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映画・演劇のレビュー

浮遊許可証『リ-ンカーネーション・ティーパーティー』

2014-02-24 20:02:24 | 演劇
 10周年記念企画第2弾であるにも関わらず、僕は初めてこの集団の芝居を見る。以前から気にはなっていたけど、なかなか見る機会がなかったからだ。舞台監督の塚本さんから案内を頂かなければ、今回も見ないまま終わったかもしれない。そんなふうにして、大切な芝居をたくさん見逃していることだろう。どうしても、いつも見ている確実な劇団を見ることから、まずスケジュールを決めてしまう。少ない時間をどうやり取りするかは本当に難しい。でも、ちゃんと見に行かなければ素敵なものには出会えない。

 これはとても気持ちのいい芝居だった。こういう、ただ、かわいいだけではなく、ちゃんとした意思を持つ芝居は好きだ。丁寧に作られた舞台美術、小道具も含めて、細部にまで作、演出の坂本見花さんの感じ方、考え方がとてもよく出ている。主人公の外村虹子(中村真利亜)は彼女そのものだろう。天真爛漫で、賢い女性だ。昭和10年代を背景に、困難な時代の中で、自分の意思を貫く。でも、それは大それたことではなく、ただ、そうしたいから、というそれだけのことだ。けっこうわがまま。だから、やさしい旦那さんはとても困る。でも、彼女は動じない。それどころか、そんな旦那さんをわざと困らせるようないたずらをしたりもする。

 彼女を、ただの「いい子ちゃん」にも、「勝手な女」にもしない。ただ、ありのままの「彼女」としてここに提示する。そういう姿勢がすばらしい。少女雑誌の作家として、女の子たちから絶大な支持を受ける。でも、時局はそんな彼女を許さない。彼女の担当である編集者の男性を登場させない。彼が矢面に立ち彼女の連載を援助する。夫は彼の存在に嫉妬する。キャストは4人で、虹子とその夫、彼女の部屋にやってきた狐のココの3人しか登場しない。いつまでたっても第4の人物を出さない。芝居が終盤になっても、編集者の男性であるはずの上原日呂がいつまでも出ないから、どこで彼を登場させるのか、と結構ドキドキさせる。明らかに過剰に期待させるキーマンになる。それだけに、ラストで彼が登場(しかも、編集者ではない!)したとき、それはないよ、と思った。日呂さんのあの使い方は明らかにミスだろう。(もしかしたら、もう少し違う意図があったのかもしれないが。)

 大きな芝居には、しない。小さな芝居として完結させる。(初演はカフェ公演だったらしい)だが、そこにちゃんと真実を盛り込む。戦争に突入する時代、混迷の中でも、こんなふうに確かな愛を育んで生きたささやかな人たちがいたこと。それだけで、いいではないか、と思う。たまたまだが、山田洋次監督の『小さなおうち』と時代が重なる。そして描こうとしたことも、なんとなくリンクする。同じ時期に同じようなテーマで、優れた映画と芝居が同時に生まれる。それを、たまたま目撃する。なんだか、僕だけ得した気分だ。

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