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映画・演劇のレビュー

Micro To Macro『スカイフィッシュ・ワルツ』

2010-08-18 21:20:21 | 演劇
 バンドの生演奏とドラマが融合して作り上げられる芝居。バンドは単なるBGMではなく、ドラマに大きく関与していく。バンドのメンバーもキャスティングされているが、彼らは芝居を演じるのではなく、そのままミュージシャンとして、この作品世界に存在する。彼らがドラマを動かしていくきっかけを作る。

 こういうスタイルでこれまでも3作品が作られてきたらしい。僕はこの集団の作品は今回が初体験だったが、なかなか刺激的でよかった。ただドラマとバンドとがうまく融合しないのは難点だ。そこがこの集団の売りなのに。なんだか無理から2つを一緒にしている、という印象を受けた。

 作、演出を担当し、バンドの楽曲を作詩、作曲し、ボーカルもこなす石井テル子さんのワンマン劇団なのだが、彼女のマルチな才能をしても、この試みは困難を極める。ただこの発想はとても面白いし、これをどこまでも続けることで、いつか思いもかけない作品が生まれてくる、そんな可能性を感じる。

 スランプに陥っている映画監督(泥谷将)の事務所の2階を練習場所のしているバンドが、監督のところにあった古いカセットテープの中にあった曲を演奏した時、20年前にタイムスリップしてしまう。と書いたが、これはバンドのメンバーが主人公ではない。スランプにある映画監督が主人公だ。

 彼が、忘れてしまっていた過去の記憶を甦らせる話である。好きだった女の子の死。そんな大事なことを忘れてしまって生きていた。彼女の死は、交通事故だったが(そのはずなのだが)いじめによる自殺ではないか、と学校から疑われて、その年の文化祭は中止になる。中学3年の頃の話だ。

 ずっとその出来事は彼の心の傷となっていた。あまりの衝撃から、知らぬ間にその記憶を封印していたようなのだ。彼は仲間と共に音楽の力を借りて、タイムスリップをして20年前に戻り、彼女の自殺を食い止めようとする、というのがメーンとなるお話。

 文化祭のとき、クラスのみんなと映画を作ったこと。チャップリンの『街の灯』のコピーだ。その時の話が丁寧に描かれていく。思い出の時間と、くすぶる今の時間とを交錯させていく。やがて、前述のタイムスリップによって、過去に戻り、自分たちの失敗を回避するため画策するが、なかなかうまくいかない。何度となく過去に戻り、過去を書きかえる。

 終盤の展開は先日読んだ山本甲士の小説『戻る男』みたいで、歴史に影響を与えない程度の記憶の修正は可能であるというルールのもと、奮闘する主人公の映画監督以下、幼ななじみ3人組の活躍がドタバタで演じられていき、悪くはない。もっとテンポよくここまでが描かれていたならよかったのだが、前半がモタモタし過ぎ。説明過剰はよくない。

 畳みかけるような展開で、一気に見せれたならよかったのだが、台本を書いた石井さんは自分の思い出話をベースにしてしまったため、どうしても感傷的になりテンポも悪くなった。もっとスリムでスマートな芝居にできたはずなのだ。そこが、ちょっと残念だ。

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