「地球の謎解き」、「地球の謎解き(その2)」の続きです。
2009年12月25日
良いお年を。地中海、エベレスト、ギリシャ、ポセイドン、スニオン岬、【追記】アル・ベロ・ベッロ、アテナイ
今年も皆様の応援ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
1)中心核の磁性変動で磁北が東へ移動
2)金色の海に浮かぶイタリアの“つま先”
ソラ画像より
・張りぼて?大理石2
一部がレンガのままの部位と大理石に変わっているイシカミの原子。
それぞれ原子たちが、思いを持っていることをあらわすために、自分たちの思うままに変化した結果の石柱。
・張りぼて?大理石
バチカンの内部の大理石。
一枚岩からできたと思っていたのですが、内部はレンガで形つくり、(その後レンガのままか、大理石に変化しているかわからない)その上に大理石の成分の粉を練り合わせたものを塗って、その上に「サランラップを張りました」と言ってきたのは、表面の原子がサランラップのような成分に変化したようです。
・大理石の石柱の中身
同行者に言われて初めて気がつきました。
外側は確かに大理石の成分のようですが、中身はレンガでした。
ポンペイにあった、石の粉を造る石器もここにあり、用途を知らせてきました。
茶色のコケはイシカミの色をあらわします。
後ろの松の皮も、日本の松に比べ、ウロコのようではありません。
・オスティア・アンティカ遺跡のアーチ
思い思いの原子が集まってできたアーチ。
これが大きな意味がありました。
「どんな模様でもアーチになれば良いんでしょ」って声が聞こえてきそうです(笑)。
・ポンペイのイシジンの一家その1
ブドウ畑の片隅にそれはありました。
横の道路からは大分深い所で、地下室に住むイシジン一家だそうです。
石膏を入れて固めたという説ですが、千数00年も畑だったのに小さな穴が残っていたでしょうか?
人間の形をそのまま空洞として残っていたでしょうか?
ちょっと怖い顔?に見える松ノ木(木星)が見守っていたそうです。
・ポンペイのイシジンの一家その2
父親のイシジンの顔がはっきりとわかります。
これは最近発掘されたもので、TVでドラマをしていたのと同じ様なことを言ってきました。
すなわち家族のイシジンたちで、父親がこれからイシジンは固まるので、思い思いの形で休むようにと。
子供は起き上がりそうになるので、親のイシジンが抑えていると言ってきました。
家族は自分たちの思うまま、思い思いの生活をしていたそうです。
イシジンは空気を吸って生きていないので、肉体の原子に今から生きるのを止めると指示をすると、固まったそうです。
けれども原子のイシキは物質から出て行くので、なんら苦痛はなく、形をして残っただけで、人間が生き埋めになったのではない。
穴に石灰を流し込んで、人間の表情が出るわけないし、頭蓋骨が丸みを帯びてその形には決してならない。
白い犬が突然あらわれ、このイシジンの化身?と。
以前に知らされたこととつながりました。
・ポンペイのイシジンの一家その3
突然あらわれた白い犬は、ここのイシジンに固まってイシジンが居たことを知らせるように教えたのがシリウだと知らせるためだそうです。
塀で囲まれたブドウ畑はここのイシジンの屋敷だったそうです。
塀に何箇所かの穴があるのは、天井の梁が通っていたことをあらわし、白い石の模様は
「この下に住んでいたものが居る」
ということを知らせたそうです。
・ポンペイのイシジンの一家その5
土地に穴があって石膏を流しいれただけでは決してこのような形はできません。
掘っていたら出てきたイシジンの姿です。
イタリアでは死ぬ前にナポリを見よと言いますが、ポンペイはナポリにあるので、このようなイシジンを見て、人間の前にイシジンの文化があったことを知るようにという意味。
・浅い水槽?
ポンペイやオスティア・アンティア遺跡などのあちこちで見られますが、その時は何の目的であるのか意味がわかりませんでした。
帰国してからの《夢》で、このような水槽の上に、白い腰の部分が何体も浮かんでいる?のを見ましたが、水槽の上でイシジンの身体の部分が創られた?ようです。
その後、鈎針のイメージを見たり、白い糸で綴じ合わせる夢をみました。
まだはっきりとはわかりませんが、どうもそれらを綴じ合わせて人間型のイシジンを創ったようです。
・掘りかけの地下都市の遺跡
ここを撮ってほしいといってきた場所です。
ポンペイの近くの遺跡で、ポンペイもこのような地下にあったことを忘れないでほしいということです。
すなわち火山灰で埋まっただけでなく、イシジンのための地下都市だったということで、火山灰の黒いのは一部だけ?のようです。
・ポンペイの祭壇
このテーブルの上で人間になろうとおもうイシジンの原子が集まって人間の形になった。
それを石柱のイシジンたちがエネルギーを送っていた。
後ろにベスビオス火山が見えます。
・ポンペイの花
ここの遺跡の部屋の跡にだけ咲いていた花。
橙色のは人間が生まれたことをあらわし、紫色は人間が死んだことをあらわすそうです。
・石の粉を造る
これは穴に棒を通して回し、小麦を粉にするものと思ったのですが、重いので人間だけでは到底回せないけど、狭いので動物が引くこともできないと思っていました。
帰国してから「固くなったイシカミを粉にするもの」と伝えてきて、その後、石柱の思いもよらないことと関係していることもわかりました。
ポンペイとオスティア・アンティカ遺跡にもありました。
・ポンペイの哺乳瓶?
この細長い壺がとてもたくさんこのように並んでいましたが、何に使うのかわかりませんでした。
帰国してから「人間の哺乳瓶でした」と。
「水を入れておくと壺の成分が溶け出し濁ってきて、栄養のある飲み物に変化したのです。
泥水になったのですが、人間に必要な栄養分が含まれていたのです」
大きなイシジンと、とても小さいイシジンもいたようです。
・オスティア・アンティカ遺跡
ポンペイより広い遺跡で、下半身がヘビのようなモザイク画がはっきりと残っています。
レンガの上をしっかりと塗りつぶしてあるのは、人間はレンガ建築は上が壊れて本当はもっと屋根もあったと思うので、最初からこの形=人間が住んでいたのでなく、イシジン用の地下都市で、背が低いことをあらわしている。
・オスティア・アンティカ遺跡のモザイク画
イシカミの原子たちが結合することで、形を表すことができますが、最初はしっかりと原子が結合をしないので、肉体ができても軽くて浮き上がったそうです。
そして風船のようにふわふわと落ち着かないので、ここのイシジンたちは、長い尻尾のようなもので木などに巻きついておちついたそうで、長い尻尾はヘビに支配されたからではないと伝えてきました。
羽のない人間が飛んでいるようなモザイク画と、全く同じ岩絵がアフリカの砂漠の中にあり学者によって「スイマー」と呼ばれているそうですが、砂漠の中に川があって泳いでいるのでなく、同じく原子の結合がゆるくて浮き上がっている姿です。
99年ごろのソラからのチャネリングで、アトランティスでは人間(イシジン)が浮き上がって移動していたと言っていましたが、イタリアの遺跡はアトランティスの文化を知らせるために残ったということとつながります。
日本での羽衣を来て飛んでいるのと同じです。
オスティア・アンティカとは
『実在したものを“押し付けて、安定して”(モザイク画として)残した』という意味の名前の遺跡です。
・オスティア・アンティカ遺跡のレンガ
丸い卵のようなのは、トルコやヨルダンでよく見ましたが、イシカミの原子をあらわすということでした。
そのイシカミの原子が、シリウの知恵で、長方形のレンガで表すようになったことを知らせています。
このレンガは、張りぼて大理石の中に、さらにたくさんあるようですが、これらのレンガは、人間が造る場合は1枚ずつ型にはめて、高温で焼かなければできません。
イタリアの遺跡だけでも天文学的な数のレンガを、人間はどうして造ったでしょう?
そしてレンガで大きなアーチを造るのに、何で結合させたでしょう?
長方形のレンガを高くて完璧な、無数の円柱や波状の円柱にするのに、クレーンも何もない当時にどうしてできたでしょうか?
後ろの石柱は、イシカミの原子がクラゲのように増殖をしていって高くなった、一種のイシジンで、周りを見守っていたようです。
・オスティア・アンティカ遺跡の石器
石の粉をつくる石器。
これで粉にされた石の粉をこの石器の容器で混ぜ合わせて、いろいろな大理石の色や模様を作り出した。
そのいろいろな大理石の石柱や床がバチカンなどで使われています。
・ローマの松の根
ローマの松は上の方に固まって形がクラゲに似ています。
クラゲ=イシカミをあらわし、根も日本の松の根のヘビのようでなく、このように丸くてイシカミをあらわします。
ローマの松は葉も日本ほど固くなく、人間はお互い助け合って生きていくように二本が合わさった形であらわしたそうです。
松から取れるテレピン油も人間のためになったと、木星の王が降りてきて伝えました。
・お汁の壺
カマドやぶどう酒販売所といわれているもので、あちこちにありますが、まずカマドでないことは焚口がないのと、埋め込まれているのが大きな壺であることで違います。
ぶどう酒をこのような大きな壺に入れておくと一気に酸化すると思い、これも当てはまらないと思います。
一貫して“イシジンのお汁”の販売所と伝えられています。
・石畳の轍(わだち)
石畳は“イシカミの皮膚”だと伝えられていますが、あちこちに車輪の跡があるのは、一部のイシカミが柔らかかったことをあらわしています。
・ポンペイのお出迎え
フライト中に突然あらわれびっくりしましたが(↓地震雲などの画像参照)、降りてからも、このような巨人の雲が出迎えてくれました。
地震雲などの画像より
・2009年5月1日 ベニスからナポリへ
青空だったのに、突然このような立ち上がった巨人のような雲が現れびっくりしました。
地球の謎解きシリーズ発売中!
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
・地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
29-DEC-2009 11:47:35 -36.54 -72.71 M5.1 28.4 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
29-DEC-2009 11:08:55 32.63 14.98 M4.8 10.0 NEAR COAST OF LIBYA
29-DEC-2009 10:08:01 -12.53 166.48 M5.0 82.7 SANTA CRUZ ISLANDS
29-DEC-2009 09:01:54 24.38 94.86 M5.4 116.0 MYANMAR-INDIA BORDER REGION
29-DEC-2009 08:06:15 4.23 127.79 M5.0 134.4 TALAUD ISLANDS, INDONESIA
29-DEC-2009 05:12:32 -5.17 152.18 M5.4 82.6 NEW BRITAIN REGION, P.N.G.
29-DEC-2009 04:29:52 -33.79 56.39 M4.9 10.0 SOUTHWEST INDIAN RIDGE
28-DEC-2009 15:00:23 -10.15 124.65 M5.0 10.0 TIMOR REGION, INDONESIA
28-DEC-2009 13:48:09 -18.58 -176.84 M4.7 35.0 FIJI ISLANDS REGION
28-DEC-2009 12:19:55 -54.80 158.64 M4.6 10.0 MACQUARIE ISLANDS REGION
28-DEC-2009 11:51:22 6.60 126.45 M4.7 58.8 MINDANAO, PHILIPPINE ISLANDS
28-DEC-2009 10:18:10 3.94 126.87 M5.3 56.1 TALAUD ISLANDS, INDONESIA
28-DEC-2009 08:05:43 47.74 153.03 M5.1 120.5 KURIL ISLANDS
28-DEC-2009 06:23:44 2.84 126.45 M4.5 89.6 NORTHERN MOLUCCA SEA
28-DEC-2009 04:13:28 27.96 128.34 M4.9 95.3 RYUKYU ISLANDS
28-DEC-2009 00:57:16 -22.40 -69.93 M5.5 31.8 NORTHERN CHILE
28-DEC-2009 00:12:50 43.26 144.52 M5.2 83.7 HOKKAIDO, JAPAN REGION
27-DEC-2009 23:32:44 3.27 -31.40 M4.8 10.0 CENTRAL MID-ATLANTIC RIDGE
27-DEC-2009 17:09:11 59.37 -30.23 M4.7 10.0 REYKJANES RIDGE
発生時刻 2009年12月29日3時18分頃
震源地 岩手県沖(北緯40.1度 東経142.5度 深さ40km)
規模 M3.9 震度1 北上市
発生時刻 2009年12月29日3時29分頃
震源地 根室半島南東沖(北緯43.2度 東経146.1度 深さ40km)
規模 M3.3 震度1 根室市
発生時刻 2009年12月29日12時4分頃
震源地 埼玉県南部(北緯36.0度 東経139.5度 深さ60km)
規模 M3.9 震度1 熊谷市ほか(埼玉県)、常陸大宮市ほか(茨城県)、宇都宮市ほか(栃木県)、沼田市ほか(群馬県)、東京千代田区ほか(東京都)、相模原市(神奈川県)
発生時刻 2009年12月29日16時8分頃
震源地 茨城県沖(北緯36.5度 東経140.9度 深さ50km)
規模 M3.0 震度1 常陸大宮市
発生時刻 2009年12月29日21時6分頃
震源地 千葉県東方沖(北緯35.4度 東経140.4度 深さ50km)
規模 M3.4 震度1 東金市、多古町多古、長生村本郷、勝浦市、大多喜町大多喜、いすみ市ほか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
2009年12月25日
良いお年を。地中海、エベレスト、ギリシャ、ポセイドン、スニオン岬、【追記】アル・ベロ・ベッロ、アテナイ
今年も皆様の応援ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
1)中心核の磁性変動で磁北が東へ移動
2)金色の海に浮かぶイタリアの“つま先”
ソラ画像より
・張りぼて?大理石2
一部がレンガのままの部位と大理石に変わっているイシカミの原子。
それぞれ原子たちが、思いを持っていることをあらわすために、自分たちの思うままに変化した結果の石柱。
・張りぼて?大理石
バチカンの内部の大理石。
一枚岩からできたと思っていたのですが、内部はレンガで形つくり、(その後レンガのままか、大理石に変化しているかわからない)その上に大理石の成分の粉を練り合わせたものを塗って、その上に「サランラップを張りました」と言ってきたのは、表面の原子がサランラップのような成分に変化したようです。
・大理石の石柱の中身
同行者に言われて初めて気がつきました。
外側は確かに大理石の成分のようですが、中身はレンガでした。
ポンペイにあった、石の粉を造る石器もここにあり、用途を知らせてきました。
茶色のコケはイシカミの色をあらわします。
後ろの松の皮も、日本の松に比べ、ウロコのようではありません。
・オスティア・アンティカ遺跡のアーチ
思い思いの原子が集まってできたアーチ。
これが大きな意味がありました。
「どんな模様でもアーチになれば良いんでしょ」って声が聞こえてきそうです(笑)。
・ポンペイのイシジンの一家その1
ブドウ畑の片隅にそれはありました。
横の道路からは大分深い所で、地下室に住むイシジン一家だそうです。
石膏を入れて固めたという説ですが、千数00年も畑だったのに小さな穴が残っていたでしょうか?
人間の形をそのまま空洞として残っていたでしょうか?
ちょっと怖い顔?に見える松ノ木(木星)が見守っていたそうです。
・ポンペイのイシジンの一家その2
父親のイシジンの顔がはっきりとわかります。
これは最近発掘されたもので、TVでドラマをしていたのと同じ様なことを言ってきました。
すなわち家族のイシジンたちで、父親がこれからイシジンは固まるので、思い思いの形で休むようにと。
子供は起き上がりそうになるので、親のイシジンが抑えていると言ってきました。
家族は自分たちの思うまま、思い思いの生活をしていたそうです。
イシジンは空気を吸って生きていないので、肉体の原子に今から生きるのを止めると指示をすると、固まったそうです。
けれども原子のイシキは物質から出て行くので、なんら苦痛はなく、形をして残っただけで、人間が生き埋めになったのではない。
穴に石灰を流し込んで、人間の表情が出るわけないし、頭蓋骨が丸みを帯びてその形には決してならない。
白い犬が突然あらわれ、このイシジンの化身?と。
以前に知らされたこととつながりました。
・ポンペイのイシジンの一家その3
突然あらわれた白い犬は、ここのイシジンに固まってイシジンが居たことを知らせるように教えたのがシリウだと知らせるためだそうです。
塀で囲まれたブドウ畑はここのイシジンの屋敷だったそうです。
塀に何箇所かの穴があるのは、天井の梁が通っていたことをあらわし、白い石の模様は
「この下に住んでいたものが居る」
ということを知らせたそうです。
・ポンペイのイシジンの一家その5
土地に穴があって石膏を流しいれただけでは決してこのような形はできません。
掘っていたら出てきたイシジンの姿です。
イタリアでは死ぬ前にナポリを見よと言いますが、ポンペイはナポリにあるので、このようなイシジンを見て、人間の前にイシジンの文化があったことを知るようにという意味。
・浅い水槽?
ポンペイやオスティア・アンティア遺跡などのあちこちで見られますが、その時は何の目的であるのか意味がわかりませんでした。
帰国してからの《夢》で、このような水槽の上に、白い腰の部分が何体も浮かんでいる?のを見ましたが、水槽の上でイシジンの身体の部分が創られた?ようです。
その後、鈎針のイメージを見たり、白い糸で綴じ合わせる夢をみました。
まだはっきりとはわかりませんが、どうもそれらを綴じ合わせて人間型のイシジンを創ったようです。
・掘りかけの地下都市の遺跡
ここを撮ってほしいといってきた場所です。
ポンペイの近くの遺跡で、ポンペイもこのような地下にあったことを忘れないでほしいということです。
すなわち火山灰で埋まっただけでなく、イシジンのための地下都市だったということで、火山灰の黒いのは一部だけ?のようです。
・ポンペイの祭壇
このテーブルの上で人間になろうとおもうイシジンの原子が集まって人間の形になった。
それを石柱のイシジンたちがエネルギーを送っていた。
後ろにベスビオス火山が見えます。
・ポンペイの花
ここの遺跡の部屋の跡にだけ咲いていた花。
橙色のは人間が生まれたことをあらわし、紫色は人間が死んだことをあらわすそうです。
・石の粉を造る
これは穴に棒を通して回し、小麦を粉にするものと思ったのですが、重いので人間だけでは到底回せないけど、狭いので動物が引くこともできないと思っていました。
帰国してから「固くなったイシカミを粉にするもの」と伝えてきて、その後、石柱の思いもよらないことと関係していることもわかりました。
ポンペイとオスティア・アンティカ遺跡にもありました。
・ポンペイの哺乳瓶?
この細長い壺がとてもたくさんこのように並んでいましたが、何に使うのかわかりませんでした。
帰国してから「人間の哺乳瓶でした」と。
「水を入れておくと壺の成分が溶け出し濁ってきて、栄養のある飲み物に変化したのです。
泥水になったのですが、人間に必要な栄養分が含まれていたのです」
大きなイシジンと、とても小さいイシジンもいたようです。
・オスティア・アンティカ遺跡
ポンペイより広い遺跡で、下半身がヘビのようなモザイク画がはっきりと残っています。
レンガの上をしっかりと塗りつぶしてあるのは、人間はレンガ建築は上が壊れて本当はもっと屋根もあったと思うので、最初からこの形=人間が住んでいたのでなく、イシジン用の地下都市で、背が低いことをあらわしている。
・オスティア・アンティカ遺跡のモザイク画
イシカミの原子たちが結合することで、形を表すことができますが、最初はしっかりと原子が結合をしないので、肉体ができても軽くて浮き上がったそうです。
そして風船のようにふわふわと落ち着かないので、ここのイシジンたちは、長い尻尾のようなもので木などに巻きついておちついたそうで、長い尻尾はヘビに支配されたからではないと伝えてきました。
羽のない人間が飛んでいるようなモザイク画と、全く同じ岩絵がアフリカの砂漠の中にあり学者によって「スイマー」と呼ばれているそうですが、砂漠の中に川があって泳いでいるのでなく、同じく原子の結合がゆるくて浮き上がっている姿です。
99年ごろのソラからのチャネリングで、アトランティスでは人間(イシジン)が浮き上がって移動していたと言っていましたが、イタリアの遺跡はアトランティスの文化を知らせるために残ったということとつながります。
日本での羽衣を来て飛んでいるのと同じです。
オスティア・アンティカとは
『実在したものを“押し付けて、安定して”(モザイク画として)残した』という意味の名前の遺跡です。
・オスティア・アンティカ遺跡のレンガ
丸い卵のようなのは、トルコやヨルダンでよく見ましたが、イシカミの原子をあらわすということでした。
そのイシカミの原子が、シリウの知恵で、長方形のレンガで表すようになったことを知らせています。
このレンガは、張りぼて大理石の中に、さらにたくさんあるようですが、これらのレンガは、人間が造る場合は1枚ずつ型にはめて、高温で焼かなければできません。
イタリアの遺跡だけでも天文学的な数のレンガを、人間はどうして造ったでしょう?
そしてレンガで大きなアーチを造るのに、何で結合させたでしょう?
長方形のレンガを高くて完璧な、無数の円柱や波状の円柱にするのに、クレーンも何もない当時にどうしてできたでしょうか?
後ろの石柱は、イシカミの原子がクラゲのように増殖をしていって高くなった、一種のイシジンで、周りを見守っていたようです。
・オスティア・アンティカ遺跡の石器
石の粉をつくる石器。
これで粉にされた石の粉をこの石器の容器で混ぜ合わせて、いろいろな大理石の色や模様を作り出した。
そのいろいろな大理石の石柱や床がバチカンなどで使われています。
・ローマの松の根
ローマの松は上の方に固まって形がクラゲに似ています。
クラゲ=イシカミをあらわし、根も日本の松の根のヘビのようでなく、このように丸くてイシカミをあらわします。
ローマの松は葉も日本ほど固くなく、人間はお互い助け合って生きていくように二本が合わさった形であらわしたそうです。
松から取れるテレピン油も人間のためになったと、木星の王が降りてきて伝えました。
・お汁の壺
カマドやぶどう酒販売所といわれているもので、あちこちにありますが、まずカマドでないことは焚口がないのと、埋め込まれているのが大きな壺であることで違います。
ぶどう酒をこのような大きな壺に入れておくと一気に酸化すると思い、これも当てはまらないと思います。
一貫して“イシジンのお汁”の販売所と伝えられています。
・石畳の轍(わだち)
石畳は“イシカミの皮膚”だと伝えられていますが、あちこちに車輪の跡があるのは、一部のイシカミが柔らかかったことをあらわしています。
・ポンペイのお出迎え
フライト中に突然あらわれびっくりしましたが(↓地震雲などの画像参照)、降りてからも、このような巨人の雲が出迎えてくれました。
地震雲などの画像より
・2009年5月1日 ベニスからナポリへ
青空だったのに、突然このような立ち上がった巨人のような雲が現れびっくりしました。
地球の謎解きシリーズ発売中!
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
・地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
29-DEC-2009 11:47:35 -36.54 -72.71 M5.1 28.4 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
29-DEC-2009 11:08:55 32.63 14.98 M4.8 10.0 NEAR COAST OF LIBYA
29-DEC-2009 10:08:01 -12.53 166.48 M5.0 82.7 SANTA CRUZ ISLANDS
29-DEC-2009 09:01:54 24.38 94.86 M5.4 116.0 MYANMAR-INDIA BORDER REGION
29-DEC-2009 08:06:15 4.23 127.79 M5.0 134.4 TALAUD ISLANDS, INDONESIA
29-DEC-2009 05:12:32 -5.17 152.18 M5.4 82.6 NEW BRITAIN REGION, P.N.G.
29-DEC-2009 04:29:52 -33.79 56.39 M4.9 10.0 SOUTHWEST INDIAN RIDGE
28-DEC-2009 15:00:23 -10.15 124.65 M5.0 10.0 TIMOR REGION, INDONESIA
28-DEC-2009 13:48:09 -18.58 -176.84 M4.7 35.0 FIJI ISLANDS REGION
28-DEC-2009 12:19:55 -54.80 158.64 M4.6 10.0 MACQUARIE ISLANDS REGION
28-DEC-2009 11:51:22 6.60 126.45 M4.7 58.8 MINDANAO, PHILIPPINE ISLANDS
28-DEC-2009 10:18:10 3.94 126.87 M5.3 56.1 TALAUD ISLANDS, INDONESIA
28-DEC-2009 08:05:43 47.74 153.03 M5.1 120.5 KURIL ISLANDS
28-DEC-2009 06:23:44 2.84 126.45 M4.5 89.6 NORTHERN MOLUCCA SEA
28-DEC-2009 04:13:28 27.96 128.34 M4.9 95.3 RYUKYU ISLANDS
28-DEC-2009 00:57:16 -22.40 -69.93 M5.5 31.8 NORTHERN CHILE
28-DEC-2009 00:12:50 43.26 144.52 M5.2 83.7 HOKKAIDO, JAPAN REGION
27-DEC-2009 23:32:44 3.27 -31.40 M4.8 10.0 CENTRAL MID-ATLANTIC RIDGE
27-DEC-2009 17:09:11 59.37 -30.23 M4.7 10.0 REYKJANES RIDGE
発生時刻 2009年12月29日3時18分頃
震源地 岩手県沖(北緯40.1度 東経142.5度 深さ40km)
規模 M3.9 震度1 北上市
発生時刻 2009年12月29日3時29分頃
震源地 根室半島南東沖(北緯43.2度 東経146.1度 深さ40km)
規模 M3.3 震度1 根室市
発生時刻 2009年12月29日12時4分頃
震源地 埼玉県南部(北緯36.0度 東経139.5度 深さ60km)
規模 M3.9 震度1 熊谷市ほか(埼玉県)、常陸大宮市ほか(茨城県)、宇都宮市ほか(栃木県)、沼田市ほか(群馬県)、東京千代田区ほか(東京都)、相模原市(神奈川県)
発生時刻 2009年12月29日16時8分頃
震源地 茨城県沖(北緯36.5度 東経140.9度 深さ50km)
規模 M3.0 震度1 常陸大宮市
発生時刻 2009年12月29日21時6分頃
震源地 千葉県東方沖(北緯35.4度 東経140.4度 深さ50km)
規模 M3.4 震度1 東金市、多古町多古、長生村本郷、勝浦市、大多喜町大多喜、いすみ市ほか
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以上、地球の謎解きより。