明治・大正・昭和・平成をかけ抜けた百歳の詩人 柴田トヨさん。
九十を過ぎてから詩作に出会い、新聞等に投稿、入選が決まりその感動が忘れられず今に至っているそうです。
初版『くじけないで』は2010年3月に刊行、既に150万部のベストセラー。
今般は『百歳』を刊行。
B29(米国の爆撃機)の空襲をかいくぐり、裕福な米穀商の一人娘でしたが、
十代の頃に家が傾き、奉公に出ていじめなど辛い日々を送った。
その後、結婚・離婚・二度目の結婚。旅館の仲居や和裁の内職での生活をしながら
の子育て・母の施設への入所とその死・夫の痴呆症の介護とその死、、、
と一世紀を生きてこられました。
今は、一人暮らし二十年。定期的に来られる一人息子の健一さんとヘルパーさんに
お世話になっているそうです。
二編紹介いたします。《 地団駄(じだんだ) 》 ~《百歳》より
昔 玩 具 店 (おもちゃや) の 前 で
道 に 寝 転 ん で 刀 を 買 っ て く れ
と 地 団 駄 ふ ん で
私 を 困 ら せ た 倅(せがれ)
今 白 髪 に な っ て
い ろ い ろ 私 を 諭 す よ う に な っ た
若 く な る 薬 を ち ょ う だ い
今 度 は 私 が
地 団 駄 を ふ ん で
み よ う か し ら
畳 の 上 に 寝 転 ん で
《 こおろぎ 》 ~『くじけないで』より
深 夜 コ タ ツ に 入 っ て
詩 を 書 き 始 め た
私 は ほ ん と う は
と 一 行 書 い て
涙 が あ ふ れ た
何 処 か で こ お ろ ぎ が 鳴 い て い る
泣 く 人 遊 ん で あ げ な い
コ ロ コ ロ 鳴 い て い る
こ お ろ ぎ コ ロ ス ケ
明 日 も お い で ね
明 日 は 笑 顔 で
待 っ て る よ
《地団駄》現代の人は地団駄なんて、、、俺、なんかやったような気がするなあ!?
《こおろぎ》もいいですねえ。人間辛い時だってありますよねえ。
まだまだ、いい詩がたくさん収められております。
トヨさんは言います、、、
「私は今が一番幸せだと、、人にやさしくする。そしてやさしくしてもらったら
忘れない。これが百年の人生で学んだことです 」、、と。
またこうも言います。
「この歳になって毎朝起きるのは、本当は辛い、、とも。
でも、毎朝起きてジャム等をつけたパンと紅茶で朝食をとる。
どんなにひとりぼっちで、さびしくても、、人生いつでもこれから。誰にも
朝はかならずやってくる。一人暮らし二十年。
私しっかり生きてます」、、と。
一世紀~説得力ありますねえ!
みんなしっかり生きなきゃだめだねえ。
俺なんかまだ若いのに(40歳、えっ??)、、こんな怠惰な生活ばかりでは、、、
、、、。 いいえ、あなたもですぞ!!
トヨさんは、船村徹さん(栃木・同郷の作曲家)が作曲した「別れの一本杉」
の作詞をした高野公男(26歳の若さで亡くなった)さんの詩に感動したそうです。
泣けた泣けた
こらえきれずに泣けたっけ、、、
遠い遠い
思い出しても遠い空、、、 で始まる詩です。
名曲ですクリックしてください
柴田トヨさんは、実に柔和で素敵な顔をしております。
≪絶世の美女≫
とは、このような方をいうのですぞ!。
九十を過ぎてから詩作に出会い、新聞等に投稿、入選が決まりその感動が忘れられず今に至っているそうです。
初版『くじけないで』は2010年3月に刊行、既に150万部のベストセラー。
今般は『百歳』を刊行。
B29(米国の爆撃機)の空襲をかいくぐり、裕福な米穀商の一人娘でしたが、
十代の頃に家が傾き、奉公に出ていじめなど辛い日々を送った。
その後、結婚・離婚・二度目の結婚。旅館の仲居や和裁の内職での生活をしながら
の子育て・母の施設への入所とその死・夫の痴呆症の介護とその死、、、
と一世紀を生きてこられました。
今は、一人暮らし二十年。定期的に来られる一人息子の健一さんとヘルパーさんに
お世話になっているそうです。
二編紹介いたします。《 地団駄(じだんだ) 》 ~《百歳》より
昔 玩 具 店 (おもちゃや) の 前 で
道 に 寝 転 ん で 刀 を 買 っ て く れ
と 地 団 駄 ふ ん で
私 を 困 ら せ た 倅(せがれ)
今 白 髪 に な っ て
い ろ い ろ 私 を 諭 す よ う に な っ た
若 く な る 薬 を ち ょ う だ い
今 度 は 私 が
地 団 駄 を ふ ん で
み よ う か し ら
畳 の 上 に 寝 転 ん で
《 こおろぎ 》 ~『くじけないで』より
深 夜 コ タ ツ に 入 っ て
詩 を 書 き 始 め た
私 は ほ ん と う は
と 一 行 書 い て
涙 が あ ふ れ た
何 処 か で こ お ろ ぎ が 鳴 い て い る
泣 く 人 遊 ん で あ げ な い
コ ロ コ ロ 鳴 い て い る
こ お ろ ぎ コ ロ ス ケ
明 日 も お い で ね
明 日 は 笑 顔 で
待 っ て る よ
《地団駄》現代の人は地団駄なんて、、、俺、なんかやったような気がするなあ!?
《こおろぎ》もいいですねえ。人間辛い時だってありますよねえ。
まだまだ、いい詩がたくさん収められております。
トヨさんは言います、、、
「私は今が一番幸せだと、、人にやさしくする。そしてやさしくしてもらったら
忘れない。これが百年の人生で学んだことです 」、、と。
またこうも言います。
「この歳になって毎朝起きるのは、本当は辛い、、とも。
でも、毎朝起きてジャム等をつけたパンと紅茶で朝食をとる。
どんなにひとりぼっちで、さびしくても、、人生いつでもこれから。誰にも
朝はかならずやってくる。一人暮らし二十年。
私しっかり生きてます」、、と。
一世紀~説得力ありますねえ!
みんなしっかり生きなきゃだめだねえ。
俺なんかまだ若いのに(40歳、えっ??)、、こんな怠惰な生活ばかりでは、、、
、、、。 いいえ、あなたもですぞ!!
トヨさんは、船村徹さん(栃木・同郷の作曲家)が作曲した「別れの一本杉」
の作詞をした高野公男(26歳の若さで亡くなった)さんの詩に感動したそうです。
泣けた泣けた
こらえきれずに泣けたっけ、、、
遠い遠い
思い出しても遠い空、、、 で始まる詩です。
名曲ですクリックしてください
柴田トヨさんは、実に柔和で素敵な顔をしております。
≪絶世の美女≫
とは、このような方をいうのですぞ!。