これは凄い力作だ。こういう大河ドラマは苦手なのだが、角田光代がやるのだから、読まないわけにはいかない。戦時中の疎開先で、いじめに遭い、それがトラウマになる女性、という設定なのだが、単純ではない。記憶の中から失われた時代を彼女は思い出させる。主人公の左織は、風美子と再会する。疎開の時一緒だったらしい。だが、記憶にはない。22歳の再会から40年に及ぶ歳月を描く。時系列には並ばない。時間は何度も前後する。
60代になった今から始まり、再会した日。そこから始まる2人の日々。気持ち悪いくらいに、風美子はなれなれしい。それが疎ましい。怖い時もある。彼女は何者なのか。ただの友だちではない。あの時代を共有した仲間、なんていういい方はしない。あの時代は忘れていた。記憶の片隅にすらない。忘れてしまいたい悪夢だからだ。実際に忘れていた。彼女と会うまで。
思い出したくもない封印した過去と向き合わされる。どこまでも優しく、親切な彼女の善意が怖い。ここまでやるか、と思う。それがいったいどこに行きつくのか。まるで、見えないままどんどん読ませていく。これは人生という名の400ページの悪夢である。
自分が生きた時代と重なるから、背景となる様々な事象も含めてとても懐かしい。左織の子供が僕とほぼ同世代だから、これは自分の家族の話でもある。左織は母と重なる。僕の母が生きた時代を彼女目線から描いていると思うと、不思議な気分にさせられる。母の人生では母は主人公だ。そんなのは当たり前のことなのだが、そんな当たり前の目線でこの小説を読みながら、当然ふたりの子供の目線の方が自分に近いし、わかりやすい。同時にふたつの目線で、お話を読むことになる。
これはストーリーを追うタイプの小説ではない。でが、スリラーを読んでいるような緊張がある。記憶の中から故意に失われてしまったものが、ゆっくりと再浮上していく恐怖。これは復讐なのか。では、誰が誰にする復讐なのか。それすらわからない。風美子が左織に、ではないはずなのに、風美子から責めれているような気にさせられる。彼女は何を見届けたいのか。10歳までの記憶に人生すべて振り回される。
これがたどりつくのは、いったいどこか。笹の舟なんかで、海を渡れるのか? さぁ、後、100ページだ。(明日の通勤で読み終わる。気になるのなら今から読めばいいのだが、もったいないから、読まない)
60代になった今から始まり、再会した日。そこから始まる2人の日々。気持ち悪いくらいに、風美子はなれなれしい。それが疎ましい。怖い時もある。彼女は何者なのか。ただの友だちではない。あの時代を共有した仲間、なんていういい方はしない。あの時代は忘れていた。記憶の片隅にすらない。忘れてしまいたい悪夢だからだ。実際に忘れていた。彼女と会うまで。
思い出したくもない封印した過去と向き合わされる。どこまでも優しく、親切な彼女の善意が怖い。ここまでやるか、と思う。それがいったいどこに行きつくのか。まるで、見えないままどんどん読ませていく。これは人生という名の400ページの悪夢である。
自分が生きた時代と重なるから、背景となる様々な事象も含めてとても懐かしい。左織の子供が僕とほぼ同世代だから、これは自分の家族の話でもある。左織は母と重なる。僕の母が生きた時代を彼女目線から描いていると思うと、不思議な気分にさせられる。母の人生では母は主人公だ。そんなのは当たり前のことなのだが、そんな当たり前の目線でこの小説を読みながら、当然ふたりの子供の目線の方が自分に近いし、わかりやすい。同時にふたつの目線で、お話を読むことになる。
これはストーリーを追うタイプの小説ではない。でが、スリラーを読んでいるような緊張がある。記憶の中から故意に失われてしまったものが、ゆっくりと再浮上していく恐怖。これは復讐なのか。では、誰が誰にする復讐なのか。それすらわからない。風美子が左織に、ではないはずなのに、風美子から責めれているような気にさせられる。彼女は何を見届けたいのか。10歳までの記憶に人生すべて振り回される。
これがたどりつくのは、いったいどこか。笹の舟なんかで、海を渡れるのか? さぁ、後、100ページだ。(明日の通勤で読み終わる。気になるのなら今から読めばいいのだが、もったいないから、読まない)