スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

百歳の詩人 (柴田 トヨさん)

2011年10月09日 | 雑感
明治・大正・昭和・平成をかけ抜けた百歳の詩人 柴田トヨさん。

九十を過ぎてから詩作に出会い、新聞等に投稿、入選が決まりその感動が忘れられず今に至っているそうです。

初版『くじけないで』は2010年3月に刊行、既に150万部のベストセラー。
今般は『百歳』を刊行。

B29(米国の爆撃機)の空襲をかいくぐり、裕福な米穀商の一人娘でしたが、
十代の頃に家が傾き、奉公に出ていじめなど辛い日々を送った。
その後、結婚・離婚・二度目の結婚。旅館の仲居や和裁の内職での生活をしながら
の子育て・母の施設への入所とその死・夫の痴呆症の介護とその死、、、
と一世紀を生きてこられました。

今は、一人暮らし二十年。定期的に来られる一人息子の健一さんとヘルパーさんに
お世話になっているそうです。

二編紹介いたします。
《 地団駄(じだんだ) 》  ~《百歳》より

  昔 玩 具 店 (おもちゃや) の 前 で
  道 に 寝 転 ん で 刀 を 買 っ て く れ
  と  地 団 駄 ふ ん で
  私 を 困 ら せ た  倅(せがれ)
  今  白 髪 に な っ て
  い ろ い ろ 私 を 諭 す よ う に な っ た
  若 く な る 薬 を ち ょ う だ い
  今 度 は 私 が
  地 団 駄 を ふ ん で
  み よ う か し ら
  畳 の 上 に 寝 転 ん で


《 こおろぎ 》  ~『くじけないで』より

  深 夜 コ タ ツ に 入 っ て
  詩 を 書 き 始 め た
  私 は ほ ん と う は
  と 一 行 書 い て
  涙 が あ ふ れ た
  何 処 か で こ お ろ ぎ が 鳴 い て い る
  泣 く 人 遊 ん で あ げ な い
  コ ロ コ ロ 鳴 い て い る
   こ お ろ ぎ コ ロ ス ケ
  明 日 も お い で ね
  明 日 は 笑 顔 で
  待 っ て る よ


《地団駄》現代の人は地団駄なんて、、、俺、なんかやったような気がするなあ!?
《こおろぎ》もいいですねえ。人間辛い時だってありますよねえ。

まだまだ、いい詩がたくさん収められております。

トヨさんは言います、、、

「私は今が一番幸せだと、、人にやさしくする。そしてやさしくしてもらったら
 忘れない。これが百年の人生で学んだことです 」
、、と。
またこうも言います。

「この歳になって毎朝起きるのは、本当は辛い、、とも。
 でも、毎朝起きてジャム等をつけたパンと紅茶で朝食をとる。

 どんなにひとりぼっちで、さびしくても、、人生いつでもこれから。誰にも
 朝はかならずやってくる。一人暮らし二十年。
 私しっかり生きてます
、、

一世紀~説得力ありますねえ!
みんなしっかり生きなきゃだめだねえ。
俺なんかまだ若いのに(40歳、えっ??)、、こんな怠惰な生活ばかりでは、、、
、、、。 いいえ、あなたもですぞ!!

トヨさんは、船村徹さん(栃木・同郷の作曲家)が作曲した「別れの一本杉」
の作詞をした高野公男(26歳の若さで亡くなった)さんの詩に感動したそうです。

泣けた泣けた
こらえきれずに泣けたっけ、、、

遠い遠い
思い出しても遠い空、、、    で始まる詩です。

名曲ですクリックしてください

柴田トヨさんは、実に柔和で素敵な顔をしております


絶世の美女
   とは、このような方をいうのですぞ!