「(大仏などの)銅像になったものは、何も知らない若者のイシカミでした。
そのイシカミに支配星が悪いことに、人間に崇めてもらえるので大きな銅像になれと教えたのです。
それでイシカミは、石(像)になるより、鉄に近い銅で形を創ろうと思いました。
そしてイシカミの原子に鉄よりも柔らかい銅の原子に変わるように言ったのです。
なぜ支配星が銅像になれと言ったかというと、鉄よりも電気を良く通すからです。
そして支配星は、言うことを聞かないと“eの横向きの稲妻”を落とすと、脅かしたのです」
「(支配星に支配されるまでは)エジプトのイシジンは、人間を大切にしていました。
けれども大仏になったイシジンは、人間に対して何もしなく、仏教を教えた支配星の言うままになっていたからです」
(仏教の支配で人間が悲惨な現状であったので、目を開けて見ることができなかったという意味)
「それで若者のイシカミは言われるままに、大きな銅像になったのです。
(大仏の)右手は支配星に『来ないで』と伝えているのです。
左手は(現実世界の)人間を手のひらに乗せてお話しようと思ったのです。
今知らせたいことは、テンチ(天皇)が嫌がらせをしたのです。
私の身体に水銀を塗ったのです。
私を早く死なせるために、支配星が言ったのです。
水銀は海の水の中に溶けていたものを取ってきたのです。
水銀を食べ物として魚が食べていたのです。
水銀(Hg)がなぜ海の中にいたかというと、水(H20)の仲間*になりたかった原子だったからです。
それを食べた魚が(奈良に)集まってきたのです。
そしてそれらの魚が腐って溶けたのです。
それは支配星が嫌がらせをしたのです。
死後の世界を支配星が支配していたので、死ねばこのようになると知らせたのです」
「奈良は昔は(浅い)海でした。
ナラとはナ=死(埋葬後、十字の木を立てていた)ラ=ラクという意味で、死ねば楽になるという意味だと支配星は言ったのです。
それでその海に向かって魚が押し寄せたのです。
当時は支配星が死後の世界を支配していたからです。
それで魚達は支配星の言うことを聞いたのです。
支配星は魚達に水銀になるように言ったのです。
そして同じく支配星にだまされた若者のイシカミが(奈良に)降りてきました。
そして(多くのイシカミが降りたので?)奈良は水がなくなり、陸になったのです。
腐った魚は液体になり、一箇所(池)に集まりました。
魚の汁は耐え難い臭いでした。
支配星は(そのために)臭いを感じるように(人間を創るときに)提案していたのです。
そして人間にその魚の汁を大仏にかけさせたのです。
それをすればこの大仏が、死後も見守ってくれると教えたのです。
それで大仏のイシジンは死んだのです。
魚の汁が無くなるまで大仏にかけさせたのです。
それがなくなるとお茶の葉を煮出したものをかけさせました。
それが甘茶祭り(仏陀の誕生を祝うと称して、頭から甘茶をかける)行事の始まりです。
なぜ、あちこち*で大仏を作ろうかとしたかというと、当時は大きなイシジン(巨人)がいたからです。
それらが古墳になったのです」
*)水(H20)の仲間になりたかった水銀(Hg)『Wikipedia』より
(生命力ある銀、流動するので生きているという表現をした)ともいい、日本語では液体金属を意味するみずかねと呼ばれていた。
東大寺の大仏像の金鍍金は金アマルガムが大仏に塗った後、水銀を蒸発させて行われた。
一説には、この際起こった水銀汚染が平城京から平安京への遷都の契機となったという。
(魚汁の臭いのせいでないかと思えます)
*)あちこちで大仏を作ろうとしたか=天皇が何箇所かで大仏を作る計画を立てたというのは、天皇は支配星の言葉を神の声として言われた言葉のままに行動をしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ソラからの伝言より。
写真は7月30日のソラ。
そのイシカミに支配星が悪いことに、人間に崇めてもらえるので大きな銅像になれと教えたのです。
それでイシカミは、石(像)になるより、鉄に近い銅で形を創ろうと思いました。
そしてイシカミの原子に鉄よりも柔らかい銅の原子に変わるように言ったのです。
なぜ支配星が銅像になれと言ったかというと、鉄よりも電気を良く通すからです。
そして支配星は、言うことを聞かないと“eの横向きの稲妻”を落とすと、脅かしたのです」
「(支配星に支配されるまでは)エジプトのイシジンは、人間を大切にしていました。
けれども大仏になったイシジンは、人間に対して何もしなく、仏教を教えた支配星の言うままになっていたからです」
(仏教の支配で人間が悲惨な現状であったので、目を開けて見ることができなかったという意味)
「それで若者のイシカミは言われるままに、大きな銅像になったのです。
(大仏の)右手は支配星に『来ないで』と伝えているのです。
左手は(現実世界の)人間を手のひらに乗せてお話しようと思ったのです。
今知らせたいことは、テンチ(天皇)が嫌がらせをしたのです。
私の身体に水銀を塗ったのです。
私を早く死なせるために、支配星が言ったのです。
水銀は海の水の中に溶けていたものを取ってきたのです。
水銀を食べ物として魚が食べていたのです。
水銀(Hg)がなぜ海の中にいたかというと、水(H20)の仲間*になりたかった原子だったからです。
それを食べた魚が(奈良に)集まってきたのです。
そしてそれらの魚が腐って溶けたのです。
それは支配星が嫌がらせをしたのです。
死後の世界を支配星が支配していたので、死ねばこのようになると知らせたのです」
「奈良は昔は(浅い)海でした。
ナラとはナ=死(埋葬後、十字の木を立てていた)ラ=ラクという意味で、死ねば楽になるという意味だと支配星は言ったのです。
それでその海に向かって魚が押し寄せたのです。
当時は支配星が死後の世界を支配していたからです。
それで魚達は支配星の言うことを聞いたのです。
支配星は魚達に水銀になるように言ったのです。
そして同じく支配星にだまされた若者のイシカミが(奈良に)降りてきました。
そして(多くのイシカミが降りたので?)奈良は水がなくなり、陸になったのです。
腐った魚は液体になり、一箇所(池)に集まりました。
魚の汁は耐え難い臭いでした。
支配星は(そのために)臭いを感じるように(人間を創るときに)提案していたのです。
そして人間にその魚の汁を大仏にかけさせたのです。
それをすればこの大仏が、死後も見守ってくれると教えたのです。
それで大仏のイシジンは死んだのです。
魚の汁が無くなるまで大仏にかけさせたのです。
それがなくなるとお茶の葉を煮出したものをかけさせました。
それが甘茶祭り(仏陀の誕生を祝うと称して、頭から甘茶をかける)行事の始まりです。
なぜ、あちこち*で大仏を作ろうかとしたかというと、当時は大きなイシジン(巨人)がいたからです。
それらが古墳になったのです」
*)水(H20)の仲間になりたかった水銀(Hg)『Wikipedia』より
(生命力ある銀、流動するので生きているという表現をした)ともいい、日本語では液体金属を意味するみずかねと呼ばれていた。
東大寺の大仏像の金鍍金は金アマルガムが大仏に塗った後、水銀を蒸発させて行われた。
一説には、この際起こった水銀汚染が平城京から平安京への遷都の契機となったという。
(魚汁の臭いのせいでないかと思えます)
*)あちこちで大仏を作ろうとしたか=天皇が何箇所かで大仏を作る計画を立てたというのは、天皇は支配星の言葉を神の声として言われた言葉のままに行動をしていた。
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以上、ソラからの伝言より。
写真は7月30日のソラ。