結果がよければいい
とは思えない。
少林寺拳法で、大会の成績がいいから、その指導は正解なのか?
そうは思えない。
私たちがやらなくてはいけないのは【教育】的に少林寺拳法を指導すること。
教育ならば、成長させなくてはいけない。
人間力と人間性
をだ。
そこを成長させられない指導なら、大会や試験の結果がいくらよくても、それは間違った指導だと言っていいと思う。
私がいまテーマにしていることは、中学生の
【自主】
だ。
小学生に自主だけを求めるのは難しい。
高校生なら、自主があっても不思議ではない。
では、中学生にはどこまで自主が必要なのか?
どこまで中学生は自主を持つことができるのか?
なんのために中学生に自主を求めるのか?
人間はどんなときに自主的になるのか?
→これは、守るべきものがあるときと具体的な目標を描けるときではないか?と仮定してみる。
中学生にとって、守るべきものとは…
これは動機付けとしてはやはり中学生にはわかりにくいだろうし、厳しい。
では、具体的な目標を描ける…はどうか?
これなら、中学生にもできる。
目標は人それぞれでいいとまず認めてあげる。
そして、できるだけ数値化させる。
モチベーションを持て!
モチベーションが一番大切!
とはいうが、そのために何が必要なのかを大人は子どもたちに教えていない(わかっていない)し、
そのために、子どもたちに寄り添うという対応をしていないのかもしれない。
モチベーションを引き出し(これは人間力の向上)
それを通じて、
大人、指導者が
人間性を育てていくこと。
そう、目的は
人間らしく生きる力を養わせることにある。
とは思えない。
少林寺拳法で、大会の成績がいいから、その指導は正解なのか?
そうは思えない。
私たちがやらなくてはいけないのは【教育】的に少林寺拳法を指導すること。
教育ならば、成長させなくてはいけない。
人間力と人間性
をだ。
そこを成長させられない指導なら、大会や試験の結果がいくらよくても、それは間違った指導だと言っていいと思う。
私がいまテーマにしていることは、中学生の
【自主】
だ。
小学生に自主だけを求めるのは難しい。
高校生なら、自主があっても不思議ではない。
では、中学生にはどこまで自主が必要なのか?
どこまで中学生は自主を持つことができるのか?
なんのために中学生に自主を求めるのか?
人間はどんなときに自主的になるのか?
→これは、守るべきものがあるときと具体的な目標を描けるときではないか?と仮定してみる。
中学生にとって、守るべきものとは…
これは動機付けとしてはやはり中学生にはわかりにくいだろうし、厳しい。
では、具体的な目標を描ける…はどうか?
これなら、中学生にもできる。
目標は人それぞれでいいとまず認めてあげる。
そして、できるだけ数値化させる。
モチベーションを持て!
モチベーションが一番大切!
とはいうが、そのために何が必要なのかを大人は子どもたちに教えていない(わかっていない)し、
そのために、子どもたちに寄り添うという対応をしていないのかもしれない。
モチベーションを引き出し(これは人間力の向上)
それを通じて、
大人、指導者が
人間性を育てていくこと。
そう、目的は
人間らしく生きる力を養わせることにある。