ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ヤマタイコク(その9)

2005年06月30日 23時59分24秒 | Weblog
【四国=死国】

「徹底してヤマタイコクを隠すために、
仏教でも封印した(88ヶ所巡り)。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

ソラ情報によると、ヤマタイコクは四国にあり、
大国主とヒミコを中心に暮らしが営まれていました。

写真は四国霊場第45番札所、岩屋寺の背後にある岩。
顔みたいでしょ。
もちろん、岩が出来たのが先で寺が後。
なのに、訪れる人は寺にイシキが向いてしまう。
神社、教会も同じで、建物近くの山や岩にイシキが向けられないようにしている。
これが宗教封印のテクニック。
道後温泉近くにある第51番札所、石手寺。
ここには、リューに乗った観音や上半身が鳥で下半身が人間など
けったいな像がいっぱい。
これをテーマパークのように集めたとは、坊さん変態コレクター。

(2004年11月撮影)
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ヤマタイコク(その8)

2005年06月29日 23時59分06秒 | Weblog
【封印されたイシカミ】

「早くにヒミコがカタカナやホツマ文字を作り上げていましたが、
ヤマタイコクを責め滅ぼした事がわかると困るので、
ヤマトが文字を書く事を禁止しました。

その代わり蛇文字を作って神社に置き、
民衆には文字を書くと蛇になると脅かしていたのです。
日本には神代文字がいろいろ隠されて存在するのに、
ヤマトに都合の良い物語としてだけ文献(日本書紀など)を残したのです。

その事に気づいた菅原道真が隠された事を世に出そうとして左遷され、
友人の柿本人麻呂や小野小町などが全てナゾの人とされたのです。
ヤマトは権力者が国民を支配するのに都合の良い
仏教、神道を国民に押し付け、両者が協力して
山や岩を崇めていたイシカミを完全に封印してきたのです。

この物語はソラから知らされた事をつなぎ合わせて、
出来上がったのですが、ヤマタイコクやイシカミの話は
民話や百人一首に隠されて伝えられていました。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

山の麓・山中に立つ寺・神社。巨石に張り巡らされた注連縄。
これらは元々は無かったもの。
いつ・誰によって・何の為に建てられたのか。
538年、仏教伝来。
712年、古事記の成立。
901年、菅原道真左遷。
明治時代、国家神道政策で神社の統廃合。天皇神話の復活。歴史捏造。
創られた歴史/消された歴史であっても、それが長い間言われ続ければ
本物であるかのように思われてしまうのが困ったもんだ。

(写真は小樽水族館のラッコ。2005年6月26日撮影)
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ヤマタイコク(その7)

2005年06月28日 23時52分40秒 | Weblog
【ヤマトは仏教を利用して、貧富の差の激しい国家になった】

「ジンムがヤマトに落ち着いてからも、
何とか国を広めようとあちこち攻めていましたが、
倭の国の人たちの団結は強く、
支配下に置く事が出来ませんでした。

530年ごろ彗星の衝突があり、
巨大地震や地軸が移動して人々は不安になった頃に、
龍神の支配する仏教が大陸から渡ってきました。
それまでイシカミの山や岩を祭っていたのですが、
仏教はその山や岩が大地震を起したので、
仏教を信じるように言いました。

また、龍神などに支配された人が、
地獄絵などを見せ、信じないと死んでから地獄へ行くと
恐怖の教えで人々を支配していきました。

そして、供物を供えお経を唱える事で死後は極楽へいけると、
働かなくても良い階級を作り、反対に国民からは搾取し、
仏教のための豪華な建築物と次々作りました。
人々はそれまでは自然の恵みを平等に受けていたのに、
それ以後貧富の差の激しい国家となっていたのです。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

仏教伝来については、538年説が有力らしい。
朝鮮半島(百済)からの渡来人によって持ち込まれたという。
ジンム(神武天皇)の両親も朝鮮から来て九州に。
朝鮮からはいろいろ来るね。
しかし、仏教も千五百年近くの間、多くの仏教徒が勤行・唱題に
励んできたはずなのに、さっぱり地球は平和になりませんな。
仏道修行の結果もせいぜい自己満足止まり。

(写真は小樽水族館にて。2005年6月26日撮影)

ヤマタイコク(その6)

2005年06月27日 23時09分03秒 | Weblog
【ヤマトへ連れて行かれたイト】

一方イトは、ヤマトへ連れて行かれ
何重にも塀で囲まれた所で、
幽閉生活をさせられました。

ジンムはどうしてもイトとの子供が欲しく、
強引に子供を生ませましたが、
その子供がニニギノミコトで、
イトの乳母に育てられられました。
乳母はニニギに、ヤマタイコクや母親が由良から
連れてこられた事を話したために、
それを知ったジンムに股を刺されて死にました。
その事を天の橋立の股覗きで伝えているのです。

イトは子供を生む事で由良に行くことが出来ましたが、
ヤマトへ戻るのが嫌で、自殺をしようとしました。
その時、スセリ姫が身代わりを申し出て、
警備のものから逃げる事が出来ました。
そして隠岐の島に隠れていた父親の大国主と共に、
その地で最後を迎えました。

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

邪馬台国。これは後世の当て字。
ならばジンムは?
ジンム=人無=人で無し。

(写真は小樽水族館にて。2005年6月26日撮影)

ヤマタイコク(その5)

2005年06月26日 19時11分33秒 | Weblog
【タケルノミコト】

「以前に若者によってヤマタイコクから連れてこられた
幼いタケルノミコは、敵とは知らずジンムの元で大きくなりましたが、
ジンムからは絶えず大国主は悪者だと言われて育ちました。

そして大国主が亡くなるとジンムは、
8人の仲間は朝鮮の人達にだまされてヤマトを攻めようとしている、
と嘘をついて、ひそかに8人をだまし討ちにするように
タケルノミコトに言いつけました。

タケルノミコトは何も知らず言われるままに、
大国主がもっとも信頼していた8人の仲間を次々と殺してしまいました。
けれどもヤマトへ帰って来て聞いた言葉は、
その8人は自分の本当の父親の仲間だったという事でした。
その言葉を聞いてタケルノミコトは絶望に陥り、
イシカタヤマ(猿投山)で自殺をしてしまいました。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

ジンム以来、連綿と続く天皇家のウソ。
古事記/日本書紀では“死人に口無し”をいいことに
(当時において)昔の事は天皇家の都合のいいように書きたい放題。
しかし、それが21世紀の現在になっても検証もされず(各天皇陵は非公開等)、
特権階級として存在する不思議を誰も追求しない不思議。

(写真は2005年6月26日のソラ)

ヤマタイコク(その4)

2005年06月25日 10時49分13秒 | Weblog
【出雲の大国主】

「争うことを予想していなかった大国主は、
折角築きあげたヤマタイコクを後にして、
8人の部下と共に出雲に向かいました。

働き者の大国主はここでも農業を発達させ、
人々は集まり大きな国となっていきました。

けれども大国主は、ヤマタイコクのことが忘れられず、
形見として持ってきたヒミコの髪の毛を束ねて、
その前に櫛を置き、毎日それに語りかけていました。
それを見ていた周りの人が、亡くなった後も大国主を偲び、
しめ縄や鳥居として形を残していきました。

又、男性ばかり一緒に行ったので、ヒミコを知っているのは
男性のみでしたが、あまり大国主がヒミコを偲ぶので、
その内の一人がヒミコの真似をして慰めてあげました。
それが歌舞伎の始まりで、歌舞伎の“柿落とし”という名前で
今日まで残っているのは、柿はイシカミが与えた食べ物で、
イシカミの色と姿に似せて作られたからです。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

ソラ情報によると、ヒミコが自殺したのは阿波の土柱のところ。
しめ縄や鳥居、歌舞伎。
それらも長い年月の間に支配星によって、意味がすりかえられていく。

(写真は徳島県神山町焼山にて。2004年11月撮影)
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ヤマタイコク(その3)

2005年06月24日 23時47分43秒 | Weblog
【ノアの親子が日本へ流れ着く】

「そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子が
やはりイシカミに導かれて日本に流れ着いていました。
若いノアの息子、ムウラとイトは恋に落ち
一緒に住むことにしました。

しばらく星の宮の降りた所で暮らしていましたが、
砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしました。
子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、
その側に住みたいと残りました。
ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、
海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、
それがいつか市場のようになり、
その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、
国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。

ノアとムウラ親子は製鉄の技術に優れて鍬や斧などを作り、
人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、
大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。

一方、ジンムはヤマトの国に落ち着いていましたが、
又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと
突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。

その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、
イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、
何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、
魚の網で捕らえられてしまいました。
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、
自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。

無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、
夜になってムウラを慕っていた漁師にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、
ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。

父親のノアは追放され流浪の旅を続け、遠くに行くうちに乞食と間違えられ、
籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、
手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)
と言っていたので、モーゼの墓とされました。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

大和朝廷以前、丹後には、「大規模な王国」があったという説がある。(丹後王国)
この地方の古墳などから、ガラス製品や鉄製品の数々が出土しているからだ。
一方、「モーゼの墓」は石川県宝達志水町に存在する。

(写真は京都府宮津市の由良浜。由良川河口方面を向いて。2004年3月撮影)
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ヤマタイコク(その2)

2005年06月23日 23時36分04秒 | Weblog
【ジンムがヤマタイコクを滅ぼす】

「一方、朝鮮から九州に渡来した夫婦の元に、男の子が生まれましたが
龍神のイシキが入りました。
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、
他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、
次々と領土を広げていきました。

鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、
誰がこのようなものを作ったかと聞くと、
イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたので、
その巨人を自分の先祖にする事にしました。
(↓鵜戸神宮の前の巨石、オニの洗濯岩などの写真)
http://sora.ishikami.jp/image_dir/special/kyuu2004/
巨人は大きな洞窟を作って、人間の赤ちゃんを生む場所に作っておいたのに、
ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。

そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。
ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、
幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な刀を盗み出し
ヤマタイコクから逃げ出しました。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、
ジンムに会い、盗んできた刀を差し出しました。

当時の日本には無かった、すばらしい刀を手に入れたジンムは、
ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。
けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、
ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。

怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、
大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、
残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
ヤマタイコクの人々はその時から刺青をつけられ、
被差別部落として差別され続けるようになったのです。

ヒミコは娘のイトをひそかに逃がしましたが、
ヒミコ自身は捕まって奴隷として連れて行かれる事になり、
隙をみて逃げ出し自殺をしました。
イトは乳母と共に無事に逃げ出す事が出来、
ヒミコに言われていた星の宮の降りた所へ行きました。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より

ジンムとは、後に神武天皇として知られた人です。
この出来事が、日本の権力による支配の始まりとなります。

(写真は徳島県、阿波の土柱。2004年11月撮影)
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ヤマタイコク(その1)

2005年06月22日 22時56分27秒 | Weblog
日本という国は一体どのように始まったのか。
気にしなければ気にしないで生きてゆけるが、
日本という国に生まれて、それを遂に分らずに
死んでいくのも勿体無い。
少なくとも、古事記/日本書記という権力者側から
出された神話・歴史が全てではない、
学校/教科書で教えられる事では零れ落ちるものがある、
というのはわかる。
とは言うもののなにせ昔の事、ハッキリしない/曖昧、
故に諸説が飛び交っている現状。
しかし、人間が生きてきた歴史。
ああしてそうしてこうなった、
人と出来事と時間はバラバラではない。
断片的に残されたモノの中につながりが現れるはずだ。
ソラのものが知らせてくれた歴史を読んでみよう。

「大昔、アトランティスの子孫である大国主は、
宇宙の大元の分身である星の宮が降りた日本に、
道中で一緒になったヒミコと共に向かいました。

四国の山の台地(山台国)に落ち着き、
イシカミにいろいろな知恵を与えられ、農業も発達し豊かで、
人々は自然の恵みを分け合い平和に暮らしていました。

男性と女性は別れて暮らし、男性は山や畑の仕事で
女性は子供たちと一緒に川の近くで共同生活をしていました。
山になったイシカミから大国主は農業の知恵を、
ヒミコは文字や衣服などの生活の知恵を授けられて、
人間としての平和な暮らしをしていました。

その事は近隣は勿論、大陸にさえその噂は広がり、
教えを乞いに来るほどでした。

ヒミコは星延べとして、イシカミからビジョンで文字を教えられ、
ホツマ文字、すなわち"ミズホのツマ"の文字として皆に教えていました。
又、コウゾの木の皮で編んだ布を洗っていて紙が出来ることに気づき、
その紙に生活の知恵などを文字として書いていったのが、ホツマ伝えでした。
けれども、ホツマ文字は覚えにくかったので、
ヒミコは子供たちと一緒にわかりやすいカタカナの文字を作り、
まとめてあらわす簡単な漢字も作っていました。

二人の間には、女の子のイトと男の子のタケルノミコという子供がいて、
それは仲良く暮らしていました。」

『ソラからの伝言』ヤマタイコク物語より
(写真は徳島県佐那河内村にて。2004年11月撮影)
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ソラから見ている目

2005年06月21日 02時37分14秒 | Weblog
菅原道真の時代に行われていた歴史情報の操作。
(古事記/日本書紀)
自分達に都合の悪い事を主張するものを左遷する。
これ全て仕事をしないで他人からの搾取によって
生きていこうとする朝廷・仏教の策略であった。
(仕事をしない星)
権力維持の為の嘘。
しかし、その嘘も千年、2千年と続けば、元々の
言い伝えは途切れ、ある時点からの嘘の話が真実に
すりかわっていく。
自分に関係が無いと思えば、(1つの視点でしかない)
歴史学(者)の話をそのまま鵜呑みにしてしまう。

「皆に知らせてください。
それは石(=踏まぬ石:伊勢神宮)の事です。
いつになれば神話のウソがあばかれるかと待っていました。
これまで(ソラのものが)知らせて来た事(=歴史の情報)
のどこがおかしいか、歴史学者に聞いてください。

(歴史学者は)権力者の都合の良い事しか書いてない文献のみ
信じていますが、何がイシカミをあらわす磐座を隠したか?
石器やストーンサークル(=イシカミをあらわす)の意味も
判らないままです。
考古学と歴史学が離れてつながりがありません。
考古学とその後に続く神話の世界と全くつながりません。
そして無理につなげようとするのも想像にすぎません。
神話の世界から現代の皇室が、本当に続いていると学識者は
本当に思っているのでしょうか?
それらも・・・であろうと想像するだけで、各自の自説を
かたくなに堅持しているのみです」

*磐座 = かって大切にされていたと思われる磐座の前には、
      必ずといって良いほど宗教の建物、像などがあります。
      (神社・寺)
*石器 = 何の目的で作られたのわからない石器が沢山ありますが、
      想像で祭事用と片付けられています。

(『ソラからの伝言』2005年3月5日お知らせより。写真は6月18日のソラ)
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