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映画・演劇のレビュー

あさのあつこ『グラウンドの詩』

2013-10-09 19:27:28 | その他
 前作『グラウンドの空』の続編だ。『バッテリー』と同じような話に見せかけて、実はまるで違うアプローチを試みている。このシリーズで彼女は一切試合をするシーンを描かない。ふたりの出会いを描く前作もそうだったが、本作は徹底している。

 前作で、県大会に優勝した八森東中が、全国大会に出場するまでの日々が描かれる。期待と不安、憂鬱の日々がスケッチされていく。主人公の3人(ピッチャーの透哉、キャッチャーの瑞希とファーストの良治)、それぞれの胸の内を描く。小説の中では基本的に何も起きない。小さなドラマや葛藤はあるけど、それが事件にはならない。大会までの日々の中で、揺れる心が他者との関係の中で描かれる。他者といっても、チームのメンバー(しかも、ほぼ3人だけ)と、家族との関係だ。彼らの世界は実に狭い。だが、それが今の彼らの周囲のすべてなのだ。向き合う大人は母親であり(あるいは祖母)、チームの仲間。でも、自分の抱えるものは自分ひとりで解決する。でも、なかなかうまくはいかないから、助けてもらう。それでいいのだ。ただ最初から友達に頼るのではない。ぎりぎりまで自分で抱える。甘えることなく、闘う。そういう姿勢が素敵だ。

 最後に試合のシーンに突入するのだが、当然、結果だけしか示されない。前作もそうだった。ただ、彼らはきっとグラウンドでも成長する。だが、この小説が描くべきことはそこにはないということなのだ。

 一番印象的なのは終盤の練習シーンだ。実践練習として、バッターボックスに順番に立ち、透哉の球を打つ。チームメイトと戦うのだが、ハイライトは瑞希だ。バッテリーとして共に戦う彼と向き合う。ただ、それだけのシーンなのだが、ドキドキする。しかも、結果はたった1球で出る。あっけないほどだが、それがいい。何度も言うが、野球の試合を描かない野球小説なのだ。でも、野球への熱い想いがここには溢れている。14歳という微妙な時間、彼らがこれからの人生で何ができるのか、それはわからない。ずっと野球をしていられたならいいけど、それがかなうかどうか、わからない。ただ、今はここで野球をしていられることの喜びを享受する。みんなが彼らを守ってくれる。そこに甘えていい。親たちの援助は彼らを甘やかせるためではない。彼らの未来を守ることが親の役割だと知っているからだ。大切なのは野球ではない。だが、彼らの前には今はそれしかない。そういう潔さが心地よい。いつの日か、野球がすべてだった、と胸を張る生き方ができたなら、いい。

   その時に彼らが野球を続けているかどうかなんて、どうでもいいことだ。人生はどこまでも続く。


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