ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ヤマタイコク(その29)

2006年01月29日 23時42分57秒 | Weblog
ヤマタイコク物語で)アトランティスや縄文の初期は1万年位前と思えるのに、ジンムがあらわれるのが2500年前くらいで、ジンムと大国主などの年代が実際の歴史とあわないのでどうなのか聞いていました。
あい変わらず数字は出てきませんし、想像するのも難しいのですが、このころの生まれ変わりはイシキそのままのようで、大人の姿で作られたりしたようです。
最初の人物と、その後に生まれ変わって同じ人物であらわれるまでの間、人間はイシカミによって創られたり、早くに創られた人間同士から生まれたりして少しずつ人類は増えていったようです。
そしてイシカミのいて座の代表が大国主やその子供やユダヤ人のノアやムウラで、それに対して支配星の代表がジンムで、それらのイシキが日本において、それぞれの星の希望をかなえるために、肉体を持つ人間に生まれ変わったそうです。

そのイシキが降りてきての生まれ変わりは、モモ太郎や竹取物語のように、歩けるくらいの子供で肉体が創られ生まれ変わるのや、大人の形で創られたそうです。
モモ太郎のモモの形はシリウスを、柔らかな果実の実はイシカミをあらわし、硬くて大きな種はしっかりとした肉体を持つ人間をあらわしています。
それはイシカミが最初は柔らかな物質だった頃に作られた石室や、土にもなったイシカミの横穴から生まれたことをあらわしています。
小さな石室などでそれがわかります。

竹取物語の主人公は支配星のイシキが入った姫で、竹の中には虫がいるので、皮肉をこめた民話でもあります。

話は元に戻って、なぜ大国主とジンムが同じ時代に生まれ変わったかというと、それぞれの星の思いが関係します。
まず、いて座のものたち=イシカミは煮えたぎった火の玉の星に、自らが地球に突入し固めて、そのシリコンを変化させることで生物の住む地球にしました。
そして自分たちの変化したものが、仲良く輪になって具現化した地球を楽しもうとしてきましたが、それを見ていた支配星は、そのイシカミやソラのもの知恵の結集した人間を支配し、争いでもなんでもして自分たちさえ良ければよいという地球にしてきました。

それが今までの地球で、支配星のイシキのいなくなった今もその流れが消えないのは、支配星の仲間などが真似をして、同じように地球を支配しようとしているからのようです。
ただ、これまでは外宇宙のイシキとプレアデナイとその仲間で強力な力がありましたが、今、真似をしているのはそう大きな力はないと思いますので、小さな星で力はないけれど多くの星のソラのものやいて座の力を結集して、なんとか地球を平和な星にしようと努力をしてくれているようです。

【ただし、いつまで経ってもイシカミや宇宙(ソラ)のモノたちを、無視し続け足り、攻撃するばかりでは、全くどうかわかりません!!!。
これまで何度も知らせているように、地球の未来は、人間の思いできまっていくそうですので】

以上、ソラからの伝言より。

ヤマタイコク(その28)

2006年01月28日 23時56分53秒 | Weblog
1月21日のTV世界ふしぎ発見!で“アタカマの地上絵”を放映していました。

(地上絵の人物像は、頭に何本か管があり、イシカミの巨人はお汁を吸う管があることを知らせています)

「アータカマの巨人が知らせてきました。
一番の悪者がわかったのです。
お腹が痛かったのは悪者がいたからです」

「チリの国(細長い)を真似たのです。
支配星はその形になって、大蛇を地球に送り込んだのです。
そしてアータカマから、日本へ向かったのです。
それを(イシカミが)石で(地上絵にして)知らせたのです。
大蛇のイシキが生まれ変わったのが、神武なのです。
そして、アータカマ=タカマガハラに降りたのです」
タかマがはラ=タマラ

ホシノミナです。
このことは(著者が)死んでも伝えることはできないと思っていました。
それほど支配星の大蛇のイシキは大きかったからです。
アタカマのイシカミが伝えてくれたのです」

*神武は御池(高千穂峰の横)のリュージンのエネルギーを受けたので、強力な力を持ったと知らされています。

「大国主とヒミコのイシキがイシカミのつくった人間に生まれ変わるのを見て、支配星が人間(目を閉じていると赤くなる)のまねをして、身体を(再度赤くなる)・・・・・・。
クローン人間にしたのです」

*神武は支配星が、対抗するために送り込んだ人間と伝えられています。
*神話のトヨタマヒメワニであったということは、神武にもその血が流れていることを神話を通して知らせています。

「ワニを神としたのはプレアデナイです。
(プレアデナイからのチャネリング本“地球を開く鍵”では、ワニの王との会話がある。またワニはプレアデナイが地球に送り込んだとも)
それでワニを神聖視するのです。
ワニは輪(ワ)を食い破り、二つ(ニ)に分けます」

「人間に生まれる前に、支配星はその操作(クローン技術)をしていたのです。
何事にも抜きんでる能力を与えた人間にしたのです。
その反対の人間も、支配星は創りだしました。
その人たちが異常な事件を起すのです」

以上、ソラからの伝言より。
写真は1月28日のソラ。

ヤマタイコク(その27)

2006年01月27日 23時57分14秒 | Weblog
「今、思い出しました。
白い王と書いて“皇”と呼ぶのは何故かというと、アトランティスの血を引く大国主が白い肌だったからです。
その言葉でもわかるように、最初の王は大国主だったのです」

「書いてください。
白い王とは大国主のことで、農業の神様として慕われていました。
それはイネの栽培をするのに、“田”を考えたからです。
最初は丸い田を作りましたが、それを伝えているのが車田です。
一番最初の王が白いと書いた意味がわかるでしょう。
そして出雲に田の形を残した巨木の跡があるのは、何としても大国主の働きを残しておこうと思ったからです。
“王”という文字は3位一体を認める人のみ、なるという意味です」

「ヒミコの鏡は今もあります?
(丸と長方形の白い光があらわれ、長方形が半分に分かれて、3つになる。ちょうどオリオンの形になる)
今もあるということは、シマント(四万十川?)にあるのです?」

以上、ソラからの伝言より。
写真は羊蹄山麓の麦畑に出来た穀物模様。(2005年7月撮影)

ヤマタイコク(その26)

2006年01月26日 23時55分34秒 | Weblog
大国主とヒミコも、最初はイシジンだったのです。
(日本に来るまでは5m?の巨人だったとも以前に伝えられていました)
そのイシキが(イシカミが作った大柄な)人間に生まれ変わったのです。

「思い出しました。
少々のことではそこ(四国のヤマタイコクがあった所)には行けません。
踏み固めた(イシカミの背中の)道は歩くのに気持ちのよいものでした。
大国主です。
(大柄な人間の身体に生まれ変わって)イシカミの体の上で暮らしていました。

柔らかく、暖かでした。
そして稲を植えました。
(種はどうしたの?)
種は目が覚めると目の前にありました。
(イシカミの原子が栄養があっておいしい稲の種になった?)
イシカミの身体に穴を掘ってそれを植えました。
以前(ビジョンで見た)丸い穴に植えていったのです。
稲は持ってきた稲刈り鎌で刈り取りました」

石のトンカチはヤマタイコクがあった石鎚山をあらわしています。
イシカミの背中になる山の台地の方が暖かく、住みやすかったのです。
イシカミの体が土になり、稲を植えたのです」

イシジンが(大国主やヒミコのもとに)集まってできたのがヤマタイコクです。

「ヒミコです。
イシカミの巨人(イシジン)と一緒に食事をしていました。
イシジンはお汁を飲んでいました。
私たちはイチゴや栗の実などを食べていました。
(そのほかは名前が思い出せないようでした)
イシカミの背中に住んでいました。
穴を開けると暖かでした。
(ヒミコがいた所でもイシカミの体をお餅を切り取るようにして)丸い団子を作りました。
泥団子のお知らせ参照)

それを平らにして磨いていると鏡になりました。
それが鏡の元でした。
それを持っていたので、ヒミコはイシカミの声が聞こえると中国人は思ったのです。
それで(リューを描いた)鏡を作り出したのです」

以上、ソラからの伝言より。
写真はオーストラリアのマールロックより。

ヤマタイコク(その25)

2006年01月25日 23時15分51秒 | Weblog
四国の山の台地に作られたヤマタイコク
そこに大国主とヒミコが住み着くまでには、少しお話があります。

「大昔、アトランティスの子孫である大国主は、アトランティスが滅びる時に母親の女王に云われて、宇宙の大元の分身であるホシノミナが降りた日本に行く事にしました。
アトランティスを出る前に、日本をムー大陸からの大蛇が襲って来ると言われたので、その大蛇をやっつけるために、ギザギザの鎌(ギザギザのノコギリのような稲刈り鎌)を持って行きました。
大国主は巨人であったアトランティス人の血を引いていたので、とても大柄な人で色も白い人でした。

同じ時期、イシカミの子孫で巨人だったヒミコは、サマルカンド(現ウズベキスタン共和国)にいました。
アトランティスが崩壊し、地球を覆っていた水の膜がなくなり、サマルカンドも砂漠になっていきました。
それでヨルダンぺトラのイシカミに呼ばれて、そこへ行きました。
そこの(エル・カズネの建物の)柱を真似た棒を持って、訪れた大国主と一緒に日本へ向かったのです。
ペトラのイシカミには、食べても減らない食べ物マナを、同じく飲んでも減らない水の入った瓶を与えてもらいました。

しかし、途中のインドで支配星の送り込んだ大蛇にやられて、死んでしまいました。
支配星に大国主とヒミコを殺ろすように命令された大蛇の原子たちは、もとはイシカミの原子たちで、逆らえなかったのです。
そのことを後悔して、大蛇の原子たちは自ら硬い鉄=アショカ・ピラーに変わりました。

そして、大国主とヒミコのイシキは日本へ行きたいと思っていたので、そのことをテレパシーで知った道中のイシカミの巨人達は、大国主とヒミコの遺体、大国主の稲刈り鎌とヒミコの鉄棒を手渡しで、日本の四国へ運んだのです」

以上、ソラからの伝言より。
写真は1月21日のソラ。

ヤマタイコク(その24)

2006年01月24日 08時14分25秒 | Weblog
魏志倭人伝の“生口”の解釈があっているか再度聞いていました。
それは女生口○人、男生口○人と書かれていたので、本当かどうか聞きなおしたのです。

「男生口は干し柿(ホーデンが似ている)です。
女生口とは海のカキのことです。
カキは子宮をあらわします。
何人と言うのは(人を)書き間違えたのです」と。
カキの保存ができないのでどうしてもわからなかったのですが、船の外に吊るして運んだ?
『魏志倭人伝とは?』を読むと、1800年前に書かれて文がとても正確には残されていないと書かれていますが、本当のことと思い、改めてお知らせしました。

イシカミです。
海のものが来ています。
(貝の)カキが知らせます。
カキは女(の子宮)をあらわします。 
カキの形が女性の子宮に似ているのは、地球が知らせて欲しいと言ったからです。
それに(精液に似た)白い液で満たしているのです。
果物のカキと海のカキが同じ名前なのは、イシカミのことを知らせているからです。
海のカキはイシカミの形とお汁の色を知らせています。
それでお土産に持たしたのです。
(海のカキはどうして保存したの?)
海の中に入れたまま運んだのです。
そしてお土産にしたのです」
(柿の形と色は、イシカミが地球に下りてきた時の色と知らされています。
要するに、食べ物を与えてくれたイシカミのことを知らせるように、イシカミをあらわすものを土産に持って行ったようです)

#)カキ(柿や牡蠣)とは、イシカミをあらわし、そのことをキロクすることで力を得ると言う意味です。

以上、ソラからの伝言より。
写真は1月22日、山から出てきた雲。

ヤマタイコク(その23)

2006年01月23日 02時10分09秒 | Weblog
昔から伝えられている日本の行事には、ヤマタイコクに関連するものが残っています。

【しめ縄】 = 大国主がヒミコの形見の髪の毛で作ったものが始まり。
【鳥 居】 = 大国主がヒミコの櫛に譬えたことが始まり。(三柱の鳥居) 
【柏 手】 = 大国主がヒミコを呼ぶ合図を良い事がある時は4回、急用や不満がある時は2回手を叩いていた。それが神社にお参りする時、今にも伝わっている。

<お正月>
【鏡 餅】  = イシカミを現す。
【ウラジロ】 = 真実(ヤマタイコクの話)が隠されている事をあらわす植物で裏の方が白い。ぎざぎざの葉は支配星(大蛇や蛇)は尖っているのが嫌いなので、形であらわした。
【みかんと干し柿】 = みかんもイシカミが星たちに頼んで作ってもらったもので、形はイシカミに似せて作られた。

<書初め>
ヤマタイコクの言い伝えを消されたので書いて伝える。

<ドンド焼き>
書初めの紙を燃やして天まで届かせる。(元旦に書いた書初めを燃やす)

<節分のオニ>
イシカミの巨人が首の後ろにお汁を吸う管があり、それを角にされ悪者にされた。

<豆まき>
豆を精子に譬え、豆をばら撒くことで人間の射精をあらわしている。

<ひな祭り>
その結果沢山の子供が出来たことをあらわす。 
段飾りの雛人形は、後年権力者の指示であの形になる。(身分制度)
流し雛は、殺された柿本人麻呂と、それを追って身を投げた小野小町を慰めたのが始まり。

<七夕>
元はタナハタと呼び、“宇宙をホシノミナが掃除をする”と言う意味で笹を立てただけだった。

<月見>
小さなお団子を盛るのは、 細胞分裂をあらわす。
ススキは切るとすぐに枯れるのは、人間もすぐに老いる事を知らせる。

以上、ソラからの伝言より。
写真は1月22日のソラ。

ヤマタイコク(その22)

2006年01月20日 23時53分38秒 | Weblog
ヒミコより
「いつも人間が死ぬまでにいかに楽に生きていけるか、と思っていました。
それには知らされて良かった事を、みんなが知ると良いと思ったのです。
それで何とか文字を作ったのです。
(ホツマツタエは)今伝えられているのとほとんど同じですが、(よく知られている)解釈はほとんど違っています。
(以前ホツマツタエとは女性の日常の生活の知恵が書かれていると教えられたが、現実には古代天皇物語に解釈されている事)
石に力が有るということを知らせたのですが、(今の訳では)その解釈がありません。
(古事記など)神の物語として伝えられているのは、ヤマトの人が自分たちに都合の良いように(ホツマツタエを)利用して書いたのです。
【ホツマツタエ】も【阿波の歌】も私が書いたので、お知らせした(解釈を)公開してください」

「ヒミコです。【ホツマツタエ】の意味をお知らせします。

『ウタタネコ  コレオノブ』 = これは女の物語です。うたた寝をすると “怒らないで下さい” 女の人はお変わりなく? こちらへおいでという意味なのです。
(元気なのに昼間から仕事をしないでうたた寝てばかりしていると、男性を待っていると思われる。ちゃんと女性の仕事を覚えてくださいという意味)

『アメツチノ ヒラケシトキ』 = 夜明け
『フタカミノ トホコニオサム』 = (ご飯を炊く時に)お釜が焦げないように(気をつける)
『タミマシテ アマテルカミノ』 = お釜の蓋の石が重くて取れない時に“アマテルサマ 力を貸してください”と頼むのです。
『ミカカミヲ タシテミクサノ』 = お腹にお煮しめを食べて
『ミタカラヲ サツクミマコノ』 = 身体の肩まで降ろした
『トミタミモ ミヤスケレハヤ』 = 髪の毛をまとめて束ねる
『トミガオヤ シイルイサメノ』 = 起きなさいと皆を起こすこと
『オソレミニ カクレスミユク』 = 遅れることなく固い炭火を埋めて
『スエツミヲ イマメサルレハ』 = 仲間の人にこんにちは(と挨拶をする)
『ソノメグミ アメニカエリノ』 = 自然の恵みの河に行って
『モフテモノ ホツマツタエノ』 = もうけモノの河の水にミズホの妻が
『ヨソアヤヲ アミタテマツリ』 = 伝えられることを感謝する
『キミガヨノ スエノタメシト』 = 私の君(大国主)に、いつまでも試練が
『ナランカト オソレミナガラ』 = ありませんように恐れを取る
『ツホメオク コレミンヒトハ』 = お勤めを苦にしないような人は
『シワカミノ ココロホツマト』 = しわが重なるまで心がほつれて(心穏やかに)
『ナルトキハ ハナサクミヨノ』 = 亡くなる時はきれいな花の咲くあの世の
『ハルヤキヌラン』       = 春にあなたは行けます。

これらは、私が幸せだった時に作りました。
面白くてたくさん作りました。
でも、長い年月の間に違う意味に変わったのだと思います。

ところで、どうして“ツマ(妻)”という言葉には、罪の“ツ”がつくのかいうと、結婚を決めても他の人とセックスをしたくなるのは、“マ(魔)”の者が入るからだと思ったからです。
またどうして結婚制度を作って相手を決めるようにしたのかというと、当時は女の人を取り合って争いが絶えなかったからです」

「【あわの歌】の意味をお知らせします。

『アカハナマ』  = 赤い花=そばの花、マ=不思議な力。そば粉には不思議な力がある。
『イキヒニミウク』= 生きている生のそばは、火で煎ると実が粉にしやすい。
『フヌムエケ』  = 冬に池の氷が張るとそばを家に入れないと苦くなってまずくなる。
『ヘネメオコホノ』= 土地を掘り起こすのは男の人で、
『モトロソヨ』  = 女の人は石を取り除くと収穫が多くなる。
『オテレセエツル』= 男の人は川の土手と橋を作る。
『スユンチリ』  = それらをがんばってすれば人生は楽になる。
『シイタラサヤワ』= シイの実をたくさん集めて石の臼で粉にし、その粉を丸いお団子にする」

以上、ソラからの伝言より。

ヤマタイコク(その21)

2006年01月19日 23時03分33秒 | Weblog
いのくに研究会のサイトを読んでいました。
邪馬台国は四国にあったという説は、ソラの情報と多く一致しています。
特にヤマタイコクは山上にあり、明治までは焼畑農業をしていて、木は無かったと書かれているのが印象に残りました。
その他、巨石とか、大きな池がたくさんあった、四国は“死の国”とされ、ヤマトと仏教に完全に封印されたと。

ヤマタイコクの人で、(奴隷として)船に乗らずに逃げた人です。
オシナマエ(刺青)もされずにいたので、そこで暮らせたのです。
その人のイシキが(生まれ変わって)知らせているのです」

ヤマタイコクの人は刺青をされ、奴隷としてヤマトへ連れて行かれ、長い間、被差別部落民として差別され続けたのは、天皇制のせいだと早くから知らされています。

ヤマトは、仏教の教えの元、働く者と貴族や僧侶など労せずして搾取する者にわかれ、貧富の差が激しく、仏教建築など大きな建物などを建てていたり、何度も都を変えたりして、決して理想の国ではなかった、とイメージで知らされました。

以上、ソラからの伝言より。
写真は鳴門の渦の道から。

ヤマタイコク(その20)

2006年01月18日 22時50分45秒 | Weblog
ヒミコです。
イトが初めて大人になった印(生理の血液)が(衣服に)付いたので喜んで残しておいたものが、日の丸の始めになりました。
(このことは以前にも伝えられていますし、お赤飯を炊いて祝います)

着る物は糸を紡いで布を織っていました。
その糸は山にいるもの(山繭)の糸でしたが、数が少ないので木の皮を(細く)裂いたものを織っていました。
糸にする綿もありました」

ヤマタイコクの事を知らせてくれた時に、木の線維を布にした着物を着ていて、洗濯して残ったカスから紙ができたのを発見し、それに煤を固めた墨で文字を書いたとヒミコが知らせてきました。
(本《星からのメッセージ》に書いています)

この時、木の繊維で布が織れるのかなと、思っていましたが、現在も伝えられ実際に布が織られていました
そしてその発祥が四国と書かれていて四国は、太古の昔に国家の祭祀を担当し、その為、紙や布の製造にも関わりの深かったとのことで、ますます情報の信憑性が高まりました。

以上、ソラからの伝言より。
写真はオーストラリアのマールロック。