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映画・演劇のレビュー

焚火の事務所『硝子の声』

2009-08-06 23:04:29 | 演劇
 三枝希望さんの作る作品は生まれた時から古典である。なんだか『今』の芝居ではない。それって貶してるのではない。この普遍性は時代を超越するというのだ。彼はいつも家族や夫婦を扱う。壊れていく家庭という構図の中で、人と人との関わりが描かれていく。親戚であろうとも通じ合わない。家族でも。

 人間は所詮ひとりだ。だが、他人同士が寄り添い夫婦という絆を作る。そこに家庭が出来、家族は生まれる。そんな絆を信じながら、でもそんな絆が簡単に断ち切られることも事実として受け止める。今回の作品は三枝さんの「声」3部作の第3章の再演である。

 車に家財道具を積んで放浪しながら暮らす初老の夫婦。夫が病気で失職し、公団住宅を強制退去させられた。たった2人。車で寝泊まりし、暮らす。不法投棄された大型ゴミの中にはピアノがある。妻はかって自宅でピアノを教えていた。工業団地脇の小高い丘の上、2人は結婚を控えた若い2人や、近くの女子大の駅伝選手たちと出会う。

 彼女たちとの関わりあいは図式的だ。リアルな会話とは言えない。こんなところで人は出会わないし、ここまで関わることはない。これは現実のことではなく、ひとつの象徴的なドラマだ。彼女たちはこの夫婦との関わりを通して、自分たちの足場がどれだけ不安定なものかを知る。

 原真さんの演じる若い男はこの夫婦に対して関わりを持ちたくない。それは当然のことだ。だが、彼のパートナーである女性(山口晶子)はこの夫婦が気になる。この2人の相反する態度はこの初老の夫婦に対する誰もが感じる2面性を象徴する。気になるが、関わりたくないし、怖い。自分たちもまたいつ彼らのようになるかわからないと思うからだ。

 この夫婦の最期は、極端な話だと思う。こうなる前に誰かが助けるはずだ、と思う。だが、誰も助けない。気もつかない。そんなものだと思う。だから、怖いのだ。不安を抱えて人は生きていく。せめて家族が助けてくれると信じる。だがこの一組の夫婦の死は、やがて来る僕らの未来を示す。2人だったからまだ幸せだ、なんて思えない。2人であってもこんなにも寂しい。そのことに恐怖するのだ。

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