習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『レディー・イン・ザ・ウォーター』

2006-10-09 21:19:57 | 映画
 シャマランの『シックスセンス』を見た時、いったい何が起こったのだろうか、と思った。僕はラストまで見たのに、その瞬間何を見ていたのかと自分の目を疑った。今まで自分が見ていたものがすべて幻だったとは信じられなかったのだ。もしかしたら自分は居眠りしてて大事なシーンを見落としているのではないかとさえ思った。とても心地よい映画だったし、なぜか見ながらくつろいでしまっていた。(衝撃的なシーンはいくつもあったし、これは確実に分類上はホラー映画になるのだが)

 シャマランは従来のハリウッド的なわかりやすさを提示しない。明快なオチを勝手に期待していた僕は、そのあまりのあっけなさに衝撃をうけたのである。続く『アンブレイカブル』ではその姿勢はさらに確信的になる。ストーリーは途中から変調を来たし前半のミステリーが、後半ヒーロー物へ、それがまるで夢のように自然に変容していくのだ。あの映画は彼の最高傑作である。

 その後の2本は自らの手法に絡め取られ失敗を繰り返す。そして、今回、彼にとって起死回生の1作で再生する。

 ファンタジーの領域で自らのスタイルを援用することで、全く新しいタイプのシャマラン映画を完成させた。シンプルでストーリー上の仕掛けはまるでない。水の精がやって来て、彼女をもう一度、水の世界へ返すまでの出来事を描くのだが、舞台のアパートから一歩も出ないし、ハリウッドが大好きなスペクタクルは当然何もない。アパートの住人たちが協力して彼女が無事に水の中に戻れるというそれだけが描かれるのである。それだけの事を描くのに見ているうちに何かに取り付かれたような気分になり、このお話とすらいえないような話に真剣に耳を傾けてしまうことになる。不思議な体験である。

 つまらないという人がたくさんいるはずだ。劇場は日曜の昼なのにガラガラだったし、みんな何も言わず首をひねりながら帰って言った。仕方あるまい。この映画には何もない。何もないおとぎ話を寝物語として、子供に語るように作ってあるのだから。今までだってそうだった。彼は現実なんて語るつもりはない。ただ夢のように真実を語るだけである。それが我々の深層心理とリンクする瞬間を映画として見せるのだ。究極の個人映画をハリウッドで作っている。今回は今まで以上にすっきりした気持ちで作ったようだ。彼の満足感まで伝わる気持ちにいい映画だった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 突劇金魚『鰐と花と欲望ゴー... | トップ | スケッチブックシアター『夏... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。