スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

私的ギャラリー 

2011年10月23日 | 雑感


これでブログは最後にしようと思っておりましたが、、、昨夜飲み会の席、山岳会局長に諭されて

、、、続けることに、、、優柔不断!!

まあ人生こんなもの

                                 ( 写真は函館市近郊にて撮影しました )                    




函館近郊・木古内町前浜での朝日です。(有名な寒中みそぎ祭りの場所から)
釣り三昧ですが、釣果はいまひとつ!
近くに川があり、秋サケシーズンには、多くの竿が並びます。

やはり朝日っていいですねぇ!!



山仲間と行った不老ふ死温泉からの朝日。(あれっ夕陽かな?)(青森・黄金崎)
朝日か夕日か!?~えっ?  思い出してみます。(笑い)
答え(インターネットと地形からして夕陽でした~事後追加失礼!)空けておきます!
近くの白神岳登山(自然遺産~白神山地)登頂も最高でした。
病気からとりあえず脱出できたのも、この温泉のお蔭もあるかもしれません!

なんといっても【不老ふ死温泉】ですから、、、。



南アルプス北岳(3193m)からの朝日です。(これは間違いなく朝日です~笑)
雲海から顔をのぞかせているのは、富士山です。

山小屋の登山者達はみな、夜中星空を眺めながら朝日が出るのを待つのです。
撮影技術もなく、あの感動するほどの星空の撮影ができず悔やまれました。



(沈まぬ太陽)です。
思い起こしてください。天動説ではなく、地動説なのですぞ。
世間がどう移り変わろうが、太陽は凛として燃え続けているだけ。
函館近郊・七飯町大中山からの写真です。
(撮影した周囲はリンゴ果樹園畑~写真にはありませんが函館山も望めます)



  

北海道大学構内で撮影しました。 イチョウ並木。
構内敷地は広大で、東京ドームの40倍とのことです。
朝早く構内に入り、久しぶりにすがすがしい気持ちになりました。


  

札幌市北区・百合が原公園内に咲く藤棚。
なんとも、、香りも、、姿も、、、美しい花です。
藤が咲く頃になると何度も観にいきます。


  

札幌市北区に咲くひまわり。
(これ、ひまわりの子供、、、宇宙人みたいでしょう?)
二度目に行きましたら、、既にさら地に、、、嗚呼無常!


不老不死の妙薬

2011年10月23日 | 雑感
不老不死の妙薬はないものですかね~!

ないですね~!

えっ! もう二行で結論??

ええ、これからは期待しないで、心穏やかに読んでみていただければありがたく、、、。

紀元前3世紀頃中国の秦の時代のこと。

残虐政治で有名な始皇帝は、神仙道に心を奪われ不老不死に躍起になっていた。

始皇帝の命により、徐福(道教の方士)が、3,000人程の老若男女と多くの技術者を引き連れ、五穀の種子・農機具他をもち、不老不死の妙薬を探し東方にいったとされる。
(道士である徐福は空想的ユートピア思想の持ち主で、秦の始皇帝を騙して海の向こうに理想の国を造ろうと、五穀の種を持ち、日本に来たのではないかと思う~梅原 猛 著『古代幻視』より)

上記のことが司馬 遷 著作『史 記』(紀元前219年)に書かれております。
(徐福事件は『史記』編纂のわずか100年位前の事で、信憑性が高いとされる)

中国の正史である 『史記』は、
 夏・殷・周・秦・漢、、と続く中国の歴史の中で、前漢時代に編纂されたもので、
 皆さんよく御存じの (始皇帝)(項羽)(劉邦)(徐福)(孔子)(孟子)等
 の名前も出ており、全部で52万文字もの長編です。
 是非一読を。訳本も多数あり。(中国の歴史の一端が覗えます)

 始皇帝本紀編において「始皇帝は自分の墓に近衛兵三千人を埋めた」との記述がありますが、、、
 その後西安市の郊外の兵馬傭坑の発見があり、記述の信憑性が証明されたなど、重要な資料としても
 歴史的価値のある書物です。

 現在でも使用されている故事成語で、下記記載のように多数この『史記』を原拠とするものが多いのです。
 四面楚歌・背水の陣・傍若無人・百発百中・鳴かず飛ばず・国士無双等々、、、。


 ちなみに、司馬 遷からの影響で、あの司馬遼太郎氏の司馬名もここから名付けたとのこと。

不老不死の話に戻りましょう。

不老不死の妙薬を探して徐福一行は、東方(中国東部・韓国)経由、ついには日本に渡ったとされます。

結局、徐福は戻らず日本に住みついたとされます。
(不老不死の妙薬なしで戻ったら死罪ですから、、、当然ですね)
                                  徐福像(除福公園内)
徐福の足跡は、それぞれ各地に徐福伝説として残り、、、特に最終の地日本においては、20を超える地域(青森~鹿児島迄)でその伝承が今に伝えられております。

和歌山新宮市  ~徐福公園・徐福塚
山梨県富士吉田市~古文書「富士文献」伝来
佐賀県     ~吉野ヶ里遺跡における骨や人骨の発見。(2000基もの甕棺の出土~死者の再生思想)
佐賀は古くから肥沃な稲作地帯、徐福伝説が多い。
                               等々
日本に渡ったとされる船団は、少なくとも当時では50から60隻で航海したとみられ、日本の海岸各地あちこちに漂着した可能性もあり、その一族が各地に、、。

秦(しん)の時代の秦といえば秦(はた)氏。秦氏といえば、陰陽道で有名な安部清明も秦(はた)一族です。徐福一族の末裔とも。

織物も秦氏一族が伝えたとのこと。
そういえば、はた織物といいますよね。

熊野市波田須(ハタス)という地があります。
もともとは、秦住(ハタス)と書いたとの伝えがあり、除福さま(祭神)を祭っているそうです。
尚、波田須顔という言葉があり、中国人らしい顔とのこと。

畑・羽田さん名はこの秦からきており、元首相、羽田 孜(羽田家)も秦一族の末裔とのようです。

余談が長くなりました。いつもですけど、、、。

日本は長寿国世界一22年も続いているそうですね。

やはり和食が原因?まあ、医療技術とか平和状態とかいろいろあるのでしょうが、、。

もっと狭く絞り込むと、、、世界三代長寿村があるそうです。
・ 南米エクアドルにあるビルカバンバ村
・ 中央アジアカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方
・ パキスタンのフンザ
 他に中国、広西チワン族自治区の巴馬、トルコタットクン村、中国平安村等。

共通するところは、穀物・野菜・海藻・ヨーグルト、、、。
あと、肉をとらないとか、チーズ、乳酸菌を多く摂ってるとか、、、・

空気マイナスイオン東京の百倍の地、水にカルシウム多く含まれる地地形上心肺機能が高いとか、、他いろいろありますが、、。

ちなみに江戸時代の寿命は、平均40~50代。その中でも僧侶の寿命は60代後半
だったとのこと、、、粗食・腹八分目、、、。

妙薬があれば最良なのですが、、さきほどの和歌山新宮市に自生するクスノキ科の常緑樹である【天台烏薬】があるそうです。
(腎臓・リューマチ・胃に効能があり、体内で増えすぎた活性酸素(老化悪玉)
 を減らす働きがあるとか)
他にアシタバとか、、、除福伝説があるところに自生、、、!?

不老不死は無理でもせめて不老長寿でも、、。

ちなみに我々が吸っている最も大切な【酸素】の中に活性酸素(老化悪玉)は潜んでいるとのこと。

活性酸素をいかに少なくするか、が不老長寿のカギっていうことかもしれません。
過激な運動する人は、長生きしないとも言われます。
ミトコンドリア核増加が活性酸素を減らす?
不老長寿の決め手か?、、、まだまだ研究段階、、。

不老不死の妙薬は、息を止め、酸素を吸わぬことが最良!!
もしくは、青森黄金崎の不老ふ死温泉に浸かることかな?
(次のブログギャラリーで写真掲載予定)

そう結論がでました!! 

ん~こんな結論でいいのかなあ??

なにい~息を止め酸素を吸わぬ?

そんなことしたら、、死んじゃうじゃないですか~!

そうなのです。
人間、永遠に生きるということは、、そういうことかも、、、ジャンジャン!!