数年前、南アルプス白嶺三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)を縦走した時の一枚です。
富士山が雲海に浮かぶ姿を見ながらの至福の登山でした。
北岳の山小屋に泊り、ほとんど一睡もせず銀河宇宙に輝く星空を眺め、流れ星に感動。
そして寒さに震えながら雲海からの日の出を今か今かと待っていたものでした。その時の一枚です。
富士山が世界遺産(文化遺産)にほぼ決まりとのこと。
富士には数多くの想い出があります。
上の写真の時の雲海からの眺め(この時は単独行)。そして山仲間との高山病を感じながらの登山(下山時、足を傷めて観光馬に乗っての下山)の思い出。
裾野に拡がる樹海への立ち入り体験。澄んだ富士の湧水を求めての忍野八海探索。
富士の清掃に注力中の冒険家・野口健さん講演の聴講等々。
川口湖から観る富士の美しさもまた良し。
「来て見れば 聞くより低し 富士の山 釈迦や孔子も かくやあるらん」
長州藩・村田清風の歌ですが、なんとなんと行ってみれば結構な迫力ですよ。
あの有名な太宰治『富嶽百景』の、峠から仰ぐ富士の驚愕するほどの大きさも印象深い。
「富士には月見草がよく似合う」、、、名言です。
せっかくですので、『富嶽百景』の一節から、、、そのくだりを抜粋。
何度読んでもいいですね、このくだりは、、、。
『 河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布(ひふ)を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆(えいたん)ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶(いうもん)でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥(いちべつ)も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あひたいぢ)し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。
富士には、月見草がよく似合ふ。』
富士は黙っていても生きていけるんですねえ。
あなたは、富士?、、それとも月見草?