ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

衝突

2015年05月18日 19時11分39秒 | いろいろ
原因・理由と原因・理由として扱われることとは決して同じじゃない。

よく外国人が集住している団地で、言葉や文化の違いが衝突やトラブルの原因って言うけど。

もともと団地の自治会とかの運営や経理に無理があったり、説明がつかないところがあったりするところで、よくぶつかってしまったりすることがあるらしい。

納得いかんのに何かやれって言われたら、そりゃ、はぁー?ってなるよな。

トラブルやすれ違い、衝突は丁寧に解きほぐしていかないとあかんもんなんやなと思った。
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西

2015年05月18日 19時06分19秒 | いろいろ
では、同じ興味関心を持ちつつも、介護施設だったり、大学教員だったり、学生だったり、NPOのスタッフだったり行政書士だったり、国際交流協会の職員だったり、いろんな人が参加。

当たり前のことやけど、関わり方とかが違うと、同じことでも見えている部分や見え方が違うということが分かった。

ほんまに勉強になったし、知らんことが山のようにあった。

まだまだですわ、ほんまに。いろんな人に教えてもらい、助けてもらい…ってして、ようやく一人前になれるかな、それはそれで楽しいかなと思った。

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教室

2015年05月18日 19時03分35秒 | いろいろ
教室を見学。

もっとうまいことやったらいいのになぁと思う一方で、でも、みんな楽しくやってんやったらええやんとも。

そこに難しい理論や理屈はいらんと思う一方で、現状を理解するためには必要かとも。

難しいなぁ。

多分結論は出ないやろな。どっちもや。
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すごいひと

2015年05月16日 19時53分30秒 | いろいろ
世の中にはよー動く人、よー知ってる人、よー考える人がいるもんだ。

おかげで自分はまだまだやって知れる、、ありがたい。
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西へ

2015年05月16日 09時02分00秒 | いろいろ
ちょっと西へお出かけ。

それにしても仕事が終わらん。と言うか、終わりそうな感じがしないのがしんどい。もちろん、すすんではいるけどね。

気分的に余裕がなくなったなぁー。
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ばかなこと

2015年05月14日 21時14分30秒 | いろいろ
昨日、某tubeで探偵ナイトスクープを見た。

バカやと思えること、あまり意味がなさそうなこと、どうでもいいことも大真面目に一生懸命やれば時に感動を呼ぶんだなぁと。

もちろん、失笑になることもあるけど。


ちょっとすかっとした。
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数字

2015年05月13日 20時35分53秒 | いろいろ
世の中、なんでも数字。

特に税金の使い道について、その説明を説得力があるか、納得できるかよりも数字上はどうなってるかって感じが年々強くなってる気がする。

どこまで本当にそれが適当かは分からないけど。でも、逃れられへんやろうなぁ。

また、施策の検討にしても、エビデンスが事細かく言われる。全てを数字で証明するまでは一気にはできないけど、数字も用いながら分析することも大事だよなと思う。でもって数字に出てこないものをどう扱うかってことが大事やろうなぁと思う。

でも、この流れはいつまで続くかな。

もしかしたら、もう次を考えて準備始めないと周りと同じようによーいどんしてたらあかんかもな。
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日本語教育でくくることの難しさ

2015年05月12日 21時56分48秒 | いろいろ
大学と日本語学校、ビジネス、看護介護、地域における日本語教育、子どもの日本語教育。

言葉を教え学ぶという意味ではいっしょやけど、オリエンテーションも必要なことも、関係する人も全部違う。

日本語教育の一分野として扱うよりも、むしろ、違うものとして整理してもいいぐらいやろなって思う。みんな、殊更に違いを強調するぐらいなら違うもんとしてスタートした方がいいやろなって思う。

日本語教育の発想から始めるとどうしても当の外国人の生活という視点が弱くなるあるいはなくなるし。

で、そういう発想でスタートした方が結果、日本語教育としてもいい形を見つけられると思うんやけどなぁ。
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基準

2015年05月11日 21時27分00秒 | いろいろ
クオリティや基準、条件が定められている中での仕事とボトムアップ的な仕事と。でも、そのクオリティや基準はとりあえずのものでしかなくて、クリアしたらどうなるってのは分からない、クリアしても何も変わらないかもしれない。

無理やろなって思いもあるけど、事あるたびに頑張って何とかしてな、制度化、保障、がんばってなって。

せやから、できるかどうかはともかく、今すぐをねらうかどうかはともかく、あきらめられへん。少なくとも、あかん、無理やって言うなよって。言わんとってって。

自分の苛立ちやしんどさはそこにあるんやろうな。

何も考えずにがむしゃらにやってるだけでいいんやったらなんとかなるけど、そんじゃあかんのやろな。
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今の気持ち

2015年05月11日 09時10分40秒 | いろいろ
頑張るしかないし、自分で切り拓くしかない。
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いたいところ

2015年05月09日 01時53分41秒 | いろいろ
マイノリティの施策はうまくいくこともあれば,なかなか進まないこともたくさんあって。一つやってだめだったら,次はもう一手先から,一つやってだめだったら,次はもう一つ大きな枠から考えるということが,現実に近づくための第一歩だと思うんやけどな。

だから,自分は日本語教育,特に地域における日本語教育について考えはするけど,地域における日本語教育にどっぷりの人間とは違うところにいたいと思う。





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勢い任せに書くと…

2015年05月08日 19時42分39秒 | いろいろ
人の生き死にや幸せ、苦悩や喜びに対して感情的に関わることはできても、社会学的に関わりやアプローチを考えることができないところに体制整備なんて考えられるわけがない。

もちろん、人としていい人であることやいい日本語教師であることとは別の話。

教える、教えたい、上手になってほしいというスコープから自由になれない以上、体制整備に関する発想は学校ごっこの枠を出ない気がする。

これまでにできてないことをするためには、自分の発想や枠から変わらないと結果は同じやろ。だからうん十年と変わらない。

うーん、付き合いきられへんわっ。
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ぼやき

2015年05月08日 19時13分29秒 | いろいろ
いつまで夢と希望だけ語って現実を見ぃへんねん、いつまで夢も希望も見ずに意味はないけど指示された作業やってんねん。まじでほんきか?って思う。

ほんまに大変な人らがおって、それをなんとかしようと、がしがしやってる人らがおって。その一方で甘えた場所でごたごた言って意味のないことしとったら、いてこますぞって本気で思う。

大して知識も経験もないし、過去から学ぼうとしない専門家と、中途採用より役所について分かってない上の人間と。

でも、ほんとは、しっかりと対話をして、いろいろなことをしっかりと積み上げていかないとあかんのやろな。

でも、正直、打つ手がない。と言うか、丁寧に粘り強くやればなんとかなるかもしれんけど、そこに力と時間がさけない…。

苦しいな。

あー、穴があったら思いっきり大きな声でいろんなこと叫ぶのに。

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コミュニケーションの不思議

2015年05月07日 20時40分50秒 | いろいろ
たまにあるけど。

会話は成り立ってて、お互いに言ってることは分かるし、何か問題が生じているわけではないけど、何か噛み合ってない、伝わってないってこと。

あとでやっぱりって感じ、そこがずれてたんかって感じで噛み合ってなかったってことが分かるんやけど、何で分かるんかって不思議に思う。

何やろな、何を察知してんのやろな。

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ひっくり返す

2015年05月06日 01時25分51秒 | いろいろ
ときどき,「多文化共生」って言うんだから,日本のことをもっと知ってもらわないといけないと思う…とか,日本のルールも知ってもらわないとって言葉を聞く。こんだけ支援をしてるのに,こんだけ日本語教室を開いているのに,勉強しないのは外国人のせいだろって話を聞く。

多文化共生は,そこに関わる人たちの経緯や背景なんかを見ることはあんまり求めない,とにかくフラットにいろいろなものが並立して葛藤しない,争わない状況を求める?目指すものなんだなって思う。

相手に合わないものをいくら提供したってそれは役に立たないし,それならやらない方がええんちゃうかって思う。その上,「こんだけやってやってんのに,もう十分だろ。」って言われると,「はぁ?」って思う。

心が震えるような出会い,場を作っているところもあるけど,何となく「多文化共生」の実践における「声」の扱われ方や取り上げられる声は,その発する主体がマイノリティであっても予定調和的,うさんくさくってポイントにふたをするようなものであるという印象が…どうしても拭えない。そこにはアピールや懇願,主張や意見はあっても,それが何かをひっくり返す契機となるようなものが含まれていないからかもしれないなって思う。もちろん,必ず何かをひっくり返すことがいいとも思わないけど。

ということを「マンデラ 自由への長い道」を見て,つらつらと思う。

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