スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

五色の虹

2016年06月19日 | 雑感
仲間にこんな本を紹介され読んでみた。 

三浦英之著 『五色の虹』 ~ 副タイトルに <満州建国大学卒業生たちの戦後> とあった。                          
以前当ブログで、反強制的に移り住んだ満州開拓移民のことを記したことがありました。
     当ブログ 満州移民

この本は「五族協和」実践のもと日本・中国・朝鮮・モンゴル・ロシア から、国策として旧満州・新京に
『建国大学』を設立せんが為集められた若者(スーパーエリート)たち卒業生の戦後を丹念に追ったノンフィクション。


本作品のタイトルの「虹」は、南アフリカの故ネルソン・マンデラ元大統領が、人種や民族の違いを超えた多民族国家を
目指そうと、南アフリカを複数の色、「レインボー・ネーション」(虹の国)に例えた歴史的な演説から借りたという。


       
    
第一期生入学は1938年春、といえばこの年既に戦時(満州事変は1931年)に突入していた時期と重なる。 

この年に2万人もの志願者の中から、第一期生は日本65人・中国59人・朝鮮11人・モンゴル7人・ロシア5人
台湾3人の若者が、満州国を指導する人材の育成を目的に意図的・戦略的に集められた国策大学だ。

(定員150人・前期後期で計6年の全寮制で授業料全額官費、月5万の手当ても支給されていたという)

新京に作られた建国大学には図書館もあり、150万冊所蔵。「知識がなければ批判もできない」
として、共産主義の発禁本なども許可されていたといい、正にスーパーエリートの養成だった。


日本人学生は「いかに日本が満州をリードしていくのか」を問うのは必然、そこに中国人学生などは
「満州は元々中国のものなのに、なぜ日本が中心になり満州国を作ろうとする」などと主張する。

ここでは<言論の自由> が認められ時には喧嘩も、毎晩活発な喧々諤々な議論がなされたという。

ある証言者は当時を振り返り、中国人も朝鮮人もモンゴル人もロシア人も、誰もが当時、どんな世の中を
作るべきかそればかりを考えていたようだ。 この先の自分の人生がどうなるかということは、
取るに足りないこと、もっと大きなこと、もっと果てしないことを考えていたと語っていた。
( 衝突を恐れるな。  知ることは傷つくことだ。  傷つくことは知ることだ。)

しかしながら開学数年後には神道や天皇崇拝の強制も始まり、大学のトップを軍関係者が握るなど
当初の崇高な理念は崩壊、1945年敗戦・満州国崩壊時には資料の多くは焼却命令が下る。


捕えられ捕虜収容所に、あるいは中国内戦(中国共産党と国民党)の兵士として最前線へ送られ、
帰国しても最高学府の出身者という侵略者のイメージや捕虜としての赤化教育を受けた「共産主義者」
というレッテルに苛まれ、職にもつけない人が多数いたようです。

捕虜収容所では休息も許されずの強制労働、零下30度、1日300gのパンよ味のしないスープのみ。
唯一の楽しみは、≪ 就寝中に夢をみること ≫ だったとは ・・・・。


建国大学出身者約1400名。 死者多数、90歳内外の高齢、現在生存者約350名という。

『 日本の帝国主義が生み出した未熟で未完成な教育機関だったと、しかしその一方、彼らが当時
  抱いていた夢や理想は、世界各国が憎しみ合っている今だからこそ、私たちが進むべき道を
  闇夜にぼんやりと照らしだしているのではないか 』

                                  と著者はあとがきでこう語っていた。

【 三浦英之氏(1974年神奈川県生れ)朝日新聞記者。 現在アフリカ特派員として49ヶ国担当。
  他著書に『南三陸日記』などがある。 】