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映画・演劇のレビュー

楽市楽座『金魚姫と蛇ダンディー』

2006-10-02 22:57:22 | 演劇
 あまりにシンプルでコンパクトな話になっており驚かされる。しかも、かつての楽市楽座が持っていたダークな雰囲気は一蹴されている。芝居は三幕構成のおとぎ話というスタイルを取っている。

 まず、タイトルからして今までとは全く変わり、とても可愛い。もちろんタイトル通り、話の根幹は金魚姫と蛇ダンディーによるラブストーリーというスタイルを取る。二人を巡る様々な人物(といってもみんな人間ではないけれど)のすったもんだのたわいないやり取りをのんびりとした気分で見ているうちに、作品世界の中に引き込まれていく。秋の夜のとある池のほとりのささやかな祝祭として彼らの騒動が描かれていくのである。
 
 丸い池の上には大きな満月の影が映っている。あまりにくっきりと池いっぱいに映っているので、そこにはまるで本物の月があるように見える。人間国宝さんがまずその月に乗り、ねずみ博士も恐る恐る月の上に足を乗せる。こうして、この幻の月の上でカーニバルが始まる。夢ばかり追いかけている蛇ダンディーの死が二幕のラストで描かれるが、芝居全体のトーンはそこで転調を遂げたりはしない。生も死も飲み込んでこの祝祭的空間は、いつまでもいつまでも続いていく。そこに、この作品に込められた作・演出を担当する長山現さんの覚悟がしっかり感じられる。それは彼らのお祭りは何があっても終わらないのだということだ。

 現実は夢のように美しくはない。幻の月の上でダンスを踊ったりできはしない。しかし、現実を越える夢見る力もまた必要なのである。そのことをこの芝居は描こうとしている。

 仮設劇場ラフレシアの中央に円形の池を作り、もちろん水をしっかりとたたえ、中央にはその水の上に浮かんだ大きな満月の舞台を作る。しかも、その舞台はずっとぐるぐると回り続けている。この芝居の登場人物たちが、この月の上に乗っかり、ここは幻ではなく池の上に浮かんだ月だと認めた瞬間から、その回転は止まることがない。だから、役者達はずっとぐるぐる回るステージの上で芝居を続けることになる。

 久々の楽市参加となる一快元気が素晴らしい。彼がこの芝居を単なる甘いメルヘンからもう少し高い次元へと引き上げてくれる。1人の役者の力によって、作品に陰影ができ奥行きが生じる。そして、個性的な役者達の競演もまた楽しい。川の上に浮かぶ中之島に作られた円形劇場ラフレシアで、秋の夜の小さなメルヘンが心地よく花開く。

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