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映画・演劇のレビュー

町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』

2021-10-06 11:21:57 | その他

後半少し甘いな、と思う。ふたりの関係を突き詰めていかず、逃げている気がしたからだ。彼らの抱えてきた現実を徐々に明らかにしていく回想シーンは説明としてはわかりやすい。そこではちゃんと彼女がどういうふうに追い詰められていったのかが丁寧に描かれていく。悲惨すぎて目を覆いたくなる。それはいくらなんでもないのではないか、と思う。逃げ出すべきだ、と誰だって思うはずだ。だけど、彼女は逃げなかった。それでも母親の愛に縋った。こんな酷い虐待を受けているのにもかかわらず。しかも、もう高校を卒業して就職も決まっているのに、なぜ逃げない、と歯痒くなる。

僕が高校を辞めたのも同じような理由だ。目の前の現実から逃げたのかもしれない。もちろん、僕はもう高校生ではない。というか39年間ずっと高校で働いてきた。たくさんの子供たちと出会って楽しい時間を一緒に過ごしてきた。高校は最高のアミューズメントパークだ、と信じてきた。その思いは今も変わらない。どんな過酷な現状でも、仕事は楽しかったし、大好きだ(った)。ただ、最近は子供たちのどうしようもない家庭環境の中で自分にできることに限界も感じていた。体力的にも精神面でもある種の限界を感じた。

この小説を読みながら、そんなことを思いだしていた。ここに描かれる母親との確執は異常だ。義父の看護を強要されて、自分の人生を失くし、自殺にまで追い詰めれているにもかかわらず自覚症状もない。相手を責めるのではなく自分を責めている。こういうこともあるのか、と驚く。再会した友人とその職場の同僚に助けられて、自分を取り戻すが、就職した職場の上司に見初められ、彼と結婚して幸せになりました、という展開にはもちろんならない。またもや悲惨な展開になる。そんな彼女がすべてを清算するため大分の祖母が晩年住んでいた廃屋にやってくるところからお話は始まる。そこで虐待されている13歳の少年と出会い、彼を助けることで自分自身を取り戻していくというのがお話の骨子だ。書くつもりはなかったのに、気づけばあらすじ紹介みたいになっている。

少年と彼女、というこのふたりの現在を描く部分が全体のなかでは思ったほどの分量ではないのが、不満だ。大事なのはそこではないか。なのに過去に遡りこれまでの経緯を描く部分が長すぎてバランスを欠く。だが、ハッピーエンドなラストは良かった。あれには救われる。そうじゃなくてはあんまりだし。でも、なんだか最後でご都合主義になってしまった気もする。


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