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映画・演劇のレビュー

『シルビアのいる街で』

2011-11-13 20:06:06 | 映画
 これはありえん、と思った。ここまでわがままな商業映画はない。一応これって商業映画なんのだよね。でも、いくらなんでもこれはない。ビクトル・エリセが認めた才能、という宣伝に乗せられてレンタルしてきたのだが、むちゃする。僕は基本的に説明なんかいらない人だが、ふつうの人はこれでは怒ると思う。自主映画なら、ありそうだが、劇場映画ではこれはしない。アート映画でもこういうのって、やりそうなのだが、これはそんな難しいことを言わない。なんか、これって何の意図もなくただやりたいからしてる、って感じなのだ。

 主人公はこの街でブラブラしながら、この街を旅している。彼は旅行者なのだ。このフランスのどっかの街にやってきて、ひとりの女を捜す。もちろんシルビアである。だが、彼は彼女をよくは知らない。ただ、自分が好きな女の子で、名前はシルビアらしい、ということだけだ。どこに彼女がいるのか、ときょろきょろしている。それって、ありですか?

 でも、この清々しさって何だろうか。まるでスケッチのような映画だ。映画はただ目に見える風景を写しただけ。しかも、リアルタイムで。主人公はカフェでビールを飲みながら周囲のお客を観察しているだけ。可愛い女の子をずっと見つめる。それだけ聞くと、なんだか気持ちが悪い男だ。だが、こいつはそれなりに誠実そうで、きっと悪い男ではないと思わせる。

 ひとりの女の子をみつける。彼女を追いかけてどこまでもいく。これではただの変態ストーカーだ。映画は延々その様を描く。30分以上追いかけるだけなのだ。でも、それ以前に寝起きを5分間くらい見せられたり、カフェでぼんやり周囲の女の子を見ているのを、30分くらい見せられているから、もう驚かない。まだ動きがあるだけましなくらいだ。

 やがて、路面電車の中で彼女にようやく声をかける。「君は僕のシルビアではないか」と。当然「ノン」と言われる。よくもまぁ、と思う。でも、ここで2人の会話が少し描かれるからようやくこれが映画らしくなる。でも、そういう映画らしいシーンは5分と続かない。

 これは旅のスケッチだ。でもこんなわがままなスケッチはない。でも、やはり気持ちがいい。夢の女の子を捜す旅だ。街には可愛い女の子がたくさんいる。でも、残念ながら旅の空では、どの子も(日常においても、ほとんどの子が)自分とはかかわりがない。いいな、と思っても、普通なら声をかけない。ただすれ違うだけだ。なのに彼はそこで終わらない。

 だが、この主人公は新手のナンパをしているのではない。思いのまま行動しているのだ。一歩間違えば変質者である。でも、そうはならないのがいい。これは映画ならではのマジックなのだ。でも、よくもまぁ、こんな映画を作ったものだ。驚く。

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