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映画・演劇のレビュー

『シチズン・ドッグ』

2010-03-11 22:34:45 | 映画
 久々のタイ映画である。まぁ、『チョコレート・ファイター』とかは見たが、タイ映画にやられた、と思うのは本当に久々のことなのだ。だいたいタイ映画は日本に入って来ない。劇場公開だけでなく、DVD発売もままならないからだ。

 僕とタイ映画の出会いはかなり昔のこととなる。今からたぶん15年か、20年前くらいの話だ。今は亡き心斎橋のキリン・プラザで、『タイ映画祭』という企画があって、そこで10本くらいを1週間くらいの期間で見た。ほんとうなら全部見たいと思うくらいに新鮮だった。80年代に、国際交流基金が南アジア映画祭をやってから続々と東南アジアだけでなくアフリカやその他、たくさんのそれまで見ることの出来なかった辺境の映画が紹介された時代があった。あの時に見た映画の数々が今の僕を作った、と言っても過言ではない。(まぁ、それだけではないけどね。だから、過言です)

 最近は東京でならいくらでもたくさんの国の映画がまとめてみる機会がある。キネ旬の決算号の映画祭公開作品リストなんかを見ると眩暈がしそうになる。ほんの数回しか上映されないのだろうけど、凄まじい量の映画だ。

 と言うことで、この映画も08年に『タイ式シネマ☆パラダイス』としてシネマートで上映された作品の1本である。ようやくDVDになったので、ついに見れてしまった。(なんとなく、借りただけだが)しかもこのDVDはなんと2本立で収録されており、『ヌーヒン、バンコクに行く』という映画も同時に見れたので得した気分だ。更にはこの2本を連続して見ると、なんだか今のタイ映画の現状が簡単に理解出来たような気にさせられる。まぁ、なんとなく、でしかないが。でも、1本は極上の作品で、もう1本はどうでもいいようなコメディー。これを同時に2本見て実に面白かった。これらがきっと今のタイ映画の先端ではないか、なんて思う。アート映画と娯楽映画の差は明確だが、それぞれが今のこの国を代表する映画ではないか。

 さて、まず今日は『シチズン・ドッグ』である。この映画には圧倒させられる。あきれてものも言えない。凄い映画だ。ここまでバカなことをしながら、最後まで飽きさせない。凄まじいイメージの放出。こんな映画はなかなかない。77年のロードショー公開の時に初めて大林宣彦監督の『HOUSE』に接した時の衝撃に匹敵する。しかも、あの時は僕はまだ子供だったが、今は充分大人である。そんな大人の僕をこんなにも驚かせるのだから、この映画は恐るべき映画だ。

 最初の数分を見ただけでこれが傑作であることは約束された。極彩色の色使いは鈴木清順を思わせる。だが、こいつはバカだ。このバカバカしさは並ではない。圧倒的な情報量で、主人公が遭遇する人たちとのドラマがアップテンポで綴られる。一瞬すらスクリーンから目を離せない。数秒でワンエピソードが終わってる。見逃すのが惜しいから、集中して見る。くだらないバカではない。崇高なバカだ。見終えた時、なんだそれだけかい、と思ったが、それだけで何が悪い、と自分で自分に突っ込みを入れてしまうほどだ。

 一応ラブストーリーだ。タイ版『アメリ』だなんて、パッケージにはわかりやすい紹介がなされている。だが、あんな甘っちょろい映画ではない。田舎からバンコクに出てきて、缶詰工場で働く主人公が遭遇する摩訶不思議な出来事の数々。その一つ一つを書いていたらきりがない。そのうちこのハイテンションにも飽きてしまうだろうと、思いながら見ていたのだが、なかなかどうして、まるで飽きさせない。続々と溢れんばかりの呆れるばかりの情報量に圧倒されて、最後まで見せきる。

 過激な労働環境の中、指が飛んでしまって、缶詰に入りそのまま出荷されるとか、(これってまるで『セメント樽の中の手紙』だよ!)主人公が憧れるヒロインは極端な清潔症で、環境運動に邁進して、ペットボトルを集めたら、それが山のようになり、(というかほんとに山になったし)周囲を覆い尽くすとか、彼女へのあこがれが昂じて、彼女と同じ青い制服を着た人々が町中に溢れる幻想を見る、とか。主人公はゾンビ(空からヘルメットの雨が降り、そのヘルメットに当たって死んだのだ)の運転するバイク便にいつも乗ってたり。ぬいぐるみの犬が喋って煙草をぷかぷか吹かすとか、その犬の主人である22歳の女の子(見た目は5,6歳の子供)もヘビースモーカーで、みんなが突然歌いだしたり、しっちゃかめっちゃかだ。死んだおばあちゃんがヤモリのなってでてきたり、しかも生まれ変わって最後は主人公の子供となる、とか。

 もうハチャメチャで切りがない。順不同で一部を書いたが、当然こんなものではない。そこは映画を実際に見ればいい。デビュー作『快盗ブラックタイガー』で世界中から絶賛を受けたらしい(この映画見てないからそのうち見よう!)ウィシット・サーサナティアン監督の第2作。大胆不敵な総天然色、とんでもないストーリー展開の過激さに加え、更には荒唐無稽なヒロインの行動。それは人生に夢が持てない主人公をまきこむ。映画のタッチは『下妻物語』の中島哲也にも似てる。井上陽水の『夢の中へ』に影響されたようなお話(探し物は、探すことをやめた時に見つかるだとか)だったりもする。なんだかよくわからないが何でもありだ。

 ここにはバンコクで暮らす孤独で、どこにでもいそうな普通の人たちの姿が、デフォルメされて描かれてある。この映画が凄いのは、実はそこなのだ。人を驚かせるだけなら、すぐに飽きる。ここにあるのは、都会で暮らす名もない人々の姿だ。それがしっかり投影されて描かれてある。この映画がおもしろいのは、そんな彼らの日常がしっかりと伝わるからなのだ。



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