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映画・演劇のレビュー

『君に届け』

2010-10-16 08:12:46 | 映画
 劇場は若い女の人が95%を占めている。シングルの男子は僕一人だけだったので、かなり焦った。レイトショーで見たから客はあまり多くなかったからよかったが、中高生が見る時間だったら、かなり苦痛だったはずだ。それにしても、こういう映画に何を期待して彼女たちは劇場に足を運ぶのだろうか。原作は1600万部の大ヒットコミックらしい。想像もできない。こんな「どこにでも掃いて捨てるようにごろごろ転がっているような話」が、どうしてそこまでの支持を集めるのか。

 『虹の女神』の熊澤尚人監督最新作である。彼がこんな題材を引き受けたのはなぜか。映画を見ていてもまるでわからない。この話には何一つ引っかかってくるものはない。いくら見ても、どこにでもある退屈な少女漫画でしかない。あまりに単調すぎて、何か大きな間違いでも犯しているのではないか、と心配になるほどだ。2時間8分というこの手の映画としては異常に長い上映時間の、3分の2を過ぎたところで、これは確信犯ではないか、とようやく納得した。最初から、そんな気はしていたのだが、このちょっとした大作で(いつものTV局製作の)そんな冒険をするか、と疑心暗鬼だった。

 今時こんなピュアなラブストーリーを本気で作ることはない、と思った。きっと観客から総すかんを食らうのではないか。だが、実際は違うようだ。こんな時代だからこそ、純粋な気持ちを映画の中では大事にしたいと願うのか。今時ここまで、まだるっこしい女はいない、だろう。そして、そんな女と付き合うほど暇な人間もいない、はずだ。だから、この映画には、現実にはありえない人々が出てくる。これは映画でだけ可能なメルヘンなのか。

 昔、「お子様ランチ」と呼ばれる映画がたくさんあった。一般の映画ファンからは黙殺され、主人公を演じたアイドルのファンたちだけに見られた映画だ。表面的にはつまらない青春映画の意匠をまとっている。だが、そんな作品の中に素晴らしい映画が隠れていたのも事実だ。松竹の山根成之監督が作っていたおびただしい映画群や、西河克己監督が吉永小百合や、山口百恵で撮った映画。そんな中からアイドル映画の範疇に収まらない傑作が生まれた。相米慎二の『翔んだカップル』なんかその最たるものだ。

 今回の映画は、そんな歴史の先に位置する作品なのかもしれない。本来なら黙殺される映画だ。だが、今の時代にこういう映画は希少価値となる。そのことを理解した熊澤監督は、敢えてこの映画を純粋培養された青春映画として妥協なく「お子様ランチ」に徹して見せることにした。いくらなんでもあんまりな鈍感女として、主人公の爽子(多部未華子)を設定した。今時(昔でも)ここまでやる女はいない。虐めの対象になること必至である。だが、彼女は、そのあまりのキャラクターゆえ、虐められていることにも気付かない。周囲も彼女を恐れている。「貞子」と呼んで誰も彼女に話かけないし、3秒以上目があったら、死ぬ、とか言っている始末だ。そんな彼女にクラスで1番の爽やかボーイである風早くん(三浦春馬)が恋をする。さらには教室で浮いているヤンキーやケバイ女が彼女の応援をする。純粋に彼女の後押しをしてくれる。この映画に出てくる子どもたちはあまりに素直でまるで屈折していない。こんな高校生はいない。だが、映画の中だから、こんな高校生を見せれる。なんでもかんでもリアルがいい、というわけではないはずだ。

 あまりに嘘くさいから、途中で醒めてしまうかもしれない。だが、そんなこと承知の上でとことんクサイ映画を作る。「簡単になんて伝えられない。本当に本当に大切な気持ち」を本気で描こうとする。正直言うと僕はもうこの手の映画にのめり込めない。なんだか悲しかったけど。あほらしいと思ってしまう。そんな自分が悲しい。だが、それはあまりにこの映画が作為的だからかもしれない。同じ多部未華子主演の映画で、長澤雅彦監督の『夜のピクニック』や『青空のゆくえ』にはあんなに感動出来たのだから、僕の感性がダメになったとは思いたくはない。

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