昨日は、仕事のトラブルに追われた。
仕事も少林寺拳法も人相手の内容なので、トラブルなんて大なり小なり日常的。ブログにはかけないだけだ。理由はプライバシーや個人情報に関わるため。
少林寺拳法の稽古は7時~9時だったが、仕事(この日は学童保育)の打ち合わせのため、長坂は8時過ぎから稽古に参加。
副支部長が主座で鎮魂行をやるところだった。
終わってから、
「読本をもって集合しなさい。」
ぱらぱらと集まったところで、
「先生が言う言葉を捜しなさい。当身の5要素。見つけた人は起立。」(これは全員が集まるまでの空白をうめる作業)
「一番、早いなー! 二番、三番、すごい! 4番、5番、ベスト5。次、難しいよ、「経脉医法」。小さい字でしか書いていません。」
必死で探す子どもたち。
「ヒント、不殺活人のところにあります。」
「あった!」
「あった!」
と見つけていく子ども達。
ここから、本題へ。
「鎮魂行の声が少し小さいね。先生が「これぐらいやってほしいなー」とおもつている3分の一ぐらいの声しか出ていません。あと、3倍の声を出すのです。
大きな声を出すと、自分の殻を破れるのです。自分の限界を突破することができます。」
集中して聞いている。
「たとえば、集会でこんな校長先生ならどうですか?」と言って、小さな声で、
「おはようございます。みんな元気ですか? 勉強していますか?」
とぼそぼそと話す。
「何言ってるか聞こえない!」
と子ども達。
「じゃあ、次」と言って、大きな張りのある声で、(しかし、重々しく)
「おはようございます!! みなさん元気ですか? 勉強はしていますか?」
「こっちのほうがいい!」
と子ども達。
「じゃあ、これは?」と言って、ノリの良く、テンションをあげて、
「みなさん~! おはようございます!(手を振る。)」
「おはようございま~す!」
とノリのいい子どもたちが返してくる。
「元気ですか?」(猪木ばりに)
「は~い、元気~!」
「勉強、がんばっていますか~?」
「がんばっていま~す!」
このあたりで、長坂は乗ってきて、はめをはずす。
「今日は、いい天気ですね?」
「そうですね!」
のりに合わす子ども達。(なかなかやる 笑)
「明日、来てくれるかな?!」
「いいとも~!!」
という掛け合いになった。(まあ、知らない子もいる。最近は、いいともと言わないとかもなんかで読んだ。)
「どれが、一番良かった? 1番目?」(いない)
「2番目?」(1/3ぐらい。)
「3番目?」(残り)
「明るいほうがいいよね?」
「うん、なんか楽しくなってくる。こんな先生やったら嬉しい。」
「そう、でもね、鎮魂行は、まじめにはしないといけないからな。さて、声が大きい鎮魂行と声が小さい鎮魂行・・どっちがいいかな。どっちが自分は気持ちがいい?」
「大きい方!」
「想像してみてください・・・・メガネをかけて、メガネを探す人。」
子どもたちは爆笑。
聞きもらいした子が、
「なんて、もういっかい言って。」
これは無視する。テンポが崩れるから。これを冷たい指導という人はレベルが低い。次にその子も巻き込むからだ。
「想像してください。スポンの上からパンツをはいている人・・」
ここも大爆笑になる。
「想像してください。海水パンツ一丁で、集会に一人並んでいる人・・」
ここも爆笑。
「ここからは、まじめに・・・(間をとる) 想像してください。小さな声で鎮魂行をしている自分・・・・」
「想像してみてください。大きな声で鎮魂行をしている自分・・・」
ここでは、さっきの爆笑がうそのように、シーンとなっている。
「読本を持ってきてもらったのは、「覚えていない人がいるのかな~」と思って。または、「覚えているけど、自信がないのかなー」っておもって。そんな人はこれからも本を見ていいからね。(そのうちに、それようの用紙をつくろうと思う。)」
「聖句いくよ。本を開けて。開けたら開けました。指差す。いくよ、聖句!」
「己こそ、己の寄る辺・・」
「うん、とってもいい。でも、いまのはまだ2倍ぐらい。3倍にするにはあと一つ大きくさせないいけません。」
「聖句!」
「己こそ・・」
「そう、それでいい。その声でがんばるんだ。これから当分は、長坂先生か土橋先生が主座をします。途中で声が3倍になつていないと、打棒を鳴らします。そうなるとアウトです。そのときは、また最初から繰り返します。昔も、同じことをやったことがあつたなー、あのときは、確か134回ぐらいやったなー、二時間ずっと鎮魂行(これはウソの話。ウソも方便とはこんなときに使う。)」
それで、もう一度鎮魂行をやった。
途中で打棒を鳴らす。厳しくする。
それを3回ぐらい続ける。
声も大きくなった。
これで、「鎮魂行の声を大きく出させる」というひとつのシステムができたことになる。
あとは、指導者が妥協せず、しかし、褒め続けながら、繰り返すこと。
そうすると、そのうち定着する。
しかし、それもまた崩れてくるときがやつてくる。
そんなときは、同じ手も使うかもしれないし、別の方法を考えるかもしれない。あの手、この手、その手と使い分けていくのが、それがプロの腕である。
次の鎮魂行が楽しみだ。
途中で打棒がなるのは、「のど自慢で鐘がなるのを参考にした。」 ちなみにその場で思いついた。
当分は、気合や挨拶の声の大きさも、
「3倍!」
という合言葉が使えそうだ。
元気を出させて、テンションをあげる・・・これは、指導者の大切な役割である。