イギリス連合からの独立が騒がれているスコットランド。 その歴史を探ってみた。
古代、スコットランドにはピクト人と呼ばれるケルト民族が住みついていたという。
(ピクト人~あのピクチャー・pictureの語源だそうだ。)
1~2世紀・全盛期のローマ帝国の絶大な力を持ってしてもスコットランドは征服出来なかった。
逆にそのケルト民族の力を恐れ、ローマ皇帝の名をとった≪ハドリアヌスの壁≫と呼ばれる城壁まで築いている。
(その前線であるアントニヌスの城壁迄がローマ帝国勢力の北限だった)
あの中国の万里の長城に次ぐ城壁だ。
≪ハドリアヌスの壁≫は当時全長118キロメートル。スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった
4世紀後半以後も、17世紀まで使用していたようで、共にユネスコ世界遺産として登録されている。
スコッランドという名は「スコット人の国」の意味で、6世紀頃に隣りのアイルランドからやってきたケルト人の一派だ。
どちらもケルト民族のピクト人とスコット人の融合・離散・が続き、スコット人が支配することとなる。
その後も民族同士の争い・王位をめぐる争い・親イングランド派と反イングランド派勢力の争い・フランスを交えた宗教
の争い、、、、近代に至るまで暗く陰惨な歴史を繰り返してきた。
血なまぐさい作品・シェイクスピアの『マクベス』に象徴するかのようだ。
1603年イングランド・エリザベス一世の死去に伴い、スコットランド国王であったジェームス六世がイングランド国王ジェームス一世
として迎えられたのが大きな転機となり、スコットランドにイングランドから行政官が派遣され支配・属国化が進む。
一人が二つの国の国王となったのだ。 同じ君主の連合国が成立したということになる。
戦争による併合時には起こりうることではあるが、当時は双方れっきとした独立国。
ましてやスコットランド・ジェームス国王の母(メアリー)は、イングランド・エリザベスの暗殺計画が発覚し処刑された人物。
それにしても王位継承とは不思議なものだ。
もとはと言えばスコットランドは人種的に見ればケルト人の国。アングロサクソンを中心とするイングランドとは一線を画する。
また経済的にもイングランドとの力の差は歴然とあるものの、そのせめぎ合いも存在する。
1707年。スコットランドは独立国としての姿を失った。 イングランドとスコットランドの議会を一つにまとめる
「議会合同法」が成立し、スコットランドには独自の議会が消滅したのだ。
そんな歴史を持つスコットランドだが、先日の新聞では、独立支持が50%を上回ったとの情勢に至っている。
さて本題。 それは スコッチウイスキーだ。 ん?
ウイスキーという言葉の語源は、ゲール語(ケルト人の言葉)のウイスゲベーハ(命の水)に由来するという。
これは紀元前アイルランドのケルト人が造っていたと言われ、今日のウイスキーの原型も12世紀のアイルランドとされる。
それがまもなくスコットランドに伝わったとのこと。
スコットランドがウイスキーの最初に生んだ国ではないようだ。
そんなの知ってるわいと言われるがオチ。 うん蓄を語っても仕方ないか!
独立の是非を問う住民投票が今月の18日に行われるという。
それにしても スコットランドは はたして独立に向かうのか、、、目が離せない。
ケルト民族については、下の当ブログに記したことがあるのでクリックしてみて下さい。
ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』
古代、スコットランドにはピクト人と呼ばれるケルト民族が住みついていたという。
(ピクト人~あのピクチャー・pictureの語源だそうだ。)
1~2世紀・全盛期のローマ帝国の絶大な力を持ってしてもスコットランドは征服出来なかった。
逆にそのケルト民族の力を恐れ、ローマ皇帝の名をとった≪ハドリアヌスの壁≫と呼ばれる城壁まで築いている。
(その前線であるアントニヌスの城壁迄がローマ帝国勢力の北限だった)
あの中国の万里の長城に次ぐ城壁だ。
≪ハドリアヌスの壁≫は当時全長118キロメートル。スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった
4世紀後半以後も、17世紀まで使用していたようで、共にユネスコ世界遺産として登録されている。
スコッランドという名は「スコット人の国」の意味で、6世紀頃に隣りのアイルランドからやってきたケルト人の一派だ。
どちらもケルト民族のピクト人とスコット人の融合・離散・が続き、スコット人が支配することとなる。
その後も民族同士の争い・王位をめぐる争い・親イングランド派と反イングランド派勢力の争い・フランスを交えた宗教
の争い、、、、近代に至るまで暗く陰惨な歴史を繰り返してきた。
血なまぐさい作品・シェイクスピアの『マクベス』に象徴するかのようだ。
1603年イングランド・エリザベス一世の死去に伴い、スコットランド国王であったジェームス六世がイングランド国王ジェームス一世
として迎えられたのが大きな転機となり、スコットランドにイングランドから行政官が派遣され支配・属国化が進む。
一人が二つの国の国王となったのだ。 同じ君主の連合国が成立したということになる。
戦争による併合時には起こりうることではあるが、当時は双方れっきとした独立国。
ましてやスコットランド・ジェームス国王の母(メアリー)は、イングランド・エリザベスの暗殺計画が発覚し処刑された人物。
それにしても王位継承とは不思議なものだ。
もとはと言えばスコットランドは人種的に見ればケルト人の国。アングロサクソンを中心とするイングランドとは一線を画する。
また経済的にもイングランドとの力の差は歴然とあるものの、そのせめぎ合いも存在する。
1707年。スコットランドは独立国としての姿を失った。 イングランドとスコットランドの議会を一つにまとめる
「議会合同法」が成立し、スコットランドには独自の議会が消滅したのだ。
そんな歴史を持つスコットランドだが、先日の新聞では、独立支持が50%を上回ったとの情勢に至っている。
さて本題。 それは スコッチウイスキーだ。 ん?
ウイスキーという言葉の語源は、ゲール語(ケルト人の言葉)のウイスゲベーハ(命の水)に由来するという。
これは紀元前アイルランドのケルト人が造っていたと言われ、今日のウイスキーの原型も12世紀のアイルランドとされる。
それがまもなくスコットランドに伝わったとのこと。
スコットランドがウイスキーの最初に生んだ国ではないようだ。
そんなの知ってるわいと言われるがオチ。 うん蓄を語っても仕方ないか!
独立の是非を問う住民投票が今月の18日に行われるという。
それにしても スコットランドは はたして独立に向かうのか、、、目が離せない。
ケルト民族については、下の当ブログに記したことがあるのでクリックしてみて下さい。
ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』