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映画・演劇のレビュー

スアシ倶楽部『私はもう帰らない。』

2014-12-16 22:17:18 | 演劇
三好淑子さんがようやく「普通のお芝居」に挑む。待ちに待った作品だ。井上荒野の長編作品(『雉猫心中』)を題材にして、ふたりの男女の心のドラマを緊密な空間の中で描く。原作小説からイメージのみを借用して、お話は追わない。登場人物もふたりだけ。彼らの背後関係も見せない。それが三好さんの意図だ。

今までのリーディングによる公演も充分、芝居だったが、やはりテキストを持たない芝居は緊張感が違う。ラフなスタイルで演劇を楽しもうとする姿勢からスタートしたスアシ倶楽部が満を持して本格的に演劇作品に挑戦した本作は、期待に違わぬ傑作になった。

完全暗転を多用する。彼らの時間と距離をそこで表現する。贅沢な芝居だ。2人が心中するかどうかを描くのではない。彼らの関係性は明確にはならない。猫を通して出会い、別れていく。それだけ。

カフェ公演だが、暗転を重視するというそこだけは完璧にクリアしたことで、ここが閉じられた空間で、彼らの孕む緊張感はマックスになる。息苦しいような空間。狭くて心細い。ふたりだけ。でも、それは緊密で親和的な場所ではない。こんなにも近くにいるのに、お互いの距離はこんなにも遠い。

彼女から呼び出されて、ここに来た。もう帰ることはできない。それを彼(橋本浩明)は幸福なことだとは思えない。彼女(大沢めぐみ)に対して、腹立ちを感じている。それに対して、彼女はなんだかほんの少し幸せそうだ。お互いに妻と夫がいる。彼が妻に対してどう思い、どう接してきたか、その一端は描かれる。しかし、彼女の側は一切描かれない。そのアンバランスも含めて、とても丁寧に作られてある。描かれないものは、そのままで受け止めるといい。もしかしたら、彼女には夫なんかいないのかもしれない。それでいい。今、シャワーを浴びていた。無防備に居間に入ってくる。彼はソファの下でうずくまっている。それだけで、彼らの関係性を象徴する。

2人の修羅場が描かれるのではない。しかし、ここには確かな別れの予感があり、ここで、これまで積み上げられたいくつもの時間の断片が、時間軸を無視して綴られる。女の長いナレーションから始まり、男のナレーションで終わる1時間のドラマだ。ストーリーの中で明確なドラマは示されない。心象風景のようにして、描かれる。ずっと雨が降っている。今のこの時間に時系列を無視して、いくつかのエピソードが挿入される。この日のふたりの話が最後の時間だったのか、それすら定かではない。

大切なことはそんなことではない。記憶の彼方へと消えていくこれまでの時間。今、苛立つ彼とほほ笑む彼女。それがすべてだ。たまたま窓の外にやってきた猫に餌を与えること。お互いにそうして一匹の猫を共有していたこと。

シャワーを浴びるシーンも2度繰り返される。最初と最後。最初は男がいるけど、最後はいない。でも、女はくつろいでいる。あのラストが意味するものは何か。その時、何が終わったのか。はっとさせられる。

1時間という上演時間はもどかしい。短すぎる。もっとこのふたりに何があったのかを知りたい。どうしてこうなったのか。今どうあるのか、を。だが、語らない。敢えて描かないことで、それを描かないまま、観客を突き放すことで終わる。彼女はあんなにも明るい。だから、不安にさせられる。

愚かなのはいつでも男で、女はそんな男を包み込む。だが、果たしてそうか? 不安を感じる男に向けて、この作品は何も語らない。見事だ。


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