習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『色即ぜねれいしょん』

2009-08-19 21:22:27 | 映画
 夏の終わりにふさわしい映画だ。なんだか切ない気分になる。また、今年の夏も終わっていく。個人的な話で恐縮だが、来週から授業が始まると思うと、なんだか気が重い。だいたい何か知らないが、何もできないまま、2009年の夏が終わる。せっかく夏なのだからちょっとは「何か」が出来たってよかろうと思う。なのに、旅行にも行けなかったし、7月から今日まで、まともに休みを取れたのは1日だけである。毎日どんだけ働いたか。自分で自分を褒めてあげたい。だいたい教師なんて夏休みがあっていいよね、とかいろんな人から言われるのが常だったが(でも、あれほんとは違うと思う。夏休みは生徒のみなさんだけ)今では土日もなくてかわいそう、と言われるようになった。こんなバカな仕事は趣味でしかやれない。若い人がやりたがらないのがよく分かる。

 まぁ、僕に関しては、好きなことしてるのだから、仕方ない。それにいくつになっても青春ごっこが出来るから、ほんとは楽しいのだ。でも、からだが持たない。今日、久々で午後から半休を取る。試合の谷間で、ここしか夏休みは取れないからだ。もう来週は授業だし、夏季特別休暇5日あるけど、休まないと消えてしまう。やばい。

 と、言うことでやっと、夏休み。一番したいことをする。行けなかった旅に行こう! 映画の中で。バカな高1男子3人とともにフリーセックスにあこがれて、隠岐の島にGO! 田口トモロヲ監督第2回作品。

 「青春はモヤモヤするほどドキドキする。」らしい。なんだか恥ずかしい映画だ。思い出したくもない青春時代がよみがえる。1974年、僕も高校生だった。こいつらとは同い年だ。というか、みうらじゅんと「おない」なのだ。ここに描かれることのひとつひとつが思い当たることだらけだ。あのころはみんな恥ずかしかった。隠岐の島のユースホステルのヘルパーで学生運動崩れのヒゲゴジラ(峯田和伸)のくさい言葉の数々がやけにリアルだ。あんなやつって、きっと居てた。胡散臭いけど純粋だった。だから、少年たちは彼に魅了される。この映画のちよっと年上の大人たちが、魅力的だ。彼らは学生運動の時代を体感している。挫折の果てに今がある。何も信じられないくせに、まだくすぶるものがある。主人公の乾純(渡辺大知)の家庭教師の男(岸田繁)もそうだ。彼のやるきのなさがいい。純は彼を通していろんなことを学んでいく。

 ただの青春映画ではない。おきまりのパターンを踏みつつも今まで見たどの映画とも違うリアルがここにはある。これはただの感傷ではない。山田詠美『学問』に感じた違和感はここにはない。田口トモロヲ監督はこの映画の主人公たちより2歳年上だ。前述のこの映画におけるキーマンとなる2人はきっと田口監督の視点だ。この客観性がきっとこの映画を成功に導いたのだろう。脚本は向井康介。『俺たちに明日はないっス』に続き見事だ。彼を起用したのも成功の理由だろう。この若い作家のしなやかな感性がこの映画の子供たちをただの昔の少年から今を生きる少年へと進化させた。

 3人組だけでなく、ここに登場するすべての人たちが愛おしい。やさしいおとんとおかんに育てられて、幸せなのが不幸だなんて思う。何を甘えたこと、とは言わないであげて欲しい。彼らは彼らなりに必死なんだから。

 お決まりの文化祭でのライブシーンがクライマックスになる。だが、このカッコ悪い男子のお話はお決まりのストーリーラインには収まらない。これはこの夏一番の傑作青春映画だ。

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