とてもねらいどころは面白いのだが、それをどう見せるか、という地点で失敗している。彼岸と此岸とか、いたこの口寄せとかいう仕掛けにばかり気を取られ過ぎて、核心にある「失踪した女性が監禁されたことで自分を見失っていく」過程が描ききれていないのは、惜しい。全体のバランスが悪いからこういうことになるのだ。
ドラマの入り口はこれでいい。しかし、核心部分に行くまでが長い。そのため大切なことが中途半端になっているのだ。この作品が、本来描くべき《痛み》が、こちらの胸に迫ってこないのである。
TVで繰り返し報道されている行方不明の女性の姿。何度も何度もその写真を見ているうちに、彼女が他人とは思えなくなり、なんとかして彼女を探し出したいと思う。自分とは何の面識もない女性に恋をしてしまう男。この設定はとてもいい。
さらには、この男が、実は彼女を誘拐して、監禁し続けていた犯人だった、という展開もスリリングだ。分裂した人格を2人の役者が演じて見せる終盤にはドキドキさせられた。2つに分裂した自分とむきあう。誘拐犯はとても投げやりに女を扱う。「もう飽きたからおまえにやるよ、好きにしたらいい」なんてことを言う。作、演出の橋本さんが演じる高村という男がリアルで気味悪い。だが、ほんとに気味が悪いのは、執拗に女を捜そうとする纏(森田真和)のほうなのだが。この2人を一つの人物として設定したことと、監禁されていた女の内面の変化。この二つがこの芝居の肝である。
女の中の恐怖がいつの間にか日常化していく。そんな中で自分を監禁している男に愛情を抱くようになるという展開は秀逸だ。こういうかなり微妙な部分を、もう少しきちんと描いてくれたならこれは傑作になったはずだ。咲子は加子(過去)となり全てを忘れ、彼岸の存在になる。カコの名のもとに捨ててしまった自分をどう取り戻すのか。
彼女の人生を滅茶苦茶にして、それすら忘れて、彼女を捜し求めること。この難しい役を演じる森田くんは線が細すぎる。キャラクターとしてはぴったりなのだが、彼の行為が露呈していくところで、彼自身の内面の分裂したものが、狂気としてしっかり伝わってこなくてはつまらない。居直ったところで、この男の中にある怖さを表現して欲しかった。
「この女いらんから、おまえにやるわ」と簡単に言い放つ橋本くんの軽さと、ひたすら生真面目に彼女を求め続ける森田くんの対比を通して、その先にあるものを見せていく、そんなドラマを見せて欲しかったのだが。
ドラマの入り口はこれでいい。しかし、核心部分に行くまでが長い。そのため大切なことが中途半端になっているのだ。この作品が、本来描くべき《痛み》が、こちらの胸に迫ってこないのである。
TVで繰り返し報道されている行方不明の女性の姿。何度も何度もその写真を見ているうちに、彼女が他人とは思えなくなり、なんとかして彼女を探し出したいと思う。自分とは何の面識もない女性に恋をしてしまう男。この設定はとてもいい。
さらには、この男が、実は彼女を誘拐して、監禁し続けていた犯人だった、という展開もスリリングだ。分裂した人格を2人の役者が演じて見せる終盤にはドキドキさせられた。2つに分裂した自分とむきあう。誘拐犯はとても投げやりに女を扱う。「もう飽きたからおまえにやるよ、好きにしたらいい」なんてことを言う。作、演出の橋本さんが演じる高村という男がリアルで気味悪い。だが、ほんとに気味が悪いのは、執拗に女を捜そうとする纏(森田真和)のほうなのだが。この2人を一つの人物として設定したことと、監禁されていた女の内面の変化。この二つがこの芝居の肝である。
女の中の恐怖がいつの間にか日常化していく。そんな中で自分を監禁している男に愛情を抱くようになるという展開は秀逸だ。こういうかなり微妙な部分を、もう少しきちんと描いてくれたならこれは傑作になったはずだ。咲子は加子(過去)となり全てを忘れ、彼岸の存在になる。カコの名のもとに捨ててしまった自分をどう取り戻すのか。
彼女の人生を滅茶苦茶にして、それすら忘れて、彼女を捜し求めること。この難しい役を演じる森田くんは線が細すぎる。キャラクターとしてはぴったりなのだが、彼の行為が露呈していくところで、彼自身の内面の分裂したものが、狂気としてしっかり伝わってこなくてはつまらない。居直ったところで、この男の中にある怖さを表現して欲しかった。
「この女いらんから、おまえにやるわ」と簡単に言い放つ橋本くんの軽さと、ひたすら生真面目に彼女を求め続ける森田くんの対比を通して、その先にあるものを見せていく、そんなドラマを見せて欲しかったのだが。