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映画・演劇のレビュー

『青天の霹靂』

2014-05-15 20:35:00 | 映画
劇団ひとりが原作、脚本、監督、それに助演もしたワンマン映画。原作はそこそこ面白かったけど、あれを映画にするにはかなりのテコ入れが必要だと思う。だが、その難事業を、彼が自分の手で(もちろん優秀なスタッフが付くのだが)成し遂げた監督第1作。かなりの冒険である。だが、それを見事に成し遂げた。

上映時間が1時間36分ということを事前に聞いて、これは期待できるかも、と思った。気合を入れすぎて自己満足の長尺になる新人監督は多々ある。彼はその轍を踏まない。フットワークの軽さが身上だ。思い入れが深くなりすぎると、観客を置いてけぼりにする。その手のミスも避ける。用意周到なのだ。ただ、仕上がった映画は少しあっさりしすぎた気もする。重くなり過ぎて、独りよがりになるよりはましだが、少し残念。それにしてもバランスをどう取るのかは難しいところだ。

内容は『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の日本版である。1973年にタイム・スリップして、(はっきりとは言わないけど、常識的に考えると、これはSFではなく、夢オチなのだが)そこで自分の両親と出会う。自分の出生の秘密を知る、という話だ。浅草の演芸場を舞台にして、売れないマジシャン(劇団ひとり)とそのアシスタント(柴崎コウ)、彼らふたりの前に、今では40前の中年男になった主人公(大泉洋)が現れる。彼は父親と同じように売れないマジックを仕事にしている。そんな3人のお話だ。

 話を原作以上に小さく絞り込んだ。描写も淡々として見せた。その結果、とても端正な作品になった。大仰な大作仕立てにはしないというのが、基本姿勢だ。その辺は徹底している。ラストの処理も憎らしいくらいに薄味で、感動の押し売りで盛り上げたりはしない。思い入れの深さを敢えて抑えることで、この作品を成功させたのは凄い。

個人的な問題だが、73年から74年という時代背景は、僕にとってとても切ない。あの年、ちょうど14,5歳だった。中3から高1の頃で、人生において一番多感な時期である。この映画を見ながらあの頃のことを思い出していた。この映画に描かれた時代をリアルタイムで体験している。ただ、それだけのことなのだが、それが僕にはなんとも言い難い。『Always 3丁目の夕日』のノスタルジアとは違って、(あれは5歳くらいの時代でそこまでリアルじゃない)この映画へのノスタルジアは、ビシビシと伝わってくる。感傷に耽っている場合ではないのだけど、映画よりも個人の感傷が優先する。


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