東陽一監督の久々の新作。どうして井上荒野の作品なんか今頃取り上げるのだろうか、と不思議だった。80代に達した彼ほどの巨匠がこんなタイプの小説を取り上げるということが不思議だったのだ。だが、出来上がった作品を見てそんなつまらない先入観がどれほど愚かなことかと、思い知らされる。老境に達した巨匠の仕事ではなく、今も最前線で映画と向き合う俊英の偉業に目を見張らされる。全盛期の傑作『サード』よりも僕はこの映画を買う。これほどの緊張感を持続させる映画はなかなかない。とても小さな話なのだが、この世界に足を踏み込めば、もう一瞬もスクリーンから目が離せない。
常盤貴子が素晴らしい。彼女の一挙手一投足から目を離せない。静かに狂気を孕んだまま、推移していく行為が、どこに行き着くのか。先の読めない展開は、人間というものの業とでも言うしかない。狂気といいながらも、それが何故そうなるかわからないから、彼女が狂っていくわけではなく、なんだかわからない空洞を抱えたまま、何かに導かれていくようで、でも、それが何なのかやはりわからないから怖い。彼女の行為がどこにその原因があり、どうすればいいのか、わからない。平凡な主婦がストーカーになる話、なんていうわかりやすい括りではとうてい収まらない。しかも、彼女に付け狙われる青年(池松亮介)も、彼女を怖がるのでも、彼女に入れ込むのでもなく、ただ距離をとって静かに受け止めるばかりだ。どちらかというと、彼の恋人の方がエキサイトしていく。池松演じる美容師は受け身のまま、エスカレートする彼女の行動に冷静に対処する。
幸せそうの見える家庭を持つ平凡な主婦。優しい夫と、かわいい娘。40代になっても若くてきれいな彼女は専業主婦で何不自由なく生きているはずなのだ。だが、冒頭のシーンから寒々とした描写が続く。夫との距離感はふつうじゃない。中学生の娘との関係も同じように荒涼としている。別に娘が暴力を振るうとか荒れているとか、そんなわけではない。それどころか、とても賢くて気配りの出来るいい子だ。母親のことも好きだ。でも、この家族の間には愛情のかけらも感じられない。なぜ、そんなふうになるのか、まるでわからない。他人行儀でお互い気を配り過ぎて異常だ。お互いの領域に踏み込まないのが彼らの流儀なのなら、家族って何なんだ、と思う。一緒にいるのに、緊張感を強いられる。どこからどうしてこんなことになったのか、何が原因なのか、一切描かれないから、わからない。
たまたま入った美容室で彼女は彼に出会う。彼に執着していくはずなのに、彼女は至って冷静なままだ。恋愛関係を望むわけでもない。自宅に届いた新しいベッドの画像をスマホに送信する冒頭のエピソードから彼女の普通じゃない様子がくっきりとする。その行為はどこまでもエスカレートするというわけではなく、ただ事態が静かに進行していくように淡々とメールが送信されていく。彼女の行動は留まることはない。
彼女の抱える不安は、誰もいない家で、誰かの部屋から聞こえる木琴の音に起因しているらしい。それは自分の幼い頃の記憶ではないか、と思うのだが、明確にはされない。何が彼女にあったのか、わからないまま、今彼女に進行していることを淡々と見せていく。それだけで、ホラーだ。これがただの主婦の浮気の話なら、怖くはないし、そんな恋愛映画ならいくらでもある。だが、彼女の場合はそういうことではない。池松との関係を望むのではないし。それより、彼女は夫の愛を求めている。しかも、夫は彼女を愛している。ならば、何一つ問題はないではないかと、思うところだろう。しかし、彼らの関係はすれ違う。彼女が見えないところで壊れていくのはなぜか。壊れていることすら見えない状態でキープしていく。ちゃんと表面化したならもっとなんとかなるのに、それを誰もあからさまにはしないまま蓋をする。ラストシーンで、池松から新しい相手へと彼女の想いが推移するときの凍りつくような恐さ。こんなシュールな結末はなかろう。ただのふつうの家庭で、何が起きているのか。異常なのは彼女なのか。そうとは言い切れないのがまた怖い。
こんなにも危険な映画が一昨年に作られ、ちゃんと劇場でも上映されていた。なのに、それほどの評判にもならず埋もれたままだった、ということに驚きを隠せない。ベストテンの上位にランキングされ、主演女優賞を受賞していてもおかしくない。というか、それが当然ことだろう。どうして無視されたのか不思議でならない。