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映画・演劇のレビュー

『卑劣な街』

2008-03-08 09:42:16 | 映画
 『マルチュク青春通り』のユ・ハ監督最新作。極道残酷物語とでも呼ぶべき内容で、とても暗い。上映時間はこんなにも単純な内容なのに2時間20分を超える。その中で、忍耐、失敗、友情、裏切り等々、いくつもの要素をドラマの中に織り込んでいきながら見せていく大作である。

 思い起こせば『マルチュク青春通り』も暗い映画だった。青春映画としてよく出来ていたが、クォン・サンウ主演の軽くてノスタルジックな甘い映画を期待した観客は少し引いてしまったことであろう。暴力描写が中心になる後半の迫力に圧倒された。だが、恋愛ものの一面もあり、全体の歪さが反対に魅力にすらなっていた。

 今回ユ・ハ監督のねらいは過去の描写をとことんまで切り詰めて主人公の現在の惨めで残酷な状況だけを見せていきながら、見せることにある。だから、彼がなぜヤクザなんかになったのかは語られない。

 だが、残念ながらまず、ヤクザ映画としてこの作品はあまりよく出来ていない。ストーリーが単純すぎてつまらないのだ。こんなにもヤクザが辛いのならやめてしまったらいい、と突っ込みを入れてしまいそうになる。それでも、ヤクザに固執し、やめれないのはなぜか。やはり、そこをもっとしっかり描かなくては映画にのめり込めない。子分たちは家族だから、彼らを見捨てることは出来ない、という気持ちはわかるがそんな甘いことを言っているから三流ヤクザのままなのも事実である。そのへんをもう少し書き込んで欲しい。

 映画監督を目指す幼なじみとの友情、子供の頃から大好きだった初恋の少女との再会。もともと3人は小学校の頃からの友だちで、映画は純粋だったあの頃の彼らの記憶を根底に持つ。今、三人三様の問題と向き合いながら生きている姿をサイド・ストーリ-としているが、本当はこちらが映画のメーン・ストーリーではないか。つまらないヤクザの抗争を描くよりも彼らの想いをもっと丁寧に見せて欲しかった。全体のバランスが悪いのだ。

 ヤクザ映画ではなく、友情と純愛。主人公のチョ・インソンが2人との関係の中で、ヤクザ社会に求めたものが崩れていくさまをきちんと見せてくれたならこれはかなり面白い映画になったはずだ。例えばもう一つの『スタンド・バイ・ミー』や『友よ。チング』になり得た可能性は充分にある。だが、ユ・ハ監督はこれをそんなタイプの甘い映画にはしたくなかったことも事実である。この失敗を謙虚に受け止め、ではどうすべきだったのかを考えて欲しい。次回作が彼の勝負だ。

 

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