この長いタイトルの映画はシャンタル・アケルマン の75年作品。今から45年以上前の映画だ。だけど色褪せることなく、それどころかそのへんで公開されている今の映画以上に新鮮で刺激的な作品だった。しかもなんと3時間22分の大作である。こんなにも何もない映画なのに、これだけの長尺で、登場人物は、ほぼ主人公のジャンヌ・ディエルマン(デルフィーヌ・セイリグ)のみ。そんな映画ありですか。
彼女の3日間が描かれる。途中で、「1日目終わり」とかいうタイトルが出るし、そっけない。だいたい冒頭から衝撃的。彼女が食事を作るシーンを延々と定点カメラで10分以上(たぶん)撮っているし。彼女の日常のスケッチが綴られる。そこには売春なんていう項目もさりげなくあるのだ。あまりにあっさりと描かれるから「えっ?それって!」と思う始末。
見ていて、冗長で、無駄ばかり。お話自体はほとんどないし。だらだら長い。なのに、スクリーンから目が離せない。当時25歳のアケルマンと女優のデルフィーヌ・セイリグ(なんと彼女はあの歴史的名作『去年マリエンバートで』や『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』に出ていた人らしい。もちろん僕は2作とも見ているし、大好きな傑作だと思うけど、そこにいたのが彼女だったとは知らなかった)がふたりで意見を戦わせながらこの主人公を造形した。平凡な主婦の一語で終わらせない。でも彼女を非凡な主婦というわけにもいかない。まるで同じように繰り返される3日間は、それまでの何十年すら同じだったような感じさえさせる。それだけにあのラストは恐ろしい。
3時間以上の3日間の到達点であるあのラストをどう位置づけるか。あれもまた「衝撃的」の一語で済ますのはなんだか情けない。語彙の貧弱さではなく、あまりの唐突さに言葉がないのだ。ああいうラストにいきなりたどりついたわけではないことはわかる。だけど、いきなりすぎて、それはまるで映画を終わらせるためだけの仕掛けに思えるくらいの展開なのだ。そんなこんなのいろんな意味で凄い映画だった。