『いつか、いつも、』ときて、その後『いつまでも』と続く甘いタイトルで、もちろんハートウォーミング。昔懐かしい家族のお話(ホームドラマ!)で、だから食事のシーンが山盛りあり、みんなでおいしいものを食べると幸せなんていう安易な展開。ちょっとうざったい昭和映画だが、久しぶりの長崎俊一監督作品だ。もうそれだけで、内容も確かめずに劇場に行く。彼の映画を見るにはいったいいつ以来のことだろうか。
少なくとも、もう10年くらいは新作がなかったのではないか。『8月のクリスマス』に驚かされたあの頃から、ずいぶん経つ。彼がホ・ジノ監督の大傑作をリメイクすると知った時には、絶対見ないと思った。あれだけの作品をどう作り直そうともオリジナルに及ばないし、そんな行為自体が不遜だ、なんて思った。だけど出来上がった作品は素敵な作品だった。(「見ない」と先には書いたけど、ちゃっかり公開時に見ている)オリジナルとは別の爽やかな映画に仕上がっていた。主演の山崎まさよしがよかった。死ぬと覚悟したまま、静かに生きていく。地元の小学校の先生を好きになる。でも、あと少しで死ぬから、この想いを遂げようがない。諦めるのではなく、ただ静かにそこにいる。原作以上に淡くて、さらりとした映画になっていた。もちろんあの悲しみには及ばないけど、あの映画とは違う世界を同じ話から紡ぎだすことに成功した。その後の『西の魔女が死んだ』もよかった。あの2本はそれまでの長崎俊一監督のテイストとは異質だ。初期の自主映画時代とは当然まるで違うけど、その後のさまざまな商業映画時代とも違う。ただ『ナースコール』や『ロマンス』の頃の感触には近いかもしれない。僕が本格的に彼の映画を好きになったのはあの2本からだ。もちろんそれ以前の作品も見ているし『ロックよ、静かに流れよ』もATGで撮ったあの痛ましい傷だらけの『9月の冗談クラブバンド』も好きだったけど。
『ロマンス』でヒロインを演じた水島かおりと結婚して、やがて彼女が(女優としてだけではなく)相棒となり、脚本も書くようになった頃から長崎映画は変わったのだろう。とても自然体でさりげなく優しくなった。その最初の作品が『8月のクリスマス』だったのだ。
あれから15年ほどの歳月が流れた。今回の作品はまるであの映画の姉妹編のような仕上がりだ。傷だらけの男女が小さな幸せを見つけるまでのお話。中途半端な状況設定のまま、お話が始まり、着地点どころか、お話の展開すら読めない。そこに水島かおり演じるおせっかいなおばさんが出てきて場を仕切る。「なんなんだ、これは」と思う。安易で杜撰な映画と言われても仕方がない。だけど、主人公の俊英(高杉真宙)とともに辛抱強く見ていると、やがてなんだかとても心が穏やかになり、優しい気分にさせられる。
主人公の青年医師俊英は自分の人生を諦めてこの田舎町でただなんとなく生きている。小さな診療所で日々を過ごしている。祖父の病院でふたりで診療に当たる。高齢の祖父(石橋蓮司)と住み込みでずって世話をしてくれている家政婦のきよさん(芹川藍)との3人暮らし。婚約者がいたけど、2年前に別れた。結婚するためこの家を2世帯住宅として改築して準備してきたのに。彼女が出て行ったのは、彼がほんとうは自分のことなんか好きではないということを知ったからだ。好きではないけど、付き合い、結婚の約束もして、暮らしていた。お互い自分の心を偽っていたのか。それとも彼女は彼の心のうちに気付き去ったのか、それはわからない。いろんなところで説明はしないまま、お話は進む。
それはこの家にやってきて同居することになる女性亜子(関水渚)に関してもそうだ。どうしてここにきたのか。何があったのか、わからない部分が多々あるけど、言わないし、描かない。1か月前に投げやりな気分でよく知らない男性となんとなく結婚した。そんな夫とのことや自分の病気のことも説明はない。いきなり倒れてしまったり、情緒不安定で自殺するのではないかと彼女には常にハラハラさせられるけど、徐々にここでに暮らしに慣れていく。これは一応はラブストーリーなのだけど、恋愛を描くのではない。この不思議な家族の話に引き込まれる。ラブコメでもない。ふたりは恋愛をするのではなく、ふたりは同居することで家族になる。
先にも書いたが、水島かおりがコメディリリーフとして登場する。おしゃべりで人の話を聞かないおせっかいなおばさん。彼女が映画の序盤をリードする。ふつうなら鬱陶しいだけの役なのだけど、彼女はあえてこんな人物を作り(脚本は矢沢由美名義の彼女自身によるオリジナルだ。)その役を自ら演じ、お話の導入部に使う。実はこれは笑わせるためではない。彼女は現実世界と距離を取る主人公の内面にズカズカ土足で入り込む。悪気はないどころか、問題無用だ。彼はそんな彼女に引きずられていく。夢の世界を現実に変える。写真で見ただけのあこがれの女性が自分の家にいきなりやってきて、同居することになるというありえないお話をただのおとぎ話にしないために、彼女はいる。あんなにもきれいだった水島かおりがこんなにも肥ってただのおばさんになってしまったのには衝撃を受けたが、そこを導入にするってなんだかすごい。そういえば本作のヒロイン関水渚って昔の水島かおりと少しタイプが似ている。
これはある種のメルヘンなのであろう。だけど、それが甘いだけではなく、こんなにもここちよいのはこんなありえない夢物語がなんだか現実の世界の出来事のように優しく描かれたからだ。水島かおりの世界を、長崎俊一がきちんと映画化した。ふたりはこの奇跡のような小さな幸せのドラマを丁寧にかつ大胆に紡いだ。エンディングに流れる竹内まりやの『幸せの探し方』がこの作品にぴったり合う。