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映画・演劇のレビュー

空の驛舎『追伸』

2015-04-22 21:43:47 | 演劇

3話からなるオムニバスなのだが、「三つの別々のお話」なのに、それぞれが微妙にシンクロしてくる。最後まで見たとき、まるで一本の作品を見終えたような感動がある。個々のお話は完結していない。にも、かかわらず、3本見た時、世界は完結していく。中村さんの上手いところは、そこにある。この淡さは、観客を不安にさせるほどだ。短編のお話として独立しないからだ。しかし、誰もがわかっているはずだ。僕たちは物語のようなわかりやすい世界には生きていない。

まず、第1話『校庭にて』は、3人の背後関係も含めて明確にならないまま終わる。2話(『児童公園にて』)に至ってはよくわからないまま終わる。1話目は、こういうシュールなお話ではなかったのに、と戸惑う。あのうつぶせの人(こういう役は必ず三田村啓示さんが演じる)は何なんだ? とかね。ようやく3話に至って、すべてが明らかになる。(『病院近くの公園にて』)

先にも書いたように、別々のお話はそれぞれが全く交錯しないにも関わらず、まるで1つのお話のように1本の作品の中へと収斂していく。死をめぐるお話というわかりやすい枠組みだとは、敢えて言わない。死んでしまったそれぞれの大切な人たちのことを悼むために、花を手向ける女性は一言も発しない。彼女が誰に向けて手向けたのかは重要ではない。誰もが誰かに向けて花を手向けるのだ。それぞれの死と向き合うのではない。そこには確かに死という事実はある。しかし、それをどう受け止めたならいいのか、よくわからない。そのどうしたらいいのかわからない、という気持ちが、ここには描かれてある。

とても淡い芝居だ。はっきりと、声に出して何かを言ったりはしない。作者はそのことを、言葉にならない追伸として、ここに込める。PSのむこうにある・・・に象徴させる。

これはある意味でとてもわかりやすい芝居だ。舞台美術も含めて(ベンチと、そこを囲む白いライン。円になったその空間だけ)すべてがシンプルで美しい。中村賢司さんはあえてことばにしないでおこうと思った。そのことだけを芝居とする。

初演との差異はほぼない。たぶん。もし、気になるのなら、このブログの初演の項を読んでみよう。きっとこの文章と同じようなことを僕は書いているはずだ。


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