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映画・演劇のレビュー

青年団『カガクするココロ』『北限の猿』

2009-11-19 20:19:35 | 演劇
 前回この作品を見たときは、もっとシンプルなセットだったような印象がある。今回はきちんと作り込んだのか、なんて思ったのだが、終演後アイホールの館長である山口さんと話していたら、そうでもないよ、前回もこんな感じ、って言われ、そうだったんだぁ、と思った。 

 作品の印象がシンプルだから美術もそうだと思いこんでいただけなのかも知れない。まぁ別にそんなことはどうでもいいような事なのだが、青年団のリアルな空間はさりげなさを端的に表現するから、美術は自己主張しない。あってないようなものなのだろう。でも、そんなことを言うとこの舞台美術を担当した方に叱られてしまうなぁ。この空間がなんだかとても気に入ってしまったのだ。だから、こんな話から書きだしてしまったのである。

 10数年振りにこの作品を見たことになる。初演からもう20年も経つらしい。先日の『東京ノート』と違って、今回は初見の印象と寸分変わらない。同じアイホールで見たからということがその理由ではない。この作品の性格上の問題だろう。

 キャストは当然全面的に入れ替わっているらしい。そりゃそうだろう。若い研究者や学生たちを演じるにしては10年前のキャストでは少し問題がある。それは平田さんの考え方も影響している。新作はベテラン中心、再演は若手中心というのが平田さんの方針らしい。

 『東京ノート』同様、10年経とうが20年経とうが古びない。時代を現代に一応スライドさせているみたいだが、変わらない心が変わりゆく科学の世界を背景にして描かれていく。今この芝居を再演することで得るものはその1点に尽きる。というか、この芝居が描くものはそこにある。

 大学の研究者たちや学生たちがロッカーのある談話室で語り合う。なんでもないやりとり。自分たちの研究のこと。さりげない日常のスケッチ。綴られるのはそんなものだ。とある日の午後。1時間30分の上演時間に切り取られた時間。大学の研究室ですれ違う人たちのいつもの生活。ただ心地よいだけではない。彼らの時間がやがて新しい時代や歴史を築く。だが、今はただこんなふうにして、あたりまえに日々を過ごす。

 続いて、今回も同じように『北限の猿』を見る。連作だし、話は前作の10年後の同じ研究室。同じ人物もちゃんと出てくるのだが、話はつながってはいない。いや、話は確かに続編なのだが、人物の性格や置かれている状況は微妙に違う。しかも、同じ役者が同じ役を演じない。だから、なんだかパラレルワールドを見ている気分だ。まるで同じような設定のもうひとつの物語である。

 午後の研究室での変わることのないいつものひととき。教授のわがままを聞きながら、研究にいそしむ時間。冬の日の何でもない時間。それだけで充分だ。平田オリザさんのなかにはもっといろんなことがあるのだろうが、それ以上のものはいらない。

 また、10年後、くらいにもう一度この芝居を見てみたい。その時もきっとまた同じ印象を受けることだろう。できることならそのことを確認したい。


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