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映画・演劇のレビュー

桃園会『少女仮面』

2013-10-09 19:31:14 | 演劇
 これについて書くのは難しい。どう書いたらいいのか、よくわからないからだ。

 唐十郎の初期の傑作に深津篤史が挑む。桃園会による唐十郎なんて想像もつかない。だから、とても楽しみだった。深津演出でこの台本がどう料理されるのか。ドキドキした。派手なスペクタクルではないのは、わかっていた。だが、こんなにも、深津色の抑えられた芝居になっているなんて驚きだ。

 でも、それは当然のことかもしれない。自分の世界に強引に引き寄せて料理するのなら、この台本に挑む意味はない。だが、自分の色を完全に払拭して、唐世界を再現するわけではない。淡々としたタッチで、フラットな芝居を作る。派手で、奇を衒ったあやかしの世界ではなく、メリハリよりも、まずドラマの流れを丁寧に追う。不条理な話なのだが、ごまかすことなく描かれる世界を見せていく。この不思議の世界に迷い込み、徐々に彼女の狂気に取り込まれる。

 今回、主人公を演じた寺本多得子は(Wキャストで、もうひとつのヴァージョンは、はたもとようこ。そちらも見たかった!)春日野八千代の内面の狂気を見事に体現した。もうひとりの主人公である森川万里(こちらもWキャスト。阪田愛子が演じる)が、ドラマの序盤をきちんとリードしてこの世界へ観客を導いてくれるから、安心して見ていられる。

 とてもよく出来た作品なのだ。文句のつけようもない。(というか、文句なんかつけたいわけではない)だが、なんだか物足りなかったことも事実なのだ。これはこの作品(戯曲)自体の問題なのではないか。今、『少女仮面』を再演することにどんな意味があるのだろうか。今という時代とこの作品がどうコミットするのか、そこがなんだかよくわからないのだ。おもしろいことは、おもしろい。だが、この世界が意味を持つとは思えない。

 それにしても、どうしてこんなにも心に響かないのだろうか。この台本の持つ時代性が、今という時代とリンクしないからか。なんだか見ていてどんどん空回りしていく気がした。狂気が、ただの狂気でしかなく、その底にあるはずのものが見えてこないもどかしさだ。それが僕には確かにある。ただ、それは僕だけで、みんなはこの完成された世界に十分酔うことができたのかもしれない。そう思うと、なんだか悔しい。


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