1970年代を舞台にして60代の女性、という微妙な年齢設定をする。それを吉永小百合に演じさせる。この映画は彼女が初めて老人役をする、という画期的な映画なのである。そかも、アルツハイマー病を患う。
これまで網走でひとり生活をしてきた。だが、認知症になり、どうしようもなくなる。札幌で暮らす息子(堺雅人)に引き取られて都会暮らしを始めることになる。だが、そこでの生活は当然上手くいかない。息子や嫁(篠原凉子)に迷惑ばかりかけてしまうのが心苦しい。
息子は仕事が忙しく、ほんとうなら母の面倒をみている余裕なんかない。ヘルパーを頼むが頼りない。なんだぁ、この話は! こんな映画だなんて思いもしなかった。もう見ていていたたまれない。今の自分の現状と完全にオーバーラップしてしまうストーリーで、あまりのことに感情移入どころか、痛すぎて拒絶反応を示してしまう。つらくて見ていられない。今、自分が母に対してやさしくできなくて、毎日怒鳴りつけてしまってばかりで、そんな自分がイヤでうんざりしているのに、映画の中でまで、こんなものに出会うなんて。毎日、今日こそは優しく接したい、と思うのに小言ばかりで、しまいには怒鳴ってしまう。この映画の八百屋のシーンでは、涙がボロボロ流れてしまって困った。
こんな映画だとは思いもしなかったので衝撃は大きい。不意打ちだ。吉永小百合がとても美しい老人を演じているのが嘘くさいけど救いだろう。そこだけこれは映画だから、とほっとさせられる。きれいごとスレスレのところで、この映画を映画として成り立たせていた。
樺太からの引き上げ家族の苦難の歴史を描く大河ドラマだと思っていたから、この展開はフェイントだった。内地に帰ってきてからの極貧の生活も確かに描かれる。引き揚げ船での空襲や、長男を死なせること、シベリアに抑留され、帰ってこなかった夫の話や、想像できる話は確かに挿入される。だが、あくまでもそれは過去の話で彼らの今こそがこの映画のメインだ。
母と息子との思い出をたどる旅がクライマックスになる。とても美しいお話で確かにこれが映画だと実感できる。でも、この映画が描く老人介護の問題はソフトタッチだからこそ、切実に胸に迫ってくる。