スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

風太郎さん パートⅡ (銭湯の話)

2017年05月29日 | 雑感
最近の母との会話では極力、 むかし・母の若かりし頃の話を聞くようにしている。
なぜか記憶力がそこら辺りが強いようなのです。  先日は銭湯での話をしておりました。

 ” あんた(戦後・当時の私は乳幼児)を連れ、近くの銭湯に行った時のこと。
  配給されたばかりのタオルに包み連れて行くと、風呂から上がり気がついたらもうそのタオルが盗まれて無い。
   もう悔しくて悔しくて ・・・ ”
  

母の話は戦後まもなくのこと、ここからは山田風太郎著 『 戦中派不戦日記 』 
に書かれていた戦中・昭和20年(終戦の年)の悲惨な銭湯事情の抜粋です。

       

三年前は七銭だったという風呂代は値あがってこの年すでに十二銭にも。

≪ 一月七日(日)晴 ≫ の日記にこうあった。
  銭湯。 ・・・ 去年大阪帝大の医学部で検査してみたら、夜七時以後の銭湯の細菌数、不純物
  は、道頓堀のどぶに匹敵したそうである。
  ・・・・・・・・・・・
  いよいよ風呂に入る。 わき返った道頓堀に入る。
  灰桃色の臭い蒸気の中にみちみちてうごめく灰桃色の肉体 ! 湯槽は乳色にとろんとして、
  さし入れた足は水面を越えるともう見えない。

  皆疲れきった顔。 壁の向こうの女湯も以前はべちゃべちゃと笑う声、叫ぶ声、
  子供の泣く声など、その騒々しいこと六月の田園の夜の蛙のごとくであったものだが、
  今はひっそりと死のごとくである。 女たちもつかれているのである。

                                        と こういう感じだったそうだ。 

工場の油に汚れる人が激増、防空壕堀り、日々夜毎の空襲に穴に飛びこんだり地に這ったり、
石鹸等の不足も重なり汚れ放題。 それに加え燃料・人手不足で風呂屋も激減。


銭湯の壁には警察署と書いた<盗難注意>の張り紙がべたべたと貼ってある。
普通の履物を履いて行けばほぼ盗まれたという。 ある人は男と女と片かたの下駄をはいていって、
これなら大丈夫と安心していたら、あにはからんや見事に持っていかれたとの悲劇談もあり。

衣服を入れる籠も壊れて補充なくして限りあり、たいてい10分ほど空くのを待つ状態。
前年の夏全都に流行った発疹チフスはこの銭湯の籠に媒介する虱(しらみ)が原因だったとも。 
 

それでも銭湯に来るは何ひとつの娯楽もなく、火鉢一つ抱けない時勢なので、暖をとる、
このただ一つの目的のためこの汚い銭湯に入るよりほかがない、そんな銭湯事情だったようです。


この日記の読後感、どんな状況でも日常は続くということ、そして人は以外に呑気だということを知る。

カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化
に慣れ、生命の危機と気づかないうち ・・・ と 嘘かまことかは知らないが、この話知ってますよね。

テロやら北朝鮮やらで、きな臭さが匂う昨今の世界情勢のなか、どう向き合えばいいのでしょうか。

現代のそこそこきれいな銭湯でも行って ・・・ ん ~ 考えても ん ~ 。