいで水を飲んだ時についた足跡が遠州と駿河にあるが、それは足窪と名づけられた

神奈川県【デェラボッチ】
巨人のデェラボッチが富士山を背負おうとしたが、ふじ蔓がなかったので、ジンダラ(地団太)を踏んだ跡が、鹿沼と菖蒲沼になった。

神奈川県【デーラサマ】
富士山に縄をかけて引いてきたが、頂がちぎれて城山になった。デーラサマの足跡は、デーラクボと呼ばれる窪地になる。足駄の歯にはさまった土が落ちて出来たのが、相原のデーラボッチ。デーラサマは大山に腰掛け、相模川で足を洗い、東方へ飛び去ったと伝えられている。

東京都【デェラボッチ】
巨人の足跡に似た窪地が、池の窪ある。昔、デェラボッチが富士山を背負おうとして踏ん張った足跡と言われている。

東京都【デエラボッチ】
平野にぽつんとある小山は昔、デエラボッチが背負ってきたが縄が切れて落ちた。ふじ蔓で縄を繋ごうとしたが見つからず、この小山にふじが生えないようにした。

東京・北多摩郡【ダイダラボッチ】
丸い小山を丸山と呼び、ダイダラボッチはここで休んで立ち上がろうとしたら、藤の背負縄が切れて荷が落ちたという。

ソラ画像より
巨人の足跡
「巨人のイシジンがいたことを知らせておきます」

・【ヤマタイコク物語

ソラ・シリーズ発売中!
(7月16日の朝日新聞朝刊一面に広告が掲載されました)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

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以上、ソラからの伝言より。
写真は8月28日のソラ。

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