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映画・演劇のレビュー

演劇舎しゅん『煙が目にしみる』

2008-07-09 19:36:13 | 演劇
 普通なら絶対に見ないタイプの芝居を春演の講評係を頼まれたために見ることになった。今年は粟田さんが降りられて、一人で担当しているため16本、絶対に欠かすことが出来ない。それって、正直言って、かなりきつい。4月からこの7月まで、ほぼ毎週、自分の見たい芝居と並行してプラネットSに通い続けてきた。そのうち何本かは全く僕の趣味とは合わない作品があり、つらい時間だったが、それでも各団体が、自分たちの信念に基づき、全力で芝居とかかわりあっている姿が、しっかり伝わってくる真面目な芝居ばかりなので、僕も真剣にきちんと1本1本見てきたつもりだ。

 これが芝居を舐めてかかったようなつまらないお遊び気分のサークル芝居なら、いくら仕事とはいえ、途中で投げ出していたかもしれない。しかし、そんな芝居はここには1本もなかった。この森之宮青少年会館を活動の拠点として、真摯に芝居と向き合っている。若手から、ベテランまで。様々な団体がこの4ヶ月、ここで見せれくれたものは、演劇というもののひとつのあり方を示すものだ。いい経験をさせて貰った、と感謝している。

 さて、最終シーズンの4本に突入、である。実を言うと、今日の芝居は、かなりきつかった。あまりに真面目すぎて、どう書いたらいいのか、よくわからない。昔、初めて演劇というものに触れたときのあの気分。芝居を見て感じたもどかしさ。不自由さ。それを思い出さされた。

 これをなぜ芝居にするのか。よくわからない。これなら舞台でなくても成立する話だと思う。映画でも、TVでも、いい。

 そのため、これは舞台であることの不自由さばかりが目立つ芝居となった。その結果、リアリティーも損なうことになる。それにしても、舞台でなくてはならないものってなんだろう。この芝居の弱点は中途半端なリアリティーにある。ドタバタがはじけないのは、ストーリーに縛られすぎたことにある。ここには演劇的な冒険がない。

 火葬場を舞台にして、2人の死者が焼かれて骨になるまでの、家族たちと、本人たちの姿をコメディータッチで描く作品である。きちんとしたセットの元で、適度に笑えて、楽しめ、ほろっとさせられるように作ってある。お客さんはそれなりに満足して帰れるもかもしれない。だから、悪い芝居、というつもりは毛頭ない。だが、僕にはこういうのが一番つらい。

 せめて死者である2人の生きていたときに感じたことと、今感じることの落差でも納得のいく描写で見せてくれたなら、よかったのだが。

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