これは失敗作だ。見終えたときはそう思った。いや、見ながらも、こんなはずじゃなかったのに、と何度も思った。原作があまりに素晴らしすぎて、比較するからそうなるのだということはわかっている。僕の思い込みが激しくて冷静な判断ができていないのだろうということもわかっている。映画と小説は別物ということだってわかっている。でも傑作『ちはやふる』3部作を作った小泉徳宏監督が次の作品としてこの小説を選んだということを知った時、これはすごい選択だ、と感心したのだ。期待が大きすぎた。
『ちはやふる』で「競技かるた」という「動」の世界を描き切った彼が、次にその対極にある「静」の世界を描く作品を手掛けるという選択に期待しないわけはない。しかも、今回取り組むのは「水墨画」である。とてもじゃないが、かるた以上に映画化不可能な題材なのだ。あの内省的なドラマである原作をどう映画化するのか。しかも、アート映画ではなく、今回も日本テレビ製作、東宝配給のメジャー映画として作るのだ。この地味すぎる題材を横浜流星主演の青春アイドル映画として作る。もちろん広瀬すず主演の青春アイドル映画のはずの『ちはやふる』なのに、すべての条件を満たしながらあれだけ見事な作家の映画として仕上げたのが小泉徳宏だ。彼なら不可能を可能にする、と信じた。
失敗だ、と書いたが必ずしもそういうわけではない。これは僕の思い込みだけの意見だ。つまらない映画なんかでは断じてないし、それどころかとてもよくできている。傑作と書いてもいい。さまざまな条件をクリアして、商業映画として、青春映画として、成功している。だが、ここには大切な「何か」が足りない。個人的な内省的なドラマである原作を映像化するのは難しい。水墨画の良し悪しのことはわからないけど、彼が本気でこの世界と向き合っていることはわかる。それは「競技かるた」であろうと「水墨画」であろうと同じことだろう。自己実現のために何かと向き合い手にするまでのお話という共通項。それを派手なアクション映画のようにして見せた『ちはやふる』と静かにあくまでも地味に黙々と真っ白な半紙に筆を持ち向き合う姿で見せる本作。最終的にはスポーツ映画のようなスタイルをとるがお話のメインはどちらも競技における勝ち負けではない。賞レースは描かれるけど、そこでの勝ち負けを競うわけではない。だからそこがクライマックスにはならない。というか、この映画にはクライマックスすら存在しない。全編ドラマとしての高揚はなく、ラストまで平坦なままで終わる。師匠(三浦友和)が倒れ入院して、さてどうなるのかという展開から江口洋介がまさかのリリーフをするシーンの見事さですらそうだ。
小説は水墨画の世界に誘われて、気がつくと、そこにいて筆を持ちずっと描いていた主人公の成長物語。映画も表面的には同じ。なのに心に響かないのはなぜか。映像として見せたらそれはなんだか陳腐になる。ちゃんと本物を見せてくれても、である。横浜流星演じる主人公は真摯に水墨画と向き合う。その姿は美しい。だが、ここには『ちはやふる』のようなエネルギーの迸りがない。お話のタイプが違うからそれは当然なのだ。だが、原作にはそれがあった気がする。そのときめきのようなものがここにはない。映像として見せる映画では静かに自分と向き合う姿が表現できないのだろうか。なんだかとてももどかしい。